祝宴が始まった瞬間、青い指輪が二度脈打った
気づけば、俺は真っ白な正装に押し込められ、神殿の控室に放り込まれていた。
鏡の中の俺は、どう見ても「着せ替え人形(新郎Ver.)」だ。肩は凝るし、首元は本気で締めにきてる。息を吸うたび胸の奥が小さく鳴って、吐くたびに「今なら逃げられるぞ」と脳が囁いた。
逃げるな、俺。
逃げたら、あの手に触れないまま終わる。
ここ数日の記憶は、暴走する美咲先輩に振り回された残像しか残っていない。
「いい? 直輝くん。予算は無限、時間は有限。ギルドの掲示板は抑えたし、神殿には寄進も済ませた。あとは……あんたが歩くだけよ!」
勢いが強すぎて、控室の壁が押されそうだ。先輩の手には、いつの間にか自作された『結婚式進行台本・極』。表紙の字がでかい。極ってなんだ。こっちの心臓が極限なんだが。
だけど、その声にはいつもの軽さだけじゃなくて、変に優しい熱が混じっていた。焦らせたいんじゃない。背中を押したいんだ。たぶん。
その台本を見て「……死ぬ気か」と小さく呟いたヴァルターが、結局いちばん重い腰を上げて根回しを済ませてしまったのも、今となっては遠い話に聞こえる。ギルドにも神殿にも顔を出して、神官に段取りを淡々と伝えて、最後に先輩の暴走を一回だけ視線で止めた。
視線だけで止まる先輩も怖いし、止めるヴァルターも怖い。
でも、その怖さがあるから、俺は今ここに立たされてる。
気づいたら貼り紙が出て、気づいたら席順が決まって、気づいたら衣装が届いていた。採寸された記憶? ない。たぶん寝てた。いや、起きてたはずだ。俺の尊厳だけどこかに落ちてる。
地球に持ち帰れない金貨は、美咲先輩の手に渡ると恐ろしい速度で「現実」に変わった。笑うしかないくらい、あっという間だった。使えない金がいちばん厄介だと、身体で覚えた。
「直輝くん、顔が引きつってる。ほら、笑顔。百――」
「先輩、その言い方、古いです。笑顔の前に呼吸が欲しいんですけど」
言い終わる前に、背中に衝撃が来た。
「じゃあ叩いて起こしてあげる!」
「ぐっ……!」
喉の奥が変な音を立てた。肺が裏返るかと思ったが、痛みのおかげで頭だけ現実に戻る。嫌な覚醒だ。目が冴えて、心が置いていかれる。
「ほら起きた。次。顎上げて」
「顎上げたら首が折れますって」
「折れない。折れたらヴァルターさんが直す」
「万能すぎません?」
先輩が「直る前提で話すな」って顔をして、俺の襟元を整える。爪が当たって少し痛い。丁寧なところが逆に怖い。大事にされてる感じがして、もっと怖い。
その時、控室の扉の向こうから軽い足音が近づいた。
「ナオキ! いる!? ちょっと見ていい!?」
返事をする前に扉が開きかける。
「ダメ!」
先輩の手が速い。隙間を塞いで押し返す。ばたばたと音だけが踊って、向こうでラナがむくれてる気配がした。
「えー! 一瞬だけ!」
「一瞬が積もると式が詰むの!」
「詰むってなに!?」
「全部ダメになるってこと!」
「じゃあ我慢する……でも入口で待ってる!」
待つな。入口で待つな。圧が増す。
俺が息を整えようとしたところで、扉が今度は落ち着いた音で開いた。
ヴァルターが立っている。いつも通りの顔なのに、今日は服が妙に正しくて、それだけで圧が増してる。
「準備はいいか」
「よくないです。……でも逃げません」
自分で言っておいて、喉が鳴った。ヴァルターの眉がほんの少しだけ動く。笑うでもないのに、「それでいい」って合図だけが落ちた。
その背後――廊下の空気が、少しだけ揺れた。
布が擦れる音。重いものを引きずるみたいな、控えめな足取り。
いる。見なくても分かる。
「……ナオキ」
声だけが、近くから届いた。掠れてて、呼吸が浅い。
胸の奥がきゅっと縮む。視線が勝手に扉の向こうを探すのに、ヴァルターが一歩、前に出た。
「会うな。今は声だけだ。式で、ちゃんと見ろ」
命令というより、手順だった。余計なことをさせないための、優しい圧。
