35.思考と試行
朔は、指輪を見つめていた。
見た目は、ただの指輪だ。
飾りもなく、特別な光を放つわけでもない。
(……それなのに)
――魔法
その響きだけで、胸の奥でじわじわと重くなる。
魔法というものが、
この世界にあるのは知っている。
だが、それはいつも「自分の外」にあるものだった。
使う人がいて、見る人がいる。
朔は、ずっと後者だった。
指先の感覚だけがやけに意識に残る。
(……どんな感じなんだ)
期待とも、不安ともつかないものが、
胸の奥で、静かに形を持ち始めていた。
顔を上げると、
オルセンは変わらずそこに立っていた。
視線は朔ではなく、
足元の地面に落ちている。
「そいつは、アースリングって言ってな」
淡々とした声だった。
「土の魔法……
アースボールが使える」
(……アースボール)
岩の球体が飛んでいく様子を想像し、
自然と笑みがこぼれる。
オルセンは顎で地面を示す。
「《アース》と唱えて、
地面に手をかざしてみろ」
朔は一度、指輪を見た。
次に、自分の手を見る。
ゆっくり息を吸い、
地面に手を伸ばす。
「《アース》」
声は、思ったよりも静かだった。
「……?」
見た目には何も起きない。
だが、
――反応している
それだけはわかった。
(……不思議な感覚だな)
オルセンが言う。
「そのまま、《ボール》と唱えてみろ」
朔は地面に手をかざしたまま、
“呼んだ”。
「《ボール》」
朔の声に反応したように、
何かが、少しずつ満ちていくのがわかった。
同時に、
曖昧だった感覚が、
次第に輪郭を持ち始める。
量と形が、
噛み合っていく。
その途中で、
「ここだ」と思える瞬間があった。
指先の感触を、ふっと緩める。
地面が、わずかに脈打った。
(……っ)
土の奥から、何かが押し上げてくる感覚。
朔の手のひらの下で、
地面がゆっくりと盛り上がり始めた。
砂がこぼれ、
小石が転がり落ちる。
「……お」
思わず、声が漏れる。
丸みを帯びながら、
押し出されるように形を変えていく。
やがて。
朔の目の前に、
土の塊が姿を現した。
――球体。
大きさは、両手で抱えられるほど。
少し大きめの球、
サッカーボールくらいだろうか。
(……すげぇ)
無意識に、口の端が上がる。
指輪が、じんわりと熱を持っている。
確かに、今のは――
魔法だ。
朔は、その球体を見つめたまま、
少しだけ身構えた。
(……で?)
間。
何も起きない。
球体は、そこにある。
地面からせり上がったまま、
微動だにしない。
「……」
風が吹き、
乾いた土の匂いが流れる。
朔は、しばらく待った。
――待ったが。
飛ばない。
転がりもしない。
崩れもしない。
ただの、土の球だ。
「……?」
朔は、ゆっくりオルセンを見る。
「なぁ、オルセン」
オルセンは腕を組んだまま、
その様子を見ていた。
「なんだ」
「……もしかしてさ」
言葉を選びながら、朔は聞く。
「これで、終わり?」
オルセンは一拍置いて、頷いた。
「あぁ」
短く、それだけ。
「……これだけだ」
朔は、もう一度球体を見る。
「……」
期待が、音もなく落ちた。
(思ってたのと、違う……)
岩が飛ぶとか、
地面が弾けるとか、
そういうものを、勝手に想像していた。
だが現実は、
ただ、そこにあるだけ。
「……他の魔法は?」
問いかけると、
オルセンは答えなかった。
視線を外し、
庭の端へと歩き出す。
「小さなものでもな」
背中越しに、言葉が落ちる。
「きっかけにはなる」
それだけ言って、
オルセンはその場を離れた。
朔は、一人残される。
足元の土の球と、
自分の手と、
指輪。
「……」
肩を落とし、
その場に立ち尽くす。
(……俺、さっき)
自分で言ったじゃないか。
諦めないこと。
考え続けること。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
(無いよりは、マシか)
朔は、土の球に近づいた。
触れると、
