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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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閑話:助手席は泣かない

 メンテ五か月目の平日。


 サロンを閉めたあと、俺は予約表じゃなくスマホのメモを見ていた。


【やること】

 ・港ルート確認

 ・通行証

 ・護衛

 ・――指輪


 最後の一行だけ、字面が浮いてる。世界が崩壊しかけたとか、境界が呼吸するとか、そういう言葉と並べるな。場違いにもほどがある。


 でも、場違いなものほど胸の奥に残る。消そうとしても指が止まる。画面の上で「――指輪」が、しつこく俺を見上げてくる。


 スマホが震えた。


『今から寄れる? 明日の予定確認したい』


 美咲さんだ。画面を見たまま一拍迷って、結局こう返してしまう。


『寄れます。あと、相談が一件あります』


 送信した瞬間、心臓が一回だけ強く鳴った。相談、って言い方に逃げた。指輪って打てない。打った瞬間に現実になる気がして、喉の奥が引っかかる。


 十分後、インターホン。


 ドアを開けると美咲さんが立っていた。仕事帰りの顔なのに、目だけがいつもより鋭い。俺の顔のどこかが、もう答えを出してるらしい。


「お疲れ。……顔、どうしたの」


「どうもしてないです。たぶん」


「してる。今日は“してる日”」


 やめろ。そうやって当てるな。口角だけ動かして誤魔化そうとして、見事に失敗した。


 美咲さんは靴を揃えながら、部屋の中を一瞥した。テレビのほうは見ない。触れないまま距離だけ測る。分かってる人の動きだ。


「で、相談って?」


 逃げ道を探して、見つからない。息を吸って、吐いて――言った。


「……宝飾店、付き合ってください」


 美咲さんが止まった。止まってから、ゆっくり俺を見る。


「……へえ」


「へえ、じゃなくて」


「へえ、でしょ。今さら?」


「今しかないんです」


 言い切ったくせに、指先が落ち着かない。俺は無駄にスマホの角を撫でて、やめるタイミングを失った。


 美咲さんが口元を押さえて、笑いそうなのを堪える。


「相手は?」


「……聞かなくても分かるでしょう」


「一応ね。確認。あなた、変なところでズレるから」


 ひどい。


「リヴです」


「うん。よし」


 即断の「よし」だ。仕事で人を現場に立たせるときの声。胸の奥の重りが、ほんの少し軽くなる。


「一人で行けばいいじゃん」


「……サイズが必要で」


「測ったでしょ」


「……こっそりですけど」


「こっそり、ね」


 笑ってない目が刺さる。俺は視線を逸らして、ソファの縫い目を見た。そこに逃げても状況は変わらないのに。


「正確なやつが欲しいんです。あと……」


「あと?」


 喉の奥が鳴る。


「……俺が一人で行くと、変なの買いそうで」


「自覚あるんだ」


 美咲さんが深く頷いた。頷きの圧が強い。


「じゃあ私が選ぶ。変なの買ったら刺す」


「怖いです。普通に」


「安心でしょ」


 怖い。けど、確かに安心だ。そう思った瞬間が悔しくて、俺は鼻から短く息を抜いた。


 車に乗り込む。運転席が美咲さん、助手席が俺。


 美咲さんがシートベルトを引きながら、さらっと言う。


「助手席は泣かない」


「泣きませんよ。泣く要素がないです」


「泣くでしょ。値段見て」


「……やめてください。心の準備が折れます」


「泣いてもいいけど黙って泣く。声出すと店員さん困る」


 人権が雑すぎる。笑いそうになって喉が詰まる。俺は咳払いで誤魔化して、窓の外へ目を逃がした。


 道中、俺はスマホを確認する。リヴからのメッセージはない。今日は家で待ってるはずだ。


 ――バレるなよ。


 心の中で唱えた瞬間、美咲さんがバックミラー越しにニヤっとした。


「なに、今の顔。悪いことしてる顔」


「してません。たぶん」


「してる。内緒のやつ」


「……内緒です。だから黙っててください」


「うん。守りなさい。バレたら台無し」


