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神の記憶  作者: ケンジ


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2/23

眠りの向こう側

第一部 創造された世界

科学が高度に発展した未来。意識科学の研究者ユウは、繰り返し見る奇妙な夢をきっかけに、人類の歴史に隠された謎へと近づいていく。


人間とは何か。意識とは何か。そして、創造主とは何者なのか。


科学と哲学が交差するSFミステリー。

夢の中では、時間の流れ方が違う。


数時間を過ごしたつもりでも、目覚めれば数分しか経っていないことがある。逆に、ほんの一瞬の出来事が、ひどく長い記憶として残ることもある。


ユウは、そうした現象を研究していた。


夢の中で経験する時間と、実際の神経活動の継続時間。


その関係を調べることは、意識の仕組みを理解する手がかりになると考えられていた。


しかし、自分自身の夢については、ほとんど調べたことがなかった。


研究者が自分を被験者にすることは、必ずしも珍しくない。


ただ、ユウは自分の夢を研究対象として扱うことに、どこか抵抗を感じていた。


あの少女との出会いは、幼い頃から続く、ごく個人的な経験だったからだ。


それを数値や波形に置き換えることが、なぜかためらわれた。


だが、その朝は違った。


ユウは寝室を出る前に、個人端末を開いた。


《夢の記録》


新しい項目を作成する。


そして、覚えている限りの内容を書き込んだ。


《草原。晴天。風。白い服の少女。十歳前後》


少し考えて、続けた。


《少女は自分の名前を知らない》


最後に、もう一つ。


《遠方に建造物らしき影》


ユウは入力を終えると、記録を保存した。


夢の内容を文章にするだけで、妙な感覚があった。


それまで頭の中にしか存在しなかった風景が、現実の記録になったような気がした。


もちろん、それは錯覚だ。


夢は夢でしかない。


ユウは端末を閉じた。


そのとき、寝室の扉が開いた。


「お父さん?」


リナだった。


まだ寝間着姿で、眠そうに目をこすっている。


「おはよう。今日は早いね」


「お父さんがいなかったから」


「起こしちゃった?」


リナは首を振った。


そして、ユウの手元を覗き込んだ。


「何してたの?」


「夢の記録だよ」


「夢?」


「うん。昨日、ちょっと変わった夢を見たから」


リナの目が輝いた。


「どんな夢?」


「草原に女の子がいたんだ」


「お友達?」


「知らない子だよ」


「名前は?」


「分からないんだって」


リナは不思議そうな顔をした。


「名前がないの?」


「そうみたい」


「かわいそう」


ユウは少し驚いた。


「どうして?」


「だって、名前がないと呼んであげられないでしょ?」


ユウは答えに詰まった。


確かに、そうだった。


夢の中で何度も会っているのに、自分はあの少女を呼ぶ名前すら知らない。


「じゃあ、お父さんが名前をつけてあげたら?」


「勝手につけてもいいのかな」


「本人に聞けばいいじゃん」


ユウは笑った。


「そうだね。今度会えたら聞いてみるよ」


リナは満足そうに頷いた。


「約束ね」


「約束」


その会話をしたとき、ユウはまだ、夢の中で誰かと再会することを、当然のように口にしていたことに気づいていなかった。


*


研究所に着くと、ユウはカイを呼び止めた。


「ちょっと相談がある」


「珍しいですね。ユウさんが僕に相談なんて」


「睡眠測定装置を個人的に使いたい」


カイは眉を上げた。


「被験者は?」


「僕だ」


「……何かあったんですか?」


「少し気になる夢があってね」


カイは笑いかけたが、ユウの表情を見て真顔になった。


「本気ですか?」


「本気だよ」


「まあ、研究所の規定上、自分自身を測定することは禁止されてませんけど」


「それなら問題ないだろう」


「正式な研究データには使えませんよ。少なくとも、そのままでは」


「分かってる。まずは予備観察だ」


カイはしばらく考えた。


「何を調べたいんです?」


「特定の夢を見たときの神経活動だ」


「明晰夢ですか?」


「違う。少なくとも、夢を見ている最中に夢だと自覚しているわけじゃない」


「じゃあ、どうやって特定するんです?」


「起床後の記録と照合する」


「それだと、かなり曖昧になりますね」


「だから、まずは自分で試す」


カイは肩をすくめた。


「分かりました。装置の空き時間を確認します」


「ありがとう」


