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お嬢様は俺だけの素顔を知っている ~優等生をやめた夏、彼女と本当の恋が始まった~  作者: トンエリア


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18/31

第18話 はじめての、お弁当

「十二番です」


 次の日、旧音楽室で、彼女は手帳を開いた。


 十二、自分で作ったものを、誰かに食べてもらう。


「昨日の今日かよ」


「決めたことは、早い方がよいので」


「作れるのか」


「作れません」


 即答だった。


「ですので、教わります」


「誰に」


「琴音に頼みました」


「もう頼んだのかよ」


「昨日の夜に。『かしこまりました』と言われました」


 彼女は少し不服そうだった。理由を聞かれるつもりで、全部用意していったんだと思う。


 ✱


 その週の土曜の夜、電話が鳴った。


『三日間、教わりました』


「順調か」


『一日目は、卵を割るところからでした』


「割るところから」


『殻が入りました。琴音が箸で取ってくれました。あれは、道具を使えば取れるのですね』


「まあ、取れるな」


『二日目は、お米でした。研ぐのは、力を入れないのだそうです。私は最初、強く洗いすぎて怒られました』


「怒られたのか」


『「そこまでなさらなくても結構でございます」と言われました。』


『三日目は、詰め方です。ご飯を先に入れて、冷ましてから蓋をします。温かいまま閉じると、水が出るそうです』


「詳しくなってんな」


『卵焼きは、今日で七回目でした』


「七回」


『六回目までは、形になりませんでした。七回目に、琴音が後ろから箸を持ってくれました』


 あの人が手を出したのか。


『そうしたら、できました。自分の手でやったのに、自分の力ではありませんでした』


「一回できたら、次は一人でできるんだよ」


『そうでしょうか』


「そういうもんだ」


 電話の向こうで、紙をめくる音がした。この人は何をするにも記録を取る。


『……八回目は、一人でやってみます』


 ✱


 週明けの昼休み。


 旧音楽室のドアが開いて、彼女が入ってきた。


 両手で、布に包んだものを持っていた。持ち方が、体育祭の日と同じだった。


「お待たせしました」


「早いな」


「四時間目の終わりに、荷物をまとめておきました」


 彼女は机に置いて、結び目をほどいた。


 弁当箱が二つ出てきた。


「二段か」


「一つは、私のです」


 そうだった。この人も食べるんだ。


 蓋を開けた。


 卵焼きが四切れ。ウインナーが三本。ブロッコリーが二つ。ご飯の上に、ごまが振ってある。


 地味だった。地味だけど、ちゃんと弁当の形をしていた。


「……お」


「何もおっしゃらないでください」


「まだ何も言ってない」


「顔で言っておられます」


 ✱


 俺は卵焼きを一切れ食べた。


 普通だった。


 甘くて、少ししょっぱくて、端の方が少し固い。切った幅が全部違うので、四切れとも食感が違う。


 でも、卵焼きだった。ちゃんと卵焼きの味がした。


「普通にうまい」


 彼女の動きが止まった。


「……普通」


「うん、普通」


「普通、ですか」


「普通だろ。文句あんのか」


 彼女は箸を持ったまま、しばらく黙っていた。


 それから、小さい声で言った。


「私、普通と言われたのは、初めてです」


 俺は口の中のものを飲み込んだ。


 言われてみれば、そうだ。


 この人に貼られてきた言葉は、たぶん全部、普通の反対側にある。完璧。優秀。立派。よくできました。


 普通にうまい、と言われたことは、一度もなかったんだろう。


「そんな喜ぶとこか」


「喜んでいます」


「顔に出てないぞ」


「……嘘です」


「嘘じゃない。目のとこ」


 彼女は反射で目の下に指を当てて、それから、当てたことを後悔する顔をした。


 ✱


 ウインナーは、足が三本しかなかった。


「これ、タコにしようとしたろ」


「しました。切り込みは八本入れました」


「五本どこ行った」


「浅かったようです」


「まあ、開くやつだけ開いたんだろ」


