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44.友だちだから

窓から差し込む光に、朱色が帯び始めた頃。

部屋の空気は穏やかに流れていた。


けれど、朔の胸の内は、まるで違っていた。


(……農家、じゃなかったのかよ)


目に入るたびに思い出す。

高い塀。広い敷地。人の多さ。


さっきから、落ち着く暇がない。


(なんだよ、この屋敷……)


緊張しない方が、無理だった。


ベッドの上で身体を起こしきれずにいるアクトを見て、

朔は小さく息を吐く。


「なあ、アクト」


声を落として言う。


「……お前、農家じゃなかったのか」


アクトは一瞬きょとんとしたあと、

すぐにいつもの調子で笑った。


「農家“も”やってるぜ」


「……も?」


思わず聞き返すと、

アクトは肩をすくめる。


「あぁ。ウチ、商会もやってるんだ」


朔は思わず、隣に立つナディアを見る。


「……知ってた?」


ナディアは小さく首を振った。


「ううん。初めて知った」


それを聞いて、アクトは少しだけ困ったように笑う。


「言うほどのことでもないかな、ってさ」


言葉は軽いのに、

それが嘘じゃないことだけは、妙に分かった。


「父さんの考えでさ。

《本当に必要なものを、必要な価格でお届けする》ってやつなんだ」


アクトは、天井を見上げるようにして続ける。


「だから――

まずは、暮らしを支えてくれる人を知ろうって。

……食を届けてくれる農家さんを、ちゃんと」


朔は、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。


「……素敵なお父さんなんだな」


「うん」


アクトは短く頷いてから、少しだけ胸を張る。


「でも、農家も本気でやってるんだぜ」


ナディアが、くすっと笑う。


「いつも草と戦ってるよね」


「そうなんだよ!」


アクトは悔しそうに眉を寄せる。


「放っておいたら、すぐ伸びてきやがるんだ。

あいつら、本当に容赦ない」


勢いで身体を動かそうとして、


「……いてて」


思わず顔をしかめた。


朔は、すぐに言う。


「……まずは身体を元気にしないとな。そこからだ」


アクトは、素直に頷いた。


「うん」


短い沈黙。


それから、朔は一歩だけ引く。


「……じゃあ、そろそろ行くよ」


アクトは、少し名残惜しそうに笑った。


廊下に出たところで、

朔は足を止めた。


少し離れた場所に、

スティークが立っていた。


朔が視線を向けると、

スティークは一歩だけ前に出た。


「お話は、終わりましたでしょうか」


声は低く、落ち着いている。


「はい」


朔が答えると、

スティークは小さく頷いた。


「実は――」


そこで一度、言葉を区切る。


「旦那様が、

お二人にご挨拶をしたいと申しております」


スティークは、まっすぐに朔を見ていた。


朔とナディアは、顔を見合わせた。


スティークは穏やかに続ける。


「ご都合がよろしければ、という形ではありますが」


押しつける調子は、まるでない。


「どうする?」


朔が小さく聞く。


ナディアは、少し考えてから頷いた。


「……うん。お話、聞こう」


朔も、それに続く。


「分かりました」


スティークは、ほんのわずかに頭を下げた。


「では、こちらへ」


歩き出す足取りは、静かだった。

音を立てず、けれど迷いもない。


廊下を進むあいだ、

屋敷の中は、不思議なほど落ち着いている。


視線が留まることはなかった。


扉の前で、スティークが足を止めた。


「応接室で、お待ちください」


そう言って、扉を開く。


中は、想像していたよりも簡素だった。


大きな卓と、椅子がいくつか。

壁には余計な飾りはなく、

光が、柔らかく差し込んでいる。


「こちらで、少々」


スティークはそう言って一礼し、

静かに扉を閉めた。


部屋に残されたのは、

朔とナディアだけだった。


応接室で待つあいだ、

時間は、ゆっくりと流れていた。


卓の上には、何も置かれていない。

磨かれた木目が、窓から差し込む光を静かに受けている。


ナディアは背筋を伸ばしたまま、

朔は、膝の上で手を組み直した。


――しばらくして。


廊下の向こうから、足音が近づいてきた。

落ち着いていて、迷いがない。


二人は、反射的に椅子から立ち上がった。


扉が開き、

姿を見せたのは、一人の男だった。


年齢は、オルセンより少し上だろうか。


深い茶色の髪をきちんと撫でつけ、

派手さはないが、どこか揺るがない雰囲気を纏っている。


その半歩後ろから、フラノも入ってくる。


