25. 想定外の結末
二人は、向き合っていた。
その間は、十歩もない。
森の中では、近すぎる。
赤い髪が、わずかに揺れる。
一歩、踏み出しかけた足が――止まった。
風が、葉を揺らす。
枝が、かすかに鳴る。
笑ったまま、こちらを見ている。
時間だけが、過ぎる。
一拍。
二拍。
深く、
息を吸う音。
「こっちだ!」
声が、森を割った。
近い場所で、
足音が、三つ。
小枝が折れ、
荒い息が近づく。
――来る。
朔は、
わずかに進路を変えた。
踏み固められた場所を避け、
草の倒れ方が不揃いな方へ。
追う足音が、
迷いなく、ついてくる。
「いた!」
「そっちか!」
枝を払う音。
切れた息。
――姿が、現れる。
「一対一なら、そのまま投げるところだけどさ」
笑ったまま、言う。
「悪いな。
今日は、集団戦だ」
朔は、息を吐いた。
(……うまい)
アクトが、ゆっくりと、
距離を詰めてくる。
そして、
「――囲め!」
短い声が飛ぶ。
左右で、
気配が寄る。
正面で、
足音が止まる。
逃げ道を塞ぐように――
最後に、
一歩分の間を置いて、
アクトが来た。
「今だ!」
アクトの号令で、
一斉に、腕が振り抜かれる。
三つの影が、同時に跳ねた。
左から。
右から。
正面から。
土の塊が、
風を切って飛んでくる。
朔は、
その瞬間に跳んだ。
進行方向を、
ほんの少しだけ、ずらす。
一つ目が、肩をかすめる。
二つ目が、足元を叩く。
三つ目が、背後の地面で弾けた。
――ぱき。
遅れて、
匂いが弾ける。
「当たってない!」
「外した!」
声が、重なる。
だが、
朔は止まらない。
さらに一歩、
根の多い場所へ。
だが――
アクトは、
ためらいなく、一直線に迫る。
重い踏み込み。
地面を噛む音が、一段、強い。
距離が、
一気に詰まる。
朔は、
そこで横に逸れた。
「うわっ!」
鈍い音。
転ぶ音。
ぱきっ。
残っていた泥玉が、割れる。
さらに匂いが、重なった。
「……足元にも、ご注意を」
走りながら、朔は小さく言った。
逃げ道も同じだ。
土の色。
踏み固められ方。
草の倒れ具合。
そこに“人の手”が入ってる。
――なんちゃって。
「……今回は、
自然のトラップだけどね」
そして、そのまま走り抜けた。
朔が、根の影を抜けた瞬間だった。
視界が、ひらける。
同時に、影が立つ。
逃げ道を塞ぐように。
「……ここに来ると思ったから、
……待ってた」
落ち着いた声。
息が、乱れていない。
セイだ。
(――読まれてた)
腕が振られる。
朔は、反射で跳んだ。
横へ。
土の塊が、
風を切って通り過ぎる。
(あっぶねぇ)
でも、
――外した。
そのとき、
視界の端で、もう一つの動きを捉えた。
(――まさか)
二つ目の泥玉が、
ほとんど同時に放たれていた。
角度が、違う。
逃げた先を、
狙っている。
「……そう」
セイが、静かに言う。
「……泥玉を作ったらダメなんて、
ルールは無いから」
朔の足が、止まる。
距離は、近い。
避けきれない。
(……終わりか)
ふと、オルセンの声が、
動きの隙間に差し込んだ。
――飛んでくる“物”だけを見るな。
肩の沈み。
腰の向き。
踏み込んだ足。
(――まだだ)
腕を前に伸ばす。
当たるその瞬間、
掌をほんの少しだけ後ろへ引く。
衝撃に逆らわず、
力の向きに、ほんの一拍だけ、ついていく。
掌に、
ずしりとした感触。
「……っ」
短い息。
泥玉は、
朔の手の中にあった。
朔は、そのまま言った。
「取ったらいけないルールも、
無いよね」
セイの視線が、
朔の手の中の泥玉に吸い寄せられる。
その一瞬。
朔は、もう動いていた。
身を翻し、
何も言わずに駆け出す。
「――っ、待っ……!」
背後で声が弾けたが、
足音は、すぐには重ならなかった。
(……振り切った。)
だが――
湿った土と、
潰れた熟柿のような甘さ。
その奥に、鼻にまとわりつく
腐りかけの生臭さが残る。
風に押され、
森の中に、ゆっくりと広がっていく。
(……まずいな)
遠くで、
枝を踏む音。
別の方向でも、
かすかな気配。
匂いに引かれて、
人が集まり始めている。
(このままだと……)
どこへ行っても、
追いつかれる。
朔は、走りながら、
手の中の感触を確かめた。
セイの泥玉。
(……使うなら、今だ)
進行方向とは、
逆側。
木々の密なほうへ、
腕を振り抜く。
――ぱき。
地面に落ち、
鈍い音とともに割れる。
次の瞬間、
匂いが、強く立った。
「こっちだ!」
「匂い、強いぞ!」
声が、
一斉に向きを変える。
足音が、
遠ざかっていく。
朔は、
一度だけ、振り返った。
森の奥で、
人影が動く。
(……よし)
それだけ確認して、
再び前を向く。
今度は、
匂いのない方向へ。
足取りを軽くし、
音を削る。
朔は、
森の影に溶けるように、
走り去った。
匂いのない方。
風下を避け、
落ち葉の少ない場所を選ぶ。
音を、削る。
枝を跨ぎ、
低い根を越え、
視界の先へ――
岩が、見えた。
苔のついた、大きな岩。
その上に、
腰を下ろした人影。
(……ゴールだ)
オルセンだ。
腕を組み、
こちらを見ている。
距離は、もう遠くない。
(……いける)
最後の斜面を駆け降りる。
影が、
頭上に、差した。
(――?)
見上げたときには、
もう、泥玉が落ちてきていた。
(……え?)
鈍い感触が、
顔にぶつかった。
湿った土と、
潰れた熟柿のような甘さ。
鼻にまとわりつく、
腐りかけの生臭さ。
「――くっさ!!」
思わず、声が漏れる。
視界が、滲む。
目を瞬いた、その向こう。
岩陰から、
小さな影が現れた。
若葉色の瞳。
少しだけ、
申し訳なさそうな顔。
「……朔以外、全員が鬼だよ?」
ナディアだった。
朔は、
小さく、息を吐く。
「……やられた」
口の端が、
わずかに上がる。
「想定外だ」
森の向こうから、
足音が戻ってくる。
匂いに引かれた声が、
近づいてくる。
朔は、
顔についた泥を拭いながら、
空を仰いだ。
(……参ったな)
それでも、
口の端の笑みは、
最後まで消えなかった。
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