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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第三章〜高3編〜【最終章】  作者: 波方 真季


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第112話 虚を突かれ、腑抜けてんなら即交代


そして。


お決まりの。


案の定。


案アンド定。




「ねぇ、どこから来たの?」


「どこ高?」


「彼氏いる?剣道部?」


「インスタ繋がろうよ」


「ご、ごめんなさい……っ、私、会場に行かないと……時間が……」




都立総合体育館の外。

人の流れから少し外れたゲート付近で、雫は他校の男子高校生らしき三人に囲まれていた。


胸の前でバッグを抱え、困ったように視線を泳がせている。

明らかに逃げたがっている。

けれど、二人はそれを面白がるみたいに距離を詰めていた。


雫の捜索開始から20分。


その光景を遠目に見つけた瞬間。

陽向の中で、盛大に警報が鳴った。


(ほらやっぱりーーーーーーー!!!!!!)


次の瞬間、陽向は反射で地面を蹴っていた。


「こーーらーーーー!!やっと見つけたーーー!!!」


人混みをかき分けるように猛ダッシュで駆け寄る。

その声に、雫がぱっと顔を上げた。


「あ……!生徒会長!」


雫の表情に、ほっとしたような光が差す。

一方で、男子二人は怪訝そうに振り返った。


「あ?」


「生徒会長?」


陽向はその二人を完全に無視した。

そのまま雫の腕を、ガシッと掴む。


「まったくもー!なんで駅から反対側のゲートにいるわけ!?マップ見るとか、人に聞くとか!小学生じゃないんだから!高校生にもなって迷子になってる場合じゃないよ!」


「い、一応マップ見ながら来たんですけどぉ…目的地が急に瞬間移動して…」


「じゃあそのマップ、たぶん異世界用だよ!」


雫の手を引いて、その場を離れようとする。

その瞬間だった。


「ちょっと待ってよ」


低い声と同時に。


ガシッ。


陽向の肩を、後ろから男子の一人が掴んだ。


「……っ!」


雫の肩がびくりと跳ねる。

陽向の足も、ぴたりと止まった。


「こんなギャルっぽいのに、生徒会長やってんの?」


「いいね。ギャップじゃん」


別の男子が、にやにやと笑う。


「しかも生徒会長も可愛くね?」


「大会終わった後ひま?」


「俺ら5人で遊びに行こうよ」


私服の陽向は、制服姿よりずっと派手に見えた。

巻いた髪。

スクールメイクとは違う、MAX100のプライベート仕様。

朱里師匠インスパイアで露出多めな軽やかな服装。

男子たちは、その雰囲気に食いついた。


陽向は、しばらく無言だった。


俯いたまま、肩に置かれた手をちらりと見る。


「…………。」


次の瞬間。


ドカッ!!


鋭い前蹴りが、男子の腹部へ綺麗に入った。


「ぐっ……!?」


男子が、息を詰まらせてその場に折れる。


「しぃちゃん……!」


陽向はその隙に、雫の手を強く引いた。


「走って!」


「は、はいっ!」


二人は一気に走り出す。


「おい待てコラ!!」


別の男子が、慌てて追いかけようとした。

その瞬間。

陽向は振り返りもせず、体育館入口へ向かって全力で叫んだ。


「キャーーーー!!この人痴漢ですーーーーー!!!誰かーーーー!!助けてくださーーーーい!!!」


その声は、会場前の人混みに派手に響き渡った。

周囲の大人たち。

他校の生徒。

保護者。

顧問らしき教師たち。

一斉に視線が集まる。


「えっ、痴漢?」


「なに?」


「大丈夫!?」


追いかけようとしていた男子の足が、ぴたりと止まった。

顔色が変わる。


「ち、違っ……!」


けれどもう遅い。

陽向は雫の手を引いたまま、風みたいに人混みの中を駆け抜けていく。


「生徒会長……っもう…大丈夫っぽいです…!」


陽向は後ろを振り返り、速度を緩めた。

さっきの男子が追ってきている様子はない。


「…はぁ…………はぁ………もう追ってきてないね……」


そして。

陽向と雫は、都大会の会場入口へ向かって肩を並べて歩き出した。





────────。





──パンッ!!


試合開始の合図と同時に、体育館の空気が鋭く張り詰めた。


五人制団体戦。


先鋒。

次鋒。

中堅。

副将。

大将。


一本の勝負が、次へ繋がっていく。

聖陵国際高校剣道部の初戦が、今始まった。


「始めッ!!」


──ダンッ!!


