↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様は俺だけの素顔を知っている ~優等生をやめた夏、彼女と本当の恋が始まった~  作者: トンエリア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/31

第21話 はじめての、誕生日

 十一月三日は祝日だ。


 十時に駅前へ行くと、彼女はもう改札の外にいた。


 私服だった。今日は少し薄い色の上着を着ている。


「おはようございます」


「早いな」


「予定に、余裕を持たせました」


 彼女は鞄から紙を出して、こっちに差し出した。


 A4の、印刷したやつだった。


 十時〇〇分、集合。十時四十分、水族館。十二時三十分、昼食。十五時、喫茶店。


「……これ、遠足のしおりだろ」


「予定表です」


「一分刻みじゃねえか」


「頑張って作りました」


 ✱


「十四番です」


 電車の中で、彼女は手帳を開いた。


 十四、誰かの誕生日を祝う。


「祝ったこと、ないのか」


「自分の誕生日は、毎年あります。食事が出て、贈り物が置いてあります」


「置いてある」


「はい。朝、部屋に」


 誰が置いたかも書いていない、みたいな言い方だった。


「祝われたことはあります。祝ったことが、ありません」


「で、なんで水族館なんだ」


「調べました。誕生日に行く場所として、最初に出てきました」


「調べたのかよ」


「はい。……琴音にも、一度だけ聞きました」


「あの人なんて」


「『お好きな場所になさいませ』と」


 役に立っていない。


 ✱


 祝日の水族館は、思っていたより混んでいた。


 入口で二十分並んだ時点で、彼女の眉が動いた。


「予定より、十分遅れています」


「遅れていいんだよ」


「予定表には、書いてありません」


「書いてなくても遅れるんだよ、こういうのは」


 中に入ると、暗かった。


 通路の両側が水槽で、光がそこからしか出ていない。人が多くて、流れがゆっくりしている。


 彼女は最初の水槽の前で止まって、そのまま一分くらい動かなかった。


「これは、何をしているのですか」


 銀色の細かいのが、大きな塊になってぐるぐる回っている。


「群れてるんだろ」


「なぜ、全員が同じ方を向くのですか」


「知らん」


「知らないのですか」


「魚に聞け」


 彼女はもう一度水槽を見て、それから、小さく笑った。


 暗いところで笑うと、この人の顔は輪郭が分からなくなる。分からなくなるぶん、口の形だけがよく見えた。


「奏太さん」


「うん」


「ここは、暗いですね」


「暗いな」


「顔が、見えません」


「見えてるだろ、近いんだから」


「他の方からは、見えません」


 俺は少し黙った。


「……それで選んだのか、ここ」


「一つ目の理由です」


「二つ目は」


「本当に、来てみたかったのです」


 どっちが本当かは聞かなかった。たぶん両方だ。


 ✱


 大きな水槽のところで、人がつかえた。


 後ろから来た家族連れに押されて、彼女の体が半歩ぶん流れた。


 俺は手を出した。


 夏祭りのときは、この人が先に手のひらを上に向けてきた。今日は、俺の方が先だった。


 彼女は自分の手を見て、それから、俺の手を見た。


「……順番が、逆です」


「文句あんのか」


「ありません」


 握った。


 クラゲの水槽の前は青い光で、握った手までうっすら青かった。


 人の流れが切れたところで離した。離すとき、向こうの指が一瞬だけ遅れた。


 ✱


 順路の最後は、上りのスロープになっている。


 登り切ると出口だ。


 その途中で、彼女が立ち止まった。


「奏太さん」


「なんだ」


「写真を、撮っていただけますか」


「今?」


「ここが、いちばん明るいです」


 言われてみれば、上の方から自然光が入っていて、たしかに明るかった。


 俺はスマホを出して、二枚撮った。


 一枚目は目をつぶっていて、二枚目はちゃんと写っていた。


 彼女は画面を覗き込んで、少し長く見ていた。


「これは、消さないでください」


「消さないよ」


「奏太さん」


「なんだよ」


「二人で写っているものが、まだ一つしかありません」


 プリクラだ。夏の、三枚目のやつ。


「撮るか」


「はい」


 通りかかった人に頼んだ。若い人で、二枚撮ってくれた。


 画面を確認して、彼女は少し不満そうな顔をした。


「距離が、空いています」


「そりゃ空くだろ」


「もう一枚、お願いできますか」


 二回目は、向こうから半歩寄ってきた。


 その半歩ぶんが、あとで見返すたびに効いてくることになる。


「では、行きましょう」


 スロープを登り切るまでに、たぶん普段の倍くらいかかった。


 混んでいたからだと思った。


 ✱


