第114話 最強の主将、副将戦へ
そして───
陽向の到着によって、険悪だった空気は嘘みたいにほどけていた。
まるで止まっていた歯車へ、もう一度熱が戻ったみたいに。
聖陵国際剣道部は、副将を朔也へ、大将を蒼太へと本来の役割に戻し、その勢いを切らす事なく本領を発揮して三回戦も突破。
張り詰めた空気の中で一本を積み重ね、確かな強さで勝ち上がっていく。
そして。
ついに、その時が訪れた。
──ベスト8決定戦。
最低ラインは、ベスト16。
それを必達だと言い切った主将・蒼太の言葉は、有言実行となった。
だが。
ここから先は、もう“最低限”じゃない。
勝てば、東京都ベスト8。
強豪校だけが並ぶ、本物の土俵。
そして朔也にとっては───
“告白”を懸けた戦いの舞台だった。
「皇辰か………」
試合表を見上げながら、朔也が小さく息を吐く。
その隣で、蒼太は静かに頷いた。
「まぁ、ベスト16まで来たら普通に強豪だよな。」
淡々とした声。
けれど、その目は笑っていない。
皇辰学園高校。
都内剣道界では、知らない者のいない古豪。
派手さはない。
けれど部員達の実力は、バランスが良い。
毎年必ず上位へ食い込んでくる、“勝ち方を知っている学校”だった。
「全国大会出場歴、多々あり。」
「過去例年、ベスト8以上に鎮座してる常連校。」
周囲のレギュラーメンバー達も自然と表情を引き締めて口にする。
「ここで負けたら、ベスト16止まりで終わるわけだからな……」
「向こうも、その“常連”の看板を死守しに来るだろ。」
湿った体育館の空気が、じっとりと肌へ張り付く。
遠くの試合場では、今も竹刀のぶつかる音と歓声が響いていた。
だが、聖陵国際の控えスペースだけは、不思議なくらい静かだった。
誰もが理解している。
ここから先は、“本当に強い奴ら”しか残っていない。
朔也は、静かに竹刀袋へ視線を落とした。
そして数分後───
「選手、前へ。」
審判長の低い声が、体育館へ響き渡った。
一斉に立ち上がる選手達。
防具の擦れる音。
竹刀を握る手へ、自然と力が入る。
張り詰めた空気の中。
両校のレギュラーメンバーが、試合場中央へ向かい合って並んだ。
その瞬間だった。
(な……っ)
朔也の瞳が、わずかに揺れる。
視線の先。
相手オーダーを見た瞬間、胸の奥がざらりと軋んだ。
(………………そう来るか…….)
隣で、蒼太の目が鋭く細まる。
レギュラー陣の空気も、一瞬で変わった。
ざわ……っと。
胸の奥を嫌な予感が撫でていく。
副将戦。
そこへ配置されていたのは───
本来、大将を務めているはずの皇辰学園高校剣道部主将、そして絶対的最強エースだった。
「礼ッ!!」
両校が、一斉に頭を下げる。
礼を終えたあと、先鋒以外の選手達が静かに正座した。
床の冷たさが、じわりと膝へ伝わる。
その静寂の中で、蒼太がぽつりと呟く。
「……副将戦で終わらせに来たな。」
低い声だった。
朔也は、視線を逸らさないまま鼻で笑う。
「皇辰の大将とは言え、蒼太相手じゃ実力差あるの自覚してんだろ。」
その声には、冷えた闘志が滲んでいた。
津堅蒼太。
中学時代、全国大会出場経験あり。
高校剣道界で、その名を知らない者はいない。
そして───高校入学後、公式戦無敗。
聖陵国際剣道部において突出した実力の持ち主であり、“絶対的な大将”だった。
皇辰学園は、そこを避けた。
大将戦まで持ち込めば不利になる。
なら、その前に決着をつける。
つまり。
“副将戦で勝負を決める”
そういうオーダーだった。
「大将戦は捨て試合って事か……」
中堅の部員が、小さく息を呑む。
その隣で、次鋒が苦々しく呟いた。
「逃げ腰にも程があるな。」