開始直後だった。


聖陵が一気に間合いを潰す。


低い踏み込み。

迷いのない攻め。

相手が反応する、その一瞬前。


──パンッ!!!


「メェェェェンッ!!」


乾いた打突音が、体育館へ響き渡った。


赤旗。


一本。


「っしゃあ!!」


応援席から歓声が飛ぶ。

静かに構えを戻し、呼吸を整える。

集中を切らさない。


そのまま二本目。

焦って前へ出た相手へ、今度は。


──パンッ!!


「ドォォォォッ!!」


胴。


勝負が次々と決まっていく。

開始直後から、気迫が全開だった。


「聖陵、今年マジで強くね……?」


観客席のあちこちで、ざわめきが広がり始める。


動きに迷いがない。

一本を取った後も、集中が切れない。

それぞれの役割が、噛み合っていた。


激しい鍔迫り合い。

押し込み。

削り合い。


会場へ、乾いた踏み込み音が響く。


──パァンッ!!


激しく竹刀がぶつかる。


互いに前へ出る。

削り合う。

意地と意地。


しかし。

聖陵は、一歩も下がらなかった。


相手の踏み込みへ合わせるように、ギリギリまで引き付ける。


会場がどよめく。

速い。


一本を取られた相手の呼吸が乱れる。


そこを逃さない。


攻める。

削る。

前へ出させる。


──ダンッ!!


「メェェェェンッ!!」


相手の鋭い飛び込み。

しかし。


「コテェェェェッ!!」


ほぼ同時。


──パンッ!!


聖陵の、完璧な出小手。


一瞬遅れて、歓声が爆発する。


際どい攻防。

けれど流れは、完全に聖陵だった。

聖陵はそのまま冷静に試合をコントロールし、先鋒、次鋒、中堅、三連勝ち。


これで二回戦の進出は、確定した。


「やった!」


咲は応援席で飛び跳ねた。


(とりま陽向が試合を見損ねることは避けられそうかな……)


そして咲はスマホの時計を見る。


「まだ来ないのかなぁ……」


二回戦進出の安堵と、陽向の到着がいつになるかがわからないハラハラが、咲の胸に入り混じったていた。


そして、空気が変わる。


「……副将戦か。」


ざわ……っと、観客席が揺れた。


聖陵国際高校、副将。


黒川朔也。


その名前がコールされた瞬間。

他校の選手達まで、自然と視線を向ける。


面を付けた朔也が、静かに立ち上がった。


無駄がない。


竹刀を握る手。

面紐を締め直す指先。

歩き方。


その全部に、“勝つ側”の空気が滲んでいた。


朔也は、試合場へ向かう直前。

ふと、観客席を見上げる。




──いない。




胸の奥が、ざらりと軋む。


(…ったく…なにやってんだあいつは…!)


今日。

どれだけの気合いでここへ来たと思ってる。

奥歯を噛み締める。

その瞬間。


スッ……


朔也の目から感情が消えた。


「始めッ!!」


──ダァンッ!!


開始と同時に、朔也が踏み込んだ。




────────。




「ご迷惑おかけして…すみません。本当にありがとうございました」


雫は申し訳なさそうに頭を下げた。


「全然良いんだけど…とりま無事に合流出来て良かったよ」


陽向は困ったように優しく笑った。

体育館へ続く通路を、陽向と雫は並んで歩いていた。

初戦が行われている館内からは、今も絶え間なく竹刀のぶつかる音が響いてくる。


──パンッ!!