 昼は、水族館の隣のビルの店に入った。


 窓際で、海が見える席だった。


「いい店だな」


「調べました。窓から海が見えると書いてありました」


「合ってるな、書いてあったこと」


「今日は、これが初めてです」


 彼女はメニューを開いて、それから閉じた。


「決まりません」


「早いな、閉じるの」


「多すぎます」


「じゃあ写真がいちばんうまそうなやつにしろ」


「そういう決め方があるのですか」


「ある」


 彼女はもう一度開いて、しばらく見て、パスタを指した。


 俺も同じものにした。


 運ばれてきたのを、彼女は器用に巻いて食べた。フォークの持ち方も、巻き方も、たぶん教わったやつだ。


 それから、途中で手を止めた。


「奏太さん」


「うん」


「今日は、私が払います」


「は?」


「誕生日ですので」


「いや、それは」


「調べました。祝う側が払うと書いてありました」


「どこ調べたんだよ」


「三つのうち、二つにそう書いてありました」


「多数決かよ」


 結局、押し切られた。財布の出し方が異様に速かった。用意していたな、あれは。


 ✱


 三時に、駅前の喫茶店に入った。


 予定表の最後の行だ。


 古い建物の二階で、窓が大きくて、天井から下がっている照明が黄色い。客は静かに喋っている。俺が普段行く店ではない。


「ここも調べたのか」


「はい。ケーキが有名だそうです」


 彼女はメニューの、ケーキの並んでいるページを開いた。


 六種類あった。


「決まりません」


「また出た、それ」


「多すぎます」


「二つ頼んで半分ずつにするか」


 彼女の動きが止まった。


「……そういうことが、できるのですか」


「できるだろ」


「ずるくないですか」


「ずるくない」


 結局、モンブランとチーズケーキになった。


 彼女は自分の皿から一切れ分を切り分けて、こっちの皿に移した。移し方が異様に丁寧で、形が崩れていなかった。


 ✱


「奏太さん」


「うん」


 彼女はフォークを置いて、姿勢を直した。


 直し方が、ピアノの前に座るときと同じだった。


「今日、まだ言っていませんでした」


「何を」


「お誕生日、おめでとうございます」


 店の音が、少しだけ遠くなった。


 俺はケーキを口に運ぼうとして、その手を止めた。


「……朝、言えよそれ」


「朝は、言えませんでした」


「なんで」


「言うと、その日が始まってしまいます」


 彼女は窓の方を見た。


「始まったら、終わります。ですので、なるべく後ろにしました」


「祝う側の言うことじゃないだろ」


「そうですね」


 彼女は少し笑って、フォークを持ち直した。


 ✱


 贈り物は、包装がやたら丁寧だった。


 紙の合わせ目が、まっすぐそろっている。あれは自分で包んだやつだ。


 開けた。


 スケッチブックだった。


 今使っているのと、同じやつ。同じ大きさ、同じ紙、同じ表紙の色。


「まだ一冊目、半分も埋まってないぞ」


「はい」


「気が早すぎるだろ」


「はい」


 彼女はカップを両手で持った。


「夏に、おっしゃいました。ページが足りなくなったら、二冊目を買うと」


「……言ったな」


「では、もう買ってあります」


「同じ店で買ったのか、これ」


「同じ店です。背の文字を、覚えていました」


「いつ覚えたんだよ」


「夏です」


 俺は表紙を、指で一度なでた。新品の紙の音がした。


「なあ」


「はい」


「一冊目が埋まったら、渡す約束だったよな」


「はい」


「二冊目があると、終わらないぞ」


 彼女は少しのあいだ、黙っていた。


「はい」


「分かってて買ったのか」


「分かって、買いました」


 ✱


 描いたのは、店の席で、半分になったケーキの皿を前にしている人だった。


 窓の外が明るくて、顔の左側だけ光っている。


 十三枚目。一冊目の方に描いた。


「二冊目には、描かないのですか」


「まだ早い」


「私が渡したのに」


「早いんだよ」


 彼女は絵を受け取って、しばらく見ていた。


「奏太さん」


「うん」


「私は、去年の今日、奏太さんが生まれた日だと知りませんでした」


「知らないだろ、普通」


「来年は、知っています。再来年も、知っています」


 ✱


 帰り道、駅の手前で、俺は言った。


「来年もやれよ、これ」


 彼女は歩きながら、少しだけこっちを見た。


「予定表は、作りますか」


「作らなくていい」


「では、何をしますか」


「その日、決める」


 彼女はしばらく黙っていた。


 黙ったまま、五歩か六歩、歩いた。


「……はい」


 その「はい」が、いつもより遅かった。


 俺はそのとき、その遅さを何とも思わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。