「……プライド捨ててまで、勝ちに来てんだろ。」
静かな会話。
けれど、その奥には全員同じ感情があった。
──舐められてる。
まるで、“津堅蒼太以外は大した事ない”。
そう言われているかのようだった。
津堅蒼太へ勝敗を回したら終わる。
そう判断された。
だからこそ。
皇辰学園の最強部員が。
副将戦で。
“黒川朔也を潰しに来た”。
体育館の空気が、じわりと熱を帯びていく。
遠くで鳴る竹刀の音。
響く歓声。
流れる場内アナウンス。
その全部が遠のく中で。
朔也だけは、静かに前を見据えていた。
「上等じゃん。皇辰主将、有元大毅。」
面の奥で。
黒い瞳だけが、獰猛に燃えていた。
一方、その頃───観客席。
二階手すりへ身を預けるようにして、陽向、咲、雫の三人は試合場を見下ろしていた。
体育館の熱気は、観客席にまでじっとりと届いている。
遠くで鳴る竹刀の衝突音。
張り詰めた気合い声。
ざわめく応援席。
その中で。
聖陵国際剣道部の控えスペースだけが、どこか異様な空気を纏っていた。
「……なんか、みんなどうしたのかな……」
咲が、不安そうに小さく呟く。
視線の先では、レギュラー陣が試合場へ並んだまま、険しい顔で相手校を見据えていた。
雫も、そっと眉を寄せる。
「相手が並んだ瞬間……控えの部員さん達も、ちょっとざわついてましたよね……」
さっきまで騒がしかった剣道部員達が、一瞬で静まり返った。
その空気の変化だけは、剣道に詳しくない雫でも感じ取れていた。
けれど。
「そう?なんかドッキリでもあったんじゃん?」
陽向だけは、首を傾げてあっけらかんとした声。
まるで深刻さを理解していない。
手すりへ頬杖をつきながら、のんびり試合場を眺めている。
しかし───
その緊張感に気づかないまま陽向の野生的な勘は、割と的確な言葉を発していた。
皇辰学園の並び順。
本来、大将へいるはずの絶対的エースが、副将へ配置されている。
つまりそれは。
聖陵国際にとっての“想定外”すなわち“ドッキリ”。
まさに、奇襲だった。
────────。
第四回戦、ベスト8決定戦。
途中対戦結果。
先鋒 × 0-2
次鋒 ◯ 1-0
中堅 △ 0-0
強豪・皇辰学園を相手に、試合は副将戦までもつれ込んでいた。
湿気を含んだ体育館の空気が、じっとりと肌へ張り付く。
遠くでは別試合の竹刀がぶつかる乾いた音が響く。
ベスト8の決定戦を見届けようと集まった敗戦校のギャラリーが増えた観客席からは断続的に歓声が上がっている。
聖陵国際と皇辰学園、その試合場周辺は、異様なほど空気が張り詰めていた。
先鋒戦。
皇辰学園が二本勝ちで流れを掴んだ時、周囲は誰もが“やはり強豪校だ”と思った。
だが。
次鋒で聖陵国際が食らいついた。
泥臭く。
執念みたいに一本をもぎ取り、勝敗を振り出しへ戻した。
さらに中堅戦。
激しい鍔迫り合い。
削り合い。
何度も際どい打突が飛び交った末、結果は痛み分けの引き分け。
つまり───
皇辰学園は、“副将戦で三勝目を取る”という作戦を崩された。
ざわ……。
観客席の空気が、少しずつ変わり始める。
強豪校・皇辰学園。
大会常連。
ベスト8以上の景色を知る学校。
そんな相手に、聖陵国際の津堅蒼太以外の部員がここまで喰らいついている。
その想定外の事実が、じわじわと会場全体へ広がっていく。
しかし───
焦っているのは、聖陵国際だけじゃなかった。
むしろ。
計画が崩れたのは、皇辰学園側だった。
本来の狙いは、副将戦で決着をつける事。
大将・津堅蒼太へ勝敗を回さない事。
そのために皇辰学園は、本来大将である絶対的エース───有元大毅を、副将へ配置した。