遠くで誰かの気合い声が上がるたび、雫の肩が小さく跳ねる。

けれどさっきまでの怯えた空気は、もう少しだけ薄れていた。


「朔也には、今日行くってLINE入れたの?」


陽向が、何気ない調子で問いかける。

すると雫は、ぱっと顔を上げた。


「もちろんです!」


その返事には、隠しきれない嬉しさが滲んでいた。


「昨日も、“明日頑張って下さい”って入れました!」


その瞬間。

陽向は思わず、おぉ!と感心したような声を漏らす。


「朔也ってちゃんと返信来んの?」


「あ…まぁ…… 結構…未読マンですけど……」


雫は、少し照れたように視線を逸らした。


「でも、既読がついたらちゃんと返信くれますよ!」


その声が、少し誇らしそうだった。

陽向は、ふっと口元を緩める。


「いい感じじゃん!」


「そ、そうですかね……?」


雫は、まだ半信半疑みたいに頬を赤くする。


「“今日、渡り廊下で会いましたね”とか……“教室移動の時、先輩見かけました”とか……」


そこまで言ってから、急に不安そうに眉を下げた。


「内容、めちゃくちゃくだらないんですけど……迷惑じゃないですかね……」


「えっ!!」


陽向が、思わず大きな声を出す。

雫が、びくっと肩を揺らした。


「……え?」


陽向は、まじまじと雫を見つめる。

そして次の瞬間。


「しぃちゃん………めっちゃ凄っ!!」


「な、なにがですか!?」


雫の目が、ぱちぱちと瞬く。

陽向は、本気で感動したみたいな顔をしていた。


「普通、“推し”の先輩に自分からそんなグイグイ行けなくない!?」


「えぇっ!?」


雫の顔が、一気に真っ赤になる。


「や、やだ!そんなグイグイ行ってないですよ!」


「いやいやいや!凄いってその勇気!」


陽向は、ぶんぶん首を振った。


「私、絶対無理だもん!!」


その声には、妙な説得力があった。


好きな人の前で、まともに話せなくなる感じ。

LINE一通送るだけで、送信ボタンを押せずに何分も悩む感じ。

既読がつくだけで心臓が爆発しそうになる感じ。


陽向は、その全部を知っていた。


だからこそ。

雫の“好き”へ真っ直ぐ進んでいける勇気が、眩しく見えた。


「えぇー……なんか恥ずかしいんですけど……」


雫は、もじもじと肩を縮こまらせる。

けれど、その頬はどこか嬉しそうだった。

陽向は、そんな雫を見ながら、ふっと笑う。


「いや、めっちゃ良き。」


そして、うんうんと頷きながら続けた。


「その感じ、絶対朔也嬉しいと思うよ。」


「……本当ですか!?」


ぱあぁぁっと。

雫の顔が明るくなる。

その笑顔は、まるでキラキラと光が差し込んだみたいに無邪気だった。


「なんか……自信がついてきました。」


雫は、小さく胸元へ手を当てた。


その言葉を聞いた瞬間。

陽向の胸の奥が、じんわり温かくなる。


好きな人を想って。

悩んで。

勇気を出して。

一歩ずつ近づこうとしている。


その姿が、あまりにも“恋する女の子”だった。

だから陽向は、なんだか自分まで嬉しくなってしまう。


「今度、ご飯とか誘ってみたらー?」


「いや!!無理ですよ!!」


雫が、ものすごい勢いで首を振った。


「絶対無理無理っ!!」


「えー?行けると思うけどなぁ……」


陽向はクスクス笑う。

そして少し考えるみたいに顎へ指を当てたあと、


「まずは3人で行く?」


と、軽い調子で提案した。


「……いいんですかっ!?」


雫の目が、一気に輝く。

その反応が、あまりにも可愛くて。

陽向は、思わず笑ってしまった。


「どーしても誘うの無理だったらね?本来は、2人きりがいいに決まってんだから。」


そして、少しだけ悪戯っぽく口角を上げる。


「〜〜〜〜っっっ!!」


雫の顔が、一気に真っ赤になる。

耳まで熱を持っていて、今にも湯気が出そうだった。


「う……頑張れたら……………頑張ってみます…!」


その声は震えていたけれど。

確かに、前を向いていた。

陽向は、そんな雫へ向かって、ぱっと笑う。


「行ける行けるー!ゴーゴー!」


そして、拳を小さく突き出した。

体育館で繰り広げられている熱い初戦など頭の片隅にもなく。

「来ない…!」という朔也の焦りは艶ほども知らず。

恋バナに夢中になっている陽向と雫であった。




────────。




聖陵国際高校、初戦。


 


先鋒 ◯

次鋒 ◯

中堅 ◯

副将 ×

大将 ◯


 


──試合終了。


 


審判の声が、張り詰めた試合場へ響き渡る。


「礼ッ!!」


選手達が一斉に竹刀を納め、向かい合った相手校へ深く一礼した。


体育館の空気は、まだ熱を帯びている。

床へ染み込んだ汗の匂い。

遠くで続いている他試合の気合い声。

竹刀がぶつかる乾いた音。


そんな中、聖陵国際のレギュラーメンバー達は、防具袋のある待機スペースへ戻ってきていた。


「っはぁ……」


防具をを外した瞬間、熱気が一気に抜ける。

その時だった。


「おい。」


低い声。

次の瞬間。


ガシッ───!!


