28.巡りの外側
オルセンはそのまま、家の方へ向かった。
(……いつもなら、このまま見回りに行くのに)
朔はしばらく立ち尽くしてから、
庭に残った痕を整え始めた。
踏み固められた土を足でならし、
転がっていた小石を拾って脇へ寄せる。
その背中に、声がかかった。
「サク」
振り向くと、
ポーチに、オルセンが立っていた。
手には、小さな包みがひとつ。
「薬ができた」
それだけ言って、
包みを軽く持ち上げる。
「今日は子どもたちが来る日だ。
……サクに、会いたがっていた。
行ってやれ」
朔は、手のひらに残った土を払った。
「うん」
包みを受け取ると、
ずしりとした重みが伝わってくる。
この時間なら、もう始まっているはずだ。
(……少し、急ごうか。)
理由を探す前に、
足が、もう動いていた。
朝から活気づいた市場を抜けて、
しばらく歩く。
見覚えのある白い建物が、道の先に見えてきた。
教会に着くと、扉は開いていた。
中から、子どもたちの声が漏れてきている。
一瞬、立ち止まる。
笑い声に混じって、
誰かが何かを言っているのが聞こえた。
聞き慣れた声も、いくつかあった。
(……やってる、よな)
少し迷ってから、
朔は扉を押した。
中に入ると、
正面の受付台は空いていた。
椅子も、帳面も、そのまま置かれている。
奥の方から、さっきの声がはっきりと聞こえてくる。
……授業だ。
今ちょうど始まっている。
(……邪魔、かな)
一瞬、足が止まる。
けれど、
オルセンの言葉が、頭をよぎった。
――今日は子どもたちが来る日だ。
サクに、会いたがっていた。
朔は、包みを持ち直した。
(……届けるだけ、だ)
そう思って、
静かに奥へ進んだ。
奥へ進むにつれて、
声の輪郭が、少しずつはっきりしていく。
高い位置の窓から差し込む光が、
床に淡く落ちている。
色のついたガラス越しの光は、
昼でも、輪郭がやわらかい。
本堂の中央には、子どもたちが腰を下ろしている。
その前に立つ白衣の司祭が、
ゆっくりと語りを続けている。
(……今は、声を掛けられないな)
包みを胸元に抱えたまま、
壁際に身を寄せた。
「……遥かな昔、空から、光が注いだ」
そこで、視線がふと動いた。
司祭――リースト・ファスパーも、
朔に気づいた様子で、
一瞬目が合った。
そのまま、続ける。
「満ち溢れた光は、
この世界に、恵みをもたらしたと伝えられています」
司祭の声は穏やかで、
読み聞かせるようでもあり、
言い聞かせるようでもあった。
「けれど――
その光は、やがて溢れました」
そこで、少しだけ声を落とした。
「溢れたものは、歪みとなり、
世界の巡りを、滞らせたのです」
子どもたちは、静かに聞いている。
何度も聞いた話なのだろう。
「歪みは、放っておけば広がります。
巡りが滞れば、
やがて、良くないものとなって残ります」
子どもたちの何人かが、
小さくうなずいた。
「だから、人は願いました」
司祭は、ゆっくりと続ける。
「歪みを、巡りへ。
それを、元へ――と」
“歪みを、巡りへ。
それを、元へ”
馴染みのない言葉が、
なぜか、耳に残った。
「そうして、
世界は再び、回り始めたと伝えられています」
柔らかな声で、締めくくる。
「だから今も、人は言うのです」
司祭は、そこで一拍置いた。
「――あなたに、
月の巡りがありますように」
司祭は、しばらくその言葉を残すように黙っていた。
本堂に、静けさが落ちる。
子どもたちも、すぐには口を開かなかった。
外の音だけが、
遠くにあった。
リーストは、
ゆっくりと視線を朔の方へ向ける。
「ようこそ、サクさん」
柔らかく、微笑む。
「みんな、会いたがっていましたよ」
一瞬の間。
それから――
「サクだ!」
「来たの!?」
「ほんとに来た!」
子どもたちが、一斉に振り向いた。
朔は、思わず肩をすくめる。
包みを抱え直し、
前に出る。
「……薬、預かってきました」
そう言うと、