だが。
中堅終了時点で、取得本数差は、わずか一本。
もし、この副将戦で勝ち切れなければ。
勝敗は、大将戦へ持ち越される。
そして、その先には。
津堅蒼太。
高校入学後、公式戦無敗。
“絶対的エース”。
皇辰学園にとって、それは。
絶体絶命を意味していた。
だからこそ。
この副将戦で、確実に試合を終わらせる必要がある。
必要なのは───
二本勝ち。
黒川朔也から、二本を奪う事。
そうすれば取得本数差は三本。
たとえ次の大将戦で津堅蒼太へ二本負けしようとも、皇辰学園が一本差で勝ち抜ける。
(…ここで…終わらせなきゃ…………)
有元大毅は、静かに竹刀を構えた。
面の奥。
鋭く細められた瞳が、真正面から朔也を射抜いている。
(ここで絶対叩き潰す───黒川朔也。)
張り詰めた殺気。
副将戦。
けれど実質、この試合こそが勝負の分岐点だった。
「ぬかるなよ。有元は、相当手強い。」
静かな声。
隣で面を脇へ抱えた蒼太が、朔也に低く告げる。
蒼太がここまで警戒を滲ませる相手など、そういない。
朔也は、前だけを見たまま、小さく鼻を鳴らした。
「わかってる。」
低く掠れた声。
汗で湿った手が、竹刀を握り直す。
「ここで勝たねーと……今日まで気張って来た意味、ねぇから。」
夜の公園。
誰もいない街灯の下。
手の皮が剥けても、竹刀を振り続けた日。
眠気で視界が霞む中、最後の一本まで打ち込んだ放課後。
全部。
全部、今日のためだった。
その言葉を聞いて。
蒼太は、ふっと観客席を見上げる。
二階席。
手すりへ身を預けるようにして、試合場を見つめている陽向の姿。
「……お前がここで勝ったら。」
蒼太が、小さく口元を緩めた。
「ガチで、何か変わるかもな。」
その瞬間。
「副将ッ!!」
審判の声が、試合場へ鋭く落ちる。
体育館の空気が、一気に張り詰めた。
朔也は、静かに立ち上がる。
そして。
前を向いたまま。
隣の蒼太へ、低く言い放った。
「惚れさせんだよ!」
蒼太の目が、わずかに見開かれる。
次の瞬間。
堪えきれないみたいに、小さく笑った。
そして───
副将同士が、試合場中央へ向かい合って立つ。
静寂。
観客席のざわめきが、遠くなる。
汗の匂い。
革の匂い。
張り詰めた湿った空気。
その全部の中心で。
陽向は、じっと試合場を見つめていた。
目標は、ベスト8。
そう言っていた。
“絶対勝つから”
雨上がりの帰り道。
真っ直ぐだった朔也の目が、脳裏へ蘇る。
自然と、胸が苦しくなる。
(……お願い。)
言葉にはならない。
でも。
祈るみたいに。
陽向は、ぎゅっと両手を胸元で握り締めた。
隣では、雫も息を呑んでいる。
咲も、手すりを強く握ったまま、試合場から目を離せない。
そして───
「始めェェェッ!!!!」
“告白”をかけた運命の戦いの火蓋は、切って落とされた。
──ダァンッ!!!!
開始と同時に、両者が床を爆ぜさせた。
一歩目。
その瞬間だった。
(……っ!!)
朔也の背筋へ、ぞわりと悪寒が走る。
速い。
ただ速いんじゃない。
“間合いの入り方”が異常だった。
普通の相手なら、一歩で“来る”とわかる。
二歩目で“打つ”と読める。
だが、有元大毅は違う。
入っているのに、遠い。
遠いのに、次の瞬間には喉元へ刃が届いている。
──パァンッ!!
竹刀同士が激しく噛み合う。
火花が散りそうな衝撃。
観客席から、どよめきが漏れた。
「っ……!」
朔也は即座に身体を捌く。
押し込まれる前に、横へ逃がす。
だが。
重い。
竹刀越しに伝わる圧力が、今までの相手とまるで違った。
まるで巨大な濁流と鍔迫り合いしているみたいだった。
(……なんだ…っ…コイツ……!)