蒼太の手が、朔也の胸ぐらを勢いよく掴み上げた。

周囲の空気が、一瞬で凍る。


「……っ」


後輩達が、息を呑んだ。

蒼太の目は、完全に怒っていた。


「てめぇ……何考えてんだ?」


低く押し殺した声。

けれど、その奥に滲む怒気は凄まじかった。


「相手、どこだと思ってんだ。あんな弱小校相手に負けやがって。チームが勝ち抜きゃいいって問題じゃねぇぞ。」


胸ぐらを掴む手へ、さらに力が入る。

鋭い視線が、真正面から朔也を射抜く。


「腑抜けてんなら、今すぐ交代させんぞ。」


その言葉に、周囲の部員達の肩がびくりと揺れた。

誰も口を挟めない。

さっきまで、勝利の空気に少し浮ついていた控えスペースが、一瞬で張り詰めた。


「…………っ」


朔也は、何も言わなかった。

ただ。

苦虫を噛み潰したみたいな顔で、視線を逸らす。

その態度が、余計に蒼太の苛立ちを煽った。


「試合開始直前、どこ見てた?」


蒼太の声が、低く落ちる。


「終了直後、どこ見てた?」


図星だった。

朔也の喉が、僅かに詰まる。


観客席。

試合前も。

試合後も。

探していたのは、ただ一人。


けれど結局、最後まで姿は見えなかった。

蒼太は、そんな朔也を睨みつけたまま吐き捨てる。


「そんなにギャラリー席が気になんなら、道着脱いで上あがれ。」



ピリ───ッ……。



空気が、痛いほど張り詰める。

後輩達は完全に固まっていた。

二・三年ですら、軽口を挟める空気じゃない。


「お、おい津堅……!その辺にしとけ……!」


顧問が、慌てて二人の間へ割って入った。

蒼太の腕を掴み、無理やり胸ぐらから引き剥がそうとする。


「…………。」


蒼太は舌打ち混じりに手を離した。

けれど視線だけは、依然として険しいままだった。

朔也は乱れた道着を直しながら、黙って俯く。


拳が、じわりと震えていた。


悔しかった。

負けた事も。

集中を乱した事も。

全部、自分でわかっていた。


そして何より。


“陽向が来なかった”


たったそれだけで、自分がここまで揺らいだ事実が、腹立たしかった。


その光景を。

二階観客席から見下ろしていた咲は、小さく息を呑んでいた。


「え……やば……」


震える声が漏れる。


「朔也も蒼太も……どうしちゃったの……」


試合へ負けた。

ただそれだけじゃない。

空気が、いつもの二人じゃなかった。

蒼太は本気で怒っていて。

朔也は、明らかに冷静じゃない。


咲は、不安そうに唇を噛む。


(朔也一人だけ……負けちゃったから……?)


けれど次の瞬間。

脳裏へ浮かぶ。

観客席を何度も見上げていた、朔也の視線。


咲は、ハッとしたように観客席を見渡す。

入口付近。

通路。

人混み。

けれど、まだ陽向の姿は見えない。


「絶対……陽向が来ないの気にして……心配になっちゃってんだ……朔也……」


ぽつり、と呟く。

そして次の瞬間。


(もーーーーーーっっ!!)


咲は、ぎゅっと手すりを握り締めた。


(早く来てよーーーーーっっっ!!陽向ーーーーーーっっっ!!!)


