51.旅立ち
昇り火から一週間。
その間、朔はオルセンの薬作りを手伝い、
薬草のことを教わりながら、それなりに忙しく過ごしていた。
そして今日は——出発の日。
朔は、オルセンの家の前に立っていた。
朝の空気は冷たい。
夜露を吸った土が、靴の下で静かに締まる。
門の向こうでは、
畑に向かう村人の姿がちらほら見えた。
もう、祭りの気配は残っていない。
それでも、
朔の胸の奥だけが、少し落ち着かなかった。
(……いよいよ、か)
家の扉が開く。
ナディアが、軽い足取りで外へ出てきた。
「もう昇り火から一週間だね」
朝の光の中で、
ナディアは空を見上げる。
「早いね」
「……だな」
少し間を置いて、ふと思い出したように言う。
「てかさ」
ナディアが振り向く。
「ん?」
「一週間って、何日だっけ」
ナディアは少しだけ首を傾げた。
「七日だよ?」
不思議そうに笑う。
「変なこと聞くね」
朔は肩をすくめた。
「いや、なんとなく」
少し空を見上げる。
(……七日、か)
同じなんだよな。
少しだけ考えてから、朔はまた口を開いた。
「……何で七日なんだ?」
ナディアはきょとんとする。
「え?」
「八とか十でもいいだろ」
ナディアはしばらく考えた。
それから、あっさりと言う。
「……考えたことない」
少し笑う。
「昔からそうだからじゃない?」
朔は、ふっと息を吐いた。
「まあ……そんなもんか」
ナディアはくすっと笑った。
「朔って、たまに変なこと気にするよね」
それから、ぱっと表情を戻す。
「そんなことより」
朔を見る。
「準備できた?」
朔は肩に掛けた袋を軽く持ち上げた。
「できた」
少し笑う。
「……なんせ荷物がほとんど無いからな」
ナディアはその袋を見て、小さく頷く。
「だよね」
指を折るように数える。
「お父さんから服をいくつかもらったくらい?」
「そんなもんだな」
朔は袋を肩に戻しながら続ける。
「……街へ行くって、どうやって行くんだ?」
ナディアは少し首を傾げた。
「言ってなかったっけ?」
そのとき——
遠くから、木の軋む音が聞こえた。
がたん、がたん。
車輪が土を踏む音。
朔はそちらを向く。
村道の向こうから、
一台の馬車がゆっくり近づいてきていた。
ナディアはその姿を見るなり、顔を明るくした。
「あ、来た」
馬車が家の前で止まる。
御者台から、聞き覚えのある声が落ちてきた。
「よぉ!」
朔は思わず目を瞬く。
「……イサさん?」
イサは片手をひらりと上げた。
「おう」
軽く笑う。
「聞いてなかったのか?」
手綱を軽く引きながら言う。
「あたしが連れてってやるよ」
朔は少し驚いた顔のまま言った。
「いいんですか?」
イサは肩をすくめる。
「ついでだ、ついで」
ナディアが横から口を挟む。
「ちょうど街に出るって言ってたから」
「そうそう」
イサは軽く笑った。
「あたし、行商だからな」
御者台の上で手綱を軽くいじりながら続ける。
「昇り火が終わると、また各地を回るんだ」
馬が鼻を鳴らした。
車輪の下で砂利が小さく音を立てる。
「拠点はセレスだし、ちょうどいい」
朔はその言葉を小さく繰り返した。
「……セレス」
これから向かう街の名前だ。
村の外に出ること自体、そう多くはなかった。
まして、ルミナより大きな街に行くのはこれが初めてになる。
胸の奥が、少しだけざわつく。
そのとき——
家の扉が開く音がした。
三人が同時に振り向く。
オルセンが、ゆっくり外へ出てきた。
今日は深緑の外套を羽織っていない。
袖をまくったまま、いつもの調子でこちらへ歩いてくる。
ナディアが声を上げた。
「お父さん」
オルセンは短く頷く。
それから馬車を見上げた。
「イサだったな」
御者台の上で、イサが片手を上げる。
「おう」
「久しぶりだな」
オルセンはそれだけ言って、視線を二人へ移した。
「揃ったか」
ナディアが頷く。
「うん」
オルセンは一瞬だけ朔を見る。
それから、ぽつりと言った。
「……ほら」
小さな革袋が放られる。
朔は慌てて受け取った。
手の中で、じゃり、と金属が鳴る。
朔は袋を開く。
「……これ」
顔を上げる。
「お金?」
オルセンは短く言う。
「いらんとか言うな」
朔は一瞬、言葉に詰まる。
袋の中の硬貨が、また小さく鳴った。
「いや……でも」
思わず言いかける。
オルセンは肩をわずかにすくめた。
「理由はいくらでもつけられる」
少し間を置く。
「最近の薬作りの手伝い代、とかな」
朔は袋を見下ろす。
確かに、この一週間。
薬草を乾かし、刻み、煎じる作業を何度も手伝っていた。
だが——
「それでも」
朔は顔を上げる。
オルセンの視線は変わらない。
静かに、まっすぐこちらを見ている。
それから、低い声で続けた。
「今回は、それでいい」
ほんの一瞬だけ言葉を切る。
「旅立ちを応援させろってことだ」
朔は何も言えなかった。
袋を握る手に、少しだけ力が入る。
しばらくして、ようやく口を開いた。
「……ありがとう」
オルセンは短く頷く。
「ああ」
それから視線を二人に向けた。
「サク」
そしてナディアを見る。
「ナディア」
低い声で言う。
「いつでも帰ってこい」
朔は一瞬だけ目を瞬く。
(……名前)
ナディアがぱっと笑った。
「よかったね!」
朔を見る。
「お父さん、とっくに認めてたくせに頑固なんだから」
オルセンは顔をそむける。
何も言わない。
御者台の上でイサが笑った。
「そろそろいいか?」
朔は袋を懐にしまう。
それから、オルセンを見る。
少しだけ息を吸った。
「……行ってくる」
オルセンは短く頷く。
「ああ」
朔は軽く手を上げた。
「あなたに月の巡りがありますように」
オルセンは静かに返す。
「……あんたにもな」
ナディアが笑った。
「いってきます!」
それから先に馬車へ乗り込む。
朔も続く。
イサが手綱を握り直した。
「じゃ、行くぞ」
馬がゆっくり歩き出す。
車輪が土を踏む音が、村の道に響く。
オルセンの家が、少しずつ遠ざかっていく。
朔は振り返らなかった。
それでも——
胸の奥に、まだ灯りが残っていた。
馬車は、セレスへ向かう道を進んでいく。
巡りも、続いていく。
――第1章・ルミナ編 完
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第一章はこれで一区切りです。
ここまで付き合ってくださり、本当にありがとうございました。
ただいま第二章を執筆中です。
再開した際には、また読みに来ていただけると嬉しいです。




