27.成れなかった願い
朔は、椅子に腰を下ろしたまま、
手元を眺めていた。
居間の扉が開く。
「……はぁ。」
ナディアは、歩きながら、
肩を落とした。
――ため息だ。
朔は口を開きかけて、やめる。
数歩進んだところで、ナディアがこちらに気づいた。
一瞬だけ目を丸くして、
すぐに、いつもの笑顔に戻る。
「……見てた?」
「見てないよ」
朔は、すぐに首を振った。
「あ、でも」
少し間を置いてから、続ける。
「俺の地元じゃさ、ため息を吐くと、幸せが逃げるって言うんだって」
ナディアは、一拍置いてから、くすっと笑った。
「見てたじゃん」
「いや、見てない」
「絶対見てた」
そう言いながら、ナディアは一歩近づいてくる。
「でもさ、
逃げるなら、吸い込まないと」
そう言って、わざと大きく息を吸った。
朔も、思わず笑ってしまう。
「それも言ってたな」
一瞬、空気が和らぐ。
それから、朔はナディアの顔を見る。
「……で、どうしたの?」
ナディアは、少しだけ視線を逸らした。
「お父さんがね」
言葉を選ぶように、続ける。
「教会に持っていく薬作りで忙しいから、行けないって」
「約束してたのにな」
ぽつり、とこぼすように言った。
「そっか」
朔は、短く答える。
「どこ行く予定だったの?」
「ほら、もうすぐ昇り火があるでしょ。
だから、その準備で木を採りに行こうかなって」
「……昇り火?」
聞き返すと、ナディアは一瞬きょとんとした顔をして、
「あ、そっか」
と、すぐに気づいたように言った。
「朔は、この村の人じゃなかったね。
なんだか最近、忘れてた」
そう言って、少し照れたように笑う。
「収穫の感謝をね、
自分の祈りに乗せて、焚き火にするの」
少し考えるように、ナディアは言葉を選ぶ。
「それで、月に届けるんだ」
一度そこで区切ってから、
こちらを見る。
「結構、どこでもやってると思ってたけど。
朔のところには、なかった?」
朔は、少し考えてから答える。
「……俺のところ、すごく遠いからさ」
そう言ってから、ふと思う。
「……よかったら」
口が、先に動いた。
「一緒に行こうか?」
少しだけ間が空く。
(……あ)
言ってから、気づく。
(これ、誘ってるよな……)
「いや、あの」
言い直そうとした、その瞬間。
「本当!?」
ナディアの声が弾んだ。
「嬉しい!ありがとう!」
勢いよく言われて、
朔は言葉を飲み込む。
「……うん」
そう答えるしかなかった。
居間に、静けさが戻る。
けれど、さっきとは少し違う。
約束が、一つ増えた夜だった。
眠るまでのあいだ、胸の奥が妙に静かだった。
⸻
朝の訓練が終わる頃には、
日差しはすっかり高くなっていた。
汗を拭いながら、朔が息を整えていると、
少し離れたところでナディアが手を振っているのが見える。
「終わった?」
「うん。今」
それだけのやり取りなのに、
昨夜の約束が、ふと胸をよぎった。
二人並んで村を抜ける。
向かうのは、
いつもより少しだけ奥に入った山の方だった。
道と呼ぶほど整ってはいない。
けれど、踏み慣らされた草と、
ところどころに残る足跡が、
人がよく通る場所だと教えてくれる。
「この辺までだよ」
ナディアがそう言って、足を止めた。
「あんまり遠くに行くと、危ないからね」
ナディアは、足元を確かめるように言った。
「だから、採りに行くなら、この辺まで」
「へぇ」
朔は、辺りを見回す。
木は多いが、
鬱蒼としているわけではない。
日が差し込み、風も通る。
「でもさ」
朔が聞く。
「こういうのって、お店とかにはないの?」
ナディアは、すぐに頷いた。
「お店でも売ってるよ」
ナディアは、あっさり言った。
「昔はね、
みんな自分で採ってたらしいけど……
今は、ほとんどの人が買いに行くかな」
少しだけ間を置いて、
「でも、お父さんは言うの。
自分で選んで、採るから、巡るんだって」
その言い方が、
どこか誇らしげで、
どこか当たり前のようでもあって。
「……なるほど」
朔は、思わず笑った。
「オルセンらしいな」
「でしょ」
ナディアも、くすっと笑う。
少し歩いて、
ナディアが一本の木を見上げた。
「この木ね。
燃やすと、いい匂いがするんだよ」
そう言ってから、
枝先ではなく、足元を見る。
「でも、枝を折るのはだめだから」
地面に落ちている枝を探すように、
視線を巡らせながら続けた。
「こうやって、落ちてるのから選ぶの」
ナディアは、一本拾い上げて、
軽く手の中で転がす。
「形とか、重さとか……触った感じでね」
少し考えてから、にこっと笑った。
「自分のお気に入りを探すのも、楽しいよ」
朔は、ナディアの真似をして足元を見た。
落ち葉の間に、
細さも長さも違う枝が、いくつも転がっている。
一本拾って、手の中で転がす。
少し軽すぎる。
もう一本。
今度は、先が細くて頼りない。
「……意外と、違うな」
思わず口にすると、
ナディアが小さく笑った。
「でしょ」
朔は、さらに何本か拾っては戻し、
拾っては、また戻す。
重さ。
手触り。
指に引っかかる感じ。
比べてみると、
どれも同じには思えなかった。
「これかな、いや、こっちか……」
いつの間にか、
手元を見る目が、少し真面目になっていた。
それを見て、
ナディアが、満足そうに言う。
「――ね?