観客席のざわめき。

遠くで鳴る試合開始の合図。

その全部の中で。

たった一人の不在だけが、朔也の集中を大きく狂わせていた。


顧問は、険悪な空気の残る控えスペースを見回したあと、静かに朔也へ視線を向けた。

遠くの試合場からは、今も絶え間なく竹刀のぶつかる音が響いている。


鋭い気合い。

床を踏み込む乾いた音。

館内に渦巻く熱気と湿気。


その中で、聖陵国際の控えスペースだけが、異様に重かった。

顧問は、小さく息を吐く。


「黒川、コンディション悪いか?」


朔也は、俯いたまま面紐を握り締めていた。

汗で湿った掌。

まだ胸の奥で燻り続けている、さっきの敗北。


一本、取れなかった。

たったそれだけ。

けれど、その“たった一本”が、どれだけ重いかを、今の朔也は嫌というほどわかっていた。


「キツそうなら…相澤と交代するか?」


控えメンバーの名前が顧問から出た途端、朔也の胸の奥が、ザワッ…と音を立てる。


交代。


その二文字が、妙に現実味を持って突き刺さった。

もし、ここで外されたら。

このまま、試合が終わったら。

今日、自分が積み上げてきた全部が、“何の意味もなかったもの”になる気がした。


奥歯を、ぎり……っと噛み締める。


「いや……」


低く、掠れた声。


「やれます。大丈夫っす。」


その言葉には、意地みたいな熱が滲んでいた。

数秒の沈黙のあと、顧問は蒼太へ視線を移す。


「………次の対戦校は決まったか?」


蒼太へ向けられた問い。

蒼太は、険しい顔のまま短く答えた。


「櫻川っすね。」


「……………櫻川か……。」


顧問の眉が、わずかに寄る。

次の二回戦は、ベスト32決定戦。

ベスト8決定戦までは、まだ距離がある。

けれど。

櫻川高校は、決して楽に勝てる相手じゃない。

突出した強豪ではない。

だが、“崩れない”。

一瞬の油断で流れを持っていかれるタイプの学校だった。

顧問は、再び朔也を見る。


「黒川はやれるそうだが…お前の判断はどうだ?津堅。」


そして顧問は、蒼太へ視線を向けた。


「………。」


「………。」


沈黙し、険悪なままの二人。


蒼太は答えない。

ただ、真っ直ぐ朔也を見つめていた。

その目には、まだ怒りが残っている。


部長となった蒼太にとって、何より大切なのは剣道だった。

そして、誰よりも信頼しているのは朔也だった。

普段は温厚な蒼太でも、剣道に対しては真剣そのものだった。


防具を身につけ、面を被り、竹刀を握り、試合場に立ったら邪念は一切許さない。


「剣道は一瞬の隙が命取りだ。お前のミスでチームの命運が大きく左右されんだよ。」


朔也の喉が、僅かに上下する。

わかってる。

そんな事は、言われなくても。


副将。


この位置が、どれだけ重要か。

そこで、自分は負けた。

しかも理由は、最悪だった。

頭のどこかで、ずっと探していた。

そんな雑念を、捨て切れなかった。


「ここがどこだかわかってんのか。都大会だぞ。」


蒼太の言葉に、朔也は拳を握り締める。

爪が、掌へ食い込む。


「……わかってる。もう同じミスはしねぇ。」


吐き出すみたいな声。


蒼太は、ふっと観客席を見上げた。

二階席。

ざわめく人影。

行き交う応援生徒達。

そのどこにも、まだ陽向の姿はない。


(……ったく……いつ来やがんだよ陽向は……!)


蒼太は、心の中で舌打ちした。


朔也がここまで乱されるなんて、想定していなかった。

例え何があろうとも“試合になれば切り替える”と思っていた。

だが現実は違った。

一人の不在が。

たったそれだけが。

副将エースの集中を、ここまで狂わせている。


蒼太は、小さく息を吐いたあと、低く言い放つ。


「どーしても出んなら。次、お前が大将戦をやれ。」


「は…?」


朔也が、僅かに眉を寄せた。

蒼太は、淡々と続ける。


「俺と他の奴らで、副将戦までに勝ちを取る。大将戦に勝敗は持ち越さねぇ」


静かな声だった。

けれど、その言葉には絶対的な覚悟が滲んでいた。

その意味を、朔也は理解する。


お前はもう、“流れを背負う位置”に立つな。


そう言われたのと同じだった。

胸の奥が、ズキリと痛む。

悔しい。

情けない。

けれど反論できない。

今の自分には、その資格がないと、わかってしまっているから。


「…………うす。」


短い返事。

朔也のそれだけを聞いて。

蒼太は、踵を返した。


去っていく背中。

汗で濡れた道着。

その背中にもまた、部長として全部を背負う重さが滲んでいた。


(……いくらなんでも……)


蒼太は、歩きながら小さく目を細めた。


(最後の大将戦までには……来んだろ……)


それは。

陽向の到着を待つために。

一試合でも時間を引き延ばそうとする、蒼太の優しさだった。



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