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第1章 1-2 孤独な一歩

覚醒して数日。俺はもう冒険者として登録済みだ。


だが、五十歳のシーフを欲しがるパーティなどなかった。


掲示板を見上げても、声をかける勇気は出ない。


断られるのが目に見えていたからだ。




「……仕方ない、一人で挑むしかないな」




協会のカウンターで、黒い球体を受け取った。


浮遊型カメラ——冒険者の行動を自動で記録する義務装備だ。


行方不明や死亡時には最後の映像が証拠になる。


破損や紛失は高額の弁償。それでも、装着しなければダンジョンには入れない。




背後に浮かぶ球体を感じながら、思わずつぶやいた。


「まあ、記録は大事だな」




目的地は千葉県・東船橋の小迷宮。


「ゴブリンしか出ない」とされる初心者向け。


それでも、ソロにとっては十分な試練だった。




黒い石門が開き、じめついた空気が流れ出す。


浮遊カメラが点滅し、記録を開始する。




「さて……五十でも、やれるところを見せないとな」




ひとりきりの挑戦が始まった。




通路の奥で黄色い光が揺れた。


ゴブリン。背丈は十歳児ほど。濁った眼で、殺意を隠そうともしない。


錆びた短剣を握り、甲高い声を上げて突進してきた。




胸が凍りつく。


全力で人を殺そうとする子供ほど恐ろしいものはない。




(速い……! 思ったより、足が追いつかない)


(若い頃みたいには、もう動けないのか……)




視界に線が浮かんだ。


〈解析〉が動きを読み取り、隙を示す。




「落ち着け……狙える」




恐怖を押さえ込み、一歩踏み込み、短剣を突き刺す。


脇腹、喉元——連続の一撃で血飛沫が散り、ゴブリンは崩れ落ちた。




無傷だった。


だが、決して簡単な勝利ではない。


命を奪う恐怖と、奪われる恐怖の中で振るった刃だった。




「……これが、現実の戦いか」




倒れたゴブリンの胸を裂くと、小さな石が転がり出る。


かすかに淡く光っていた。




ネットで調べた掲示板の書き込みを思い出す。


「ゴブリンの魔石なんて銅貨の足しにもならん」


「せいぜい燃料用」


実際には、ギルドでの買取額は一体五百円程度。


銅貨というのは、あくまで比喩にすぎないと分かった。




牙と爪、討伐証明用の耳を切り取り、魔石と一緒に革袋へ放り込む。




「安物でも、初めての収穫だ。……大事にしよう」




震える胸に、小さな熱が宿った。




さらに奥へ進むと、通路の途中で足が止まった。


理由は分からない。


ただ、壁の一部だけが妙に気になった。


石の継ぎ目、苔の付き方、床に残ったわずかな擦れ跡。


それらを目で追った瞬間、視界に細い線が浮かび上がる。


〈解析〉が、壁の奥に隠された空間を示していた。


隠し扉だ。




石を押すと、通路が静かに開いた。


小部屋の中央には木箱が置かれている。


仕掛けの構造と解除手順が頭に流れ込み、罠を解除する。




「……冷静に、一つずつだ」




ゆっくりと蓋を開いた。




中には銀貨の小袋と、左右一対の黒い小手。


黒革製で、掌には古代の文様が刻まれている。




《迷宮産宝具:黒革の小手》


《効果:器用さを補正し、攻撃力に小幅のプラス》


《備考:左右装備時、効果上昇。成長可能(上限あり)》




試しに両手にはめると、驚くほど自然に馴染んだ。


その瞬間、刻印が淡く光り、複雑な紋様が浮かび上がった。




「……俺に見えている?」




外見はただの小手。だが、俺の目には確かに魔紋がはっきりと見えていた。




ネットで読んだ匿名掲示板の書き込みが蘇る。


『鑑定なしで魔紋を見たなんて話は眉唾だ』


『ギルドに鑑定出したやつは大抵揉め事に巻き込まれる』




真偽は定かではない。だが、余計な注目を浴びるのは御免だ。




「……黙っておこう。これは俺だけのものだ」




短剣を握ると、刃が驚くほど自然に手に収まった。


指先が軽く、力が無駄なく伝わる。


ほんの少しだが、世界が違って見えた。




(……まだ、伸びるのか)


(五十でも、終わりじゃないってことか)




小手を装備したまま、迷宮の奥へ進む。


二体目のゴブリンは、曲がり角の向こうから飛び出してきた。


錆びた斧を振り上げ、喉を裂くような声で襲いかかってくる。




最初の一体よりも、反応は少しだけ早かった。


俺は半歩だけ身を引き、斧の軌道をやり過ごす。


風を切る音が、鼻先をかすめた。




「危なっ……!」




だが、視界に浮かぶ線は乱れない。


〈解析〉が示す脇腹の隙へ、短剣を滑り込ませる。


ゴブリンがよろめいた瞬間、首筋へ刃を走らせた。




倒れた体が石床に転がる。


息が荒い。


黒革の小手がなければ、今の一撃に手首を持っていかれていたかもしれない。




三体目は、こちらに気づく前に見つけた。


通路の奥で、壁際にしゃがみ込み、何かを貪っている。


背中は無防備だった。




(……先に見つけたなら、迷うな)




息を殺して近づく。


足裏の感覚、石床のわずかな凹凸、相手の肩の揺れ。


そのすべてを〈解析〉が静かに拾い上げていく。




距離が詰まった瞬間、俺は一気に踏み込んだ。


口を開きかけたゴブリンの喉を押さえ、短剣を深く突き入れる。


小さな体がびくりと跳ね、やがて力を失った。




恐怖は消えない。


むしろ、戦うたびに命の軽さと重さが同時に胸へ残る。


それでも、足は止まらなかった。




革袋は牙や爪、耳、そして安物の魔石でいっぱいになる。


それでも戦えたという自信が、足取りを軽くしていた。




石門を抜けると、湿った空気が途端に和らぎ、夕暮れの光が差し込んできた。


浮遊カメラが最後の点滅をして、記録を終了する。




ギルドに戻り、カウンターに素材と小袋を差し出す。


受付嬢が手際よく確認し、耳の数と照らし合わせた。




「ゴブリン三体分、丁寧に剥ぎ取られてますね。一体五百円で合計千五百円です」




次に銀貨十枚を掲げ、目を丸くする。


「こちらは……宝箱からですね。一枚五千円、十枚で五万円になります」




端末に合計が表示される。


「総額で五万千五百円です。現金でお渡しするか、登録口座に振り込みますか?」




少し考え、俺は答える。


「口座でお願いします」




受付嬢はうなずき、処理を進めながら微笑んだ。


「新人さんがソロで宝箱を見つけるなんて、本当にラッキーですよ。今日の成果は胸を張っていいと思います」




携帯端末に振込完了の通知が届いたのを確認し、胸の奥にじんわりとした実感が広がった。




(……これで、しばらくは食いつなげるな)


(家賃の足しにもなる。明日の飯にも困らない)




五十を越えて初めての冒険者としての報酬。


額にすれば決して大金ではない。


だが、汗と血の先に手にしたものは、確かな重みを持っていた。




「……これで、ようやく一歩目だな」




黒革の小手の感触を確かめながら、俺はギルドを後にした。


胸の奥に、明日への小さな確信が芽生えていた。

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