第1章 1-7 セーフティゾーンの異常
通路の先頭を歩くのは私だった。
斥候――それがシーフの役割だ。
仲間たちは数歩後方に控え、私の合図を待ちながら進んでいる。
赤い小剣を手に、壁や床の異常を探りながら歩を進める。
だが頭の中では、戦闘後に生まれた疑問が渦を巻いていた。
――あの槍。
罠から突き出したそれを、私は反射的に斬った。
魔鉱石と鋼の合金なら、本来は鋼の鈍い色に赤がまだらに混じり、必ず色ムラが出る。
合金の証であり、誰が見ても一目で分かる特徴だ。
だが、私が斬ったその槍は違った。
全体が淡い赤に染まっている。
近くで見れば確かに色ムラはある。
だが遠目には赤一色にしか見えず、まるで完全魔鉱石製の宝具のようだった。
しかも、斬撃によって柄が半ばで断ち切れ、残った部分は剣槍と呼ぶべき姿に変わっていた。
本来なら合金であるはずなのに、外見は宝具に近い――あり得ない矛盾だった。
背後から小声が飛ぶ。
「佐伯さん……? 何か見えるんですか」
「いや。今のところは異常なしだ。……ただ、不自然な点が多すぎる」
言葉を濁しつつも、思考は止まらない。
斬撃系のスキルを持たない私が、なぜ槍を斬れたのか。
あの瞬間、確かに〈神の義眼〉の奥で何かが働いた。
初めての戦闘を終えて家でステータスを確認したときに浮かんだ、
〈神授スキル:神の義眼〉――。
その奇妙な文言と同じ気配を、あの時も感じていた。
それ以上に不自然だったのは、ゴブリンたちが群れではなく、パーティとして行動していたことだ。
ゴブリンは力がすべての種族だ。
強い個体が弱い個体を従え、奪い、使い潰す。
それが普通だ。
だが、あの群れは違った。
互いに連携しながら動いていた。
前衛が敵を引きつけ、その隙に別の個体が動く。
まるで人間の冒険者パーティのように、それぞれが役割を持っていた。
しかも、その中の一体が、あの赤い小剣を持っていた。
既製品ではある。
だが、魔鉱石がほぼ均一に混ざった、稀にしか生まれない特別な一本だ。
あの程度のゴブリンが、奪われもせず持っていられる代物ではない。
つまり、あの武具は偶然拾ったものではない。
誰かに与えられ、役割ごとに配置された可能性が高い。
では、なぜ。
東船橋ダンジョンは初心者向けだ。
一、二階層に出るのは、単体か、せいぜい二、三体程度のゴブリンだけ。
戦い方と剥ぎ取りを学ぶための場所だ。
だが、三階以降は様相が一変する。
ゴブリンは群れを作り、初級ダンジョンにあるまじき確殺級の罠が待ち構えている。
敵そのものは弱くとも、群れと罠が重なれば一瞬で命を奪われる。
難易度は跳ね上がり、気を抜いた者から脱落していく。
そのため定期的に上級冒険者が下層を間引くが、その頻度は低い。
五階層が特殊だからだ。
広大な草原で複数の氏族が常に争いを繰り返している。
天然の抑制装置。
――そのはずだった。
だが、もしあのゴブリンパーティが、ただ獲物を探していただけの群れではなかったとしたら。
東船橋ダンジョンには複数の階段が存在する。
中央回廊の先にある大階段。
そして左右に配置された小階段。
階層間の移動経路は一つではない。
二階も、三階も、構造は同じだ。
もし統率する存在がいるなら、複数の群れを別経路から動かすことも可能になる。
背後に特異個体がいて、各階層へ斥候を送り込んでいるとしたら。
上級冒険者を倒して装備を奪い、それを配下に与えていたとしたら。
あのゴブリンソードマンは、偶然生き残った幸運な個体ではない。
誰かに武具を与えられた駒だ。