俺は唇を噛んで、扉の向こうへ声を落とした。
「リヴ。大丈夫か」
「……これ、あってる? ぬげない。おもい。たすけて」
一瞬で空気が「いつものリヴ」に戻る。喉に張り付いてた緊張が、息になって抜けた。泣きそうになるのを奥歯で止める。
「合ってる。すげぇ合ってる。……もう少しだ。ちゃんと、そこまで連れていく」
向こうで、息を吸う音がした。短くて、震える一拍。
「ナオキ……にげない?」
言葉が、痛いほど真っ直ぐだった。
「逃げない。置いていかない」
言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。軽くなった分、怖さも全部、ちゃんと残る。
扉の向こうで布が擦れて、足音が遠ざかっていった。最後に小さく、声が落ちる。
「……うん」
それだけ。
俺は鏡の中の自分を一度だけ見て、視線を外した。
逃げない。置いていかない。
それだけを、胸の奥に押し込んだ。
「行くぞ」
ヴァルターが言った。
「はい」
返事が固い。分かってる。今日の俺は、固くていい。
控室を出ると、廊下の冷えた空気が肌に触れた。香の匂いが濃くなり、遠くで楽器の低い音が腹に響く。扉の向こうに人の気配が詰まっている。
祝福って、数で圧が増す。
でも、怖いだけじゃなかった。俺たちのために集まってくれた人の数だと思った瞬間、足の震えが少しだけ落ち着いた。
神殿の大扉が開く。
空気が変わった。
静まり返った聖域。高い天井に響く重い音。花の香りが一段濃くなって、視線が一斉にこっちへ向く。
席にはギルドの連中が、妙に静かに座っていた。正装してるのが逆に怖い。ネクタイが斜めのやつ、首元が苦しそうなやつ、胸を張りすぎて鎧みたいになってるやつ。
あいつらが真面目な顔をしてるだけで、もう泣ける。
俺はヴァルターに背中を押されるように、祭壇まで歩く。歩くしかない。逃げ道なんて、最初から綺麗に塞がれてる。
正面に立ったところで、楽器の音が一拍落ちた。
息が詰まる。
侍祭が鈴を鳴らす。ちん、と高い音が落ちて、胸の奥の固さを撫でるように通っていった。
神官の言葉がゆっくり流れる。全部を理解する余裕はないのに、「誓い」「証人」「ここに集う者」だけが勝手に刺さる。
塞がれていい。
今は、塞がれていい。
視線の先で、扉が開く気配がした。
空気が一段、静かになる。
俺は、息の仕方を忘れた。
そこに――リヴがいた。
真っ白なドレスに包まれた姿が、まっすぐ視界に飛び込んできた瞬間、頭が真っ白になった。綺麗だ、と言葉にする前に喉が乾いて、声の出し方が分からなくなる。
ただ綺麗、じゃない。
いつもの旅装で笑ってるリヴも知ってる。疲れて眠って、目を擦って、俺の袖を掴んでくるリヴも知ってる。泣きそうな顔で「だいじょうぶ」って言う癖も知ってる。
そういう全部が、ちゃんとここに繋がってると思った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。
この世界に来てから、何度も守れなかった。助けられなかった。間に合わなかった。
それでも今。
リヴは、俺の方に来てくれてる。
彼女の肩が小さく震えた。指先が、ドレスの布をぎゅっと掴んでるのが見えた。怖いんだろう。重いんだろう。苦しいんだろう。
でも、歩いてきた。
目が合う。瞳が潤んでるのに、逃げない目だ。
小さく息を吸って、彼女は囁いた。
「ナオキ……」
それだけで、胸の奥がほどけた。ほどけた分、崩れそうになる。俺は奥歯に力を入れて、息を一つ落とした。
「……来てくれて、ありがとう」
リヴの口角が、ほんの少しだけ上がる。
その笑みが、反則だった。
神官の声が落ちる。儀式が進む。言葉は耳に入っているのに、俺の意識はリヴの呼吸だけに引っ張られる。
促されるまま、俺はリヴの手を取る。
