43.持ち始めた形
二人は、門の前で立ち止まった。
思ったよりも近い。
想像したよりもずっと高い。
「なぁ、ナディア」
一度、言葉を区切る。
「……作法とかに、詳しい?」
ナディアは呼吸を整え、門へ視線を移す。
「私も、同じこと聞こうと思ってた」
「俺たち、……気が合うな」
そう言って、
小さく息を吐いた。
「とりあえず、入ろっか」
ナディアは、何も言わずに頷いた。
とは、言ったものの、
どうしたらいいのかも分からない。
(……これ、叩くのか?)
いや、何だか違う気がする。
沈黙が、じわじわと長くなる。
――そのとき。
門の内側から、
靴音が聞こえた。
門の小窓が開き、
中から男が姿を見せた。
厚手の上着に、
鍛えられた腕。
二人を一瞥し、
すぐに口を開く。
「ご用件は何でしょう」
「……朔といいます」
息をひとつ入れて、
「友人のお見舞いで来ました」
さらに、もう一度息を整えて、
「……アクトに、会いに来ました」
男は、わずかに目を細める。
「……アクト様の?」
「はい」
短く答えると、
男は小さく頷いた。
「少々、お待ちを」
小窓が閉じる。
門の前で、
二人は、黙って待った。
しばらく静寂が続く。
すると、
再び、門の内側から足音が聞こえた。
拍子を保ちながら、
ゆっくりと近づいてくる。
門が開く。
現れたのは、
先ほど小窓に姿を見せた男ではなかった。
落ち着いた印象で、
立ち姿に、無駄がない。
長くこの家を預かってきた――
そうとしか思えない佇まいだった。
「お待たせいたしました」
歳を感じさせない、よく通る声。
男は、二人を一度見渡すと、
ごく自然に、少しだけ歩み寄った。
「私は、この家の番頭を務めております
スティークと申します。」
視線が、朔に向く。
「アクト様のお見舞いとのこと。
そして……」
言葉が落ちて、空気だけが残る。
「命を繋いでくださった方だと、
聞いております」
朔は、何か言おうとして――
そのまま、口を閉じた。
すると門の向こうから、
もう一つぱたぱたと近づいてきた。
そして、
明るい色の髪をひとつにまとめた女性が
現れた。
日差しを含んだような色。
アクトの髪と、よく似ている。
「……奥様。
こういう時は玄関で待っているものです」
番頭の静かな声に、
女性は足を止めて――
それから、
ほんの困ったように笑った。
「分かっているわ。
分かっているのだけれど……」
そう言いながら、
視線は、もう二人から離れていない。
「どうしても、
この目で確かめたくて」
言葉は穏やかだった。
けれど、その声には、
抑えきれない熱が滲んでいる。
スティークは、
小さく息を吐いた。
「……奥様」
控えめに声を掛ける。
「こちらが、
ナハクレム家の女主人、フラノ様です」
名を呼ばれて、
彼女は一歩、前に出た。
そして、
朔とナディアの前で足を止めた。
目が合う。
蜂蜜色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
その瞬間――
ぱっと、表情が明るくなった。
「あぁ……!」
声が、思わず弾んだ。
「あなたが、
アクトを助けてくれた子なのね」
確かめるようでいて、
疑う色は、どこにもない。
「本当に……」
言葉が一度、途切れる。
彼女が息を吸うと、
胸元の琥珀色が、やわらかな光を宿した。
「ありがとう」
短く、はっきりと。
胸に置いたままの感情を、
そのまま差し出すように。
スティークは、
フラノの言葉を受けるように、
静かに一礼した。
「……奥様」
「ええ、ええ。
分かっているわ」
フラノは頷きながらも、
視線を逸らさない。
「でもね。
こういう時くらい、
母親でいさせてちょうだい」
その言葉に、
番頭はもう何も言わなかった。
番頭は、二人に向けてわずかに身を引いた。
「どうぞ、中へ」
⸻
スティークが歩き出す。
二人も、それに続いた。
そこは、庭というより、
人と荷が絶えず行き交うための通路だった。
左右に伸びる小径の先には、
倉のような建物や、
屋根付きの荷捌き場が見える。
途中、
荷を運ぶ女たちとすれ違う。
同じ色合いの制服。
足取りは速いが、
慌ただしさはない。
すれ違いざま、
軽く会釈される。
