45.石×意地×意思
箱の中には、二つの宝石があった。
一つは、夜を閉じ込めたような黒。
中心に、淡い星が宿っている。
もう一つは、やわらかな緑。
森の奥に差す光のように、静かに輝いていた。
朔は、言葉を失う。
レダートは、宝石には触れずに言った。
「我が商会は、生活を支える品が本分です」
静かな声だった。
「食料、日用品、建材。
暮らしに必要なものを、必要な価格で届ける」
「昔は、違いましたがな」
それだけ言って、口元をわずかに緩める。
「妻に教えられました。
守るべきものがあると、商いは変わるのだと」
フラノが苦笑する。
「大げさですわ」
「事実です」
レダートは視線を落とす。
「家を離れられぬ時期がありましてな」
「外の光を、家の中に置きたかった。
……ただ、それだけです」
レダートは、窓の外へ視線を向ける。
夕暮れの光が、室内を淡く染めている。
「この村に家を建てたのも、同じ理由です。
静かで、光がやわらかい」
「……妻が、好きだと言った場所です」
一瞬だけ、言葉が途切れる。
「以来、気に入った石を、手元に置くようになりました」
朔は、わずかに息を飲む。
フラノが、黒い石を見つめる。
「こちらは、夜でも星を見失わぬ石」
緑の石へと視線を移す。
「こちらは、目に優しい光を宿す石」
穏やかに微笑む。
「あなたたちを見たときから、
よく似合うと思っていたの」
朔は、しばらく宝石を見つめたまま動かなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……本当に、素敵な宝石ですね」
フラノが柔らかく微笑む。
「気に入っていただけたなら、嬉しいわ」
朔は、ほんの一瞬だけ、
隣に立つナディアへ視線を向けた。
黒い石に映る、淡い星。
その光を見つめる横顔は、
わずかに心を奪われているようにも見える。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
それでも。
朔は視線を戻した。
「……だからこそ」
「受け取るわけにはいきません」
窓辺の影が、少し伸びる。
フラノが小さく首を傾げる。
朔は、少しだけ困ったように笑う。
「……男の意地です」
沈黙。
「なるほど」
レダートの口元が、わずかに緩んだ。
「それなら、無理は申せませんな」
フラノとナディアは、
小さく首を傾げる。
「……?」
朔は、何も答えない。
ただ、視線を逸らしたまま、
ほんの少しだけ耳が赤かった。
レダートは椅子に背を預け、
ゆっくりと窓の外を見やる。
夕暮れの色は、さらに深まりつつあった。
「……日が落ちますな」
穏やかな声だった。
「よろしければ、夕食を共にいかがですか」
朔はわずかに目を瞬かせる。
レダートは続ける。
「オルセン殿には、当方から連絡を入れておきます。
ご心配はなさいますまい」
少しだけ、声音が柔らぐ。
「姉は家を空けることが多く、
アクトも怪我で席につけぬ」
視線が、フラノへ向く。
「妻も、妹も、寂しがっておりましてな。
……きっと、喜びます」
ナディアが、そっと朔を見る。
朔は頷いた。
「……お邪魔します」
レダートの口元が緩む。
「ありがとうございます」
その瞬間。
廊下の向こうから、遠慮のない足音が響いた。
レダートの指先が、わずかに止まる。
次いで――
勢いよく扉が開く。
「ただいま!」
明るい声に、
朔は反射的にそちらを見る。
立っていたのは、見慣れない女性だった。
琥珀と蜂蜜のあいだのような色の瞳。
じっと見返してくる。
次の瞬間、にかっと笑った。
――あ、アクトのお姉ちゃんだ
太陽を思わせる笑顔に自然とそう思った。
「お、客か?」
そう言いながら、
一歩、部屋に踏み込む。
その動きに合わせて、
腰の短剣が小さく鳴った。
レダートは、こめかみに指をやりながら続けた。
「申し訳ありません。これが、話に出てきた姉の――」
「イサだ。よろしくな!」