 釘が強い。俺は黙って頷くしかなかった。頷いたぶんだけ肩が上がって、さらに見透かされる気がして腹が立つ。


 宝飾店はモールの一角にあった。ガラスがきれいすぎて、自分の顔が映る。こういう場所は苦手だ。背筋が勝手に固まる。


 入った瞬間、店員さんが笑顔で寄ってきた。


「いらっしゃいませ。本日は――」


 視線が一瞬、俺と美咲さんの間を往復した。声のトーンが微妙に柔らかくなる。


「お二人でお探しでしょうか?」


 俺は咳き込んだ。


「ち、違います」


「違うの?」


 美咲さん、真顔で聞くな。そこで確認するな。


「違います! 俺、そういうのじゃ……」


 店員さんが「失礼いたしました」と丁寧に頭を下げる。俺の顔が熱い。耳まで熱い。


 美咲さんが肩を震わせながら、小声で言った。


「直輝くん、可愛いね」


「やめてください。今の俺、死にかけです」


「ごめんごめん。……で、婚約? 結婚?」


 店員さんが話を戻してくれる。プロだ。救われる。俺は呼吸を整えるふりをして、胸の鼓動を落とした。


「……婚約のほうです」


「ありがとうございます。では、シンプルなものからご案内しますね」


 ケースの中の光が眩しい。小さいのに、全部が決断みたいに光ってる。指先に汗が滲むのが分かって、俺は手を握って開いて、また握った。


 俺が黙ると、美咲さんが代わりに口を開いた。


「彼、派手なの似合わないです。本人も疲れるタイプです」


「……否定できないです。疲れます」


「こちらはいかがでしょう。細身で、石も控えめですが――」


 トレーに二つ並ぶ。美咲さんは一度だけ目を細めて、すぐ言った。


「うん。いい。直輝くん、こういうの。素材は?」


「プラチナです」


「よし。変色しにくい。長持ちする」


 生活目線が強い。頼もしいけどロマンが死ぬ。俺は笑いを飲み込んで、舌を噛んだ。


 美咲さんがふっと声を落とす。


「石、いる?」


「……小さくていいです。目立たないやつで」


「うん。分かる。リヴちゃん、目立つの嫌がるもんね。耳もあるし」


 “耳”って単語が落ちた瞬間、店の空気が一段だけ現実に戻る。俺は息を吸って、指輪を指先でつまんだ。


 軽い。軽いのに、手が勝手に慎重になる。落としたら壊れるとかじゃない。俺のほうが壊れる。


 店員さんが続ける。


「こちらは在庫がございます。サイズ調整は後日でも可能ですが、当日お持ち帰りいただけます」


 持ち帰り。


 今日ここで、手に入る。喉が鳴って、声が出ない。


 美咲さんが俺の顔を見て、口元だけ上げる。


「直輝くん。逃げ道、減ったね」


「……減らしてください。俺、一回逃げると戻れないタイプなんで」


「よし。じゃあ減らす」


 強い。迷ってる余裕が削られるのが怖いのに、助かる。俺は拳を膝の上で固めて、手が勝手に動かないように押さえた。


「刻印は内側に入れられます。内容はいかがなさいますか?」


 店員さんの笑顔が優しい。優しすぎて、逆に怖い。


 俺は一瞬だけ詰まって、それでも言った。言わないと終わる。


「……『帰る』で」


 美咲さんは笑わない。代わりに、小さく頷いた。


「いい。直輝くんらしい」


 店員さんも表情を柔らかくした。


「承りました。刻印は後日仕上げもできますが、今回は“後から入れる”形にしておきますか? 今すぐお持ち帰りいただけるように」


 美咲さんが即答する。


「それで。今日、持って帰るのが最優先」


「了解いたしました」


 俺が口を開く前に決まっていく。助手席どころか、人生の人権まで雑になってきた気がする。


 問題はサイズだった。


「お相手さまのサイズはお分かりですか?」


 店員さんがにこやかに聞く。俺の喉が固まる。


 固まるより早く、美咲さんが言う。


「だいたい分かってます。誤差があるので後で直す前提で」


「かしこまりました。こちら、サイズ直しは無料で――」


 無料。神か。俺は小さく息を吐いて、危うく拝みかけた。


 店員さんがリングゲージを出してくる。


「もし可能でしたら、ご自宅で“正確なサイズ”を確認されてからお直しにお持ちください。リングゲージは貸し出しもできます」


 美咲さんがにっこりした。


「借ります」


