23 初体験
脱出の際に腹が減って力が出ないことを危惧した俺は、騎士から支給されるパンとスープに脱出計画を始めるギリギリまで手を付けず、寝ることで空腹を我慢していた。
襲ってくる飢餓感にイライラしながらも、これから起こると予想される魔法での戦闘に興奮を抑えきれない自分が居た。
まず間違いなく襲ってくる騎士たちに直接雷魔法を放つ必要があり、その際に躊躇していては命取りになるだろう。
それは、この世界に来てから忌避していた『魔法を使って人を殺す』ということが避けることができないということを意味している。
魔法での人殺しが嫌で白熱電球を作ったのに、なぜこのような事態になってしまったのか、と心の中で悪態をつきつつも、自分と兄姉の命を守るためには仕方のないことであると覚悟を決める。
そんなことを空腹感に耐えつつ頭の中で自分に言い聞かせていると、非常に小さな足音が耳に入って来た。
徐々に近づいて来るその足音は、自分の牢に近づいてきてもかすかに聞こえる程度の音であり、隠密に非常に長けた人物であることが伺えた。
おそらくアグナル殿下とアントネッリ公爵が手配した協力者であろうその足音の主は、かなり小柄で、黒い仮面と外套を付けており、左手には杖を持っていた。
おそらく俺のために持って来たであろうその杖を、協力者は無言で鉄格子の間を通して渡してきた。また、逃げる際に目立たないように黒い外套をこちらに投げてきた。
俺は空気を読んで簡潔にこの後のプランについて協力者に質問した。
「俺はいつ暴れ始めればいい?」
牢の鍵をピッキングで開錠しつつ、仮面の主は答えた。
「私が二人を連れ出したあと、騎士が巡回し始める頃に行動を始めて下さい。できるだけ遅い方が望ましいです」
このときの協力者の声は仮面越しでも高いことが分かり、女性であることが伺えた。
「わかりました」
頷きながら俺がそう答えるのを確認すると、その協力者は颯爽と地下牢の奥まで駆けていった。
走っているにも関わらず全く足音がしていないことから、彼女は先ほどあえて小さな足音を出し、俺がびっくりして声を出さないように配慮していたのだということに気付いた。
彼女の姿が完全に消えたことを確認した俺は、念のため杖を藁の中に隠し、その上に寝転がりながら取っておいたパンに齧りついた。
パンを食べ終え、スープを飲み始めた頃、複数の足音が地下牢の出口の方へ向かう音が聞こえた。どうやら二人とも無事に牢から脱出できたようである。
ひとまず二人が地下牢から脱出できたことに安堵しながらも、ここからが正念場であることを、俺は自身に言い聞かせることで気持ちを昂らせた。
◇
目を閉じて気配を探ることに全力で集中していると、かすかな金属音を含んだ足音を感じ取った。
俺は藁の中から杖と取り出し、それを構えて深呼吸をした。
徐々に近づいて来る足音の主に集中をして、《雷撃》の魔法陣を予め描画しておく。
中途半端な威力の雷魔法で攻撃しても、相手は長い時間苦しんで死ぬことになるし、下手に生き残っても重い障害が残ってしまうかもしれない。
だったら短時間で苦しまず死ぬことができるように、高威力の《雷撃》で瞬殺するべきだろう思考に切り替える。
内心ではこの思考が倫理的に完全に間違っていることを分かっていながらも、そう考えないと人間に向けて魔法を放つ勇気が出ない自分に情けなさを感じる。
自分がこれから人を殺めるという事実に体が勝手に興奮しているのか、耳から心臓が飛び出てしまうかもしれないと錯覚するくらい大きく、早い周期の心音が聞こえる。
足音の主が牢の前に到着する瞬間、俺は覚悟を決めて鉄格子の隙間から騎士の前に杖を突きだし、雷撃を放った。
轟音と共に大きな衝撃が地下牢の中を駆け巡った後、静寂が訪れた。
俺は急いで鉄格子を掴んで牢の扉を開くと、《雷撃》を放った騎士の方を観た。
牢から顔を出すと、まず感じたのは地下牢に立ち込めていた悪臭とは異なる、不快な匂いであった。
騎士が居ると予想される場所に視線を向けると、人影が廊下に倒れこんでいた。
廊下のランプが切れている影響ではっきり様子を確認できないが、おそらく《雷撃》が直撃したのだろう。
確認のため廊下を進み、騎士であったであろうそれを確認した俺は、異臭の原因を理解した。――――人が焦げた匂いだ。
いまだに、張り裂けそうな心臓の音が俺の脳内に響く。
俺が放った《雷撃》は、巡回していた騎士を直撃し、一瞬のうちに体全体を炭化させていた。
よく観察すると《雷撃》によって体中の水分が一瞬のうちに蒸発したからか、いまだに若干の蒸気が騎士の遺体から立ち込めている。
遺体の姿をはっきり認識した途端、それまで感じていなかった『人間を殺した』という罪悪感が襲ってくる。
――――例えば、これが俺を侮辱してきた騎士だったのであれば、全く罪の意識を感じることは無かったであろう。
しかし、この騎士があの時侮辱してきた騎士の可能性は低いということを俺は知っている。
何故ならば、巡回と食事の提供を担当していたこの名も無き騎士は、態度は粗暴ながらも直接的な危害を俺に加えてくることは一度も無かったからである。
本当に彼を殺す必要があったのだろうかと思った瞬間、強烈な吐き気が襲ってきた。
「――――ウェェェェ......」
俺はその場に膝をつき、逃亡前に空腹で倒れないようにと食べたパンとスープを丸ごと吐き出してしまった。
早くこの場から逃げなければ、ということを頭では理解しつつも、俺は騎士の遺体からしばらく目を離すことができなかった。




