↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様は俺だけの素顔を知っている ~優等生をやめた夏、彼女と本当の恋が始まった~  作者: トンエリア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/31

第11話 はじめての、電話

「今日は七番を、やりましょう」


 旧音楽室で、彼女は手帳を開いて見せてきた。


 七、用がないのに、電話をする。


「電話って、用があるからかけるもんじゃないのか」


「そう教わりました」


「じゃあこれ、教わったことの逆だろ」


「はい。だから書きました」


 書いた理由が最初から反抗だったらしい。この人、ときどきけっこう根性が悪い。


「用のない電話は、私の家では『無駄話』といいます。無駄話をする相手が、私にはいません」


「琴音さんは」


「あの人は、用があるときしか・・・」


 彼女はスマートフォンを出して、画面をこっちに向けた。


 連絡先の一覧。上から順に、父。母。早坂琴音。家庭教師が三人。学校の代表番号。かかりつけの病院。以上。


 九件だった。


 十六年生きて、九件。


 俺のスマホには、たぶん八十件くらい入っている。そのうち七十件は名前しか覚えていない。連絡先の数と、その人と話した時間は、まったく比例しない。


 それは分かっている。分かっているけど、九件は少ない。


「見せなくていいんだぞ、これ」


「見られて困るものが、ありませんので」


「そこも含めて言ってんの」


「桐谷さんの連絡先を、まだ知りません」


「……あ」


 俺も気づいた。この夏、ずっと会ったその場で次の約束をしていたから、そもそも交換していなかった。


「じゃあ、今」


「はい」


 ✱


 問題は、登録する名前だった。


「これ、見られるだろ」


「見られます」


「じゃあ本名はまずい」


「では、なんと登録すれば」


「『学校』とか」


「もうあります」


「『クラスメイト』」


「そう書いてあるだけで、逆に怪しいです」


 言われてみればそうだ。


 彼女はしばらく画面を見て、考え込んだ。真剣な顔で。


「では、下の名前だけにします」


「え」


「桐谷、が問題なのです。桐谷という名字は、うちの学校に一人しかいませんので」


「そういう問題か?」


「そういう問題です」


 彼女は指を動かして、二文字だけ打った。


 画面を見せられて、俺は言葉に詰まった。


 そうた、とだけ書いてあった。ひらがなで。


「……なんでひらがな」


「漢字を間違えると失礼なので」


「合ってるだろ、奏でるに太い」


「あ」


 彼女は打ち直した。今度は漢字になった。


 俺の名前だけが、家庭教師三人と病院の間に挟まって並んでいる。


 なんというか、その並びを見ていたら、変な気分になった。


「白鷺院さんのは、どう登録する」


「桐谷さんのスマホは、誰も見ませんよね」


「見ない」


「では、本名で」


「じゃあそうする」


 俺は普通に「白鷺院澪」と打った。打ってから、少しだけ手を止めた。


 止めた理由は、自分でもよく分からなかった。


 ✱


 その夜、九時ちょうどにスマホが鳴った。


 約束は九時だった。ちょうど、というより、たぶん秒単位で合わせている。


「もしもし」


『桐谷さん』


 声が、耳のすぐ横で鳴った。


 当たり前だ。電話ってそういうものだ。それでも、俺は一度、スマホを持ち直した。


『用がありません』


「知ってる。それが今日の課題だろ」


『では、どうすれば』


「何か喋ろう」


『何か、がいちばん難しいです』


「そうだよな」


 沈黙が落ちた。


 三秒、五秒、十秒。


 普通なら気まずいはずのやつだ。教室で誰かと二人きりになって、話題が切れたときの、あの空気。俺はあれが苦手で、だからいつも先に何か喋る。何か喋るのは俺の仕事だった。