司祭は、また目尻に皺を寄せて笑った。
「ありがとうございます」
司祭は、
包みを受け取ると、
そのまま一拍、黙った。
子どもたちではなく、
朔の方を見る。
「……このあと」
柔らかな声だった。
「少し、外で話を続けようと思っていました」
そう言って、
視線を扉の方へ向ける。
「せっかくですから、
あなたも一緒に」
朔が何か言う前に、
「ねえ、行こ!」
「外でやるんでしょ!」
子どもたちが、先に立ち上がった。
腕を引かれて、
朔は思わず一歩、前へ出る。
「……ちょっ……」
声にならないまま、
そのまま流れに押される。
司祭は、その様子を見て、
何も言わずに微笑んだ。
子どもたちに引かれるまま、
朔はそのまま扉の外へ押し出される。
もともと開いていた扉の向こうから、
昼の光と、乾いた風が流れ込んできた。
本堂の静けさとは違う、
外の空気。
教会の裏手には、
踏み固められた土の広場があった。
草もまばらで、
人が集まるたびに足跡が重なってできた、
素朴な地面。
低い塀の向こうには、村の屋根が見える。
風が吹くたび、
土と草の匂いが、ふっと混じった。
「こっちだよ!」
子どもたちは慣れた様子で広場へ散り、
朔は、その後ろを半歩遅れて歩く。
気づけば、
自分は輪の中に立っていた。
リースト・ファスパーは、
少し離れた場所に立っている。
白いローブの裾が、
土の上で静かに揺れた。
手には、細い杖が一本。
ただ立っているだけなのに、
空気が、そこを中心に整っていくような感覚があった。
「さて」
司祭は、穏やかに声を出す。
リーストは、子どもたちを見渡した。
「さて――
村の外へ、あまり遠くひとりで行ってはいけませんね」
少し間を置く。
「それは、なぜだか分かりますか?」
すぐに手が上がった。
「危ないから!」
「魔物が出るから!」
口々に声が飛ぶ。
リーストは、うなずいた。
「そうですね。
魔物に襲われるかもしれません」
「先生!」
前の方に座っていた子が、身を乗り出す。
「魔物って、普通の生き物と
何が違うんですか?」
「そうですね……」
リーストは、少し考えるように視線を上げた。
「いちばん大きな違いは、
魔力を持っているかどうかです」
子どもたちの目が、揃って向く。
「いちばん分かりやすい違いが出ると“されている”のは、肉体の差ですね。」
「私は、刃物すら通さない皮膚や、羽が生えていること、
盾を貫く牙を持つことなど――
そうした異常な見た目が特徴だと教わりました。」
一度、広場を見渡す。
「それらの特徴は、
生き物の枠を超えた力として
現れることもあります」
ざわ、と小さな声が走った。
「そして」
声を落とす。
「ほとんどの場合が、凶暴です」
「……ほとんど?」
別の子が首を傾げる。
「じゃあ、そうじゃない魔物もいるんですか?」
リーストは、少しだけ笑った。
「少なくとも、私は出会ったことがありません。
まあ……おとぎ話ですね」
それ以上、誰も何も言わなかった。
子どもたちは、続きを待つように、
視線を司祭へ戻す。
「では、みなさん」
リーストは、問いを投げる。
「“魔物”を、見たことはありますか?」
「ない!」
「一回もない!」
即座に返事が返る。
「そうですね」
リーストは、穏やかにうなずく。
「村の中まで、魔物が入ってくることは
通常ありません」
そのまま、続ける。
「遠くへ行かない限りは、安全です」
リーストの視線がふと朔に向いた。
「――特に、夜は危険です」
朔は、視線を逸らさずに受け止める。
(……バレてるな)
「さて」
空気を切り替えるように、リーストが言った。
「今日は、“魔物”を見てみましょう」
――その言葉で、空気が変わった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
予定を前倒しして更新しました。
お時間のあるときに読んでいただけたら嬉しいです。
次回更新は水曜日21時10分です。