朔也の目が、鋭く細まる。
有元は、一切焦っていなかった。
打ってこない。
なのに怖い。
静かに。
じわじわと。
間合いだけで首を締め上げてくる。
一歩。
また一歩。
床を滑る足音が、不気味なくらい静かだった。
観客席のざわめきが、遠のいていく。
体育館の熱気。
汗の匂い。
革の匂い。
全部が滲む中で。
二人だけの空間が、試合場へ出来上がっていた。
──ゾクッ。
今度は、観客席の雫が息を呑む。
「……なに……今の……」
わからない。
剣道の技術なんて詳しくない。
でも。
空気が違う。
さっきまでの試合とは、明らかに何かが違った。
まるで。
少しでも気を抜いた瞬間、“殺られる”。
そんな張り詰め方だった。
隣で咲が、小さく呟く。
「……え…相手本当に副将…?」
陽向も、ぎゅっと手すりを握り締めていた。
試合が動いていないのに。
一本も入っていないのに。
「…………っ」
見ているだけで、呼吸が苦しい。
──ダンッ!!
その瞬間だった。
有元が、一気に間合いを潰す。
「っ!!」
来る。
朔也の身体が反射で動く。
だが───
(……速っ……!!)
視界から、一瞬消えた。
次の瞬間。
──パァァァン!!!!
轟音みたいな気合いが、真正面から炸裂した。
「メェェェェェェンッ!!!!」
竹刀がへ衝撃が突き抜ける。
重い。
凄まじい。
頭の芯まで揺さぶられるみたいな一撃。
「っ……!!」
朔也が、踏ん張る。
だが有元は止まらない。
打ち終わりと同時に、もう次の攻めへ入っていた。
──ダァンッ!!
床を割るみたいな踏み込み。
低い咆哮。
今度は胴。
朔也は、咄嗟に竹刀を落とす。
──パァァンッ!!!!
「ドォォォォォ!!!!」
間一髪、防ぐ。
そのまま鍔迫り合いへ持ち込む。
ギリギリギリ……ッ!!
互いの竹刀が軋む。
息が近い。
面の奥。
有元の瞳が、真っ直ぐ朔也を射抜いていた。
そこにあったのは、余裕でも驕りでもない。
(………ここで………潰す………っ!)
絶対に仕留めるという、獣みたいな執念。
「っ……!!」
朔也は、反射的に押し返した。
弾く。
下がる。
距離を切る。
──その瞬間だった。
スッ……
有元の身体が、ふっと沈む。
(……っ!?)
嫌な予感が、脳を貫く。
次の瞬間。
──ダァァンッ!!!!
爆発。
床を砕くみたいな踏み込みと同時に。
視界の外側から、鋭い斬撃が飛び込んできた。
速い。
いや。
“読ませてない”。
面を警戒させた。
胴を意識へ植え付けた。
その上で。
起こりを、完全に刈り取られた。
──パァンッッッ!!!!
「コテェェェェェェッ!!!!」
乾いた炸裂音が、体育館中へ響き渡る。
次の瞬間。
白旗。
赤旗。
赤旗。
一斉に、上がった。
「小手ありィィィッ!!!!」
ドッ……!!!
皇辰学園の応援席から、歓声が爆発する。
「っしゃああああ!!!」
「有元ぉぉぉぉ!!!!」
体育館が、大きく揺れた。
一方。
聖陵国際側は、凍りついていた。
「……っ」
咲が、息を呑む。
雫は、言葉を失ったまま試合場を見つめていた。
そして。
陽向だけが。
「……なに……何が起きたの……?」
小さく。
胸の奥を掴まれたみたいな声を漏らす。
「一本取られた…?」
「うん。速くて見えなかったけど、小手を打たれたみたい。」
「まじか……」
咲の言葉に、ようやく状況を理解する。
試合場中央。
一本を取られた朔也は、静かに構えを戻していた。
だが。
面の奥の呼吸だけが、わずかに乱れている。
(……クソ……っ)
掌が熱い。
呼吸が重い。
そして何より。
強い。
有元大毅。
間違いなく、今まで戦った誰よりも。
強かった。