小さくて温かい。けど驚くほど震えてる。止めたいのに止められない震えだ。俺は指先に力を入れて、入れすぎないように調整した。痛くしたくない。離したくない。その加減が難しい。
リヴが、俺の指をぎゅっと握り返してくる。
同じ気持ちだって、分かった。
「誓いを、ナオキ」
神官に促され、短く息を吸う。
用意していた台詞なんて、もうどこにもない。ただ、目の前のこの瞳を二度と不安にさせたくない。それだけが言葉の形で出てきた。
「……守る。あんたが俺を選んだこと、絶対に後悔させない。何があっても最後まで隣にいる。約束だ」
最後は少し声が掠れた。綺麗に言い切ると嘘になる気がして、そのまま置いた。喉が熱い。目が滲む。見られたら終わる。
静けさの中で、誰かが息を飲む音がした。近いのに遠い。ここにいる全員が、同じ瞬間に呼吸を忘れたみたいだった。
リヴが一拍、呼吸を止める。
それから俺を真っ直ぐ見上げて、はっきり言った。声は震えているのに、目が揺れない。逃げない目だ。
「リヴも。ナオキといっしょにあるく。どんなに、きつくても。……約束」
短いのに重い。胸の奥がぎゅっと鳴った。泣くな。ここで泣いたら、誓いが滲む。
侍祭が箱を差し出す。白い布の上に、青い指輪がふたつ。神殿の光の中でも沈まない色だ。触れる前から指先が落ち着かない。
俺は指輪を取って、リヴの薬指へ滑り込ませた。
その瞬間。
光ったわけじゃない。指輪が、生き物みたいに「ドクン」と脈打った。
熱い。
心臓を直接掴まれたみたいな拍動が、指先から腕へ、胸へ駆け上がる。肩が跳ねそうになって、奥歯を噛んだ。情けない声を出すな。ここで崩れたら、リヴが不安になる。
リヴの指の指輪も、同じリズムで温度を上げる。
怖いんじゃない。逃げたいんでもない。
ただ――胸の奥まで、温かい。
約束が、形じゃなくて熱になって残った。
リヴの目が見開かれる。
「……あつい」
「俺も熱い。……平気か?」
声が掠れて、喉が乾いた。
リヴは一瞬だけ唇を噛んで、それから小さく笑った。泣きそうな顔で笑うの、反則だ。
「へいき。……へいき、のふり」
その言い方が、あまりにリヴで。
俺は笑いそうになって、喉が鳴った。泣きそうなのに笑う。胸がぐちゃぐちゃだ。
その瞬間、拍手が爆発した。
ぱんぱんじゃない。ごうっと音が立つ。椅子が揺れて、床を踏み鳴らす音が混じる。ギルドのやつらが我慢できずに叫んだ。
「新郎ー! 逃げるなよー!」
「逃げねえよ!」
反射で返したら、笑いが起きた。笑いと拍手が混ざって、神殿の空気がやっと息をした。
美咲先輩はスマホを掲げて号泣している。泣いてるのに撮ってる。手が一ミリもブレてないのが怖い。
でも、目が合った。
先輩が泣き顔のまま、口だけで「よくやった」って言った。
胸の奥が、もう一段ほど軽くなる。
「尊い……っ! 尊いってこういうこと……っ!」
「先輩、泣きながら実況しないでください……!」
「する! 記録は正義!」
ラナが、今度は入口の隙間から顔だけ出して叫んだ。
「ねえええ! 今の見た! すっごい綺麗だった!」
「見たのかよ!」
「見た! 一瞬だけ! バレてない!」
いや絶対バレてる。先輩が泣きながら親指を立ててる。共犯確定。
神官が最後の言葉を結び、鈴が鳴る。高い音が落ちた瞬間、拍手はさらに大きくなった。
式が終わった。
終わった、はずだ。
――でも、ここからが地獄なのは分かる。視界の端で、美咲先輩が泣き止んでいる。切り替えが早い。怖い。
案の定、先輩が突撃してきた。
「はい! 新郎新婦! 逃げない! このあと祝宴! 集合写真! 乾杯! 直輝くん、笑顔はあとでいいから歩いて!」
「あとでって言ったのに、もう走ってるじゃないですか!」
「走ってない、進行してるの!」
「意味同じです!」
俺が叫ぶと、また笑いが起きた。式の締めが俺の悲鳴でいいのか。……まあ、今日だけはいい。
空の光が、きらきらと降ってくる。
祝福の魔法なのに、神殿の石畳に落ちるたび、音もなく弾けて消える。子どもみたいに追いかけたくなる眩しさだった。……普通なら。