気づけばもう、
背中は遠ざかっている。
ナディアが、
小さく息を吸う。
「……人、多いね」
声を落として。
スティークは、
前を向いたまま答えた。
「ええ。
今は少ない方です」
人はいるはずなのに、
視線も、足音も、ほとんど残らない。
玄関は、
思ったよりも質素だった。
大きな扉ではあるが、
威圧感はない。
磨かれた木。
手の届く高さに、
使い込まれた取っ手。
ナディアは、足を止めた。
「……綺麗」
目を向けると、
小さな金属の紋章が打ち付けられていた。
蔦のように絡む線と、
中心に置かれた小さな輪。
「確かに綺麗だね」
「うちの店章なの」
フラノが、紋章を見ながらやわらかく言う。
ナディアは、わずかに首を傾けた。
「店章?」
「ナハクレムの印よ。荷にも、人にもつけてるの」
ナディアは、もう一度紋章を見る。
絡み合う線と、その中心の輪。
そっとなぞるように視線が動いて――
「もしかして……つながり、ですか?」
フラノは一瞬だけ目を丸くして、それからくすっと笑った。
「ふふ。いいところ見てるわね」
その声は、やわらかく弾んでいた。
フラノは紋章から視線を外すと、
二人の方へ向き直る。
「……本当はね、
もっとゆっくりお礼を言いたいの」
そう言いながら、
小さく笑う。
「でも、今は。
あの子のところへ、
先に行ってあげて」
視線が、
廊下の奥を示す。
「どうか、
気を遣わずに」
それだけ言って、
軽く一礼する。
「……スティーク」
名を呼ばれて、
スティークがわずかに背筋を正す。
「後のこと、お願いね」
スティークに導かれ、
廊下を進む。
途中で、
布越しにかすかな薬の匂いがした。
ナディアも、それに気づいたのか、
歩調を、ほんの少し落とす。
「……この先です」
扉の前で、
番頭が足を止めた。
中から、
人の気配がする。
「先ほどまでは休まれていましたが……もう、目は覚めています」
そう言って、
静かに扉を開けた。
⸻
部屋は、明るかった。
窓から差し込む夕方の光が、
白い壁に反射している。
その中央、
寝台に横になっている少年がいた。
包帯は巻かれているが、
顔色は、思ったよりずっといい。
朔が、
「……よう」
と声をかける。
その目が、
こちらを捉えた。
少しだけ、
気まずそうに視線を逸らす。
「……サク。
ナディア」
呼び慣れた声だった。
それから、
しばらく天井を見つめて、
ぽつりと呟いた。
「……ごめん」
声は、
かすれている。
「心配、かけた。」
それから、
ゆっくりと視線を戻す。
「……それと。
助けてくれて、ありがとう」
朔は、
一瞬だけ、言葉を探した。
けれど――
すぐに、首を振る。
「謝ることじゃない。
友だちを助けるのは、
当たり前だろ」
朔がそう言うと、
「そうだよ。
無事だった。それで十分だよ。」
ナディアも続ける。
アクトは、
目を瞬かせた。
その表情が、
少しだけ、緩む。
アクトは、
困ったように笑った。
「……でもさ」
言いかけて、
少しだけ、言葉を探す。
「俺のせいで、
……巻き込んだのは事実だから」
朔は、
首を振った。
はっきりと。
「事情があったんだろ」
アクトの目を見る。
「考えなしに無茶するって、
俺は思ってない」
一度、
息を吸ってから続けた。
「……それに、
お前の前のめりなところで
救われてる人も、いる」
アクトは、
目を見開いたまま、
黙っていた。
「……まぁ」
朔は、
視線を落とす。
「心配したのは事実だ」
短く言ってから、
もう一度、顔を上げる。
「だから、
感謝は受け取る」
朔は、軽く肩をすくめた。
「逆に言うとだ、
感謝以外はいらないな」
ナディアは、朔の隣で小さく頷いた。
アクトは、
しばらく何も言えなかった。
やがて、
小さく笑う。
「……ずるいな」
部屋を満たす、
静かな呼吸音。
穏やかな光。
その中で、
朔は思う。
(……俺は、
時間を稼いだだけだ)
世界を、なんて
大きなことは言えない。
けれど――
身近な人を、
ちゃんと守れるように。
身近な人を。
目の前の誰かを。
(守れるようになりたい)
読んでいただきありがとうございます。
明日も同じ時間に投稿します。
よかったら、また読みに来てもらえると嬉しいです。