楽しいでしょ」
朔は、少しだけ間を置いてから頷いた。
「……うん」
そう言いながら、別の枝に手を伸ばす。
さっきより少し太くて、
持ったときの収まりがいい。
「こっちだ」
そう言うと、
ナディアが覗き込んでくる。
「それが、朔のだね」
そう言われて、
朔は、もう一度その枝を見た。
ただの木の枝。
けれど、不思議と、
さっきより少しだけ大事なものに見えた。
⸻
家に戻ると、
ナディアは裏の物置から、小さな刃物と木槌を持ってきた。
「まずは、皮を剥こっか」
そう言って、選んだ枝を台の上に置く。
乾いた枝でも、
表の皮は意外と固い。
ナディアは、刃を寝かせるように当てて、
少しずつ、薄く削いでいった。
刃を走らせるたびに、
細い皮が、くるりと丸まって落ちる。
「……なるほど」
朔は、真似して刃を当ててみる。
思ったより、手が滑る。
「わ、危な……」
「ゆっくりでいいよ。
削るっていうより、押す感じ」
ナディアは、手元を見ながら、穏やかに言った。
言われた通りにすると、
今度は、少しだけうまくいった。
皮が剥けると、
中の木肌が、明るい色を見せる。
同時に、
削りたての木の匂いが、ふっと鼻に届いた。
さっき森で嗅いだ匂いより、
少しだけ、澄んでいる。
「……匂い、変わるんだな」
思わず言うと、
ナディアが小さく頷いた。
「このまま乾かしてもいいんだけどね」
ナディアは、削った枝を並べながら言う。
「先に、形を整えちゃおっか」
「……整える?」
「うん」
そう言って、
ナディアは自分の枝の先を、
角を落とすように、少しだけ削った。
「削ったり、少し彫ったりして、
自分の好きな形にするの」
「やらない人もいるけど。
こっちの方が、楽しいから」
朔は、自分の枝を見る。
まっすぐで、
何の特徴もない。
「せっかくだし、やってみよっか」
そう言って、刃を当てた。
――結果は、すぐに出た。
「……あ」
削りすぎた。
角が歪んで、
思っていた形から、どんどん離れていく。
「……難しいな」
「初めてだし、しょうがないよ」
ナディアは、横から覗き込みながら言った。
「来年は、もっと上手にするから。
見てて」
朔が、何気なく言う。
ナディアは、一瞬だけ手を止めた。
それから、
少し間を置いて、頷いた。
「……そうだね」
それ以上、何も言わずに、
また作業に戻る。
しばらくして。
「……できた」
ナディアが、息を吐く。
手の中には、
角を落とし、
側面に、小さな花の形が彫られた木。
朔の方も、
どうにか「形」と呼べるものにはなっていた。
「……まあ、悪くはないか」
「うん。ちゃんと、朔のだね」
二人で並べて置くと、
少し歪でも、
どちらも、ちゃんと違って見えた。
「じゃあ」
ナディアは、
手元の木から視線を外し、
ちらりと朔を見る。
「あとは、お願い事を書くだけだね」
「……お願い事?」
朔が聞き返すと、
ナディアは頷いた。
「うん」
少し間を置いてから、続ける。
「お願いでもいいし、
自分の決意でもいいの」
「こんなことを頑張るから、
見守ってください、って」
「それを、月に届けるんだよ」
(……お願い事、か)
――帰りたい。
――強くなりたい。
――ここで、生きる。
言葉は浮かぶのに、
どれも、ピンとこない。
何も書かれていない木を、
そっと手のひらで包む。
(俺は、一体、何をしたいんだろう)
答えは、まだ出ない。
けれど、
問いだけは、はっきりと残った。
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次回更新は水曜日の21時10分予定です。
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