K1 道の途中 体力不足に 君のうた
高田穂波との出会いから、話は少し遡る。
「はぁ…はぁ…う…はぁ…うそ…だろ…」
2024年1月某日、年内最初の土曜日の合気道の稽古。
俺、下総築は道場で打ちひしがれていた。
原因を辿ると、2023年12月の審査会の打ち上げの飲み会。
外部から招いている師範の「お、下総、お前、来年の審査で三段受けろ」という、日本酒をひっかけながらの情緒も何もないひと言で、1年後の2024年12月の審査で、俺の三段審査を行うことが決まった。
で、翌年1月最初の土曜日の稽古後の自主練習で、試しに座技(正座の状態から行う技の全般)の技を指導員の先輩相手に一通り行ってみたのだが、その時点で太ももの筋肉が攣ってしまい、道場で転げ回ってしまったのだ。
「情けないっすね…大学の合気道部時代、膝行(正座の状態から膝を立てて、座ったまま歩行する合気道の歩行法)で5分ぐらいずっと道場往復してた下総さんはどこいったんすか?」
大学4年生の安西友希が、あきれたように肩をすくめる。彼女は俺が大学生の頃からの顔なじみで、今日も指導員の先輩と共に自主練習に付き合ってくれている。言い方に容赦がないのは、付き合いの長さ故で、子供のころからこの道場で遊んで…もとい稽古をしていたことから、最も体力のある時代の俺を知っているために出た言葉だ。
しかし…
「それ、もう6年ぐらい前の話だぞ。あの頃は20代前半で、合気道三昧の生活を送っていたし、卒業してからはブランクもあって、今や26歳。そりゃ、体力も落ちるさ。」
「それにしたってですよ。私より先にへばるなんて信じられない。やっと社会的にも稽古できる環境になったのに、稽古だけで体力切れ起こすなんて…そんなんで、三段審査、持つんですか?ほら、こんなお腹もぷにぷにで…」
「腹を触るのはやめんか。しかし…」
俺は何も言えなくなる。安西の言うことはもっともである。正直、ブランクで空いた分は少し稽古すれば戻ると思っていた。だが、体が学生の頃のようにスムーズに動かない…
「体力…つけ直すか…」
「ほんとですよ。私は…先輩の審査見れるの、楽しみなんですから。」
安西が顔を背けて言う。確かに、同じ大学の合気道部OBが、そんな情けないこと言ってたら、目も背けたくなろう。
「じゃぁ、ちょっと走り込みから始めるかな…あとは、部屋に物干し竿化した懸垂バーもあるから、それも使って筋トレもしてくかな…」
「走るとしたら仕事の後ですか?」
「そうだね。今の仕事は定時であがれるから、18時くらいってとこか。」
「あ、じゃぁ私もお付き合いします。」
「ん?なんで?俺の問題だから、俺一人で平気だよ。」
それに、安西に走るペースを合わせて手を抜かれでもしたら、先輩としての威厳にかかわる。
「あ…そっか…そうですよね〜」
頭をかきながら
「まぁ、見てろって、しっかりあの頃みたいに体力戻してやるから。」
そう言って、後輩に情けない姿は見せられんと、気合を入れ直すのだった。
それから、9ヶ月の間、週1回のランニング、週2回の筋トレ、そして週3回の稽古を続けた。思うように動かず、無理をすると体を痛める。体重は戻ってきたが、動き自体はまだ時間がかかりそうだ。
トレーニングの周期はだいぶ掴めるようになり、もっぱら月曜日がランニングの日であった。
ランニングは、イヤホンをして、ポルノグラフィティの曲を聴きながら走るのが定番になっていた。
5月くらいからだろうか。同じくランニングをしている若いポニーテールの女性と、広場でストレッチをするタイミングが、被るのに気づいた。
白のTシャツに、青のレギンスとショートパンツというシンプルなスタイル。
長い黒髪をポニーテールに束ねている。凛と涼し気な、目鼻立ちの整った可愛らしい女性だ。
歳は、俺より下だろう。
合気道を始めてから、人の体を見るのが癖になってしまっているが、彼女は全体的に引き締まっており、体幹もしっしている。おそらく、腰を低く保つスポーツでもしてたんだろう。走るのは苦ではなさそうだが、ストレッチの時に股関節が硬そうな素振りを見せていたため、ブランクはありそうだ…
いやいや、女性の体をまじまじと見るのも良くない。
ましてや向こうは真剣に体力づくりをしている人だ。不躾に見てはいけない。
俺は、ここではストレッチと合気道の基本運動の確認をしている。
船こぎ運動…片足を一歩前に出し、上体を相手の方向に向け、自分の臍下丹田から手を伸ばし、中心の力を相手に伝える動き。
一教運動…同じく、片足を一歩前に出し、上体を相手の方向に向け、手を指先から前に伸ばし、攻撃してくる相手に合わせる(攻撃を受ける)動き。
前後運動…同じ構えのまま、体の向きを前後に向け、一教運動する動き。
回転運動…手を伸ばしながら、足を直線上に運び、体を回転させる動き。
…これ、わからない人にはどう見ても怪しい動きなんだよね…
ポニーテールの女性も、最初は怪訝そうに見ていたが、1ヶ月も経つと慣れてくれたようだ。
正直、彼女は目の保養になるから、避けられないでいてくれてよかったと思っている。ランニングのモチベーションにかかわる。
9月になった。体重も学生時代くらいまで落ちて、肉体も大学時代くらいのころに戻りつつあった。受け身も1月と比較すると軽くなった。いい感じに体力と動きが戻ってきたのを感じていた、上旬の月曜日、よく晴れた、夕焼けの綺麗な日だった。
いつもの広場に着いた。ポニーテールの彼女もいる。真剣な顔つきで、ストレッチで体をほぐしている。俺はいつものルーティンをこなし、一息ついて飲み物を飲んでいると、細く高い、でもよく通る声が聞こえてきた。歌ってる?
