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38.立ち待つ月へ

森の奥で、

空気が、張りつめた。


影が割れ、

一歩、踏み出してきたのは――


“銀”の毛並みをした、

ひときわ大きな狼だった。


朝の薄光を弾くような毛並み。

低く構えた体。


剥き出された牙の奥で、

喉が静かに鳴っている。


(……なんだ、この存在感は)


息を吸うだけで、胸が重くなる。


「……銀狼だと……?」


オルセンの声が、低く、硬く落ちた。


朔は、視線を逸らさないまま、

短く聞き返す。


「……銀?」


オルセンは、銀狼から目を離さず、

低く言った。


「青以上は、そう簡単には生き残らん」


杖を構え、

呼吸を整えながら続ける。


「……銀なんてのはな。

本来、話でしか聞かん存在だ」


そのとき、

左右から別の気配が近づいてくるのが、

わかった。


枝を踏み折る音。

荒い呼吸。


隠す気配をまるでない黒い影が、

ぬるりと森から滲み出る。


黒い毛並みが、二つ。


その一つが、弾けるように――

地を蹴り、一直線に距離を詰めてくる。


「――っ!」


朔は歯を食いしばり、

半歩、踏み込むように身を沈める。


牙が、空を切った。


風圧が頬をかすめ、

背中に冷たい汗が流れる。


(はっや……!)


見て、避ける。


分かっているのに、

余裕はなかった。


(……だけど、これなら避けられる)


その背後で――


オルセンは、杖を構えたまま、低く呟く。


「……なぜ、姿を現した」


黒狼の牙が迫る。


朔は、必死に身体をひねり、

紙一重でかわした。


すぐ後ろで、風を裂く音。


黒狼が、勢い余って前へ抜ける。


鈍い音を立てて、

地面に爪を立てた。


「それに、……連携がなっておらん」


オルセンの声が、続く。


その声に反応したように、

黒狼は、オルセンに跳びかかった。


その軌道を、

オルセンは迷いなく見切る。


杖が、横薙ぎに振るわれた。


鈍い音。


黒狼の身体が、

空中で弾かれ、地面に叩きつけられる。


低い唸り声が、苦痛に変わる。


「サク」


オルセンは、倒れた黒狼から視線を外さずに言う。


「おそらく、こいつら――

狩りが、身についておらん」


残りの黒狼が、

じりじり間合いをつめてくる。


銀の影は、動かない。


「……そこが、勝機だ」


オルセンは短くそういうと、

一歩、前へ出た。


それだけで、

森の空気が沈んだ。


風が止まり、

枝の軋む音が、ひとつ消える。


言葉はない。

だが、空気そのものが押し潰される


黒狼の本能が、警鐘を鳴らす。

――これは、“得物”ではない。


距離を詰めかけていた足が、

無意識に止まる。


喉の奥から漏れていた唸りが、

かすれ、途切れる。


黒狼の尾が下がった。


一歩、後ろへ。


黒狼の重心が、

わずかに引けた、その瞬間――


銀の狼が、低く吠えた。


腹の底を震わせる、

重たい音。


逃げかけた黒狼の足が、

硬直する。


背後から叩きつけられる圧が、

無理やり前を向かせる。


黒狼は、歯を剥いた。


オルセンは、わずかに目を細めた。


「……やはり退かんか。」


一拍。


「黒は任せた。」


言い切ると同時に、

オルセンは、そのまま踏み込んだ。


銀狼が低く唸り、

地を蹴る。


森が、鳴った。


重たい風が、横殴りに吹き抜ける。


二つの影が、正面から交差する。


空気が、叩き潰された。


衝撃が、遅れて伝わる。

足元の土が跳ね、

朔の視界が揺れた。


枝が折れ、

太い幹に深い傷が走る。


視界の端で、

杖と牙が噛み合う。


銀の毛並みが翻り、

オルセンの外套が風を切った。


(俺の相手は……)


黒狼の気配が、再び目前へ迫ってきた。


低い姿勢。

一直線の踏み込み。


朔は、歯を食いしばって横へ跳ぶ。


牙が、空を裂く。

風圧が、首筋をなぞった。


(……あっぶねぇ)


地面に着地するより早く、

黒い影が、もう向きを変えている。


速い。

迷いがない。


だが――


その視界の端で、

別の気配が、動いた。


さっき、オルセンの杖に弾かれ、

地面に叩きつけられた黒狼。


伏せていた身体が、

ゆっくりと起き上がる。


足取りは、重い。

だが、引いてはいない。


唸り声が、低く森に滲む。


(……来る)


二匹。


同時は――無理だ。


息を吸う。

一瞬だけ、視界が狭まる。


(どっちだ)


元気な方か。

それとも――


朔の目が、わずかに揺れた。


傷を負っている方。

動きは鈍い。

だが、距離を詰められれば、牙は同じだ。


(……増える方を、先に)


判断は、一瞬だった。


朔は、元気な黒狼の進路から、

わざと半歩、外れる。


その動きに、

元気な個体が反応して踏み込んだ――


その隙に。


朔は、手負いの黒狼へ向き直る。


地面を蹴り、

一気に距離を詰める。


黒狼が、驚いたように牙を剥いた。


同時に、

朔は、身体を低く落とし、

走りながら地面へ手を伸ばした。


指先が、土に触れる。


(……ルク)


一つ目。


黒狼の脇、

一見、関係のない位置で、

硬い土の球が形を成した。


踏み出そうとした前脚が、

想定より、わずかに沈む。


(……地面を、別の形にしただけ)


――だからこそ。


盛り上がった分だけ、

そこにあった土は、もうない。


「……踏めないだろ」


踏ん張るはずの感触が消え、

黒狼の体勢が、崩れた。


その瞬間、

再び、地面へ手を伸ばす。


二つ目。


黒狼の足元。

地面から盛り上がるように、

硬い球が生まれた。


前脚が、

地面ごと、絡め取られた。


黒狼が唸り、

無理やり引き抜こうとする。


「残念だけど、その球。

地面とつながってるんだ。」


――三つ目。


別の脚の下で、

再び土が集まる。


「しばらく、そうしておいてくれるか」


黒狼は、地面に縫い留められたまま、

低く唸るしかなくなった。


一歩、踏み出す。


「待ってくれてるんだ」

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次回更新は金曜日の21時10分予定です。


これからもお付き合いいただけると嬉しいです。

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