第115話 勝負、あり。
「始めェェェッ!!!!」
──ダァンッ!!!!
床を裂くような踏み込み。
開始と同時に、有元大毅が前へ出る。
「っ……!!」
朔也は即座に反応した。
だが。
──パァンッ!!
重い。
竹刀越しに伝わる圧力が、まるで違った。
ただ強いんじゃない。
攻めが止まらない。
一歩、下がれば。
その分だけ、更に深く間合いへ踏み込まれる。
──ダンッ!!
「メェェェェンッ!!」
真正面から振り下ろされる面。
朔也は咄嗟に受け流す。
だが、その瞬間にはもう次。
「ドォォォォッ!!」
低い咆哮と共に、胴。
──スパァァンッ!!
防ぐ。
捌く。
逃がす。
それでも。
攻め返せない。
(……っ!!)
朔也の奥歯が、ぎり……っと軋んだ。
速い。
いや。
速いだけじゃない。
攻めの“圧”が異常だった。
間合いを支配されている。
有元は、一本を取った事で更に勢いを増していた。
呼吸ひとつ乱れないまま、獲物を追い詰めるみたいに攻め続けてくる。
──ダンッ!!
「コテェェェェェッ!!」
また来る。
朔也は受ける。
捌く。
下がる。
だが。
攻めが、出ない。
「……っ」
待機場所で蒼太が、小さく息を呑んだ。
(技が出ねぇ……)
竹刀を握る手へ、じわりと力が入る。
(攻めねぇと……朔也……!)
有元は、完全に流れを掴んでいる。
このまま押し切られれば。
二本目を奪われる。
そうなれば──終わる。
観客席でも。
「……っ……」
咲が、手すりを握り締める。
雫は、呼吸すら忘れたみたいに試合場を見つめていた。
陽向の瞳が揺れる。
(……朔也…………っ)
朔也がまるで手も足も出ない状況だという事は、剣道初心者である陽向にでもわかった。
控え部員達も、拳をぎゅっと握りしめ、誰一人騒がない。
(マズイ……!)
聖陵国際側全体の空気が、そう叫んでいた。
有元の攻撃は止まらない。
──パァンッ!!
激しい鍔迫り合い。
押し込まれる。
床を滑る足が、わずかに後ろへずれる。
(……クソっ……!!なんなんだよこいつ…っ!!)
朔也の呼吸が乱れる。
重い。
押し切られる。
(まずい……このままじゃ………!)
その瞬間だった。
ふいに。
脳裏へ、放課後の道場裏が浮かんだ。
───────。
「…はぁ…太刀筋が……変わったな、朔也。」
大会前。
毎日のように蒼太と打ち合った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
灼熱の太陽の下。
誰もいない広場。
汗で濡れたTシャツ。
剥けた手の皮。
肩で息をしながら、それでも竹刀だけは握り続ける。
蒼太は、構えたまま小さく笑った。
「よっぽど……勝ちてぇんだな。」
朔也は、汗を拭う事もなく鼻で笑う。
「まぁね。俺には“空気脱出告白大作戦”を果たさないといけない使命があるからな。」
「はは。陽向の心に一本入れようってか。」
蒼太の口元が、少しだけ緩む。
朔也は、竹刀を肩へ担ぎながら腰を伸ばした。
「そ。空気でしかない今の俺が渾身の一本打撃したところで、かわされるどころか、え?今打ちました?状態なんだよ」
「確かにな。空気じゃなくて“男”だってところを植え付けねぇと…今じゃ話しになんねぇな。」
蒼太は、静かに頷く。
その言葉に、朔也は小さく目を伏せた。
「俺は……」
そして。
ぽつり、と。
胸の奥に沈め続けてきた本音を吐き出すみたいに呟く。
「ずっと逃げてきたからな。陽向の前で“男”になる事。」
熱風が、道場裏を吹き抜ける。
遠くで、蝉が鳴いていた。
「ずっとひなは殻に閉じ籠ってて、恋愛なんか異世界でしかなくて、あいつが誰かを好きになる事なんて到底ありえなくて。」
「…………。」
蒼太は、何も言わない。
ただ静かに、朔也の言葉を聞いていた。
「本当は…どんなに大切でも、こいつは恋愛なんか絶対無理なんだって、どっかでずっと諦めてた。ガキの頃から、無意識に。」
朔也は、ぎり……っと竹刀を握り締めた。
「その絶対的で鋼鉄みたいな強固な殻を、藤崎俊輔がぶち破りやがった…!」
朔也の目が、鋭く細まる。
「あいつがひなの世界を変えた。」