それに…これの曲…頭のなかに伴奏が勝手に流れてくる。ピアノとバイオリンが特徴的な、歌詞を覚えるまで聞いた…狂おしいほど好きな、ポルノグラフィティのアルバム収録のマイナー曲。
「メジャー…」
Bメロに差し掛かるところで、俺も口ずさみ始める。彼女は歌うのをやめる様子はない。
サビにはいると、顔を見合わせ、少しずつ声が大きくなる。
彼女も楽しくなってきたらしい。声が弾んできた。
「ラーラー♪ラーラー♪ラーラーラーラー♪」
「…ふふっ」「ははは…」
ワンコーラス目の最後まで歌い終えると、彼女が小さく笑い始めた。俺も、おかしくなって豪快に笑ってしまった。何をしているのか…でも、あまり知られていない大好きな曲を、他人と歌うというのは、とても気持ちがいい。
一通り笑い終え、彼女に声をかける。笑った顔は初めて見たが、とても可愛らしい。年下だと思いつつも、つい、丁寧に話しかけてしまう。
「ポルノグラフィティの、「メジャー」ですね。お好きなんですか?」
彼女は口角をあげ、微笑み返してくれる。
「はい、とても。あのアルバムはどれもいい曲なんですけど、メジャーが一番好きです。なんか、元気が出て。」
「わかります。俺も、ポジティブな気持ちになれて何度も聞いちゃいました。最初の晴一のギターもキャッチーで。」
「そうですね。アルバム収録なのがもったいないくらい。」
彼女は一息つき、頭を下げる。
「ありがとうございました。一緒に歌ってくれて。気分が塞いでいたので、ありがたかったです。」
「そんな、邪魔になってなくて安心しました。」
「いえ、そんなそんな…歌、うまいんですね。」
「好きな曲ですし、カラオケも結構好きなので。」
「そうなんですね。私はあんまり行ったことなかったので…あぁ…自分で歌っておいて、今思うと恥ずかしい。」
顔を赤くする。本来、シャイな性格なのだろう。
「いえ、俺は、あなたの歌声好きですよ。」
「あ…えっと…ありがとうございます。」
………会話続かない。これ以上こうしていても仕方がないか…セクハラになる前に帰るか。
「じゃぁ、俺はここで。お疲れ様でした。」
「あ、はい、お疲れ様でした。」
ぱっと明るい笑顔を作り、頭を下げる。
また会いましょう…とは言えなかった。名前も知らない、ただの通りすがり。ただ、また会いたいと思わずにはいられなかった。
その週の土曜日の稽古で、道場の指導員の照井さんに座技の指導を付けてもらう。
道着の胸をつかまれ、動こうとするが、前に引き倒される。
「足で引いてて、体が残ってるわ。上体をしっかり立てて、丹田を意識して移動するのよ。」
「はい。やってみます。」
体を立てる。相手のつかみが先ほどより軽く感じる。そのまま脚から動くと、先輩の身体が前に崩れた。
「そう。そんな感じ。脚も動くようになってきたわね。」
「ありがとうございます。」
稽古後、道場代表の桐島さんより、連絡事項があった。
「来週土曜日から、秋の合気道体験教室が始まります。身近な方に、合気道にご興味のある方がいたら、ご案内してください。」
身近な人…今のところはいないか…会社にそういう人もいない、心当たりもない。
わらわらと解散となり、水分補給をしていると、安西が駆け寄ってくる。
「脚、持つようになりましたね。体力戻りました?」
「あぁ、だいぶね。学生時代までとは言えないけど、今ならまだ体力的には何とかできそうだよ。」
「そうですか。よかったです。」
安西がふと思いついたように提案してきた。
「ねえ、先輩、ちょっと投げてもらえません?技の方も元主将の私が見極めてあげますよ。」
「何度も一緒に稽古してて、見極めるも何もあるか?」
しかし、久しぶりに来たな。「投げてください」は、先輩への受けの稽古の依頼だ。上級者に投げられることで、相手の技の感覚をつかんで自分のものにしたりや、自分の受けの技術向上につなげられる。大学生が昔からよく行っている稽古である。こんなに挑発的にお願いしてくるやつは珍しいが。
