5話 酒場で渋すぎた
ここは【猫丘きのこ里】。
優しくそよぐ風は、豊かな緑の円舞曲となる。
暖かな日の下で花々が揺れ、踊り、人々の顔も自然と綻ぶ。
小川から子供たちの無邪気な声が響き、老人はのんびりと葉巻をくゆらす。
そんな平和な里の一角に、酒場があった。
名は【キノコのしっぽ停】。
夜になれば地元の男たちがエールを飲み交わす、そんな酒場に昼間からしけこむ男が一人。
カウンターで重厚なグラスを静かに傾け、その手には琥珀色の酒を煌めかせている。
酒に溺れているわけではない。
ただ、ひっそりと過去に想いを馳せ、遠い目をしながら——
まるで背負いきれない十字架を担ぐように、巨剣を背負う。そして、消せない痛みを酒で紛らすように、彼の背中は寂寥感に満ちていた。
それでもその瞳には折れぬ意思が宿り、グラスに注がれた酒を睨む。
「————強敵、だな (この酒、苦すぎぃ)」
そんな彼の独り言に、数人の男たちが遠巻きにざわめく。
「やっぱりそうだよ。あの人が王都で噂の【勇者殺し】じゃねえか……?」
「身の丈を超える大剣に、渋すぎる風貌、そして魔族の少女と一緒にいる……特徴的には合ってるよな……」
「シッ、余計な詮索はすんな」
「ま、まあ、同伴する少女に角はない。魔族って保証はないしなあ?」
「それに偉大なるニャヒーモス様に住まわれてるんだぞ」
「なんてったって、あのお嬢様のご客人だしな」
「暗殺貴族として名を馳せる女伯爵様の……あのとろけた顔を見たかよ」
男たちはこの地を統治する、ノクスフェルム女伯爵の恐ろしさを知っていた。
曰く、『あの方が通ると夜が静かになる』
曰く、『獣に好かれる若き女伯爵』
曰く、『彼女が微笑んだ夜、誰かが消える』
誰もが畏敬を抱く、我らが領主。
悪政を敷く貴族たちのことごとくを処断してきた、王国の暗部を代表する一人。
そんな彼女を、骨抜きにしてしまう渋い男が——まさに【勇者殺し】の特徴と一致している。
「お嬢様を……おっと、ノクスフェルム女伯爵様をお救いになった時の話を聞いたか? もうっ渋すぎたぜっ」
「報酬なんもいらんとか……渋すぎ……」
「それによぉ……勇者の死は世界の損失かもしれねえが……」
「大きな声じゃ言えないが、【猫丘きのこ里】に住む誰もが思ってるさ。俺らにとっては『安心』が戻ったってな」
「あの戦闘狂の勇者が、『魔物のしっぽに住むとはどうかしている』って告発した時は、里中が大騒ぎだったもんな……」
「王都から異端審問官まで派遣されるって話になってたらしいぞ」
現在、世界から勇者と認められた者は四人。
『四方の勇者』と呼ばれ、『闘争の勇者』こと東方を中心に活動する『東争の勇者ウェイ・ヤリラーフィ』はそこまで人望が厚くない。
人類の希望である勇者は、他にも『西果ての勇者』や『南解の勇者』、そして『敗北の勇者』がいるので、この地域の人々は東の勇者が亡くなっても危機感は薄い。世界の平和なんて考えるより、自分たちの住む家が失われるかもしれない、そんな不安事が消えたのは素直に喜ばしかったのだ。
「女伯爵様のお客人は……俺らのためにでっけぇ罪を抱えてくれたんだ」
「じゃあ、俺らが王都に言うことは何もねえな」
「でもよぉ、気になるよなあ」
「ああ」
「そんな男が『強敵、だな』って……」
「魔神をその身に封じるほどの男が、強敵と認める相手って……どんな存在だよ?」
「一体、何と戦うつもりなんだ……?」
「やっぱ王国騎士団か?」
「国家に、権力に立てつくのは、尋常じゃない覚悟が必要なんだろうな……」
「……渋すぎるぜぇ」
「マスター、シブさんにエールを一杯ご馳走してくれ!」
「ああ、俺からも!」
「俺はブランデーを一杯、シブさんに」
「————どうやら、背負うものが増えそうだ (にっがい酒増えた……)」
その言葉に里の男たちは再びざわめく。
「おいおい、やっぱりシブさんは俺たちのことも考えて……」
「……この里の安心を背負って戦うつもりじゃ」
「そりゃあ、お嬢様もぞっこんになるわけだ」
「なあ、さすがに無謀だろ。とめたほうがいいんじゃ……」
「男の決意に水さすなって」
「じゃあ酒ぐらいはさすべきじゃねえか?」
「ちがいねえ。マスター、シブさんにウィスキーをもう一杯!」
「俺からは【精霊の火酒】を一杯!」
「————ふっ、逃げ方なんて忘れてしまったな」
どこか悲しそうに笑う彼を見た、里の男たちは——
『英雄は決して逃げない』と。
『戦うしかない運命』だと悟った。
だからこそ男たちは、そんな男の中の男を憧れの眼差しで見てしまう。そして全てを背負っても逃げない彼を、決して裏切らないと誓ったのだ。
その日、里には厳重な箝口令が敷かれた。
もちろん王都に【勇者殺し】を密告しようものなら、暗黙の了解で吊るし首との厳罰が下るようになった。