悔しかった。
腹が立った。
どうしようもないくらい。
「俺はそれを目の当たりにして……何も出来なかった。苦しくても、腹が立っても、結局ただ、眺めてる事しか出来なかった。」
熱気だけが、じわりと肌へまとわりつく。
やがて。
朔也は、ゆっくりと竹刀を構えた。
「あいつは変わった。自分の殻を脱ぎ捨てて、新しい自分に変わったんだ。」
両手で強く握り締めた剣先が、真っ直ぐ蒼太へ向けられる。
「……今度は自分が変わる番って事だな。」
蒼太が、静かに口を開いた。
「俺は…これまでひなと過ごしてきた十八年間と、決別する。」
朔也の瞳が、真っ直ぐ前を向いた。
「聖陵が越えられなかったベスト8の決定戦で、ひなに副将戦で勝つところを見せつけて、あいつの中で俺は“幼馴染み”から“男”になる。」
その声には、迷いがなかった。
蒼太は、ふっと笑う。
そして、自分も静かに竹刀を構えた。
「いい心意気だな。その熱意があればベスト8でお前は負けねぇよ。」
「絶対勝つ。勝ってひなに告白する!」
蒼太の目が、静かに細まる。
そして低く、けれど力強く言う。
「上等だ。お前なら出来る。」
次の瞬間。
朔也が、地面を蹴った。
「お願いしますっ!!!!」
──ダァンッッッ!!!!
何百回。
何千回。
竹刀を振った。
勝つために。
変わるために。
(中学ん時は常に彼女いたしさー。なんなら小学校の時からいたじゃん?あっちに乗り換えてこっちに乗り換えて、元カノ10人以上軽く居るっしょ?)
女なんて。
自分のステータスで。
自分を男として満たすための存在でしかなくて。
本気で恋をするなんて、くだらないと思ってた。
──でも。
もっと深い場所から。
別の記憶が、浮かび上がる。
小学生の頃。
教室の隅。
笑われていた陽向。
泣きそうなのに、無理して笑ってた横顔。
中学の頃。
陰口。
悪意。
孤立。
それでもひなは、俺の前では笑っていた。
なのに。
自分は、何も出来なかった。
ただ隣で見てるだけだった。
守れなかった。
助けられなかった。
そして、高校。
藤崎俊輔。
ひなが、あいつを好きだったニ年間。
苦しくて。
悔しくて。
どうしようもなかった。
なのに。
結局、自分はまた。
何も出来なかった。
───ダンッ!!
(………………また……かよ……っ)
ギリギリギリ……ッ───!!
鍔迫り合いの中。
朔也の奥歯が、軋む。
あいつは変わった。
自分の力で、歯を食いしばって、諦めずに、立ち上がって。
カースト下剋上を成し遂げた。
なのに。
俺は。
また。
また何も出来ねぇまま終わんのか。
負けて。
届かなくて。
諦めて。
そんな俺が。
あいつを振り向かせるなんて。
あいつの隣に立つなんて。
そんな自分のままで───
終わってたまるか。
(ここで…っ勝たなきゃ……!)
ギリギリギリ……ッ!!
有元の圧力が、更に増す。
押し切られる。
崩される。
視界が揺れる。
(ここで……変わらなきゃ……!!)
その時。
観客席では、陽向が祈るように両手を握り締めていた。
こんなに必死な朔也を見たことがない。
圧倒的な力の差に押し潰されそうになりながら。
一本取られてしまっても泥臭く、尚諦めない。
その熱気と、一生懸命さと、気迫が、こちらまで伝わってくる。
竹刀が軋むほどの鍔迫り合い。
相手の圧力に押し退けられ、ジリジリと後退している。
(…朔也……っ)
もう、見ていられなくて、息が詰まりそうだった。
「…く………っ」
(…だ……め………っだ………っ)
朔也が、今にも押し切られそうになった────
その瞬間。
「……朔也………っ!!!!!」
観客席。
陽向の声。
ほんの一瞬。
朔也の目が、揺れた。
(……ひ……な………っ……)
次の瞬間───変わった。
「っ!?」
有元の瞳が、見開かれる。
さっきまで押され続けていた朔也の身体から、空気が変わった。
鍔迫り合い。
押し込まれていたはずの身体が、ふっと消える。
スッ───
有元の圧力を、真正面から受けなかった。
流した。
捻った。
崩した。
「……っ!?」
有元の重心が、一瞬浮く。
その、刹那。
──ダァァァンッ!!!!
