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お嬢様は俺だけの素顔を知っている ~優等生をやめた夏、彼女と本当の恋が始まった~  作者: トンエリア


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24/31

第24話 はじめての、クリスマス 

 十二月二十四日、五時。


 俺は約束の十分前に着いた。


 彼女は、来なかった。


 五時を過ぎた。


 あの人が遅れるのを、俺は夏に一度しか見ていない。あのときは寝坊で、それは俺のせいだった。


 暫くしたら、改札から出てきた。


 濃い色のコートを着ていた。歩き方はいつも通りで、髪も乱れていなかった。


「すいません、遅くなりました」


「どうした?」


「電車を、一本遅らせました」


 あっさり言った。


 あっさり言われると、こっちは何も返せない。


「なんかあるか」


 毎日聞くと言った。言った以上は聞く。


「ありません」


「そうか」


 ✱


「十五番です」


 彼女は手帳を出して、こっちに向けた。


 十五、クリスマスを、誰かと過ごす。


「まだ何もしてないぞ」


「歩いています」


「歩いてるだけだろ」


「誰かと、歩いています」


 消す気満々だった。


 ✱


 駅前から公園までの通りが、この時期だけ光る。


 並木の枝に電球が巻いてあって、上から下まで白い。人が全員そこを歩くので、進む速度は夏祭りの参道と同じだ。


 彼女は通りの入口で立ち止まった。


 しばらく、何も言わなかった。上を向いたまま、口も開けなかった。


「感想は」


「……あとで言います」


「今言えよ」


「今言うと、短くなります」


 白い光が顔に当たっていて、輪郭が全部見えていた。


 水族館のときと逆だ。あの日は暗くて、口の形しか見えなかった。


 今日は、全部見える。


 見えるところに、この人は立っている。


 ✱


 人が増えて、流れが詰まった。


 後ろから押されて、彼女の肩が半分ぶん流れた。


 俺は手を出した。


 彼女は自分の手を見て、それから、俺の手を見て、握った。今日は何も言わなかった。


 手袋越しだった。夏の祭りとは違って、体温は来ない。


 来ないのに、あのときより落ち着かなかった。


 通りの真ん中あたりで、人の流れが切れた。


 いつもならここで離す。夏の祭りのときも、水族館のときもそうだった。


 俺は指の力を抜いた。


 抜いた分だけ、向こうが握った。


「……まだです」


「まだって」


「まだです」


 それ以上は言わなかった。


 結局、通りを抜けるまで離さなかった。


 ✱


 広場のところで、彼女が鞄から包みを出した。


 包装の合わせ目が、まっすぐそろっている。自分で包んだやつだ。


「早くないか、渡すの」


「歩きながら食べられます」


「食い物かよ」


 缶が入っていた。開けたら、クッキーだった。


 丸いのと、星と、木と、あと一つはよく分からない形があった。


「これは何だ」


「トナカイです」


「……そうか」


「そうです」


 角が片方しかなかった。焼いている途中で落ちたらしい。


 一枚食べた。


「うまい」


 彼女の動きが止まった。


「……早くありませんか、感想が」


「うまいもんはすぐ分かるだろ」


「もう少し、考えてから言っていただけると」


「うまい」


 彼女は缶を両手で持ったまま、下を向いた。


 誕生日のあとに弁当を食わされたとき、この人は「普通」で泣きそうになっていた。今日は「うまい」で下を向いている。


 順調に上がってきている。


「琴音さんに教わったのか」


「はい。前より、早く覚えました」


「進歩だな」


「進歩です」


 ✱


 俺の方も渡した。


 紙袋のままだった。包装で勝てるわけがないので、最初から諦めた。


「これは」


「開けろよ」


 マフラーだった。灰色の、地味なやつだ。


 彼女はそれを両手で持って、しばらく見ていた。


「選ぶのに、時間がかかりましたか」


「聞くなよ」


「聞きます」


「……かかった」


「どのくらいですか」


「言わない」


「言ってください」


「言わない」


 三回言えばこの人は引き下がる。自分がいつもやっている手なので、効くのは知っている。


