50.巡るらしい
「持っていこ」
ナディアの声が落ちた。
桶の前にしゃがみ込み、
灰をすくう。
昨夜あれほど揺れていた焚き火の石囲いには、
すでに灰は掻き出され、
黒く煤けた跡だけが残っている。
風が吹くたび、
細かな白い粉がふわりと舞い、
昨日の火の名残を空へ返していく。
「一握りずつね。それを庭とか畑に撒くの」
「……ふーん?」
ナディアは灰を袋へ移す。
「そうすると、巡りが回るんだって」
朔は袋を開く。
「巡り?」
「そ。巡り。」
少しだけ考えるように、灰を見つめる。
「燃えた木も、祈りも、灰になって土に戻るでしょ。
それでまた、何かが育つの」
「燃えて終わりじゃなくて、
そこから始まるんだよ。」
桶の中の灰は、軽く、さらさらとしている。
「……なるほどな」
朔もしゃがみ、手を入れる。
冷えた灰は、思いのほか細かく、
指先にわずかな湿りを残した。
袋の口を結ぶ。
昨夜の炎の勢いが、
遠い出来事のようだった。
⸻
オルセンの庭は、朝の光に包まれていた。
踏み固められた土。
不揃いな花壇。
低い柵の向こうに、村の道が見える。
「ここでいいかな」
ナディアが言う。
朔は頷き、袋を開いた。
一握り。
灰をすくい、
花壇の端にそっと撒く。
白い粉は風に乗りかけて、
すぐに土へ落ちた。
昨日の火が、
もう土の色に溶け込んでいく。
ナディアも、庭の隅へ灰を落とす。
「毎年やるの?」
朔が尋ねる。
「うん。小さいころから」
灰を撒いた手を軽く払う。
「ちゃんと回るように、って」
朔は、足元の土を見る。
ここは、もう他人の家じゃない。
転移して、
拾われて、
気づけば、食卓を囲んでいる。
いつの間にか、
当たり前みたいに立っている場所。
灰が土に混じる。
巡り、か。
「……もう一ヶ所、行ってくる」
ナディアは、少しだけ目を細める。
「いってらっしゃい」
庭を出る。
祭りの翌日だからか、
村はいつもより静かだった。
袋を握ったまま、森へ続く道を選ぶ。
始まった場所。
そして――
向き合うべき場所だった。
(……全部、回ることはできない)
それでも、
森は繋がっている。
どこに撒いても、きっと届く。
⸻
森の入り口を越える。
朝の光が、葉の隙間から落ちる。
土の匂いが、少し濃くなる。
袋を握り直す。
適当な場所でいい。
そう思いながらも、
目は無意識に奥を探していた。
そのとき。
森の奥で、声がひとつ落ちた。
「…ブ……ト……ッ…」
はっきりとは聞こえない。
断片だけが、風に紛れて届く。
次の瞬間、
森のざわめきが、
一瞬だけ、
息を止める。
そして、
何事もなかったように
鳥が鳴く。
朔は眉を寄せる。
(今のは、何だ)
ゆっくりと視線を奥へ向ける。
木立の向こうで、
枝が払われる音がした。
やがて、ひとりの男が姿を現す。
肩に弓を提げ、
森に慣れた歩き方をしている。
朔を見ると、男は足を止めた。
「おや」
軽い声だった。
「こんにちは」
男は朔の手元に視線を落とし、
そして、指に止める。
若葉色の石が、
朝の光を受けて静かに光っていた。
ほんの一瞬だけ、目の奥が変わる。
それから、口元をゆるめた。
「素敵な指輪だね。
ナハクレム家の子かな?」
朔は首をかしげる。
「違う。アクトとは友だちだ」
男の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「友だち、ね?」
声音は変わらない。
けれど、どこか含みがあった。
「何だよ」
「ああ、いや」
男は肩をすくめる。
「疑うつもりはないよ」
それから視線を森の奥へ流す。
「こんな森で、どうしたの?」
朔は袋を軽く持ち上げる。
「そっちこそ、何してる」
じっと見る。
「怪しいぞ」
男は小さく笑った。
「怪しくないよ」
弓を軽く叩く。
「俺はエルド。よろしくね。
狩人をしてる――って、みんなには言ってる」
「……みんなには?」
「うん」
あっさりと肯く。
「やっぱり怪しいじゃねぇか」
エルドはくすりと笑う。
「君とは、また巡り会いそうな気がしてね」
森の奥に目をやる。
「だから、言い切らない方がいいかなって」
朔は顔をしかめる。
「あれ? よろしくお願いしますは?」
朔は少しだけ考える。
「……今わかった」
「ん?」
「よろしくって、言わなくていい相手もいるんだな」
一瞬、静かになる。
エルドは肩をすくめる。
「ひどいなぁ」
朔は目を逸らさない。
「うさんくさいんだよ」
エルドは小さく息を吐いた。
「参ったな」
エルドは笑いながら
一歩、道を開ける。
「じゃあ、用事をどうぞ」
朔は一瞬迷い、
それから森の脇へ歩く。
エルドはその背を見ている。
⸻
朔は、少し離れた木の根元にしゃがみ込み、
足元の土を払った。
(……ここでいいか。)
袋の口を解いた。
中の灰は、
朝の光を受けて仄かに白い。
一握り。
指先でそっとすくう。
森の土は、庭よりも湿っている。
黒く、柔らかい。
その上に、灰を落とす。
白が、黒に沈む。
風が一瞬だけ通り抜け、
表面の粒がわずかに散った。
だが、すぐに土に吸い込まれていく。
朔は、土に沈んでいく灰を見つめる。
白はすぐに消える。
残らない。
けど、なくなったわけじゃない。
「……終わりじゃなくて、そこから始まる、か」
小さく呟く。
失くしたものも、
止められなかったことも、
抱えたまま、ここにいる。
消えない。
でも、それでも、
巡るらしい。
なら。
「俺も、巡るか」
ずっと悩んでた。
俺だけが前を進んでいいのかって。
――もう、決めた。
立ち上がる。
森は何も言わない。
けれど、
朔は一歩、踏み出した。
読んでいただきありがとうございます。
昨日は更新できずすみません。
本日からまた投稿していきますので、
次回も読んでいただけると嬉しいです。