そして私たちは、その駒に遭遇した最初の冒険者だったのかもしれない。
「……撤退だ」
私は声を落とし、しかし揺るぎのない調子で告げた。
静かな一言。
だが断固とした響き。
それでも背後の高校生たちは即座に動けず、理解が追いつかず固まった。
迷宮の冷えた空気が、さらに重く張り詰める。
私は深呼吸し、〈神の義眼〉を最大限に働かせる。
壁や床に走る線が幾何学模様を描き、死線と安全域を鮮明に浮かび上がらせていく。
最短ルートは確かに早い。
だがその先の通路は開けすぎていた。
ゴブリンは暗闇でも目が利く。
不用意に進めば、こちらが先に気づかれる。
私は迂回路を選んだ。
少し大回りにはなるが、遮蔽が多く、敵の目を避けやすい。
何より、私の目で最後まで見通せる。
通路を進む間も、嫌な予感は消えなかった。
何度か気配を感じた。
だが、姿は見えない。
〈神の義眼〉にも映らない距離を保ちながら、何者かがこちらを窺っているようだった。
気のせいだと切り捨てるには、不自然すぎる。
まるで――。
私たちの行き先を確かめているかのようだった。
振り返り、仲間たちへ告げる。
「私について来い。……絶対に生きて帰るぞ」
その低い言葉に、高校生たちは頷いた。
誰も軽口を叩かない。
全員が、この異常な空気を感じ取っていた。
やがて視界の先に、石造りの踊り場が見えた。
三階層北側階段前セーフティゾーン。
二階層へ続く階段と、その周囲を囲む安全地帯だ。
階段周辺は、モンスターが侵入できない。
それがダンジョン探索における大前提だった。
少なくとも、これまでは。
踊り場へ足を踏み入れた瞬間、高坂が小さく息を吐いた。
橘も弓を下ろしかける。
三浦と藤堂の表情にも、わずかな安堵が浮かんだ。
ここまで来れば帰れる。
誰もがそう思った。
だが――。
〈神の義眼〉が警鐘を鳴らした。
階段の陰。
闇に溶け込むような複数の輪郭。
低い唸り声が重なり、六体のゴブリンが姿を現した。
二体の前衛。
弓を持つ者。
杖を掲げる者。
中央には双剣を振るうリーダー格。
さらに素早く動き回る者。
人間の冒険者パーティを模したかのような陣形だった。
あり得ない。
ここはセーフティゾーンだ。
モンスターがいるはずのない場所だ。
「全員、武器を構えろ!」
私が叫んだ直後、二体の前衛が突撃してきた。
「高坂! 踏ん張れ!」
高坂は剣を構え、火花を散らしながら敵を受け止めた。
歯を食いしばり、必死に押し返す。
後方で杖を持つゴブリンが詠唱を始める。
幾何学模様が視界に浮かび、火球の形が組み上がっていく。
――詠唱だ。
対象を視認すれば放たれる。
「橘! 援護!」
橘が矢を放ち、杖持ちの肩を射抜いた。
詠唱が揺らぐ。
その隙に私は踏み込み、赤い小剣で杖を弾き飛ばした。
魔力が霧散し、焦げた匂いが鼻を刺す。
まず一体。
杖持ちは床に転がり、動かなくなった。
「佐伯さん、後ろ!」
藤堂が叫ぶ。
素早く動くゴブリンが、影のように迫っていた。
藤堂が祈りを捧げる。
光盾が展開し、刃を弾いた。
その弾かれた一瞬を、三浦は見逃さなかった。
「――〈マナ・ボルト〉!」
放たれた光の矢が、素早い個体の胸を貫く。
小柄な体が後方へ吹き飛び、石壁に叩きつけられた。
二体目。
だが、中央のリーダー格は怯まない。
双剣を交差させ、崩れかけた陣形を無理やり立て直そうとしている。
その片方の剣が、高坂の首筋を狙った。
私は〈神の義眼〉に浮かぶ光の線を追う。
半歩、踏み込む。
赤い小剣が、双剣の片方を弾いた。
「今だ、三浦!」
「――もう一発!」
