↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様は俺だけの素顔を知っている ~優等生をやめた夏、彼女と本当の恋が始まった~  作者: トンエリア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/31

第27話 はじめての、反論

 三学期は一月八日から始まった。


 二組の窓際から二番目の席には、鞄がなかった。


 その日も、次の日も、その次の日も。


 廊下を、いつもの時間に歩いた。歩く理由はもうないのに、体が勝手にそこを通る。


 誰ともすれ違わなかった。


 二組の教室の前を通ると、話し声が聞こえる。


「白鷺院さん、いつ戻ってくるのかな」


「三学期いっぱい休むって聞いた」


「委員長どうすんだろ」


 みんな普通に喋っていた。心配していないわけじゃない。ただ、心配は三日で日常に混ざる。


 俺のクラスでも同じだった。二組の話は、二組の話だ。


 混ざらなかったのは、たぶん、俺だけだった。


 ✱


 教室での俺は、たぶん、いつも通りだった。


 宿題を見せて、笑って、面倒な当番を引き受けた。三年かけて作ったものは、頭が働いていなくても勝手に動く。便利なものだ。


 便利なものだと思ったところで、四時間目の途中に一度、頭が空になった。


 教師が俺の名前を呼んだ。二回呼ばれて、俺は立った。


 何を聞かれたのか分からなかった。


 教室が静かになって、それから、誰かが小さく笑った。


「桐谷でも分かんないことあるんだ」


 その笑いに、俺は普通に笑い返した。


 笑い返してから、自分の口が動いたことに気づいた。


 ✱


 放課後、大地が来た。


「桐谷」


「なんだよ」


「白鷺院さん、入院したって」


 俺は鞄のファスナーを閉める手を止めた。


「そうらしいな」


「らしいな、じゃねえだろ」


 あいつは俺の前の席の椅子を引いて、後ろ向きに座った。


「クリスマスに駅前で人が倒れたって話、二組の連中が言ってた」


「……」


「そのとき一緒にいたやつが、名前呼んで叫んでたって」


 俺は何も言わなかった。


「桐谷」


「なんだよ」


「隠すのは勝手だけどな」


 あいつは机の縁を、指で一度叩いた。


「今のお前の顔、めちゃくちゃ下手だぞ」


 ✱


 俺は自分の顔を触った。


 触っても、何も分からなかった。


「一学期からずっと見てたけどな」


「見るなよ」


「見えるんだよ、前の席なんだから」


 大地は少しのあいだ黙って、それから言った。


「夏、お前、変わったろ」


「変わってない」


「変わったよ。前は、こっちが冗談言うと、いったん考えてから笑ってた」


 俺はそれを知らなかった。


「今は、先に笑うか、普通に無視するかのどっちかだ。そっちの方がいい」


「……そうかよ」


「で、今は」


 あいつは椅子から立った。


「今のお前、一学期より下手だ。一学期の桐谷は、少なくとも上手かった」


 あいつは鞄を肩にかけて、ドアの方へ歩いた。


 歩いてから、一度だけ振り返った。


「聞かないからな、俺は」


「聞けよ、そこまで言ったなら」


「聞いたら言うだろ、お前。言ったら楽になるだろ」


「なるだろ」


「楽になるとな、そのまま何もしないんだよ」


 あいつは手を上げて、出ていった。


 三好大地は、一学期からずっとこうだ。肝心なところだけ、正しい。


 ✱


 その夜、俺は琴音さんに電話をかけた。


 連絡先は、あの人から先に来た文のところに残っていた。かけていいのかは分からなかった。かけた。


『はい』


「桐谷です」


『存じております』


「あの」


 そこで詰まった。


 何を聞くつもりで押したのか、自分でも整理できていなかった。


『お嬢様は、面会をお断りになっております』


「……はい」


『わたくしから申し上げられるのは、そこまででございます』


「そうですか」


『わたくしは、お嬢様の使用人でございますので』


 夏に、二階の廊下で聞いたのと同じ言葉だった。あのとき俺は、答えになっていない、と思った。


 今度は、続きがあった。


『——ですが』


「はい」


『桐谷様は、お嬢様の使用人ではございません』


 俺は、スマホを持ち直した。


『わたくしは、命じられたことしかできません。命じられていないことをできる方が、一人だけおられます』