 でも、そのときは喋らなかった。


 向こうも喋らなかった。


 息の音と、遠くで車が通る音と、たぶん向こうの家の廊下を誰かが歩いている音。それだけが十秒くらい続いて、そのあいだ、俺は一度も焦らなかった。


 変な話だ。教室で三秒黙るのは怖いのに、電話で十秒黙るのは平気だった。


 相手が違うだけかもしれない。


 電話の向こうで、紙をめくるような小さい音がした。


「なにしてんの」


『手帳を見ています』


「消す準備か」


『まだ早いです。三分では、電話とは言えません』


「基準あるのかよ」


『あります。今、決めました』


「今決めたのかよ」


『決めておかないと、切ってしまいますので』


 その言い方で、俺は少し分かった。


 この人は今、切りたくないんじゃない。切ってはいけない理由を、自分に用意しているんだ。用がないと動けない人が、用のない時間の中にいるために。


「じゃあ、三分の間、俺が喋る」


『はい』


「今日、母さんに麦茶のパック買ってこいって頼まれて、それを忘れて、代わりに何も買わずに帰ってきた」


『……それだけですか』


「それだけ」


『無駄話でした』


「そう。これが無駄話」


 向こうで、息を吸う音がした。


『では、私も。今日、ピアノの椅子の高さが、いつもと一段違いました』


「誰かが座ったんだろ」


『調律の方だと思います』


「戻したか」


『戻しました。戻してから、三十分くらい、なんとなく落ち着きませんでした』


「それも無駄話だな」


『無駄話でした』


 少し笑う音がした。


 ✱


 結局、一時間喋った。


 中身はほとんど何もなかった。彼女の部屋には机が二つあるとか、勉強用と手紙用で分けているとか、手紙を書く相手はほとんど親戚だとか。


『桐谷さんの部屋には、机がいくつありますか』


「一つ」


『一つで足りますか』


「足りる。というか、二つあったら片方に物が積まれるだけだろ」


『積んでよいのですか』


「積むだろ普通。教科書とか、読みかけの本とか」


『……私の机には、何も出ていません』


「なんで」


『出しっぱなしは、だらしないので』


「じゃあ今、机の上になんかある?」


 少し間が空いた。


『手帳と、スマホと、鉛筆が二本』


「鉛筆」


『桐谷さんの分です。渡しそびれたまま、置いてあります』


 旧音楽室で初めて描いた日、帰り際に言われたやつだ。持ってくると言って、そのあと持ってこなかった。たぶん、渡す口実を探していたわけじゃなくて、渡すときに俺が何か言うのが怖かったんだと思う。


 この人は、そういう回り道をする。


「明日持ってこい」


『はい』


「二本な」


『二本です』


 俺の方は、白い犬の話をした。


「机の上にいる」


『まだ置いてくださっているのですか』


「捨てるわけないだろ」


『どのあたりですか』


「視界に入るとこ」


 少し間が空いた。


『……それは、どのあたりですか』


「聞き方を変えるな」


 彼女が笑った。声だけで笑われると、なんというか、逃げ場がない。


 顔が見えないぶん、こっちも隠せない。俺は自分の耳が熱いのを、誰にも見られていないのに、手で押さえていた。


『桐谷さん』


「うん」


『電話は、便利ですね』


「そうか?」


『顔が見えません。だから、言えることが増えます』


「……たとえば」


『桐谷さんの声が、耳のすぐ近くで鳴ります』


 俺は天井を見た。


『不思議な感じです。今、この部屋には私しかいないのに、桐谷さんの方が近いです』


「白鷺院さん」


『はい』


「それ、昼間なら言わないやつだろ」


『言いません』


「だろうな」


『電話は、便利ですね』


 二回言うな。


 ✱


『そろそろ、切ります』


「もうそんな時間か」


『十時七分です』


「一時間七分か」


『三分の基準は、余裕で超えました』


「胸を張るとこじゃない」


『七番、消せます』


「消せるな」


『三十です』


 三十。


 最初に見たときは三十七だった。あれから、二十日も経っていない。


「なあ」


『はい』


「そのリスト、書いたのいつ」


 少し、間があった。


『……何年か前です』


「何年か」


『はっきりとは、覚えていません』


 覚えていない人の間の空け方じゃなかった。


 でも俺は、そこを追わなかった。追ったら、この一時間が終わる気がしたからだ。


 今にして思えば、あそこで聞いておけばよかった。聞いたところで、たぶん何も変わらなかったけれど。


『桐谷さん』


「うん」


『今日、絵はどうなりますか』


「電話は描けないだろ」


『そうですね』


「でも描く。なんか描く」


『では、明日見せてください』


「明日な」


 電話を切る間際だった。


『では、おやすみなさい』


「おやすみ」


『……あの』


「まだあるのか」


『いえ』


「なんだよ」


『……』


「切るなら切れよ」


『はい』


『……奏太さん』


 通話が切れた。


 早かった。逃げたな、と分かる速度だった。


 俺はスマホを耳に当てたまま、たぶん十秒くらい、そのままでいた。


 ツー、ツー、という音だけが、耳のすぐ近くで鳴っていた。


 ……今の。


 今の、聞き間違いじゃないよな。


 かけ直そうかと思って、指が画面の上で止まった。かけ直して、何を言うんだ。今のもう一回言えとでも言うのか。


 言えるわけがない。


 俺はスマホを机に伏せて置いた。置いてから、三十秒くらいして、また表を向けた。


 着信履歴の一番上には、白鷺院澪、と表示されていた。


 向こうの画面には、たぶん俺の下の名前だけが残っている。家庭教師三人と、病院の間に。


 なんでその並びを思い出したのかは、自分でもよく分からなかった。


 ✱


 机に向かって、スケッチブックを開いた。


 電話は描けない。声も描けない。


 しばらく白いページを見てから、俺は結局、机の上の白い犬を描いた。その横に、置きっぱなしのスマホを描いた。画面はもう暗くなっている。


 四枚目。


 これまでの三枚と違って、そこに彼女はいない。


 いないのに、この一枚は、明らかに彼女の日だった。


 俺は右下に日付を入れて、鉛筆を置いた。


 置いてから、さっきの最後の一言を、もう一度頭の中で再生した。


 ……何回か、再生した。回数は、数えないことにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。