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第1章 1-10 東船橋防衛線 前編

東船橋ダンジョン正門前。


厚さ六メートル、高さ十五メートル。


アダマンタイト鋼合金で造られた巨大な隔壁が、重い唸りを上げながら、ゆっくりと閉じていく。


完全閉鎖まで二時間。


本来なら、それは街を守るための最終手段だった。


だが今、その二時間はあまりにも長い。


門が閉じきるより前に、押し寄せる群れを食い止められなければ、東船橋の街は飲み込まれる。


正門前広場は、すでに迎撃要塞と化していた。


競技場ほどの広さを持つ石造りの広場に、足音、怒号、命令の声が入り乱れる。


外周には第一物理障壁。


その背後に、術師たちが張り巡らせる第二魔術障壁。


物理の衝撃を止め、魔術攻撃を削ぐ。


二重の防衛障壁。


それが、東船橋防衛線を支える最後の盾だった。


通信が終わり、職員たちが慌ただしく走り回る中、桐生結衣は黙って装備ラックへ向かった。


壁に備え付けられた黒鉄のケースを開く。


中に収められていたのは、通常の銃器とは明らかに違う巨大な狙撃銃だった。


十五ミリ対魔獣狙撃銃。


魔鉱石徹甲弾を撃ち出す、東船橋支部に一挺のみ配備されたアンチマテリアルライフルだ。


本来は二人がかりで運搬し、伏せ撃ちで扱う大型銃。


正門前の狙撃台には、そのための専用射撃架が用意されている。


ゴブリンロードであろうと、急所を抜けば沈められる。


ただし、一発外せば、それだけで小隊の装備費が消える。


桐生は無言で戦闘用の軽鎧を装着し、マガジンを確認した。


迷う時間はない。


職員二人が補助に入り、十五ミリ対魔獣狙撃銃をケースから引き出す。


桐生は狙撃台へ上がった。


台の中央に据えられた射撃架へ、職員たちが銃身前部を預ける。


桐生は低い姿勢を取り、頬をストックに添えた。


右手を引き金へ。


左手を銃身下部へ添え、わずかな揺れを抑える。


スコープ越しに、ダンジョンの闇を覗いた。


奥から影が溢れ出していた。


牙を剥き、武器を振り上げ、押し寄せるゴブリンの群れ。


ただの通常種ではない。


粗末ながらも隊列を組み、武装した個体が混じっている。


その後方。


杖を掲げ、詠唱を紡ぐシャーマンの姿があった。


桐生の指が、迷いなく引き金を絞る。


轟音。


反動が射撃架を軋ませ、狙撃台が低く震えた。


桐生は跳ねた照準をすぐに戻し、着弾を確認する。


閃光とともに、シャーマンの頭部が吹き飛んだ。


血と泥を撒き散らし、骸が群れの中へ崩れ落ちる。


「術者を優先して潰す。障壁に術を撃たせるな」


桐生の声が、通信へ短く流れた。


背後では、職員たちが次々と報告を上げている。


「副支部長、第一物理障壁、展開完了!」


「第二魔術障壁、出力安定!」


「火力班、配置につきました!」


桐生はスコープから目を離さず、短く答えた。


「通常火力は撃て。前列を削って足を止めろ」


「重火力はどうしますか!」


「広域魔術と魔導砲は温存。まだ使うな。指揮個体と術者は私が抜く」


言い終えるより早く、桐生は二発目を撃った。


武装個体の胸が弾け、後続を巻き込んで倒れる。


同時に、防衛線の左右から銃声と魔術の光が走った。


前列のゴブリンが次々と崩れ、群れの足並みが乱れる。


それでも、奥から湧き出す影の数は減らない。


三発目。


杖を持つ別の個体が、詠唱を終える前に沈む。


四発目。


群れの動きを束ねていた大型のゴブリンが、首から上を失った。


桐生は一発ごとに標的を選び、群れの動きを乱していく。


雑兵は防衛線の通常火力が削る。


桐生が撃つべきは、群れを動かす指揮個体。


障壁を崩す術者個体。


そして、通常火力では止めきれない上位個体。


限られた十五ミリ魔鉱石徹甲弾を、ただの数減らしに使う余裕はない。


それが、この場を最も長く持たせるための配分だった。


「……ここを突破させるわけにはいかない」


脳裏をよぎったのは、まだ三階層にいるはずの者たちだった。


覚醒してまだ一週間。


五十歳にして冒険者となった、異例の新人。


そして、その新人とともにいる高校生たち。


まだ、戻ってきていない。


だからこそ。


この門を閉じるまで、ここは絶対に抜かせない。


そのときだった。


群れの奥で、異様に大きな影が動いた。


他のゴブリンを押しのけるようにして、ゆっくりと前へ出てくる巨躯。


ゴブリンロード。


その個体が、迷宮産の紅い大剣を掲げる。


血を吸ったような刀身が、不気味に脈打っていた。


「……やはり、来たか」


桐生は、スコープ越しにその姿を睨んだ。


スタンピードの中核。


群れをただの暴走ではなく、街を潰す軍勢へ変える存在。


直後、前線にいた複数の通常種が悲鳴を上げた。


身体を痙攣させ、膝をつき、目や口から赤黒い魔力を噴き出す。


次の瞬間、血と魔力を同時に吸い取られたゴブリンたちは、干からびた屍となって崩れ落ちた。


奪われた命は紅い光となり、ロードの大剣へと凝縮されていく。


「生贄……!」


誰かの声が、戦場に震えを走らせた。


ロードが大剣を振り下ろす。


紅の斬撃が放たれ、防衛線を焼き裂いた。


轟音。


第一物理障壁が大きく揺らぎ、その背後の第二魔術障壁が悲鳴のような音を上げる。


「第一物理障壁、出力低下!」