俺の指先は、追いかけるより先に熱を追いかけられていた。
青い指輪が、さっきからずっと温かい。消えない。波みたいに熱を溜めて、ふいに鼓動みたいに深く来る。
リヴが俺の腕に頬を寄せたまま、息を吸って吐く。その吐息が少し浅い。唇が開きかけて、言葉になる前に閉じる。
「……ナオキ」
名前だけで、胸の奥が緩む。緩んだ分だけ、怖さが見える。俺は笑ってる顔を必死に保ったまま、リヴの手を包み直した。強く握りすぎない。震えを止めたいのに止められない距離がある。
「大丈夫。今は、俺の横にいろ」
口から出たのは、格好いいというより必死な台詞だった。自分で言っておいて喉が乾く。
リヴは目だけで俺を見上げて、小さく頷く。頷きながらも、指先が俺の指を一回、ぎゅ、と握った。
――離さない。
言葉より先に、手がそう言ってくる。
「リヴちゃん、ドレスの裾踏まないでね。直輝くん、手、ちゃんと。エスコート、ほら、見せ場だから!」
「見せ場って言い方やめてください……」
「見せ場です。主役です。逃げない」
「逃げませんって誓いました」
「誓ったなら実行!」
先輩の言葉に合わせて、ギルドの連中が笑いながら道を空ける。空けてるのに距離が近い。祝福が多すぎて、空気が押す。
「新郎ー! 行け行けー!」
「花が似合う男、初めて見たぞ!」
「うちのギルド史に残る日だな!」
「残すな。消してくれ」
反射で返すと、笑いがまた増える。増えた笑いに包まれて、息がしやすくなる。
回廊を抜けると、祝宴用に整えられた広間が見えてきた。香草と焼いた肉の匂いが混ざった熱が漏れてくる。扉の隙間から、笑い声と杯の音がもう聞こえた。
広間に入った瞬間、熱気が顔にぶつかった。暖炉の火、焼き物の匂い、酒の甘い香り、そして人の熱。笑い声が天井に跳ねて、木の梁が鳴ってる気がした。
「新郎新婦、入場ー!」
誰が言ったか分からない叫びが上がって、拍手がまた爆発した。椅子が揺れる。床が鳴る。空気が震える。
リヴが小さく肩を跳ねさせた。
俺はすぐに、彼女の手を包み直す。指先が触れ合った瞬間、指輪の温かさがふっと増して、胸の奥が先にほどけた。
「……リヴ、いけるか」
「うん。……ナオキ、いる」
「いる。ずっといる」
返した瞬間、リヴの口角がほんの少し上がって、俺の胸が救われた。笑ってくれるだけでいい。今は。
前列の席に通される。ギルドマスターがいる。目が合った瞬間、あの人が珍しく頬を緩めた。いつもはもっと険しいのに。
「……やったな、直輝」
「やりました。逃げませんでした」
「その返しはお前らしい」
低い声が胸に落ちる。祝福がただの騒ぎじゃなくて、ここまでの積み重ねなんだって分かる声だった。
隣で、リヴが小さく頭を下げる。慣れない所作なのに、一拍置くのが上手い。焦らない。視線が落ちない。
「リヴ、です。……よろしく」
「よろしくな。今日からお前は、直輝の家族だ」
“家族”って言葉が、石みたいに重くて温かかった。
リヴの目が丸くなって、それから、ゆっくり頷く。
「うん。……家族、する」
言い方が可愛すぎて、俺の喉が鳴った。笑うと泣くが来る。泣くと崩れる。崩れたら先輩が拾う。拾われるのも地獄。だから俺は笑うだけにした。
そのタイミングで、美咲先輩が壇上へ飛び乗った。
「はいー! 注目! 乾杯前に、一言だけ!」
一言だけ? 絶対嘘だ。
先輩はスマホを片手に持ったまま、もう片手で杯を掲げる。涙の跡はそのまま、でも声は通る。通りすぎる。空気を支配する声だ。
「今日ここにいる全員が、二人の門出の証人です! 祝う人が多いほど、二人は強くなる! だから遠慮なく、盛大にいきますよ!」
歓声が上がる。杯が鳴る。まだ乾杯してないのに鳴る。気が早い。
「直輝くん!」
先輩が俺を指差した。視線が集まって、胃が縮む。
「はい……!」
「一言! 短く! 泣くな! 噛むな!」
条件が多い!
