第1章 1-6 初めての仲間たち 後半
迷宮型の三階は、光苔の明かりすら弱く、闇が濃い。
進むほどに、冷えた空気が肺を刺した。
一階、二階とは明らかに違う。
通路は狭く、曲がり角が多い。
足音は壁に吸われるように消え、代わりに、どこからか低い気配だけが滲んでくる。
私は先頭を歩きながら、床と壁に意識を向けた。
高坂たちは、少し後ろで隊列を保っている。
高坂が前衛。
藤堂がその後ろ。
三浦と橘が左右を見ながら続く。
二階までとは違い、誰も軽口を叩かなかった。
やがて視界に、幾何学模様が浮かぶ。
〈神の義眼〉が告げるのは、罠。
床の一部。
壁の細い溝。
天井に刻まれた線。
そこに、罠がある。
「止まれ。この先に罠がある」
私の声に、高校生たちは一斉に足を止めた。
反応は早い。
二階で確認した通り、彼らは指示を聞ける。
私は罠の向こう側へ視線を向けた。
その先の闇に、薄い赤い輪郭が揺れている。
一つではない。
二つ、三つ、四つ。
さらに奥に、明らかに質の違う反応が一つあった。
「来る」
私が短く告げた直後、奥から低い唸り声が響いた。
高坂が盾を構える。
三浦が杖を握り、橘が矢を番えた。
藤堂はすぐに回復へ移れる位置へ下がる。
〈神の義眼〉が、闇の中の影を赤く縁取っていく。
「数は……五、いや」
その後ろに、一体だけ違う影がある。
他のゴブリンより姿勢が低く、手には赤い小剣。
体には軽鎧。
浅い階層にいるはずのない、不自然な装備。
「ゴブリンだ。群れで来る」
私が告げると、橘が矢を番えながら息を呑んだ。
「六体います。後ろの一体だけ、装備が違います……!」
暗闇から姿を現したのは、六体のゴブリンだった。
棍棒持ちが三匹。
錆びた短剣を持つものが一匹。
粗末な槍を持つものが一匹。
そして、その後方に赤い小剣と軽鎧を纏った一体が見えた。
二階で感じた静けさが、今になって引っかかった。
「全員、五メートル下がれ。ここで迎え撃つ」
罠の先で戦えば死ぬ。
罠を背にして戦うのも同じだ。
安全域を確保し、敵を引き込んで叩く。
それしかない。
高坂たちが素早く後退する。
私は床に浮かぶ線を見ながら、罠の作動範囲を外れた位置に立った。
「高坂、ここで受けろ。三浦と橘は左右。藤堂は後方で回復に備えろ」
「分かりました!」
高坂が前に出る。
ゴブリンたちが一斉に突進してきた。
最初に飛び出した棍棒持ちを、高坂が盾で受け止める。
鈍い音が闇に響いた。
橘の矢が、右から回り込もうとした一匹の膝に刺さる。
三浦の火球が、足を止めたゴブリンの胸元で弾けた。
藤堂は後方で杖を構え、高坂の負傷に備えている。
二階までの動きは、崩れていない。
だが、その中で赤い装備を纏った一体だけが違った。
他のゴブリンの隙間を縫うように動き、まっすぐ私へ向かってくる。
ただの魔物の突進ではない。
明らかに、こちらの役割を見ている。
罠を見る者。
先頭に立つ者。
そこを潰しに来ている。
「佐伯さん!」
高坂が叫ぶ。
「高坂は前を支えろ。赤いのは私が止める」
私は短剣を抜いた。
赤い装備のゴブリンが前に躍り出る。
全身から放たれる圧は、他のゴブリンとは明らかに違っていた。
刃を交わした瞬間、視界に幾何学模様と淡い文字が浮かぶ。
ジョブ:ゴブリンソードマン。
「……やはり、群れのリーダーか」
剣筋は荒々しい。
だが、力強く重い。
受けるたびに腕が痺れた。
まるで若い戦士が全力で打ち込んでくるようだ。
これが、ただのモンスターか。
恐怖が背を冷たく撫でる。
横では、高坂たちが残りのゴブリンを押さえていた。
盾が棍棒を受ける音。
橘の矢が風を切る音。
三浦の火球が弾ける音。
藤堂の短い指示。
そのすべてが遠く聞こえる。
だが、私は目の前の敵から視線を外せなかった。
赤い小剣が、闇の中で弧を描く。
〈神の義眼〉が光の線を描き、相手の動きを先読みする。
刃の軌道。
踏み込む足。
体重の乗り方。
次に来る攻撃。
線は、すべてを示していた。
ゴブリンソードマンが大きく振り下ろす。
私は身を捻り、すれ違いざまに刃を合わせた。
金属音が闇に響く。
「ギギッ!」
怒声と共に横薙ぎが迫る。
線が示す回避に従い、体を沈めた。
髪を掠めて、冷たい風が抜ける。
呼吸が荒い。
だが、恐怖よりも今は、線が導く勝機が全身を支配していた。
高坂の声が背後で響く。
「三浦、左!」
「撃ちます!」
火球が飛び、別のゴブリンが壁へ叩きつけられる。
橘の矢が、最後の棍棒持ちの足を止めた。
戦線は持っている。
ならば、私はこのリーダーを落とす。
次の瞬間、視界の線が一つに収束した。
ゴブリンソードマンが踏み込む。
私は半歩だけ前へ出た。
逃げるのではなく、間合いを潰す。
相手の剣が振り切られる前に、短剣を突き出した。