ひんやりとした感触が返ってくる。
(……考えろ)
使えないと決めるのは、早い。
「……人目につかないとこ、行くか」
朔は球体を見下ろし、
人の足が向かない場所を思い浮かべ、
ゆっくりと顔を上げた。
まだ、昼だ。
試す時間は、ある。
⸻
村の端に、なだらかに盛り上がった場所がある。
畑にも道にもならず、
いつの間にか誰も使わなくなった土地だ。
人の足がほとんど入らないせいか、
草は伸び放題で、地面も不揃いだ。
小さな石や根が、あちこちから顔を出している。
朔は周囲を見回し、
誰もいないことを確かめてから、指輪を見た。
(……よし)
地面に手をかざす。
「《アースボール》」
地面が、盛り上がる。
土が押し上げられ、
丸みを帯びた形を作っていく。
先ほどと同じ、
サッカーボールほどの土の球だ。
「……」
朔は、そっと押してみた。
動かない。
重い、という感覚とも違う。
引き剥がそうとしても、微動だにしない。
(……繋がってる)
地面と。
切り離されていない。
土の“塊”ではなく、
地面そのものを、形にしたような感触。
「ふーん……」
朔は辺りを見回し、太い枝を拾い上げた。
腕ほどの太さがあり、軽く振るだけでも重さが伝わる。
一度、深く息を吸う。
「……」
振り下ろした。
鈍い音が響き、
枝の方が先に悲鳴を上げた。
ひびが入り、
二度目で、折れた。
(……それなら)
次に朔は、近くに転がっていた石を拾い上げた。
拳より一回り大きい。
——あれと比べたら、どうだ?
石を、落とす。
鈍い衝撃。
乾いた音。
石の角が欠け、
土の球にも、浅い傷が走った。
(……硬いな)
――だけど、
岩ですら、壊せる。
オルセンが、
岩を砕いたときの光景が脳裏をよぎる。
杖を振り下ろし、
迷いなく叩きつけ、
岩が粉々になった、あの音。
なら、この程度の硬さは、
“壊れない”とは言わない。
ふと、足元に視線が落ちた。
土の球の根元。
地面が、わずかに窪んでいる。
(……あれ?)
しゃがみ込み、指でなぞる。
盛り上がった分だけ、
その周囲が、確かに削られていた。
(……生えてきた、わけじゃない)
持ってきた。
動かした。
形を変えただけだ。
無から、何かを作ったわけじゃない。
地面を、別の形にしただけ。
「……なるほどな」
切り取ったわけでも、
載せたわけでもない。
続いているから、
動かない。
(……じゃあ)
続けられない形にしたら、どうなる?
朔は、
人の背丈ほどある土の壁の前に立った。
地面は、そこから垂直に立ち上がっている。
土壁に手をかざす。
「《アースボール》」
壁の表面に、土の球が形を取った。
球は、少し壁に食い込むようにして、
その場に留まっている。
(……落ちない)
朔は、しばらく様子を見た。
土の球は、重さに引かれることもなく、
壁に貼り付いたままだ。
(わりと、安定してるんだな)
そう思ったところで、
朔の視線が、自然とその上へ移る。
(……じゃあ)
確かめるように、
少しだけ上へ、意識を向ける。
「《アースボール》」
二つ目の球が、壁に生まれた。
位置は――
狙ったところから、少しだけずれている。
だが。
一つ目に、触れるような位置だ。
(……重なる?)
そう思った瞬間。
ミシ、と。
低い音がした。
次の瞬間、
下の球ごと、壁の一部が剥がれる。
崩れた土が、
まとめて、落ちてきた。
ドサリ、と。
重たい音。
朔は、反射的に一歩引いた。
(……あっぶねぇ)
壁には、えぐれた跡だけが残っている。
重ねられはする。
だが――
音を立てて、崩れた。
「……そうか」
小さく、そう呟いた。
それなら――
足元で、
崩れた土が、さらりと音を立てた。
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次回は金曜日21時10分に更新予定です。
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