「先輩、条件が多いです!」
「条件を守れる男が一流なの!」
むちゃくちゃだ。でも笑いが起きる。助かる。
俺は息を一回だけ落として、立ち上がった。立つと、指輪の温かさが少しだけ強くなる。心臓がそれに合わせて鳴る。
俺はリヴの手を一度だけ握り直した。リヴが頷く。その頷きが、俺の背中を押す。
「……今日は、ありがとうございます」
喉が熱い。声が掠れないように、息を少しだけ入れる。
「俺、こういうの……得意じゃないです。主役とか向いてない。今も顔、たぶん変です」
笑いが起きた。よし。
「でも――逃げません。リヴを置いていかない。俺がここまで来られたのは、みんなのおかげです」
言い切ると綺麗すぎて嘘になる気がして、最後は少し崩した。
「……だから、今日は。全力で祝われます。覚悟してください」
拍手が爆発した。笑い声が混じる。肩の力が抜けて、息が戻る。
座る瞬間、リヴが小さく囁いた。
「ナオキ、かっこいい」
「……今それ言うな。死ぬ」
「しなない。……にげない」
「逃げない」
返した瞬間、指輪がふっと温度を上げた。褒められると熱くなるのか? 頼むから、そういう可愛い仕組みであってくれ。
先輩が満足そうに頷いて、ようやく乾杯の号令を出した。
「それでは! 新郎新婦に――乾杯!」
「「乾杯!!!」」
杯が鳴る。音が重なる。喉を通る酒が熱い。熱が回って、広間がさらに明るくなる。
料理が運ばれてくる。肉、パン、香草のスープ、甘い果実。見慣れない皿も混じっているのに、今日は全部が祝福の匂いだ。
ギルドの連中が次々に寄ってきた。祝福の言葉、握手、背中を叩く手。叩くな。背中が死ぬ。いや、今日だけは叩かれても笑う。
「直輝! マジでやりやがったな!」
「リヴさん! うちの直輝、よろしくな!」
「泣かすなよ! 泣かしたら俺が泣かす!」
「意味が分からねえ!」
笑いが起きる。俺の返しが、今日の役目を果たしているのが分かる。祝宴の空気は、俺の悲鳴で保たれている。……なんだそれ。
リヴは最初、目を丸くしていた。次に、俺の腕に軽く触れていた。最後に、ちゃんと笑うようになった。小さく、でも確実に。
「リヴ、疲れたら言え」
「うん。……でも、たのしい」
「よし。じゃあ、たのしませる」
「たのしませる?」
「先輩に負けないくらい、俺も頑張る」
リヴが一拍置いて、ふっと笑った。笑った瞬間、指輪がまた温かくなる。……やっぱり可愛い理由であってくれ。
そこへ、ラナが両手に何かを抱えて走ってきた。走るな。転ぶ。
「ナオキ! リヴ! これ!」
「ラナ、急ぐな!」
「だって早く渡したいんだもん!」
ラナが抱えていたのは、小さな花冠だった。雑に見えて、ちゃんと編まれてる。細い茎が絡んで、葉が落ちないように結ばれていた。誰かに教わったんだろう。頑張った跡が、そのまま残ってる。
「ラナが作ったの! リヴ、もっときれいにする!」
リヴが目を見開いて、いったん俺を見る。確認の視線。逃げない目。
「……つけて、いい?」
「いいに決まってる」
リヴがそっと頭に乗せると、ラナが背伸びして位置を直した。
「そこ! もうちょっと右! うん、完璧!」
リヴの頬が、ふっと赤くなる。
「……ありがと」
「うん! リヴ、お嫁さん! お嫁さん、すごい!」
その言い方が嬉しすぎて、俺の喉が鳴った。笑うと泣きそうになるから、息だけで堪える。
ラナは満足そうに頷いて、今度は俺を見る。
「ナオキも! おそろい!」
「俺もかよ」
「今日だけね! 絶対似合うから!」
遠くで、美咲先輩が親指を立てた。犯人が増えた。
「直輝くん、今の顔! 最高! はい撮る!」
「先輩、撮るの早い!」
「逃さないの!」
「逃げないのと同じ勢いで撮るな!」
笑いが起きて、空気がさらに温かくなる。リヴが俺の袖を軽く引いた。
「ナオキ、うれしい」
「うん。俺も嬉しい」
言い切ると喉が詰まりそうで、俺は酒を一口飲んだ。逃げ方が下手だ。リヴはそれを見て、小さく笑った。
その時、美咲先輩がまた壇上に立った。
「はい! 次、メインイベント! 夫婦の一口! みんな準備いい!?」
歓声が上がる。床が鳴る。悪い予感がする。俺の胃が小さくなる。