二人は、朔とナディアの前で足を止めた。


「お待たせしました」


軽く頭を下げる。


「ナハクレム商会を預かっております、

レダート・ナハクレムと申します」


「こちらは、妻のフラノです」


そう言って、

隣に立つ女性へと視線を向けた。


フラノは、柔らかく微笑んだ。


「また会えて嬉しいわ」


レダートは一瞬だけ首を傾げ、

スティークへと視線を送った。


「……先ほど、玄関でお会いしております」


短くそう告げると、

スティークは一歩下がった。


「なるほど」


レダートは小さく息を吐き、

苦笑に近い表情を浮かべる。


「妻は、少し前のめりなところがありまして」

と、どこか照れたように付け加えた。


レダートは一度、二人を見渡してから言った。


「どうぞ。お掛けください」


それに倣うように、自身も椅子へ向かう。

フラノも、静かにその隣へ腰を下ろした。


そして、全員が座るのを見届けたあと、

琥珀色の瞳が、朔に向けられた。


光を含みながらも、曇りはない。


「本日は、

息子のお見舞いに来てくださったと聞きました」


朔は、自然と背筋を正す。


「……はい」


レダートは、

ほんの一瞬だけ朔を見つめてから、

ゆっくりと息を吐いた。


「そして――」


言葉を選ぶように、


「命を救っていただいた」


その言葉と同時に、


椅子から立ち上がり、

深く、頭を下げた。


朔は、

思わず目を見開く。


「……っ」


「本当に、ありがとうございました」


形だけの礼ではない。

そうはっきり分かる所作だった。


「これは、

感謝のしるしです」


レダートは言った。


「どうか、

受け取ってください」


レダートの言葉を受けて、

スティークが静かに動いた。


手にしていた木の箱を、

卓の上へ置く。


――ごとり。


乾いた音が、部屋に残った。


スティークは何も言わず、

箱の蓋に手をかける。


開いた瞬間、

かすかな金属音が重なった。


中には、

隙間なく詰められた金貨。


一枚一枚が重なり、

山のようになっている。


ナディアが、

思わず息を呑んだ。


朔は、

箱に視線を落とし――

すぐに、首を振った。


「……いりません」


短く、きっぱりと。


金貨の輝きが、

その言葉だけを残して、場に沈んだ。


レダートは、

驚いたように目を瞬かせた。


「……理由を、聞いても?」


朔は、

少しだけ考えてから答える。


「友だちを助けるのは、

当たり前です」


視線を逸らさず、

続けた。


「それに、

俺一人の力じゃありませんでした」


少しだけ言葉を探すように、視線を落とす。


「みんなで、

できることをやっただけです」


小さく首を振って、顔を上げる。


「……だから、

お金をもらう理由は、ありません」


レダートは、ほんのわずか目を見開いた。


それは驚きであり、同時に——

何かを思い出したような色でもあった。


ナディアが、静かに口を開いた。


「私のときも、同じだったんです」


レダートは、ゆっくりと二人を見比べた。


そして――

ふっと、息を吐く。


「……なるほど」


しばし、沈黙が落ちた。


「アクトは、

本当に良い友人を得たようだ」


その言葉に、

フラノは小さく微笑んだ。


どこか、

誇らしげに。


「……とはいえ」


レダートは、

ほんの一瞬、目を閉じた。


「何もせずでは、我が家がすたりましょう」


そう言うと、

木の箱の蓋を、

ゆっくりと閉じた。


「別の形で、感謝を」


フラノが、ぱっと身を乗り出す。


その横で、

レダートが小さくため息をついた。


「なに、その顔」


「……いや」


レダートは何か言いかけ、

小さく息を吐いた。



フラノは、にっと笑った。


「ふふ。じゃあ決まり」


レダートが、わずかに眉を上げる。


「……あれかい?」


「そう、あれ」


フラノは、

朔とナディアを見る。


「だって、あの子たち喜ぶわ」


くるりとスティークへ向き直る。


「スティーク、お願い」


「かしこまりました」


スティークは一礼し、

一度部屋を出た。


戻ってきたスティークの手には、

小さな箱があった。


中には、

二つの宝石。


一つは、

夜を閉じ込めたような黒。

中心に、淡い星が宿っている。


もう一つは、

やわらかな緑。

森の奥に差す光のように、静かに輝いていた。


読んでいただきありがとうございます。


明日も同じ時間に投稿します。

次回も読んでいただけると嬉しいです。

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