36 トレーニングの約束
テセウスは両手の手のひらを上に向けた状態で前に出し、それぞれの手の上に魔力を集め始めた。
「魔力を圧縮すればするほど、《魔力障壁》と《魔弾》の性能が上がる。今、俺の左手にはほぼ圧縮していない魔力、右手には左手の三倍以上の魔力を圧縮した状態を保っている」
テセウスの左手よりも右手の魔力の方が強い光を放っているため、右手の方がより魔力が集まっていることが視覚的にも分かる。
「手は人間が一番魔力を扱いやすいと言われているから、まずは手のひらの上で魔力を圧縮する練習をする。試しにやってみろ」
俺はテセウスに指示された通り、右手を上に向けた状態で前にだして、魔力を集め始めた。
「手の上の空間に魔力を無理矢理押し込むイメージだ」
テセウスの言葉に従い、集めた魔力を手の上の空間へ徐々に押し込んでいくイメージで圧縮を試みるが、なかなかうまくいかない。
「まあ最初はそんなもんだ。そうだな......。ウィルにはまず、この左手状態くらいまで魔力を圧縮できることを目指してもらう。
毎日練習をして、一週間くらいでこれを達成できれば、スムーズに次のステップに進むことができるだろう」
一週間という区切りで次のトレーニングに移行するという彼の口ぶりに、俺は重要なことを伝え忘れていたことに気付いた。
「あの......伝え忘れていたのですが、俺が本格的に冒険者として活動できるのは来月からで、今月いっぱいは一日中酒場で働く必要があります......」
圧縮の練習を中断してテセウスにそう伝えると、彼は驚いた表情で浮かべた。
「......マジか。てっきり今仕事が無い状態だと思っていたぜ。じゃあ、本格的に冒険者として活動できるまでの三週間、ウィル一人で出来る他のトレーニングも一緒に教えた方が良いな」
そう言い残してテセウスはパーティーハウスの中に入ってしまったので、しばらく待っていると、彼は長さ一メートルほどの木剣を持ってきた。
「試しに振ってみろ」
渡された木剣を受け取った俺は、彼の指示通り素振りを試みるが、剣を振った経験など全くないため、当然まともな素振りなどできない。
「剣の経験は無いのか......。まずは握り方からだな」
俺の後ろに移動したテセウスは、覆いかぶさる形で背後から剣を握る俺の指の位置を調整する。
「握り方はこうだ。剣を振るときは力を込めることを意識せず、自然に上から下に振り下ろすことを意識してみろ」
指示通り剣を振ってみるものの、完全に素人である俺にとって、先ほどの素振りとの違いは分からなかった。
「回数は一日百回程度で良いから、一回一回の素振りを丁寧にやることを意識しろ。後は、体力をつけるための走り込みだな。時間も無いだろうし、一日三キロくらいで良いから継続して走ること。
さっき教えた魔力の圧縮練習を含めて、この三つを毎日欠かさず続ければ、三週間後にはもっとハードなトレーニングに耐えられる体力がついているだろう」
「さ、さらにハードなトレーニングですか......」
三週間後にさらに過酷なトレーニングを課すことを示唆するテセウスに、俺は自分の顔が引きつることを自覚する。
そもそも当然のように三キロのランニングを指示しているが、この十歳の体にとってはかなりの負荷になるはずで、仕事に支障が出ないか心配である。
◇
《竜の吐息亭》に戻った俺は、メアリーさんに来月から冒険者になることを報告し、それに備えて早朝からトレーニングを始める許可をもらった。
翌日、俺は日が昇る前に起きてランニングと素振りをこなした後、疲労困憊の状態で酒場の昼のピークを何とか乗り切ることに成功した。
テーブルの清掃と食器の洗浄を終えたことで仕事を片付けたので、円卓に突っ伏して一息つくことにした。
パブロさんも事情を知っているためか、休んでいる俺に注意をしてこなかった。
「やあ。今日は珍しくお疲れの様子だね」
「うわぁ!」
気配もなく唐突に耳元でささやかれたため、驚きのあまり飛び起きてしまった俺の様子が可笑しかったのか、声の主はクスクスと笑った。
「......あまりびっくりさせないで下さい」
「ふふふっ。驚かせてすまないね。つい悪戯心が働いてしまったよ」
アイリスさんは口では謝罪しているものの、本心では俺をからかっていることを楽しんでいるようである。
「それにしても、いつも元気なグランくんがここまで疲れているのは珍しいね。もしや、一昨日の仕事の件で何かあったのかい?」
「ええ。実は昨日、たまたま休みを貰うことができたので、アイリスさんのアドバイス通り冒険者登録に行ってきたんです。
本格的に冒険者としての活動を始める前に、少しでも体力をつけた方が良いと思ったので、今朝からトレーニングを始めたんですよ」
《黄金ノ獅子》に入った件まで言ってしまうと、加入の経緯まで聞かれることになり話がややこしくなるため、そこはあえて省略した。
「冒険者になると決めたのかい⁉......グランくんさえ良ければ、一緒にトレーニングをしたり、冒険者について色々教えたりしてもいいだろうか?」
正直テセウス達が居ればトレーニングや冒険者としての情報に困ることは無いのだが、折角の申し出を断るのも憚られるため、アイリスさんの好意を受け入れることにした。
「アイリスさんのような高ランクの冒険者から直接教えを受けることができるなんて、寧ろこちらからお願いしたい位ですよ」
「では、グランくんが本格的に冒険者としての活動を始めたら、一度ギルドの訓練場で一緒にトレーニングをしよう!酒場の仕事は今月末までだったよね?」
具体的な日程まで決める勢いのアイリスさんに押され、思わず詳細な予定を喋ってしまう。
「は、はい.....。冒険者としての活動を始めるのは来月の頭からですね。多分一日は引っ越すので忙しいので、二日から冒険者としての活動を始めると思います」
おそらく《黄金ノ獅子》のパーティーハウスに行った初日は、テセウスのトレーニングを受けるためアイリスさんと会うことはできないだろう。
「じゃあ二日の朝八時に冒険者ギルドの訓練場に集合することにしよう。......今から楽しみだな」
そう言いながらご機嫌なアイリスさんは円卓の椅子に座り、シロを撫でながらいつものセットを注文した。