「不公平です」


「タコに公平もクソもないだろ」


 ブロッコリーは、少し柔らかかった。


「これ、何分やった」


「三分と教わりました。……四分半、やりました」


「なんで一分半足した」


「不安だったので」


「聞けよ、隣にいたんだろ」


「聞きました。『三分でございます』と言われました」


「じゃあ三分だろ」


「それでも、不安でした」


 この人は、人の言うことは信じるけど、自分の手だけは信じない。


 ✱


 俺は最後の一口を食べて、蓋を閉めた。


「食えよ、そっちも」


「気になります」


 結局、彼女が自分の分に手をつけたのは、俺が箸を置いたあとだった。


 一口食べて、彼女は少し首をかしげた。


「……端が固いです」


「固かったな」


「言ってくださればよかったのに」


「言ったら直せんのかよ、今」


「直せません。ですが、知っておきたいです」


「じゃあ言う。端が固い。あと、ブロッコリーが柔らかい」


「はい」


「ウインナーの足は三本」


「それは、もう聞きました」


 彼女はメモを取ろうとして、鞄に手を伸ばしかけて、やめた。


「覚えます」


 ✱


「奏太さん」


「うん」


「十二番のことですが」


「消せよ。食っただろ」


「『普通』では、消せません」


「面倒くさいなお前」


「面倒くさいです」


 彼女は箸を置いて、こっちを見た。


「おいしい、と言われたら、消します」


「言わせにきてるだろ、それ」


「言わせにきています」


 まっすぐ言うな。


 俺は椅子の背にもたれて、天井を見た。ひび割れが一本、去年より少し伸びている気がする。


「……うまかったよ」


「はい」


 彼女は手帳を出して、線を引いた。


「二十五です」


「減ったな」


「はい」


 ✱


 描いたのは、蓋を開けた弁当箱を挟んで、正面に座っている人だった。


 背筋は伸びている。手は膝の上。目だけが、明らかに落ち着いていない。


 十枚目。


「これは、私が緊張している絵です」


「そう見えるように描いた」


「消してください」


「無理だな」


「なぜですか」


「今日のお前が、そうだったから」


 彼女は絵を両手で持って、しばらく見ていた。


 それから、机に置いて、指で少しだけこっちに押した。返すときの、いつもの動きだった。


 ✱


 帰り道、いつもの川沿いで、彼女の歩くのが遅かった。


 俺は二回、歩調を落とした。


「疲れてんのか」


「今日は、朝が早かったので」


「何時」


「五時です。五時に起きて、六時から作りました」


「二時間かかったのか」


「卵焼きに、一時間かかりました」


「一時間で四切れかよ」


「三回、作り直しました」


「琴音さん、朝もいたのか」


「いました。私より先に、台所にいました」


「手伝ってもらったのか」


「一度だけです。火加減のときに、『今でございます』と」


 あの人は、必要なところにだけ一言置いていく。


「あと」


「うん」


「昨日の夜、聞かれました。『お二つ、お作りになりますか』と」


 俺は前を向いたまま、少しだけ笑った。


「二つって言ったのか」


「言っていません。……聞かれる前から、材料が二人分ありました」


 あの人は、理由を聞かない。聞かないかわりに、全部見ている。


 ✱


 坂の下で、彼女が立ち止まった。


「奏太さん」


「なんだ」


「作っているあいだ、ずっと、奏太さんのことを考えていました」


「……いきなり言うな」


「ご報告です」


「報告するな」


「では、黙っていればよかったですか」


「……よくない」


 彼女は少しだけ笑って、それから、鞄を持ち直した。


 ✱


 別れる前に、思い出したように彼女が言った。


「奏太さん」


「まだあんのか」


「あの二匹は、まだお部屋にいますか」


 白い犬と、名前の分からない生き物。ゲームセンターと、夏祭りだ。


「いるけど」


「どんな並びですか」


「並びって」


「隣同士ですか。それとも、離れていますか」


「……隣だよ」


 彼女は少し黙った。


「見てみたいです」

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