「ただし、変な結果が出ても、すぐに新発見だと思わないでくださいよ」


ユウは笑った。


「それは僕の台詞だろう」


*


研究所の睡眠観察室は、地下一階にあった。


壁面は淡い灰色で統一され、外部からの音や光が入りにくい構造になっている。


室内には、寝台と測定装置が置かれていた。


ユウは寝台に横になった。


頭部と首の周囲に、薄い測定帯が装着される。


神経活動を非侵襲的に読み取る装置だった。


「準備できました」


カイの声が天井の通信装置から聞こえた。


「測定開始は二十二時。終了は翌朝六時三十分です」


「了解」


「眠れそうですか?」


「たぶん」


「研究者って、自分が観察される側になると案外眠れないんですよ」


「君は経験があるのか?」


「ありますよ。三時間くらい天井を見つめてました」


ユウは笑った。


「参考にならないな」


通信が切れた。


室内の照明が暗くなる。


ユウは目を閉じた。


あの少女のことを考えた。


白い服。


草原。


風。


そして、名前を知らない少女。


また会えるだろうか。


そんなことを考えているうちに、意識が遠のいていった。


*


目を開けると、草原だった。


ユウは立っていた。


風が吹いている。


空は青い。


見覚えのある景色だった。


「あれ?」


思わず声が出た。


少女がいない。


いつもなら、少し離れた場所に立っているはずだった。


ユウは周囲を見渡した。


草原が広がっている。


遠くに低い丘が見える。


しかし、人影はなかった。


「おーい」


声を出してみた。


返事はない。


ユウは歩き始めた。


草を踏む感触が足の裏に伝わってくる。


風が頬を撫でる。


妙に現実的な夢だった。


しばらく歩くと、遠くに少女の姿が見えた。


白い服。


長い髪。


少女は、草原にしゃがみ込んでいた。


「何してるの?」


ユウが声をかけると、少女は振り返った。


「こんにちは」


「こんにちは」


少女は立ち上がった。


手には、小さな花を持っていた。


「見て」


少女は花を差し出した。


白い花びらが五枚。


中央には、淡い黄色の部分があった。


「きれいだね」


ユウが言うと、少女は嬉しそうに笑った。


「ここには、たくさん咲いてるの」


「そうみたいだね」


ユウは周囲を見渡した。


確かに、草の間に同じ花が点々と咲いていた。


「ねえ」


少女が言った。


「あなたの名前、何だった?」


「ユウだよ」


「ユウ」


少女は繰り返した。


「覚えた」


「君の名前は?」


少女は首をかしげた。


「分からない」


「本当に?」


「うん」


ユウは少し考えた。


「名前がないと、不便じゃない?」


「どうして?」


「呼ぶときに困るだろう?」


少女は不思議そうな顔をした。


「呼ぶ?」


「誰かが君を呼ぶときだよ」


少女は少し黙っていた。


そして、小さく言った。


「……誰も呼ばないよ」


ユウは返す言葉を失った。


少女は、寂しそうには見えなかった。


ただ、当たり前のことを説明しているような表情だった。


「じゃあ、僕が呼んでもいい?」


「いいよ」


「何て呼べばいいかな」


少女は笑った。


「何でもいいよ」


ユウは考えた。


しかし、不思議なことに、名前が一つも思いつかなかった。


少女は、そんなユウを見て楽しそうに笑った。


「また今度でいいよ」


「そうだね」


少女は花を地面に置いた。


そして、遠くを指さした。


「あっちに行ってみる?」


ユウは指さされた方向を見た。


丘の向こうに、建物のようなものが見えた。


以前の夢でも見たものだった。


「あれは何?」


「分からない」


「行ったことは?」


少女は首を振った。


「ないよ」


「じゃあ、一緒に行ってみようか」


少女は嬉しそうに頷いた。


二人は歩き始めた。


風が吹いていた。


草原は、どこまでも続いていた。


*


「ユウさん」


声が聞こえた。


「ユウさん、起きてください」


ユウは目を開けた。


白い天井。


研究所の睡眠観察室だった。


「おはようございます」


カイが立っていた。


「測定、終わりましたよ」


ユウは身体を起こした。


「……もう朝か」


「よく眠ってましたね」


「夢を見た」


カイは端末を操作した。


「それはよかった。内容、覚えてます?」


「かなり鮮明に」


「じゃあ、忘れないうちに記録してください」


ユウは端末を受け取った。


草原。


少女。