「第二魔術障壁、補正入ります!」


現場の空気が一気に張り詰める。


「重火力、撃ちますか!」


桐生は即座に照準を合わせながら、声を張った。


「撃て。目標はロード級。通常火力は前列を削れ。重火力はロードを止めろ!」


防衛線の左右で、魔導砲の砲身が動いた。


術師たちが広域術式を展開し、砲手たちが照準を合わせる。


「第一、第二魔導砲、ロード級へ照準!」


「広域火炎術式、詠唱開始!」


「通常火力、前列を押し返せ!」


銃声と魔術の光が一斉に走った。


前列のゴブリンが弾け飛び、その奥にいたロードへ魔導砲弾が叩き込まれる。


だがロードは、すぐさま配下を掴み上げ、盾にした。


通常種が砕け、武装個体が吹き飛ぶ。


それでも、ロードの足は止まらない。


「直撃しません!」


「盾にされています!」


「構わない、撃ち続けろ!」


桐生は照準器から目を離さずに命じた。


「盾に使える数を減らせ。ロードの足を止めるだけでいい。急所は私が抜く」


十五ミリ魔鉱石徹甲弾。


狙うのは、ロードの頭部。


呼吸を止める。


引き金を絞った。


轟音。


射撃架が悲鳴を上げ、狙撃台全体が震える。


桐生は跳ねた照準を戻し、着弾を追った。


だが、ロードは隣にいたゴブリンジェネラルの首を掴み、その巨体を盾にした。


弾丸がジェネラルの胸甲を粉砕する。


肉と骨が弾け、ジェネラルはその場で絶命した。


しかし、その背後にいたロードは無傷だった。


「……っ」


桐生は歯を食いしばり、次弾を装填する。


ロードが再び通常種を掴み上げた。


血と魔力が剣へ流れ込む。


紅い光が膨れ上がる。


魔導砲が再び火を噴いた。


だが、また配下が盾にされる。


吹き飛ぶのは、ロードではない。


盾にされたゴブリンたちだけだった。


「ロード級、進行止まりません!」


「前列、削っていますが後続が多すぎます!」


「撃ち続けろ。奴に好きな間合いを取らせるな」


冷たい声だった。


だが、その奥に焦りがないわけではない。


時間が足りない。


弾数も足りない。


そして何より、敵の数が読めない。


その答えを示すように、群れの背後から新たな影が現れた。


二体目。


三体目。


複数のゴブリンロード。


彼らもまた、周囲の通常種を生贄にして、紅の斬撃を紡ぎ出していた。


「ロード級、複数確認!」


「三体……いや、さらに後方にも影があります!」


報告の声が裏返る。


「重火力班、目標を分散するな!」


桐生の声が飛ぶ。


「正面のロードに集中砲火。一体ずつ止めろ。通常火力は盾に使われる雑兵を削れ!」


命令と同時に、魔導砲が再び火を噴いた。


紅の斬撃が三条、同時に防衛障壁へ叩きつけられる。


大地を震わせる衝撃。


第一物理障壁の表面に、蜘蛛の巣状のひびが走った。


「第一物理障壁、損傷率七%!」


「術師班、第二障壁の出力を上げろ!」


「これ以上上げると術者が持ちません!」


「持たせろ!」


怒号が飛び交う。


桐生は冷徹に撃ち続けた。


だがロードたちは、次々と配下を盾にして弾丸と魔導砲を受け流す。


ジェネラル。


武装個体。


通常種。


命を命とも思わないその戦い方に、前線の空気がわずかに揺らいだ。


人間側の常識では測れない。


あれは、軍ではない。


群れそのものを弾薬として使う怪物だ。


紅の斬撃が重なり合い、共鳴する奔流となって、再び防衛線を襲う。


「第二魔術障壁に亀裂! 損耗率二〇%!」


その瞬間、狙撃台を爆風が襲った。


十五ミリ対魔獣狙撃銃の銃口が跳ね、桐生の身体が射撃姿勢から崩される。


上体を石床に打ちつけ、続けて脇腹に鈍い衝撃が走った。


息が詰まる。


「副支部長ッ!」


職員の叫びが聞こえる。


桐生は血の混じった息を吐き、すぐに銃へ手を伸ばした。


銃はまだ狙撃台の上にある。


射撃架から外れかけてはいたが、壊れていない。


なら、まだ撃てる。


桐生は痛む身体を押し殺し、十五ミリ対魔獣狙撃銃を射撃架へ戻した。


頬をストックに添える。


右手を引き金へ戻す。


左手で銃身の揺れを殺す。


乱れた呼吸を、無理やり押さえ込む。


「……私は落ちていない」


スコープの中で、紅い大剣を掲げるゴブリンロードが揺れている。


桐生は血の味を噛み潰し、低く命じた。


「持ち場を維持しろ。障壁を崩すな」


「副支部長、しかし――」


「倒れたら言え。まだ撃てる」


その声に、職員たちが息を呑む。


直後、十五ミリ対魔獣狙撃銃が再び火を噴いた。


弾丸は、ロードが盾にしようとした通常種を貫き、その奥にいたシャーマンの胴体を吹き飛ばした。


群れの一角が乱れる。


重火力がその隙に叩き込まれ、正面のロードが初めて足を止めた。


しかし、倒れない。


紅の光はなおも広がっている。


複数のゴブリンロードが、配下の命を燃料にしながら、防衛線を削り続けていた。


「第一物理障壁、損傷率一二%!」


「第二魔術障壁、補修が追いつきません!」


「正門、閉鎖率二割!」


まだ二割。


桐生は奥歯を噛み締めた。


遠すぎる。


遅すぎる。


それでも、止めるしかない。


東船橋防衛線。


その最前線に、崩壊の音が近づいていた。

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