「えっ」


 俺の声が変に裏返る。


「借ります。返却期限は?」


「一週間です」


「十分」


 十分なのかよ。俺は唇を噛んだまま、店員さんの手元を見るしかない。書類が用意されていくスピードが早い。美咲さんの圧が強い。


 店員さんが小声で聞いてきた。


「……あの、彼女さまに内緒で?」


 美咲さんも小声で返す。


「内緒です。彼、バレたら死ぬので」


「死にません! ……いや、死ぬかもしれませんけど!」


 即ツッコミしたら、店員さんが吹いて慌てて口を押さえた。やめてほしい。なのに、その一瞬だけ空気が軽くなって、救われたのが悔しい。


 会計が終わる。


 小さな箱。きっちりしたリボン。受け取った瞬間、手のひらが熱くなる。重さは変わらないのに、指が勝手に丸くなった。


 これ、もう物じゃない。約束の固まりだ。


 美咲さんが俺の横で、さらっと言う。


「……よし。持ったね」


「……持ちました。もう戻れないやつです」


「じゃあ次。隠し場所」


「今決めるんですか。帰ってからで――」


「今。帰ってから迷うと顔に出る」


 怖い。俺は頬の筋肉が引きつるのを自覚して、視線だけ落とした。


「……引き出しの奥で」


「テレビの近くはダメ。反射で開ける」


「言い方が怖いです」


「事実」


 美咲さんが小さく息を吐く。吐き方が“命令終了”のやつだ。


「鞄の内ポケット。鍵つけるやつ。そこ。帰ったらすぐ入れる」


「……分かりました。そこに入れます」


「返事、仕事」


「はい」


 俺が頷くと、美咲さんも一回だけ頷いた。そこでやっと、胸の奥が少し落ち着く。


 店を出てモールの通路に出た瞬間、空気が普通になる。現実の音がうるさい。眩しさが目に刺さる。俺は紙袋を抱えるように持ち替えた。


 紙袋の中でリングゲージが、ちん、と鳴った。もう一つの袋の中で、指輪の箱は動かないように固定されている。


 持ってる。本当に持ってる。


 美咲さんが歩きながら言う。


「直輝くん、泣く?」


「泣きません。まだ耐えてます」


「人生の助手席は泣かない」


 意味が分からないのに、少しだけ救われる。その感覚が腹立つ。俺は鼻から短く息を抜いた。


「……リヴには、まだ言いません」


「言わない。見せない。匂わせない」


「匂わせない、了解です。俺、顔に出るんで」


「出る。今日の笑い方、全部アウト」


「……厳しいです」


「優しい。だって成功させたいでしょ」


 その“成功”が、妙にまっすぐで胸に刺さった。俺は小さく頷く。喉の奥が熱い。


「……はい。成功させたいです」


 帰りの車内。俺は紙袋を膝に乗せたまま、ずっと動かさない。落とすのが怖いんじゃない。自分が軽く扱ってしまうのが怖い。


「直輝くん」


「はい。聞いてます」


「それ、軽いけど重いでしょ」


「……重いです。変に手が震えます」


「じゃあ、ルールにしな」


「ルール、増やしますか」


「今日から一週間。リヴちゃんの前でテレビを見ない。反射で顔がそっち向くから」


 俺は息を吸って、短く吐いた。


「……やります。今日から徹底します」


「よし。あと、リングゲージの使い方。私が教える。雑にやるとバレる」


「バレたら死ぬんですよね」


「死ぬ。社会的に」


「やめてください。心臓に悪いです」


 美咲さんが笑う。俺も口元だけで笑った。笑えるうちに決める。やる。拳の力を、少しだけ抜く。


 家の前に着いて、俺は紙袋を握り直した。ぎゅっとじゃない。落とさないように確かめるだけ。


 鍵を開ける前に、美咲さんが最後に言う。


「直輝くん」


「はい」


「おめでとう。まだ渡してないけど、今日のこれは――大事な一歩」


 息が詰まりそうで、俺は短く返す。


「……ありがとうございます。ちゃんとやります」


「お礼は後。あと、助手席は泣かない」


 最後までそれか。俺は小さく頷いて、ドアノブを回した。


 紙袋の中の箱は音を立てない。

 それでも胸の中は、ずっと鳴っていた。


 静かに、うるさく。

 “帰る”って言葉みたいに。

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