第64幕・決定打
「――そもそも!"魚を知らない人間を漁に出さない"と言っておきながら、バリバリに実戦訓練させてるじゃないですか!素人の僕達に!」
「コレは漁じゃない…そう、生簀で釣りをさせているようなものだ。」
…どうしよう。
暫く見守っている間に、口論の内容が意味の分からないものへとシフトしてしまった。
いや、最早口論とすら呼べない。ただの屁理屈の応酬だ。
このまま傍観を決め込もうとも考えたが…闇に染まりゆく深紅の空を目にし、とうとう黙っていられなくなった。
「あの…マワリさん、アレフさん!?このままじゃ日が暮れちゃいますよ!?」
僕の声を受けてか、2人は空を見上げ、そのまま沈黙した。
マワリさんは、場を仕切り直すかのように咳払いをした後、話し始める。
「…本題に戻る。戦いにおいて、どんな生物にも共通する、隙を見せる瞬間についてだ。」
「"どんな生物でも"…マワリさんもですか?」
僕は首を傾げ、問いかける。
マワリさんは、静かに頷いてみせた。
「その隙が生まれるのは…"守りから攻めに転じる瞬間"。」
「守りから…」
「攻めに…?」
僕とアレフさんの、首の角度がシンクロする。
だが、マワリさんは一切呆れた様子を見せず、至って真剣な表情を僕達に向けていた。
「守りに転じる瞬間…それは、相手の攻めに脅威を感じた瞬間だ。
その上で多くの生物は、脅威と認識した相手を一刻も早く排除しようと動く。それが最も合理的で、シンプルな生存戦略だからだ。」
(…なんだか、急に座学が始まったな…。)
「そしてその為には、攻めに転じる瞬間――防御へのリソースを削る瞬間を作らなくてはならない。」
「…それが隙、という事ですか?」
「そうだ。」
僕の問いかけに、マワリさんは小さく頷く。
「まるで簡単な事みたいに言ってくれますね…。今日一日、僕達の攻撃は掠りもしなかったのに…」
「経験の有無が命運を分けるように、知識の有無も結果を左右する事がある。つまり、今のお前達は…さっきまでのお前達とは違う。俺の話が"簡単な事"かどうかは――」
マワリさんは、足元の木刀を拾い上げた。
「"今の"お前達が、その身で確認してみろ。」
・ ・ ・
靴の裏が砂をなぞる音。
木刀を携え、顔を上げる2人の若人。
それと相対する、初老の男。
若人達は、あたかも彼に見下ろされているかのような圧力を身に感じていた。
目線の高さに大した差は無い。
ならば一体何が、それを感じさせている?
覆せない経験の差か?
それとも自身の弱さか?
彼等は、疲れ果てた頭で考える。
結論は出ない。
ただ、一つの確信を得た。
この圧に臆している限り…敵わないものだと諦観を抱き続ける限り――
――決して前には、進めないのだと。
疲労しきった彼等の瞳が、沈みゆく日を前に煌めいた時――
――マワリは、静かに頷いた。
「…行くぞ。」
マワリは大地を蹴った。
夕暮れの冷え切った空気を突っ切り、マワリはアレフとの距離を急速に縮めていく。
(やっぱり…僕を先に狙ってきたか!)
アレフがマワリを認識した瞬間、マワリは既にアレフの視界から消えていた。
直後、木刀は死角を縫い、背後からアレフの横腹に襲いかかる。
間も無くして、乾いた音が空高く響き渡った。
「…ほう。」
アレフの身体と、マワリの木刀。
その間に、もう1本の木刀が割り込んでいた。
アレフは、背後に居たマワリと目を合わせる。
「貴方はいつも…僕の死角に回り込んで攻撃を繰り出していた…!正面から不意打ちを成立させる、貴方の出鱈目な技術には散々苦しめられてきました…が!」
「…見切ったのか、俺の動きを…!」
木刀を翳したまま、アレフは微笑を浮かべる。
「刃渡りとほぼ同距離まで近づいた瞬間、貴方は足取りを変えていた!タイミングさえ分かってしまえば、貴方の攻撃は怖くない!」
虚勢だ。
傾向を掴んだ所で、それを生かせるかは経験に懸かっている。
共通テストで頻出する問題を知ったとして、その解き方を学ばないようでは無意味なのだ。
アレフが攻撃を防げたのは、単なる偶然だった。
当の本人も、それを理解している。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!防げちゃったよどうしよう!!!)
この日何度も地獄を見た末に、初めて成功した防御。
次の一手を打つチャンスと、生まれた勝利の可能性を前にし、アレフは憔悴を極めていた。
噴き出す汗に寒気を覚えつつ、アレフは次の手を模索する。
しかし――
"守りから攻めに転じる瞬間"
アレフは思い出した。
マワリが語った"隙"を。
アレフは悟った。
隙を語った本人が、自分の隙を見逃す筈が無いと。
攻めに転じれば隙を突かれる。
だが、防御を保つのも困難だ。
木刀を握る右腕が、太刀筋に押され震える。
…勝利への選択肢が、一つ、また一つと消えていく。
「…迷っているな。俺を前にして、随分と悠長じゃないか。」
(そうだ…僕は迷っている。今も…今までも…!)
マワリに辞表を出した日。
"もうモンスターを殺したくない"と告げた日。
どうにもならない迷いを抱えたあの日の思いが、アレフの中でフラッシュバックする。
(貴方はあの時…"差し迫った脅威に目を背ける事"が正しいのかを問うた…。
分かっているんだ…どうにもならない事は、後先を考えてもどうにもならないままだって…!)
使命感がひっくり返り、無力感へと変わったあの日に、アレフは理解した。
自分は人間だ。
ただの人間なのだと。
魔王を倒す事も、モンスターを人間に戻す事も…この瞬間、マワリを御す程に強くなる事も出来ない。
(出来るのは…目の前の事象に我武者羅に立ち向かう事だけ!理解せざるを得なかったんだ…!)
アレフは木刀を、力を込めて振り抜いた。
それはマワリの太刀筋を弾くには至らずとも、勢いを大幅に削ぐ事に成功した。
「…!やるな…。」
マワリは一度、攻めの手を解いた。
彼の木刀の先が地面に向けられる。
「…うおぉぉおおおおお!!!」
膠着が解かれたこの瞬間。
ジリ貧を打破したこの瞬間に…アレフは木刀を、マワリ目掛けて振り下ろす――
――が。
「…だが、土壇場でヤケクソになるのは頂けないな。」
木刀がマワリの身を打つより速く――
――マワリの軌道が、アレフの腹部に辿り着いた。
「…ごッ…ほぁッ…!?」
…アレフの身は立つ力を失い、後方へと崩れていく。
「お前にしては良くやった方だ。今日一番と行って良い程に粘っ…」
("粘る"…?しまった…!)
その瞬間、マワリは背後に迫る気配を察知した。
大地が背を迎える直前…アレフはマワリの背後に立つ影を見つめ、笑った。
(今日一日、地獄を共にした仲だ…。信じてたぞ…君なら、この隙を見逃さないってな…!)
「頼んだぞ…ヨシヒコ君…!」
ヨシヒコは瞬き一つせず、ただ一点を見つめたまま、木刀を振りかぶる――
――鈍く乾いた音が、夜空に響き渡った。
To Be Continued