床を爆ぜさせる踏み込み。
朔也の身体が、閃光みたいに潜り込む。
振り抜かれた竹刀が、捻り上げるような軌道で跳ね上がった。
──パァァァンッッッ!!!!
「メェェェェェェンッ!!!!」
轟音。
(な……っ)
間一髪。
一瞬で、有元が受け止めた。
速い。
わからなかった。
さっきまでと、まるで動きが違う。
早く勝負をつけないと────絶対にまずい。
有元の本能が、警戒を鳴らした。
──ダァァンッ!!!!
再び、有元が踏み込む。
誰もが、次の瞬間。
有元の二本目が決まると思った。
だが。
「……っ!!」
朔也の身体が、沈む。
真正面から受けない。
逃げない。
捌く。
──パァンッ!!!!
「メェェェェェンッ!!!!」
有元が打った竹刀が噛み合った、その刹那。
朔也の剣先が、有元の竹刀を絡め取るように滑った。
「なっ──!?」
有元の目が、見開かれる。
次の瞬間。
朔也の身体が、半歩。
相手の死角側へ滑り込んだ。
そして。
──パァンッッッ!!!!
「──メェェェェェンッ!!!!」
裏から、面を打ち抜いた。
「っ!!??」
観客席が、凍る。
遅れて。
白旗。
赤旗。
白旗。
「面ありィィィィッ!!!!」
ドッッッッ!!!!!!
体育館が、爆発した。
「返し裏面っっっ!!!」
蒼太が、思わず叫ぶ。
他の部員達も沸き上がった。
「返し面を裏から抜きやがった……!!」
「うそだろ!?!?」
「今の角度で入んのかよ!!」
「見えなかった!!」
「有元の攻め利用したぞ黒川!!」
歓声。
絶叫。
地鳴りみたいな拍手。
観客席の陽向が、目を見開いたまま固まっていた。
「……っ……」
胸が、熱い。
呼吸が、苦しい。
今の一瞬。
何が起きたかなんて、全部はわからない。
でも。
ただ、死ぬほど。
「…朔也……すごい…朔也………」
陽向の口からは、ただその名前が溢れる。
胸が………キュンと締め付けられる。
涙が一筋─────こぼれ落ちた。
本当に。
どうしようもないほど。
かっこよかった。
試合場中央。
朔也は、静かに残心を取りながら呼吸を吐く。
汗が、顎先から落ちる。
面の奥。
黒い瞳だけが、真っ直ぐ観客席を見上げた。
陽向は、朔也がこちらを向くと────。
「………!」
親指を上げて真っ直ぐ前に突き出して。
最高の笑顔で、グッドサインをした。
(最っ高…!!)