軽く手を上げる。
「よろしくお願いします」
朔とナディアが、声を揃える。
イサは満足そうに笑った。
「おう。――あ、そうだ」
思い出したように振り返る。
「うちからも紹介したいやつがいるんだ」
廊下の方へ顎をしゃくる。
「入ってこいよ!」
返事はない。
イサは眉をひそめる。
「……おい?」
イサの腰に提げた革袋が揺れ、
乾いた音が、かすかに鳴る。
代わりに、廊下から別の使用人が顔を出す。
「申し上げます」
一礼。
「先ほどの方は、
ご家族の団欒を邪魔するのは無粋だと仰り、
そのままお帰りになりました」
沈黙。
レダートは目を細める。
「気遣いのできる方のようですな」
イサは肩をすくめる。
「……逃げただけだと思うぞ」
朔は、
無意識に廊下の奥を見る。
もう、気配はない。
部屋に、わずかな静けさが落ちる。
その空気を切り替えるように、
レダートが口を開いた。
「せっかく同じ卓を囲むのです」
レダートは静かに言葉を継いだ。
「整えさせてください」
その言葉に、
使用人がすぐに動く。
「相変わらず固ぇな」
イサの言葉に、レダートは静かに返す。
「迎える以上は、礼を尽くすものだ」
そのやり取りを、フラノは柔らかく見守っていた。
「堅いことは夫に任せて。あなたたちは、ゆっくりしてちょうだい」
レダートは、わずかに視線を逸らした。
「さぁて、と」
イサはそう言いながら、
立ち上がる。
「ほんとは残りたいとこだけど――」
肩越しに振り返る。
「先にアクトの顔、見てくるわ。あいつ拗ねるからな」
にやっと笑う。
「また後でな」
軽い足音が廊下へ消える。
レダートは、苦笑を浮かべた。
「騒がしくて申し訳ない」
フラノは柔らかく微笑む。
「すぐに整いますから」
イサが去り、
レダートとフラノも席を外した。
やがて、部屋には静けさが戻った。
夕暮れの色が、ゆっくりと夜に溶けていく。
しばらくして――
控えめなノック。
「お食事の用意が整いました」
スティークが扉を開ける。
「こちらへどうぞ」
朔とナディアは立ち上がり、静かに廊下を進んだ。
食堂へ通されると、
卓の奥に、小さな影が見えた。
椅子にきちんと座り、
両手を膝の上に揃えている。
茶色の髪。
蜂蜜色の瞳。
じっと、こちらを見ていた。
フラノがやわらかく言う。
「末の娘の、ケイリーよ」
小さな背が、ぴんと伸びる。
「ケイリー・ナハクレムです!」
ぺこり、と頭を下げた。
朔は思わず頬をゆるめる。
「よろしく」
ナディアも微笑む。
「よろしくね」
そのやり取りを見て、
ケイリーの瞳がきらりと輝いた。
「よろしくおねがいします!」
場の空気が、ふっとほどける。
ケイリーが椀を抱えるように言う。
「わたし、これ好きなの!」
朔は椀の中を見て、言った。
「カボチャのポタージュ、ですか?」
レダートが、わずかに目を細める。
「……ほう」
一瞬だけ間を置き、
「よくお分かりになりましたな」
フラノが、くすりと笑う。
「この時期になるとね、毎年料理長が腕を振るうの」
朔は、そっと匙を入れた。
湯気の向こうに、やわらかな橙色が揺れる。
口に運ぶ。
やわらかな甘みが、静かに広がる。
「……うまい」
自然に、声が漏れた。
レダートが、穏やかに言う。
「昇り火の折にも、我が家から屋台を出しております。
このポタージュを」
ナディアが目を丸くする。
「屋台も、出すんですか?」
「ええ」
フラノが頷く。
「温まるものは、分け合ったほうがいいでしょう?」
湯気が、ゆらりと揺れた。
レダートが、静かに椀を置いた。
「いよいよ三日後が、昇り火ですね」
灯りが、かすかに揺れる。
「お願いごとは、決まりましたか?」
その問いは、穏やかだった。
朔は、隣を見る。
ナディアと目が合う。
迷いはない。
朔は、頷いた。
「はい」
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