三浦の〈マナ・ボルト〉がリーダー格の肩を打ち抜いた。
体勢が崩れる。
私は迷わず小剣を突き出した。
未来を描く光の線に導かれ、刃がリーダーの喉を正確に貫く。
三体目。
リーダーが崩れ落ちた瞬間、残るゴブリンたちの動きが乱れた。
弓持ちが慌てて矢を番える。
だが橘の方が早かった。
放たれた矢が弓持ちの喉元を射抜く。
四体目。
残るは前衛二体。
高坂は荒い息を吐きながらも、剣を握り直した。
一体目の棍棒を受け流し、踏み込む。
刃が腹を裂き、前衛の一体が膝から崩れた。
五体目。
最後の一体が、怒りに任せて高坂へ飛びかかる。
だが連携を失った突撃は、ただの力任せだった。
藤堂の光盾がその勢いを止める。
「高坂!」
私の声に、高坂が歯を食いしばって前へ出た。
横合いから私が小剣で腕を裂き、三浦の〈マナ・ボルト〉が胸を撃ち抜く。
最後に高坂の剣が振り下ろされた。
六体目。
やがて階段前に静寂が戻る。
全員が肩で息をしながら、互いに顔を見合わせた。
――全員、生き延びた。
「佐伯さん……緊急連絡、しなくていいんですか?」
戦闘が終わった直後の熱が、まだ体に残っていた。
全員が生きている。
その事実に意識を奪われ、次に取るべき行動が一瞬だけ遅れた。
藤堂の声で、私は我に返る。
踊り場の壁には、緊急連絡用の魔道具が埋め込まれていた。
ここは本来、安全が保証されるはずのセーフティゾーン。
だが、その領域にモンスターが侵入してきた。
ならば、報告しないわけにはいかない。
私はカードを翳し、魔力を流す。
魔道具が光を帯び、ギルドの声が響いた。
『こちら東船橋ギルド。緊急回線、内容をどうぞ』
「三階層で二度の交戦がありました。
一度目は、上級冒険者用と思われる武具を持つゴブリンを確認。討伐済みです。
二度目は三階層北側階段前、セーフティゾーンでゴブリン六体と交戦しました。
前衛二体、弓、杖、双剣のリーダー格、さらに素早く動く個体。
……まるで冒険者パーティのような編成でした。
そして、セーフティゾーンに侵入してきました」
回線の向こうで、一瞬、息を呑む気配がした。
切られる。
そう思った瞬間、凛とした声が割り込んだ。
『代わります』
朝、私に声をかけてくれた受付嬢――に聞こえる。
だがその声には、窓口での柔らかさとは違う、妙な威厳があった。
『……特異個体が出現した可能性があります』
「どうしてそう言えるのですか?」
『低級モンスターが上級冒険者の武具を所持していたこと。
そして、群れの編成とセーフティゾーンへの侵入。
この二つが揃うのは、背後に異常な存在がいる証拠です』
そして彼女は、決断するように言い切った。
『……スタンピードの前兆かもしれません。全冒険者に退避命令を出します』
その瞬間、肩に浮かぶ浮遊ボールが真紅の光を放つ。
血のような赤が脈打ち、耳元から命令が響いた。
『――緊急退避命令。直ちに活動を中止し、ダンジョン内から退避してください』
さらに続けて、凛とした声が全冒険者へ告げる。
『繰り返します。全冒険者は至急ダンジョン内から退避してください。
……東船橋ダンジョン副支部長、桐生の命令です』
一拍の沈黙ののち、声はさらに強まった。
『これより東船橋支部は、スタンピード警戒態勢へ移行します。
全冒険者はすみやかに支部の指揮下に入り、最終防衛線へ集合してください!』
踊り場には私たちしかいない。
だが赤い光と命令の声に、全員の表情は強張り、誰もが息を呑んだ。
――これは偶然じゃない。
東船橋ダンジョンで、確かに異常が始まっている。