まるで、そう言ってるみたいだった。
皇辰学園側は、完全に凍りついていた。
「……聖陵の副将ごときが……部長から一本……?」
「そんな事、ありえんのかよ……!」
「あの有元部長が取られるとか……何がどうなってんだよ……」
動揺を隠せない声が、あちこちで漏れる。
皇辰学園。
高校剣道界の古豪。
その中でも、有元大毅は“絶対的エース”だった。
誰よりも強く。
誰よりも勝つ。
そんな存在。
その有元から、一本を奪った。
しかも相手は、“大将ですらない”。
聖陵国際高校、副将──黒川朔也。
ざわめいているのは、皇辰側だけじゃなかった。
二階観客席でも、どよめきが広がっていく。
「皇辰最強の主将が……」
「え、今まじで取られたの?」
「“絶対的エース”有元だろ……?どうしちゃったんだよ……」
他校の剣道部らしき男子生徒達が、信じられないものを見るように試合場を見下ろしている。
その会話が。
朔也の一本へ完全に心を撃ち抜かれていた雫の耳へ、すう……っと冷たく差し込んだ。
「……どういう事ですか?」
思わず、振り向く。
そして、そのまま数歩。
他校生達の方へ歩み寄った。
「しぃちゃんっ!」
陽向が慌てて呼び止める。
けれど雫は、振り返らない。
まっすぐ他校生達を見つめたまま、静かに問いかける。
「この副将戦って……“皇辰最強”の“絶対的エース”が戦ってるんですか?」
その瞬間。
陽向と咲が、同時に目を丸くした。
「え、そうなの?」
「ガチ……?」
問いかけられた男子生徒は、一瞬だけ驚いた顔をしたあと、小さく頷く。
「そうですよ。」
そして、試合場へ視線を向けながら続けた。
「多分、大将で当たる相手が“津堅蒼太”だから…皇辰は大将戦を捨てたんじゃないかな。」
その言葉に。
陽向と咲の表情が、僅かに強張る。
「……っ……!」
雫が、小さく息を呑む。
つまり。
皇辰学園は、“津堅蒼太には勝てない”と判断した。
だから、その前で終わらせるために。
最強のエースを、副将戦へ下げた。
そして今。
その“絶対的エース”と、朔也が真正面から戦っている。
雫は、ぎゅっと胸元で手を握ったあと、ぺこりと頭を下げた。
「……そうですか……ありがとうございます。」
丁寧に礼を言ってから、静かに陽向と咲の元へ戻る。
体育館の熱気が、じっとりと肌へ張り付いていた。
「……蒼太って、あんな強い学校からも恐れられてるんだね……」
陽向が、ぽつりと呟く。
その声には、どこか驚きが滲んでいた。
すると咲が、むっと眉を寄せる。
「だからって蒼太から逃げるとか、根性なさすぎ!」
「……でも……」
雫が、小さく視線を落とした。
「その“逃げた相手”は……今、黒川先輩と戦ってる本人って事ですよね……?」
その言葉に。
陽向の胸が、どくりと大きく脈打つ。
「……は……うざ……。」
試合場中央。
汗を滲ませながら、有元と向かい合う朔也。
さっきの一本。
あれだけ会場を揺らしたのに。
それでも、まだ相手は“皇辰最強”の絶対的エース。
「…格下を潰しにきた……ってこと…?」
陽向は、ぎゅっと手すりを握り締めた。
「そんなの…」
そして。
「絶対……負けないで欲しいわ。」
真っ直ぐ落ちたその声は、強く、熱を帯びていた。
「始めッッ!!!!」
審判の鋭い号令が、張り詰めた試合場へ叩き落とされた瞬間───
──ダァァンッ!!!!
両者が、同時に床を爆ぜさせた。
第四回戦。
東京都ベスト8決定戦。
聖陵国際高校 vs 皇辰学園高校。
途中対戦結果は───
先鋒 × 0-2
次鋒 ◯ 1-0
中堅 △ 0-0
副将 ──現在試合中。
現時点での取得本数差は、皇辰学園が一本リード。
そして今。
副将戦は、一本ずつ取り合った状態で振り出しへ戻されていた。
つまり。
このまま試合終了となれば。
次の大将戦で、津堅蒼太が二本勝ちした時点で、聖陵国際高校の逆転勝利が決まる。
だからこそ。
皇辰学園は、ここで最低でもあと一本が必要だった。
有元が一本取れば、取得本数差は再び二本差。
そうなれば、次の大将戦で二本負けしても引き分けへ持ち込める。
もしも一本負けで耐え切れば、皇辰学園の勝利。
──たった一本。
けれど、その一本で。
ベスト8へ進む確率は、天と地ほど変わる。
(あと一本……!!)
有元の瞳が、獲物を狩る獣みたいに細まる。
ここで終わるわけにはいかない。
津堅蒼太へ勝敗を持ち込めば、不利になる。
だからこそ。
ここで決める。
ここで叩き潰す。
その執念が、剣先から剥き出しになっている。
皇辰学園絶対的エース。
本来“大将”へ座るはずだった男。
その全身から、凄まじい気迫が溢れていた。
──ダンッ!!
低空から鋭く跳ね上がる小手。
朔也は、反射で竹刀を返す。
──パァンッ!!!!
