53 第八十二階層
迷宮に潜った後、アイリスさんから言い渡されたトレーニングを必死にこなす毎日を過ごしていた俺だったが、その効果をいまいち実感できずにいた。
そんな中で自身の変化に初めて気づいたのは、ユフィと迷宮に潜り始めて二週間が経過した時だった。
「準備は良いわね?よーい、スタートッ!」
いつも通り小迷宮の第一階層に到着した俺とユフィは、彼女の掛け声を合図として第十階層の転移魔法陣へ向け、一斉にスタートを切った。
毎日のように練習しているため、《魔力障壁》と《身体強化》の同時使用にすっかり慣れた俺は、ここ数日はこの第十階層へ移動の間も、鍛錬の時間にする気持ちで《魔力障壁》を展開しながら走っている。
先行するユフィに置いて行かれないように注意しながら、《魔力障壁》に気を配りより高い魔力圧縮を実現するために感覚を研ぎ澄ませる。
――――あれ?ユフィってこんなに遅かったっけ?
唐突にそんな考えが頭によぎる。
思い起こせば、少なくともここ数日は彼女について行くことよりも、走っている最中に展開した《魔力障壁》が乱れないことばかりに意識を向けていた。
そんなことをぼんやり考えていた俺は、思わずユフィを追い越しそうになってしまったため、《身体強化》を弱めてスピードを落とした。
下手に彼女を追い越してしまうと、お互いに競争意識が働いてしまい、ペースアップしてしまうだろう。
そうならないよう適度にスピードを調整しつつ、俺は再び自分の《魔力障壁》に意識を向けた。
◇
呼吸を乱すこともなく、体力的にかなり余裕を持って第十階層に到着したことで、俺は再び自分の成長を実感することができた。
「......ハァ......。ハァ......」
自分以外の人間が発する激しい息遣いに違和感を覚えたため周囲を見渡すと、ユフィが大粒の汗を額から流しながら、肩を揺らして呼吸をしていた。
道中、彼女の後ろ姿を漠然と眺めながら《魔力障壁》のことばかり考えていたため気がつかなかったが、どうやら俺に速度を合わせていた訳ではなく、全力で走っていたようである。
「ハァ......。ハァ......何見てんのよ⁉さっさと七十八階層まで行くわよ!今日はアンタが転移魔法を使いなさい!」
俺の視線に気づいたユフィは、こちらを睨みながら荒くなっていた息を無理矢理我慢して、転移魔法を使うことを指示してきた。
「は、はい。わかりました!」
彼女の迫力に気圧された俺は、急いで転移魔法陣の上まで移動して魔石に触れ、魔法陣へ魔力を流し始めた。
転移魔法陣がちょうど完成する頃、息を整えたユフィがこちらに近づいてきて肩に触れてきたため、俺は第七十八階層を頭の中でイメージし、転移魔法を発動した。
◇
第七十八階層に到着した俺たちは、八時間ほどかけて四つの階層と一体のフロアボスを突破して第八十二階層まで来ていた。
相も変わらずユフィは自分一人で戦う戦略を変える気は無いらしく、俺はただ魔物を屠る彼女の後ろを着いていくだけであった。
しかし、順調かといえばそうではなく、下の階層へ進むごとに少しずつ魔物のレベルは上がっており、第七十層を超えると出現する魔物が例外なく《魔力障壁》を使用するようになった。
第八十階層以降は湿地帯となっており、所々に沼地があるような場所で、主にリザードマンが出現するエリアである。
このリザードマンの相手をするのが厄介で、強力な《魔力障壁》を持ちながら水魔法を使うことができる上に、知能が高く集団での戦闘に長けていた。
第八十階層と第八十一階層ではこのリザードマンの絶対数が少なかったため、なんとか突破することができたものの、戦闘に関してユフィは明らかに余裕が無くなってきていた。
「グガガガッ!」
なるべくリザードマンたちと接敵しないよう、身を低くしながら次の階層への階段を探していた俺たちだったが、リザードマンに姿を見られてしまい、鳴き声をあげることで仲間を呼ばれてしまった。
「クソッ!」
ユフィは悪態をつきながら、鳴き声をあげたリザードマンのもとへ駆け、《魔力障壁》を纏った剣で斬撃を放った。
討ち取った、と観ていた俺は思ったが、そのリザードマンは体を反らすことでユフィの斬撃をあとコンマ数ミリのところで躱した。
初撃をいなされてしまったユフィだったが、めげずに連続して袈裟切りを放つも、これはリザードマンが抜いた長剣によって防がれてしまう。
相手が剣で防いでくることを予想していたユフィは、自分の剣が防がれる直前、《身体強化》の出力を爆発的に上昇させることで、リザードマンの持っている剣を弾き飛ばした。
「グガ?」
ガードしたつもりが、自分の剣を弾き飛ばされてしまったリザードマンは、何が起きたか理解できないような声を出すも、その隙をユフィは逃さず剣を横一閃に振り抜き、首をはねた。
敵を倒して一安心したのも束の間、倒したリザードマンが呼んだ仲間の群れがこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「早く逃げるわよ!」
単体でも倒すことが難しいリザードマンによって形成された群れなど相手にできないと判断したユフィは、足音とは反対方向に逃げよう俺に指示を出した。
しかし、走り始めてすぐに、進行方向からもリザードマン達の足音が近づいて来ていることに気付く。
「まずいわね......」
まだ群れに姿を見られた訳ではないが、この湿地帯では足跡という明確な痕跡が残ってしまう。
そのため、この環境に慣れていて足も速いリザードマンたちの追跡を振り切って、転移魔法陣まで逃げるのは非常に困難である。
そうこうしているうちに、正面から十匹ほどの武装したリザードマン群れが、二百メートルほど先に姿を現した。
「私が囮になってあいつらを引き付けるから、アンタだけでも転移魔法陣まで逃げなさい!」
転移魔法陣の位置している方向からリザードマン達が来てしまったため、二人で逃げることが不可能だと判断したユフィは、走る足を止めて逃げるよう促してきた。
「自分だけ助かるぐらいだったら、ここでユフィと一緒に戦って死ぬ方がマシです!」
自分だけ助かることをどうしても許容できなかった俺は、足を止めて彼女と共に戦う意志を示した。
「バカ!アンタの実力じゃあ、一匹も倒せないわよっ!さっさと行きなさい!」
ユフィは俺の胸を突き飛ばし、再度転移魔法陣の所まで走るように促してくるが、俺はここに残って共に戦うことを固持した。
そうこうしているうちに、後ろから追ってきたであろう別のリザードマン群れの姿も見えてきた。
「ああああっもう!アンタが死んでも、私は責任持たないから!」
あっという間に俺たち二人は三十匹ほどのリザードマンの集団に取り囲まれてしまった。