白い花。


遠くの建物。


覚えている内容を書き込んでいく。


書き終えると、カイが画面を覗き込んだ。


「同じ少女ですか?」


「そうだと思う」


「何度も出てくるんですね」


「昔からね」


「珍しくはないですけど、興味深いですね」


カイは測定結果を表示した。


複数の波形が空中に浮かび上がる。


「睡眠の質は良好です。特に異常はありません」


ユウは画面を見つめた。


「本当に?」


「少なくとも、通常の解析では」


「詳細データを見せてくれ」


カイは苦笑した。


「やっぱりそう言うと思いました」


*


二人は研究室に戻り、測定結果を詳しく調べた。


睡眠段階の変化。


神経活動の周期。


記憶形成に関係する領域の反応。


いずれも、正常範囲内だった。


「ほら、特に異常はないでしょう」


カイが言った。


ユウは頷いた。


「そうだね」


「夢の内容が鮮明だったのは、覚醒直前に夢を見ていたからかもしれません」


「可能性はある」


「それに、何度も同じ夢を見ること自体は、病的な現象ではありません」


「分かってるよ」


カイは少し笑った。


「なら、これで終了ですね」


ユウは画面を閉じようとした。


そのときだった。


一つの波形が目に留まった。


「……待って」


「どうしました?」


「この部分」


ユウは睡眠後半の記録を拡大した。


細かな神経活動の変化が表示される。


その中に、一定の間隔で繰り返される小さな振動があった。


「これ、何だろう」


カイは画面を覗き込んだ。


「同期成分ですね。睡眠中にはよく見られます」


「そうなんだけど」


ユウは波形をさらに拡大した。


「周期が少し変わっている」


「どういう意味です?」


「ほら、ここ」


ユウは複数の領域の記録を重ねた。


通常、神経活動の同期には多少の揺らぎがある。


しかし、その波形は、いくつかの領域で驚くほど似た間隔を保っていた。


カイはしばらく画面を見つめた。


「確かに、少し整いすぎていますね」


「だろう?」


「でも、装置の共通ノイズかもしれません」


「そうだね」


「測定帯の接触状態でも、似た現象は起こります」


「その可能性もある」


ユウは頷いた。


研究者として、当然の判断だった。


一度の測定で結論を出すべきではない。


「もう一度、測定してみたい」


ユウが言うと、カイはため息をついた。


「やっぱり」


「今度は装置を変える」


「そこまでします?」


「原因を確かめたいんだ」


カイは肩をすくめた。


「分かりました。ただし、ちゃんと休んでくださいよ」


「ありがとう」


ユウは画面を見つめた。


その波形が何を意味するのか、まだ分からなかった。


ただ、一つだけ確かなことがあった。


あの少女の夢を見た夜に、普段とは少し違う神経活動が記録されていた。


もちろん、それが少女と関係しているとは限らない。


しかし、ユウの中で、夢は単なる個人的な経験ではなくなり始めていた。


*


数日後。


ユウは自宅で、夢の記録を整理していた。


研究所での測定以降、少女の夢は見ていない。


それでも、記録を読み返すと、草原の風景が鮮明に思い出された。


特に気になっていたのは、遠くに見えた建物だった。


夢の中では、霧に隠れて全体が見えなかった。


しかし、屋根の形や壁面の一部は覚えていた。


ユウは簡単なスケッチを作成した。


低い丘。


草原。


その向こうに立つ、古い建造物。


そして、入口付近に見えた奇妙な模様。


ユウは手を止めた。


「……こんな模様、あったかな」


夢の記憶は曖昧だ。


実際に見たものなのか、目覚めた後に頭の中で補ったものなのか、区別がつかないこともある。


それでも、模様の形だけは妙にはっきりと思い出せた。


円の中に、三本の線が交差している。


単純な図形だった。


ユウは、その模様を拡大した。


どこかで見たことがあるような気がした。


だが、思い出せない。


「お父さん」


リナが居間に入ってきた。


「何描いてるの?」


「夢で見た建物だよ」


「この前の女の子の夢?」


「そう」


リナは画面を覗き込んだ。


「変な建物」


「そうだね」


「ここに行きたいの?」


ユウは少し考えた。


「行けるなら、行ってみたいかな」


「夢の中なのに?」


「そうだね。夢の中なのに」


リナは笑った。


「じゃあ、また寝ればいいじゃん」


ユウも笑った。


「それで行けたら簡単なんだけどね」


リナはしばらく画面を見ていた。


そして、建物の入口を指さした。