「それ、俺に言っていいんですか」


『いけません』


 あの人は、少しも声を変えなかった。


『ですので、これも、わたくしが勝手に申し上げております』


 ✱


 電話を切って、俺は机の前に座った。


 スケッチブックが二冊、置いてある。


 一冊目を開いた。


 一枚目。旧音楽室で、かき氷は何味かという話をしていたときの顔。


 二枚目。器を見下ろしている横顔。


 三枚目。土手に座って、ペットボトルを両手で持っている人。


 四枚目。机の上の白い犬と、暗い画面のスマホ。


 五枚目。浴衣で、ぬいぐるみを両手で持っている人。


 六枚目。跳ねた髪。


 俺は、それを順番にめくった。


 全部、思い残しの記録だ。


 そう思って見ると、実際にそう見えた。この人はリストを消していて、俺はその横で笑っていて、線が一本ずつ減っていく。


 三十七から、二十二まで。


 ✱


 七枚目でめくる手が止まったのは、たまたまだった。


 焼きそばパンを持っている絵だ。あれはリストの九番。購買でパンを買う。


 その前のページに戻った。


 六枚目。


 跳ねた髪。図書館。寝坊した日。


 あの日、リストは減っていない。


 俺はもう一度、前に戻った。


 四枚目。電話の夜。あれもリストの七番だ。ただし絵に描いてあるのは白い犬とスマホで、この人はどこにもいない。


 もう一度、後ろへ。


 十二枚目。


 閉じたピアノに背を向けて、広い部屋の床に座っている人。


 あの日、リストは減っていない。


 俺は絵から目を上げた。


 あの日、この人は何と言ったか。


 ——リストにありません。私が、そうしたかっただけです。


 ✱


 俺は一冊目を最初から並べ直した。


 机の上に、十四枚ぶんのページを開いて、順番に。


 リストの番号がついている日と、ついていない日がある。


 ついていない日が、三枚あった。


 四枚目。六枚目。十二枚目。


 三枚とも、この人が笑っている絵だった。


 思い残しは、番号がついている方だ。番号がついていない日は、思い残しじゃない。


 あれは、ただ、この人がそうしたかった日だ。


 スマホを出した。


 十一月の写真が残っている。水族館の、明るいスロープのところで撮ったやつだ。


 一枚目は目をつぶっていて、二枚目はちゃんと写っている。


 その次に、二人で写ったのが二枚。一枚目は距離が空いていて、二枚目は向こうが半歩寄っている。


 あの半歩は、リストのどこにも書いていない。


 俺はその写真を、しばらく見ていた。


 消さないでください、とこの人は言った。


 消さないでください、というのは、残しておいてくださいということだ。


 残しておいてくれと言うやつが、もう来るなと言うな。


 ✱


 俺はページを閉じた。


 閉じて、しばらく、二冊目の表紙を見ていた。


 一冊目が埋まったら渡す約束だった。だから、二冊目があると終わらない。


 分かって買いました、とこの人は言った。


 分かって買ったやつが、もう来るなと言うな。


 ✱


 次の日、俺は学校を早退した。


 仮病だ。夏に一度使った手を、二回目に使った。


 病院までは電車で二十分かかる。その二十分で、言うことを考えた。


 考えて、全部やめた。


 用意した言葉は、たぶん、この人には効かない。あの人は用意された言葉を十六年聞いて生きてきた人だ。用意されたものは全部、聞き流す訓練ができている。


 だから、持っていったのは二冊だけにした。


 電車の窓に、自分の顔が映っていた。


 大地の言う通りだった。下手だった。


 直そうとして、途中でやめた。今日は、直さないで行く。


 ✱


 四階の端。


 ドアの前に立って、俺は一度だけ息を吸った。


 中から音はしない。


 ノックをした。


 返事はなかった。


 もう一度ノックをして、それでも返事がなかったので、俺はドアを開けた。


 彼女はベッドの上で、窓の方を向いて座っていた。


 こっちを見て、顔が止まった。


「……来ないでくださいと、申し上げました」


「聞いた」


「では」


「聞いたけど、それは断る」


 俺は椅子を引いて、そこに座った。


 鞄からスケッチブックを二冊出して、ベッドの脇の台に置いた。


「話がある」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。