 彼女は首に巻いた。巻き方が分からないらしくて、途中でほどけて、やり直して、また崩れた。


 見かねて、俺が直した。


 直しているあいだ、この人は動かなかった。息もあまりしていなかった気がする。


「暖かいです」


「マフラーだからな」


「そうではなく」


 彼女は顎を少し引いて、灰色に口元を埋めた。


「今、暖かいです」


 ✱


 広場を抜けたところに、ベンチがあった。


 彼女が立ち止まった。


「奏太さん」


「うん」


「少し、座ります」


 俺は、たぶん止まった。


 この人が自分から「座ります」と言ったのを、俺は聞いたことがない。


 立ち止まったことはある。景色を見ていると言ったことも、写真を撮ってくれと言ったこともある。


 全部、理由がついていた。


 今日は、理由がついていなかった。


「……疲れたか」


「はい」


 あっさり言った。


 あっさり言われたので、俺はそれ以上聞かなかった。


 人混みの中を、押されながらずっと歩いていた。寒い。誰だって疲れる。


 俺たちはベンチに座った。


 人が歩いていく。ほとんどが二人だ。手をつないでいるのも、腕を組んでいるのも、笑っているのもいる。


「多いですね」


「今日だけだな」


「では、今のうちに、見ておきます」


 その言い方を、俺はそのとき、ただの感想だと思った。


「そういえば、感想」


「はい」


「あとで言うって言ったろ」


 彼女は少し考えて、それから、通りの方を向いたまま言った。


「明るすぎます」


「けなしてんのか」


「けなしていません。……明るすぎて、終わったあとが暗いだろうな、と思いました」


「変な感想だな」


「変です。ですので、あとにしました」


 ✱


「奏太さん」


「うん」


「言いましたよ、さっき」


「何を」


「疲れました、と」


 彼女はこっちを見た。


「夏は、言うまでにずいぶんかかりました」


「かかったな」


「今日は、すぐ言えました」


「進歩だな」


「進歩です」


 俺は笑った。


 笑いながら、どこかで一つ、噛み合っていない音を聞いた気がした。


 気がしただけだった。


 ✱


 俺はスケッチブックを出した。


「動くな」


「ここでですか」


「明るいからな、今日は」


 描いたのは、ベンチに座って、灰色のマフラーに口元を埋めている人だった。


 後ろに光の帯がある。夏祭りの絵と、構図が少し似た。


「これは、綺麗に描いてくださいましたね」


「今日はな」


「なぜですか」


「今日のお前が、そういう顔してたから」


 彼女は絵を見て、それから、少し長く黙った。


「同じことを、夏にも言われました」


「言ったな」


「覚えています」


「お前、全部覚えてるからな」


「覚えます。覚えるのは、得意です」


「昔からか」


「いいえ」


 彼女は絵から目を上げた。


「今年の、夏からのぶんだけです。それより前は、覚えていません」


「なんでだよ」


「覚えるものが、ありませんでした」


 ✱


「奏太さん」


「うん」


「来年も、ここに来ましょう」


 夏祭りのときは、俺が「来るよ」と言った。誕生日のときも、俺が言った。


 今日は、この人から言った。


「来る」


「約束ですか」


「約束」


「夏の花火も、まだ残っています」


「川の方な」


「はい」


「行くよ」


「約束が、増えました」


「増えたな」


 彼女はマフラーの端を、指で一度たぐった。


 ✱


 帰りは、改札まで一緒に歩いた。


 今日は迎えを頼まなかったらしい。電車で帰る、と言っていた。


「明日は」


「五時に、同じ場所で」


「二日連続かよ」


「両方、と申し上げました」


「言ったな」


 改札の前で、彼女は一度、マフラーを直した。


 直してから、こっちを見た。


「奏太さん」


「まだあんのか」


「今日は、いい日でした」


「明日もそうしろよ」


「はい」


 彼女は改札を通って、少し進んで、それから振り返った。


 振り返ったまま、動かなかった。


 人が横を通り過ぎていく。


「どうした」


 彼女は首を振って、それから、いつもの完璧な角度で頭を下げた。


「なんでもありません」


 その言い方が、今までのどの「ありません」とも違っていた。

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