「コテェェェェェッ!!!!」
紙一重。
会場から、息を呑む音が漏れた。
速い。
攻防が、一瞬すぎる。
視線で追えない。
気づけば次の打ち込みが始まっている。
激しくぶつかる熱と熱。
まるで、極限まで研ぎ澄まされた刃同士がぶつかり合っていた。
「はぁ……っ……!」
朔也の呼吸が熱を帯びる。
掌が焼けるように痛い。
足は重い。
肺が悲鳴を上げている。
それでも。
退けなかった。
今日まで積み上げてきた。
何百本。
何千本。
勝つためだけに、竹刀を振り続けた。
全部。
全部、今日のためだった。
(あと一本……っ!!)
あと一本で。
絶対、この戦いに勝って。
──パァンッ!!!!
再び激突する竹刀。
押し合う。
削り合う。
互いの息がぶつかる距離。
有元の圧力が、凄まじい。
一瞬でも気を抜けば。
その瞬間、斬り伏せられる。
本当はきっと。
ずっと、大切だった。
ガキの頃から一緒にいて。
いつも側にいたのに。
無理だってわかってたから、カッコつけて。
本当の気持ちから目を逸らしたくて。
女に逃げて。
無力な自分から目を背けるための逃避だった。
本当に大切なあいつが傷ついている時。
俺は何もできなかった。
──ダンッ!!
真正面から振り下ろされる面。
──パァァンッ!!!!
「メェェェェェンッ!!!!」
朔也が、咄嗟に受ける。
だが、有元は止まらない。
低い咆哮。
間髪入れず飛んでくる胴。
──パァンッ!!
「ドォォォォォッ!!!!」
防ぐ。
捌く。
逃がす。
(取らせるかよ……っ!!)
朔也の瞳が、鋭く燃え上がる。
ここで終わったら。
また届かない。
また“眺めているだけ”で終わる。
そんなの、嫌だった。
ひなが変わった。
何度傷ついても。
何度笑われても。
それでも、自分の足で立ち上がった。
だったら。
自分も変わらなきゃいけない。
「……っらぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
朔也が、一気に踏み込む。
──ダァァンッ!!!!
床が爆ぜる。
有元の目が、鋭く細まった。
来る。
そう感じた瞬間。
朔也の竹刀が、真正面から振り抜かれる。
──パァァンッ!!!!
「メェェェェェンッ!!!!」
有元が受け止める。
だが、その瞬間にはもう次。
朔也は止まらない。
「ドォォォォッ!!!!」
低い咆哮。
踏み込み。
連撃。
有元が後ろへ下がる。
初めてだった。
この試合で。
皇辰の絶対的エースが。
初めて、“押された”。
「っ……!」
観客席の空気が、変わる。
ざわっ───……!!
どよめきが広がった。
聖陵国際の副将が。
黒川朔也が。
皇辰最強へ、真正面から喰らいついている。
喰らいつくだけじゃない。
押し返している。
「朔也……っ!!」
蒼太が、思わず拳を握る。
咲は、祈るみたいに手すりを握り締めていた。
雫は、息を止めたまま試合場を見つめている。
陽向は。
胸の奥をぎゅっと掴まれたまま、ただ真っ直ぐ朔也を見つめていた。
汗だくで。
ボロボロで。
苦しそうなのに。
それでも前へ出る。
絶対に諦めない。
その姿が。
どうしようもなく───
胸を締め付けた。
「……っ……」
トクン。
胸が、大きく鳴る。
トクン。
トクン。
トクン。
この気持ちは………なんだろう。
俊ちゃんの時とは違う、胸の高鳴り。
苦しくて。
息も出来なくて。
魂の底から燃え上がるような。
経験したことのない、知らない感情。
試合場中央。
(あと一本……!!)
──ダァァンッ!!!!
床が、悲鳴みたいな音を立てる。
「メェェェェェンッ!!!!」
朔也の咆哮が、体育館を震わせた。
有元が受ける。
だが、押される。
──パァァンッ!!!!
竹刀同士が激突し、火花が散りそうなほど軋む。
観客席が、どよめく。
ざわっ───……!!
皇辰学園絶対的エース。
今まで一歩も退かなかった有元大毅が。
「うおっ……!!」
「聖陵の副将、押してる!!」
「マジかよ……!!」
体育館全体の空気が、一気に変わる。
朔也は止まらない。
──ダンッ!!
