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第1章 1-11 東船橋防衛線 後編

轟音と悲鳴が交錯する防衛線。


紅い斬撃の余韻が、なお第一障壁を震わせていた。


石造りの広場には粉塵が舞い、割れた床石の隙間から、魔力の光が漏れている。


その中で、低く鋭い号令が響いた。


「――抜刀隊、展開!」


外周防壁の上、広場を囲む高所、補強された射撃台。


黒鋼と魔鉱石合金で造られた対モンスターライフルを抱えた銃兵部隊。


魔鉱石を仕込んだ強弓を携えた弓兵部隊。


抜刀隊に属する二つの射撃部隊が、次々と配置につく。


彼らはガンナージョブではない。


だが、戦士系ジョブを基盤に肉体強化を積み上げ、さらに射撃や弓術の補助技能を身につけた精鋭だった。


銃と弓、二つの火力を併用し、互いの射線をずらしながら、規律正しい動きで陣形を固めていく。


「第一列、狙いを合わせろ!」


紅い光を宿すゴブリンロード。


そして、その足元に群がる通常種。


スコープと照準器が、同時にそれらを捉えた。


ロードが剣を掲げる。


周囲のゴブリンたちが、血と魔力を吸い上げられるように痙攣した。


次の紅い斬撃が来る。


誰もがそう理解した瞬間、指揮官が叫んだ。


「狙え! ロードの足元だ! 生贄にさせるな!」


轟音。


弦の唸り。


魔鉱石弾と鋭矢が、ロードの周囲へ降り注いだ。


肉壁にされる前の通常種が次々と撃ち抜かれ、悲鳴を上げる間もなく倒れていく。


ロードの剣に集まりかけた紅い光が、中途半端にしぼんだ。


「……効いてるぞ!」


隊員の一人が声を上げた。


その言葉に、防衛線の空気がわずかに揺れる。


だが、希望は長く続かなかった。


奥から、また湧く。


撃ち抜かれても。


矢に貫かれても。


新たな通常種が、次々とロードの足元へ殺到していく。


まるで、自分の命に価値などないと知っているかのように。


「くそっ、足元を潰しても追いつかない!」


「ロード本体を狙え! 剣を掲げさせるな!」


「無理です! 通常種が盾になって――」


焦りを含んだ声が飛び交う。


それでも射撃は止まらない。


止めれば、次の一撃で障壁が裂ける。


誰もがそれを理解していた。


桐生はスコープ越しに戦場を見据えていた。


一時的に消えかけた紅い光が、別のロードの剣へ移っている。


一体を止めても、次がある。


次を潰しても、その奥にまた次がいる。


群れそのものが、ロードの燃料になっていた。


「三体、同時に来る!」


桐生が叫んだ直後、三体のロードが剣を掲げた。


通常種だけではない。


負傷したジェネラルまでもが、力を奪われて膝をつく。


命を削り取られた肉体が干からび、紅い光だけが剣へ集束した。


紅の斬撃が三条、第一障壁へと叩きつけられる。


轟音。


防衛線全体が揺れた。


障壁の表面に走っていた細かな亀裂が、一気に広がる。


「第一障壁、損傷拡大! 出力、限界に近い!」


職員の報告が、悲鳴に近い響きを帯びる。


「撃ち続けろ! 間断を許すな!」


抜刀隊の銃兵部隊と弓兵部隊は、必死に弾と矢を浴びせかけた。


ロードの足元を削る。


ジェネラルの腕を撃ち抜く。


剣を掲げようとした個体を狙い、膝を砕く。


だが、数が足りない。


あまりにも、敵が多すぎる。


複数のロードが同時に生贄を得て、紅い斬撃を放つ。


そのたびに障壁が軋み、広場にいる者たちの顔から血の気が引いていく。


希望と絶望の狭間で、誰もが次の一撃に怯えていた。


その時だった。


外周防壁の上に、新たな気配が現れた。


鋼を打つような足音。


異国風の文様を刻んだ戦装束。


長大な投槍を携えた一団が、防壁の上へと並び立つ。


「スエリ族……!」


抜刀隊員の一人が、思わずその名を呟いた。


彼らの先頭に立つのは、スエリ族の族長――スタリーナ。


艶やかな黒髪を後ろで束ね、紅い瞳を細めて戦場を見下ろしている。


その表情に浮かんでいたのは、恐怖でも焦りでもない。


凶暴な笑みだった。


スタリーナは投槍をゆっくりと掲げた。


アダマンタイト合金の穂先が、紅い光を帯びるロードへ向けられる。


「……我らが血を騒がせる敵よ」


低く、冷たい声。


だが、その奥には烈火のような昂ぶりがあった。


「せいぜい、潰れろ」


次の瞬間、腕がしなった。


投槍が雷鳴のごとく放たれる。


空気が裂けた。


槍は肉壁として前に押し出されていたジェネラルを貫き、その背後にいたロードの胸までまとめて撃ち抜いた。


分厚い鎧が砕け、二つの巨体が吹き飛ぶ。


ジェネラルが倒れる。


ロードが膝をつく。


紅い光が霧散した。


「なっ……!」


防壁の上で、隊員たちが息を呑む。


桐生でさえ、スコープ越しにその光景を見て、わずかに瞳を細めた。


――確かに、あれは規格外だ。


族長の一撃に続き、スエリ族の戦士たちが次々と投槍を構える。


放たれる。


また放たれる。


鋼鉄を裂く音が立て続けに響き、群れの中で赤黒い肉片と鮮血が舞った。


通常種はまとめて薙ぎ払われる。


ジェネラルは鎧ごと貫かれる。