「しかしまぁ、言ってくれるじゃないか?よし、やろう。何本?」
「じゃぁ、20本で。」
「よし、30本。」
「増えた!?くぅぅ…よっしゃぁ、やってやろうじゃないですか!」
「よし、来い。ええと…あ、岡崎、悪いんだが回数をカウントしてくれるか?こいつとやると夢中になって数えてられん。」
俺は近くにいた大学2年生の岡崎にカウントを頼む。
お互い向かい合って座り、礼をする。
「お願いします!」声が重なる。
立ち上がり、俺が片手を差し出すと、安西がそれを取ろうと前に出てくる。掴もうとするのを下ろし、転換(相手の側面へ移動し、横に並びになる体捌き)して前へ。安西が前回り受け身(前へ回転して衝撃を逃がす受け身)を取る。ずっと立ち上がり、再び取りに来る。
2本目は入り身で安西を捌き、その手を自分に寄せて、天秤投げ(腕をテコのように使い前へ投げる技)。
3本目…4本目…5本目………1本1本技を変えながら投げていく。見極めると言っていたがどうだろうか。10本目あたりで安西の息があがり始める。20本と言っていたのは、自分の体力を考慮してのことだったんだろう。その見極めは、流石、投げられ慣れている主将のものである。
遠くで、先輩道場生の「頑張れー」とか、「手加減してやれよ!下総!」という野次が聞こえてくる。
そろそろか…俺は安西の後ろへ深く入り身し、背中を取る。背中を後ろへ下ろすと、振り返ろうとした安西がベチャッと四つん這いにつぶれる。
まだ…厳しかったか。立ち上がれないのを少し誘導して立ち上がらせ、立ち上がったところを入身投げ。
「20!…21!…22!…23!…」
岡崎が通る声で投げた数をカウントしていく。安西の足がもつれそうになる。ちょっと容赦がなかったか。
「くそぅ!んぐぅ!」
安西が叫びながら立ち上がる。
「気合入れろ!ファイト!」
ついつい学生の時の声かけをしてしまう。しかし、なぜ、「ファイト」なのかは謎である。
「28!…29!…30!」
「よいしょ!」
最後は腰投げで安西を地面に転がす。立ち上がる安西を両手で制する。
制された安西は取りに来るのをやめ、後ろに下がり、座る。
俺も向かい合って座り、お互いに頭を下げる。
「ありがとうございました。」声が重なる。
礼を終えると、安西が「あぁぁぁー!」と疲れた声を上げて突っ伏した。
「お疲れ!大丈夫か?」
俺は手を差し出す。安西はその手を取り、立ち上がった。
「大丈夫です。あぁー!でも、入身投げまた潰されたー!今日はいけると思ったのにぃ!」
「まだ上体が突っ込んでるからな。しっかり腰立てていけばまだいけるようになる。でも、本当にうまくなったな。」
「ありがとう…ございます…ねぇ、先輩…」
「ん?」
安西が少し目を伏せながら問いかける。
「今回、私は卒論研究で稽古に顔出せなくなるので、三段の受け取らせてもらえないですけど、次、機会があったら、演武とか審査で使っていただけますか?」
思いもよらない申し出だった。男子ならたまにいるが、女子でここまで真剣に頼むのも珍しい。正直、体格的にも見栄え的にも女子を使うのは個人的には迷うが、一度どこかでという話なら良いだろう。
「わかった。次に機会があったらな。とりあえず、今は卒論頑張れ!」
ぱっと顔が明るくなり、「ありがとうございます!約束ですよ!」と言って道場の出口へ向かう。「あ、三段審査はちゃんと見に行くんで。先輩も頑張ってください。」
「おぅ、ありがとよ。」
礼をして道場を出る安西を見送り、自分も帰り支度を始める。
隣にいる岡崎に話しかける。
「あいつ、合気道好きだな。」
岡崎は一瞬怪訝な目をしたが、「そうっすね。」と小さく返してきた。
土曜日の道場での稽古が終わり、午後からは大学生の稽古。
その帰りの車のなかで、一人考える。明日はゆっくり休んで、明後日は月曜日。ポニーテールの彼女は、また来るだろうか…
次回、10月30日更新予定です。




