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33.声の向こう側

side ナディア


森は、変わらず明るかった。


朝の光が、

濡れた葉の隙間から、まっすぐ地面に落ちている。


ナディアは、そこに立っていた。


動けなくなったわけじゃない。

けれど――

向かう先を、見失っていた。


畑も。

水路も。

森の縁も。


思いつく場所は、

もう、どこも残っていない。


風が、枝を揺らす。

遠くで、水の音が続いている。


それだけだ。


胸の奥が、重い。


(……ここじゃない)


そう思った瞬間、

胸の奥で、何かが引っかかった。


お父さんは、

意味もなく動く人じゃない。


雨のあとに、

どこを見るか。

どこを後に回すか。


――順番が、ある。


ナディアは、

朝のやり取りを思い出していた。


「昨日の雨でな」


あの声。

外套の裾を整えながら、

淡々と口にした言葉。


――その先。


息を吸う。


考えるのを、やめない。


次の瞬間、

ナディアは踵を返して走り出した。



水路沿いを、

目を凝らして走る。


けれど、

そこにも、

見慣れた背中はなかった。


水の流れが、

足元で音を立てている。


(……違う。まだ、先だ)


視線を上げても、

応えるものはない。


胸が苦しい。


水の音が、

次第に大きくなる。


視界が、

開けた。


――そのとき。


前方に、

人影があった。


外套の色。

歩き方。


一瞬で、分かる。


「――お父さん!」


声が、

喉の奥からこぼれ落ちる。


背中が、揺れた。


振り返ったその目を見て、

ナディアは確信する。


――届いた。


胸が、大きく上下する。


足が、止まる。


それでも。


声は、

確かに届いた。


そのことだけが、

はっきりと分かっていた。


side アクト


「見回りに行くぞ!」


アクトは、少し胸を張って言った。


外套はない。

杖もない。

でも、気分はそれっぽい。


雨上がりの朝。


セイを連れて、

歩いている内に、村の裏まで着いた。


――本当は、

「行っちゃだめ」って言われてる場所だ。


でも今日は、

雨のあとだし。

オルセンも、忙しそうだったし。


(ちょっと見るだけなら)


周りを見渡すと、

木々の間を縫うように、

岩肌が露出している。


冒険みたいでちょっと楽しい。


「いじょうなし!」


そのときだった。


「……にゃ」


かすれた声。


一瞬、足が止まる。


「……聞いた?」


セイが、うなずいた。


次の鳴き声で、

場所が分かった。


木の上だ。


枝の間で、

小さな猫が動けなくなっている。


「……待ってろ」


そう言って、

考えるより先に、

アクトは木に登っていた。


高さは、ちょっと怖い。

でも、猫のほうが、

ずっと怖いはずだ。


枝に手を伸ばし、

身体を引き上げる。


「だいじょうぶだ」


震える猫を抱えたとき、

胸の奥が、少しだけ落ち着いた。


ゆっくり降りて、

セイの前に立つ。


「……ほら」


猫を渡した、その瞬間。


――ゴロ。


嫌な音がした。


体全体を覆うような黒い影。


見上げると、大きな岩が迫っていた。


「……ああ」


アクトは、

ぼんやり思った。


「怒られちまうな」


勝手に奥まで来たこと。

木に登ったこと。

見回りごっこ、なんて言い訳も、

きっと通らない。


でも。


腕の中に、

猫はいない。


――助けた。


それだけで、

少し、胸が軽かった。


「……セイ」


声にならなくても、

きっと、走ってくれる。


なぜか、

そう思えた。


だから、アクトは、

目を閉じた。


side セイ


「見回りに行くぞ!」


アクトがそう言ったとき、

セイは、うなずいた。


アクトはどんどん歩いていく。

セイは、その後ろを追っていた。


気が付いたら、

「行っちゃだめ」って言われてる場所まで

来ていた。


崖があって、

石が多くて、

雨のあとなんて、特に。


(……止めないと)


そう思ったけど、

声は出なかった。


そのとき。


「……にゃ」


微かな鳴き声が聞こえた。


木の上だ。


枝の間で、

小さな影が揺れている。


猫だ。


動けなくなっている。


(……あ)


どうしよう、と思ったときには、

アクトはもう木に登っていた。


「待ってろ」


それだけ言って。


セイは、

下から見上げることしかできなかった。


手が、冷たい。


足が、

地面に張りついたみたいに動かない。


(落ちたらどうしよう)

(怪我をしたらどうしよう)

(でも、猫は……)


考えが、

ぐるぐる回る。


その間に、

アクトは猫を抱えて降りてきた。


「……ほら」


猫を受け取った瞬間、

腕の中が、温かかった。


生きてる。


それが分かって、

ほっとして――


その瞬間。


――ゴロ。


音が、した。


低くて、

嫌な音。


地面が、

揺れた。


「……アクト!」


声が、裏返った。


大きな影が、

落ちてくる。


砂埃が舞う。


視界から、アクトが消えた。


石と土が、

一気に崩れる。


猫が、腕の中で暴れる。


(……うそ)


身体が、

震えだした。


足が、

動かない。


(動け)

(行かなきゃ)

(助けなきゃ)


でも、

動かない。


アクトが、

そこにいる。


分かってるのに。


(……まただ)


誰かが困ってて、

自分は、

立ってるだけで。


何も、

できなくて。


……すぐに動けるアクトが、

羨ましくて。


「……っ」


セイは、歯を食いしばった。


猫を、胸に抱き直す。


(このままじゃ、だめだ)


アクトは、

動いてくれた。


猫のために。

考える前に。


じゃあ、自分は。


――走るしかない。


(アクトの家は、村の中央だ。

……ここからじゃ、遠すぎる)


だったら――


踵を返した。


地面を蹴る。


息が、苦しい。

足が、もつれる。


それでも。


止まったら、

全部、終わる気がした。


(サクのとこへ)


それしか、

思いつかなかった。


それなら――


セイは、

泣きそうな顔のまま、

走り続けた。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


それぞれの選択が、少しずつ繋がってきました。


次回、水曜日21時10分更新予定です。

よろしければ、またお付き合いください。

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