ロードでさえ、まともに受ければ体勢を崩した。


防衛線に、わずかな空白が生まれる。


押し潰されかけていた人間側の視界に、道が見えた。


スエリ族の投槍は、ただ貫くだけではなかった。


着弾と同時に魔力が爆ぜ、周囲の通常種をまとめて吹き飛ばす。


抜刀隊の銃兵部隊と弓兵部隊も、その空白を逃さなかった。


「開いたぞ! ロードを狙え!」


魔鉱石弾が、よろめいたロードの肩を砕く。


続く矢が、剣を掲げようとした腕を射抜いた。


紅い光が霧散し、ロードの一体が大きく体勢を崩す。


「押し返せる……!」


誰かがそう叫んだ。


その声に、ほんの一瞬だけ、防衛線の空気が変わった。


スタリーナは笑みを崩さず、獰猛に言い放つ。


「数がどうした。屍で積み上げればいい」


紅い瞳が、群れの奥を射抜く。


「道は、力で拓ける」


その言葉に応じるように、スエリ族の戦士たちが咆哮した。


広場全体が震える。


だが――。


群れの奥で、何かが動いた。


他のロードよりも小柄な影。


身の丈は二メートルにも満たない。


だが、その存在感だけが異様に濃い。


額には粗削りの冠。


手には深紅の長剣。


スタリーナの笑みが、わずかに消えた。


「まずい」


低い声が、防壁の上に落ちる。


「あれに群れを喰わせるな。今すぐ潰せ」


その言葉に、スエリ族の戦士たちが槍を構え直した。


直後、冠を戴くロードが深紅の長剣を掲げる。


「……ッ、やらせるな!」


スタリーナが叫んだ。


同時に、投槍が放たれる。


桐生も引き金を絞った。


抜刀隊の銃兵部隊と弓兵部隊が、一斉に火力を集中させる。


「撃て! あの冠持ちを止めろ!」


「全火力、集中!」


だが、届かなかった。


投槍は見えない壁に弾かれ、魔鉱石弾は軌道を逸らされる。


矢は、冠を戴くロードへ触れる寸前で灰のように崩れた。


「防がれた……?」


誰かが呟いた。


次の瞬間、周囲のロードが悲鳴を上げた。


ジェネラルも。


通常種も。


すべてのゴブリンが、見えない力で絡め取られる。


仲間を生贄にするのではない。


群れそのものを、己の糧として喰らっていた。


肉体が干からびる。


鎧が音を立てて崩れる。


だが、地面に倒れることすら許されなかった。


ひび割れた体が内側から砕け、赤黒い魔力粒子となって舞い上がる。


それらは深紅の長剣へ吸い寄せられ、渦を巻きながら冠を戴くロードのもとへ凝集していった。


群れの命が、形を失う。


そして、ひとつの異形へと組み上がっていく。


冠を戴くロードの手にあった深紅の長剣もまた、変質していた。


刃は肥大し、赤い光を内側に呑み込みながら、黒く染まっていく。


やがてそれは、光を反射しない漆黒の大剣へと姿を変えた。


粗削りだった冠もまた、深紅の光を宿す額冠へと姿を変えていく。


光が膨れ上がる。


赤ではない。


紅でもない。


血の色をさらに煮詰めたような、黒に近い深紅。


「目を伏せろ!」


誰かが叫んだ。


直後、光が爆ぜた。


戦場全体の視界が焼き尽くされる。


音が消えた。


悲鳴も、銃声も、魔力障壁の軋みも。


すべてが白い無音の中に沈んだ。


やがて、光が収まったとき。


そこに立っていたのは、たった一体だった。


身の丈は二メートルに満たない。


銀の長髪。


整った顔立ち。


その姿だけを見れば、エルフを思わせるほど美しい。


だが、肌は薄緑。


瞳は深紅。


そして額には、深紅の光を宿す額冠があった。


紛れもなく、ゴブリンの種に属する存在。


誰も声を出せなかった。


「……冗談だろ」


震える声が、どこかから漏れた。


その声に、誰も答えられなかった。


やがて、防衛線のどこかで、別の声が落ちる。


「……ゴブリン、エンペラー……」


その名が広がった瞬間、空気が凍った。


記録上、ただ一度だけ確認された災厄。


都市ひとつを地図から消し、人類の防衛思想そのものを変えた存在。


歴史上、二体目とされる怪物。


ゴブリンエンペラー。


それが今、東船橋の防衛線の前に立っていた。


エンペラーは漆黒の大剣を下ろし、防衛線を見渡した。


『人よ』


甘美でありながら、氷刃のように鋭い声だった。


『偉大なる、今は去りし神の子よ』


その声は、耳ではなく頭蓋の内側に響いた。


『戦を始めよう』


『心を躍らせ、血を凍らせる死闘を』


誰も動けない。


抜刀隊員も、ギルド職員も、スエリ族の戦士たちでさえ、息を呑んだままその異形を見つめていた。


『我を倒して見せよ』


エンペラーの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


『始まりのゴブリンを討ち、この地は人のものだと示せ』


深紅の瞳が、戦場にいるすべての人間を射抜いた。


『叶わぬならば――』


大剣の切っ先が、ゆっくりと東船橋へ向けられる。


『この地は、我がもらう』


その宣告に、戦場全体が凍りついた。


第一障壁の向こうに立つ小柄な王。


その存在が放つ圧だけで、防衛線は沈黙していた。

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