切っ先は一直線に喉を貫く。
「ギャッ……!」
赤い装備のゴブリンは絶叫をあげ、血を噴き散らしながら崩れ落ちた。
その手から、赤く染まった小剣が滑り落ちる。
同時に、高坂が最後の一匹を盾で押し込み、橘の矢が首元へ刺さった。
三浦の火球が追撃し、ゴブリンは床に倒れる。
静寂が戻った。
誰もすぐには動けなかった。
高坂は肩で息をしている。
三浦は杖を握ったまま、唇を引き結んでいた。
橘は矢筒に手を添えたまま、こちらを見ている。
藤堂はすぐに全員の状態を確認した。
「高坂くん、腕を見せて」
「大丈夫。浅い」
「大丈夫かどうかは、私が見ます」
藤堂の声は静かだが、有無を言わせない強さがあった。
高坂は苦笑しながら腕を差し出した。
私は赤い小剣を拾い上げた。
手にした瞬間、妙に馴染む感覚があった。
軽い。
だが、ただ軽いだけではない。
手の中で、刃の重心が自然に定まる。
「これは……戦利品扱いになりますね」
藤堂が赤い小剣を見ながら呟いた。
高坂が息を整えながら頷く。
「倒したのは佐伯さんです。佐伯さんが持ってください」
私は一度、四人の顔を見た。
「……この小剣、私に使わせてもらってもいいのですか?」
高坂がすぐに頷いた。
「もちろんです。それは佐伯さんが倒したゴブリンの武器です。ぜひ使ってください」
三浦も息を整えながら言う。
「正直、佐伯さんが持ってくれた方が安心です」
橘も小さく頷いた。
「さっきの動き、二刀でもいけそうでした」
「そうですか。では、ありがたく使わせてもらいます」
私は赤い小剣を構え直した。
腰の短剣と、赤い小剣。
二刀を構えた瞬間、不思議なほど自然に馴染んだ。
だが、まだ終わりではない。
赤い装備のゴブリンの死体は、罠の床に横たわっていた。
軽鎧を回収するには、そのままでは危険だ。
私は床に浮かぶ幾何学模様を見た。
作動範囲は、死体のすぐ下。
人間が踏み込めば、確実に反応する。
「高坂、死体の足だけを掴んで引け。踏み込むな。膝から先だけだ」
「分かりました」
すぐに私は、残りの三人へ声を張った。
「他の者は下がれ。絶対に前へ出るな」
三浦と橘が慌てて数歩下がる。
藤堂も高坂から距離を取った。
高坂が盾を置き、身を低くして死体の足を掴む。
そして、慎重に引いた。
死体がずるりと動いた瞬間、床板が沈み込む。
赤い槍が、床から突き出した。
高坂が息を呑む。
私は赤い小剣を振り抜いた。
視界に走った線に従い、突き出した槍の柄を叩き切る。
甲高い音が響き、半ばで折れた槍は床に転がった。
誰も声を出せなかった。
今の槍は、まともに受ければ鎧ごと貫かれていた。
私は床に転がった槍へ視線を落とす。
赤い。
ただ塗られているのではない。
金属そのものが、内側から赤く鈍く光っている。
魔鉱石だ。
罠の一部に、魔鉱石製の槍が使われている。
浅層の三階にある罠としては、明らかに殺意が高すぎる。
東船橋ダンジョンが忌避される理由を、嫌でも理解した。
拾い上げると、それは短柄の剣槍のような形をしていた。
赤い光を帯び、宝具に準ずる逸品の迫力を放っている。
罠の一部だったはずなのに、武器として成立していた。
私は剣槍と軽鎧を高坂に渡した。
「前に立つ高坂が持ってください。今の装備より頼りになります」
高坂は一瞬、受け取るのをためらった。
だが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「……ありがとうございます!」
少年の瞳に、責任と決意が宿る。
私は腰の短剣と、赤い小剣を握り直した。
罠を見る。
進む道を決める。
そして、必要なら遊撃として斬り込む。
三階から先では、そのすべてが必要になる。
「ここから先は、さらに危険です。気を抜かないでいきましょう」
仲間たちが力強く頷く。
深紅の輝きが闇を裂き、迷宮は次なる死地を示していた。
私は赤い小剣の刃を見ながら、胸の奥にざらつく違和感を覚えていた。
(なぜ、こんな浅い階層のゴブリンが、上級冒険者向けの装備を持っていた?)
ダンジョンを舐めた冒険者が命を落とし、奪われたのだろうか。
そう結論づけかけた時、さらに別の疑問が胸を突いた。
(私は、なぜあの時、槍を切ろうと思った?)
罠を見抜けたのは、〈神の義眼〉の力としても。
あの切断という判断は、あまりにも自然に浮かんだ。
その感覚は、初めての戦闘を終えて家に戻り、ステータスを確認した時に頭の中へ浮かんだ画面。
そこに記されていた、〈神授スキル:神の義眼〉という、あの奇妙な文言と同じ気配を帯びていた。
誰かに背後から見られ、導かれているような不気味さ。
私は深く息を吐き、赤い小剣を腰に差した。
ここは迷宮の中だ。
生きて帰ることが先決。
真相を考えるのは、その後でいい。