「これ、何?」


「模様だよ」


「何の模様?」


「分からない」


「お父さん、分からないことばっかりだね」


ユウは苦笑した。


「本当にね」


リナは満足そうに頷き、部屋を出ていった。


ユウは再び画面を見つめた。


円。


三本の線。


単純な図形。


ただの夢の一部だ。


そう考えながらも、ユウはその画像を保存した。


*


翌日。


研究所では、古い神経科学資料のデジタル化が進められていた。


ユウは、過去の研究を調べるため、資料保管システムにアクセスしていた。


意識研究の歴史は長い。


古い時代の研究者たちも、夢や記憶、自己認識についてさまざまな仮説を立てていた。


その多くは、現在では否定されている。


しかし、過去の研究に思いがけない発見が残されていることもある。


ユウは、古い睡眠研究の記録を次々と開いていった。


神経活動の測定。


夢の分類。


睡眠中の記憶処理。


どれも、現在の研究と直接関係するものだった。


しばらくして、一つの資料が目に留まった。


《古代意識観に関する研究資料》


神経科学というより、歴史学や宗教学に近い内容だった。


ユウは何気なく開いた。


画面には、古い石板の画像が表示された。


文字の大部分は摩耗していた。


その横には、石板に刻まれた図形の拡大画像が並んでいた。


ユウは次の資料へ進もうとした。


しかし、指が止まった。


「……え?」


画面の中央に、見覚えのある模様があった。


円。


その中で交差する三本の線。


ユウは、昨日保存したスケッチを開いた。


二つの画像を並べる。


形は、よく似ていた。


もちろん、単純な図形だ。


偶然一致する可能性は十分にある。


ユウは自分にそう言い聞かせた。


それでも、気になった。


資料の説明を読む。


《出土地:第零保存区周辺》


《推定用途:不明》


《関連分類:古代宗教資料》


ユウは眉をひそめた。


第零保存区。


聞いたことのない地名だった。


さらに資料を読み進める。


石板は、古い遺構から発見されたものらしい。


詳しい年代は不明。


記録の一部は欠損しており、図形が何を意味するのかも解明されていない。


ユウは画面を拡大した。


石板に刻まれた線は、不規則に摩耗している。


しかし、中心部分の形は、夢の中で見た模様と驚くほど似ていた。


「……どうして?」


声が漏れた。


夢の中で見た図形が、現実の古代資料に存在する。


だが、それだけで不思議な現象だと決めつけるわけにはいかない。


過去に同じ図形を目にしていて、それを忘れている可能性もある。


記憶は、本人が思っているほど正確ではない。


ユウは、そのことを誰よりも理解していた。


それでも。


昨日の自分は、確かに夢の記憶だけを頼りに、この図形を描いた。


ユウはスケッチの保存時刻を確認した。


次に、資料の閲覧履歴を調べた。


少なくとも、研究所の記録上、自分がこの資料を開いた形跡はなかった。


もちろん、それで偶然や過去の接触を否定できるわけではない。


しかし、ユウの中に、小さな疑問が生まれていた。


自分は、どこでこの図形を知ったのだろう。


ユウは資料の詳細情報を開いた。


そこには、関連文献が一件だけ登録されていた。


《創世教古文書研究》


ユウは、その文字を見つめた。


創世教。


昨日まで、ほとんど関心を持ったことのない宗教だった。


娘が絵本で読んでいた、古い神話。


人間を創った神の物語。


ユウは、資料を閉じようとした。


しかし、手が止まった。


夢の中の少女。


草原。


遠くに見えた建物。


そして、古代の石板に刻まれた模様。


それらが何かでつながっているとは、まだ考えられなかった。


ただ、偶然という言葉だけでは片づけたくない気持ちがあった。


ユウは関連文献の閲覧申請を送信した。


画面に短い通知が表示される。


《申請を受け付けました》


ユウは椅子にもたれかかった。


研究室の窓の向こうでは、いつもと変わらない都市の風景が広がっていた。


人々が歩き、輸送機が行き交い、遠くの建物に陽光が反射している。


何も変わっていない。


世界は、昨日と同じように存在している。


それなのに、ユウは初めて、自分の夢の外側に何かがあるような気がしていた。


机の上には、二つの画像が並んでいた。


一つは、夢の記憶から描いたもの。


もう一つは、古代の石板に刻まれたもの。


ユウは、しばらくその二つを見比べていた。


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