「ドォォォォォッ!!!!」
低い咆哮。
踏み込み。
連撃。
逃がさない。
今まで積み上げてきた全部を、叩きつけるみたいに。
有元の間合いを、強引に食い破っていく。
有元の眉が、僅かに歪む。
(……こいつ……っ!!)
重い。
さっきまでとは、まるで別人だった。
技術じゃない。
気迫が。
執念が。
竹刀越しに、狂気みたいに食らいついてくる。
──パァンッ!!
再び激突する剣先。
朔也が押し込む。
削る。
前へ出る。
その姿に。
待機スペースで、蒼太がぎゅっと拳を握った。
(……いける……っ!!)
観客席。
控えスペース。
他校の剣道部員達。
誰もが息を呑みながら、試合場中央を見つめている。
流れが、変わった。
そう感じた。
体育館全体が、じわじわと。
“黒川朔也が勝つ”
その空気へと、塗り替わっていく。
呼吸が焼ける。
それでも。
勝つ。
絶対に。
この戦いに勝って。
全部、伝える。
言えなかった想いも。
十八年間、積み上げてきた時間も。
全部。
この一本へ、叩き込む───。
──ダァァァァンッ!!!!
朔也が、踏み込んだ。
床が爆ぜる。
「メェェェェェェンッ!!!!」
渾身。
魂ごと叩き込むみたいな一撃。
真正面から。
有元の面へ向かって、振り抜かれる。
誰もが。
決まった、と。
そう思った。
──その瞬間だった。
──ズバァァァンッ!!!!
炸裂音。
体育館が、一瞬───無音になる。
「……っ」
誰も、動けなかった。
何が起きたのか。
理解が追いつかない。
ただ。
試合場中央で。
朔也の身体が、僅かに前へ流れた。
その沈黙を最初に破ったのは─────
「……くそ……っ」
蒼太の、掠れた声だった。
次の瞬間。
白旗。
赤旗。
そして、僅かに遅れて…
赤旗。
一斉に、上がる。
「胴ありィィィィッ!!!!」
そして。
「勝負ありィィィィィッ!!!!」
ドッッッッッ───!!!!
皇辰学園の応援席が、爆発した。
「うおおおおおおおっ!!!!」
「有元ォォォォォォ!!!!」
「っしゃああああああ!!!!」
歓声。
絶叫。
地鳴りみたいな拍手。
その中心で。
朔也は、静かに立ち尽くしている。
蒼太には、全てが見えていた。
「返し…胴…っ」
蒼太は奥歯を噛み締めた。
先ほどの光景が蘇る。
朔也の面を捌いた。
いや。
ただ避けたんじゃない。
有元は、朔也の竹刀を“擦らせた”。
真正面から受けず。
剣先へほんの僅かに角度をつけ、面金を滑らせる事で、打突の軌道を殺した。
そして。
その流れのまま。
クルリ───……。
有元の身体が、斜めへ流れた。
まるで水みたいに。
鍔元を外しながら、半身へ捌き。
沈み込むように腰を落とした。
次の瞬間。
返し胴。
だが、ただの返し胴じゃない。
面へ飛び込んできた勢いを利用し。
擦らせた竹刀を、巻き込むように外側へ流し。
死角へ潜り込むように身体を斜めへ捌きながら。
朔也の右胴を、下から抉り上げるみたいに斬り抜いた。
あまりにも鮮やかだった。
まるで。
“打たせてから獲る”事まで、最初から完成されていたみたいに。
「なんつー…怪物だよ………」
その実力を目の当たりにした蒼太は、普段の朔也の実力で、有元から一本を取った事が奇跡のように思えた。
面の奥。
呼吸だけが、荒い。
(……負け……た……?)
じわり、と。
遅れて現実が胸へ沈んでいく。
あと一本だった。
届きかけていた。
変われると思った。
勝てると思った。
なのに。
「……っ……」
握った竹刀が、微かに震える。
試合場の向こう。
有元大毅が、静かに残心を取りながらこちらを見据えていた。
その姿は、まるで巨大な壁だった。
観客席。
陽向は、息を止めたまま立ち尽くしていた。
さっきまで。
絶対、勝つと思った。
朔也が。
あのまま全部ひっくり返して。
本当に、勝ってしまうんじゃないかって。
そう、思ったのに。
「……朔…也……っ」
小さく零れた声が。
歓声へ、飲み込まれて消えた。