「先輩、それメインイベントなんですか!?」
「そう! 異世界祝宴の基本! 新郎新婦が同じものを一口ずつ食べる! ここで会場のテンションが一段上がる!」
「上げなくていいです、もう十分です!」
「上げる! 盛り上げるのが祝宴!」
侍祭が皿を運んできた。甘い香り。白いクリームが乗った小さな焼き菓子。見た目だけで、今日の胃に刺さる甘さが分かる。
俺はリヴを見る。リヴは俺を見る。目が合って、二人して一拍置いた。
「……いけるか」
「うん。……でも、ちょっと、こわい」
「俺も怖い。……一緒にやる」
「うん」
ギルドの連中が口々に叫ぶ。
「いけー!」
「噛むなよ!」
「噛んでもいい!」
「どっちだよ!」
リヴが菓子を小さく持ち上げた。指先が震えないのがすごい。さっきから、彼女は確実に強くなってる。嬉しくて、俺の目が熱くなる。
リヴは一拍置いて、俺の口元へそれを差し出した。
「ナオキ……たべる」
「食べる。……ありがとう」
一口。甘い。脳が溶ける。甘すぎる。なのに、リヴの指先が触れた余韻が勝って、胸の方が先に熱くなる。
会場が「おおお」と変な声を出した。やめろ。人の一口に感動するな。
次は俺の番だ。俺は同じ菓子を持って、リヴへ差し出す。近い。唇が見える距離。息が浅くなる。
「リヴ、大丈夫。ゆっくりでいい」
「うん……ゆっくり」
彼女は一口、受け取った。噛んで、飲み込む。喉が動くのが見えた。飲み込んだあと、リヴが小さく息を吐く。
「……あまい」
「甘いな。……でも似合う」
「にあう?」
「うん。今日のリヴに、全部似合う」
リヴが顔を赤くして、花冠の陰で俺の腕に額を擦り寄せる。その動きが可愛くて、俺は笑いそうになるのに、笑うと喉が詰まる。
会場の歓声がさらに跳ねる。先輩が勝利の顔で親指を立てる。
「はい! 最高! 記録! 完璧!」
「先輩、仕事人すぎます……!」
「仕事じゃない! 愛です!」
言い切られて、俺は負けた。愛なら仕方ない。愛は強い。今日、俺は愛に殴られてる。
そのまま、踊れの号令が飛んできた。
「はい! 次は踊りますよ! 新郎新婦、中央へ! ラナも! ギルドのみんなも! 今日は全員で祝う日!」
踊る。踊るのか。俺、踊れない。俺の尊厳がまたどこかへ落ちる。
「先輩、俺、踊り方知らないです!」
「知ってる顔して踊るの!」
「無茶だ!」
「無茶が楽しいの!」
意味が分からない。けど、確かに楽しそうなのが腹立つ。
リヴが俺を見上げた。さっきより目が強い。逃げない目。
「ナオキ、いく?」
「……行く。恥ずかしいけど、一緒なら行く」
「うん。いっしょ」
その一言が、指輪の温かさより胸を温める。俺は覚悟を決めて、中央へ歩いた。
踊りは雑だった。俺が下手すぎて、笑いが起きる。リヴは最初、足が絡みそうになって俺の腕を掴んだ。掴んだ力がしっかりしている。怖いのに、逃げない。強い。
ラナが跳ねる。ギルドの連中が叫ぶ。先輩が撮る。撮りながら笑ってる。笑いながら泣いてる。
俺も笑って、笑いながら息が浅くなる。
それでも、リヴの手は離れない。
指輪はずっと温かいままで、掌の内側に小さな鼓動みたいに残ってる。
痛いくらいに確かな熱が、俺たちの間に“約束”を置いていく。
俺はリヴの耳元へ、笑い声に紛れるくらいの声で言った。
「……やっと来たな」
「きた?」
「ここまで。……一緒に」
言葉が途切れる。喉が詰まって、うまく続かない。
リヴが俺の指をきゅっと握る。離さないって、言葉じゃなくて手で言ってくる。
「大丈夫。私、ちゃんと隣にいるよ」
「……ああ。俺も、ここから動かない」
祝宴の光が、空に舞っていく。
笑い声が、夜へ溶けていく。
式は終わった。――たぶん。
でも、美咲先輩の段取りは、まだ終わってない。
それが分かってるのに、俺は今、ちゃんと笑えていた。
【次回、最終回】
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!
彼がどんな結末に辿り着くのか──最後の一歩まで見守っていただけたら嬉しいです。
いよいよあと1話、どうぞよろしくお願いします!




