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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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境界、再起動

 メンテ開始から、ちょうど六か月。


 目を開ける前から、今日は違うと分かっていた。部屋の空気が重い。湿気じゃない。見えない何かに、じりじり押される――あの嫌な感覚だ。


 布団の中で一度だけ深く息を吸って、吐き出す。肺の奥が冷えて、指先が少しだけ動いた。


 起きる。


 迷う前に体を起こす。それが、この半年で身につけた最初のルールだった。


 机に向かい、紙束を揃える。手書きの地図。通行証。港Aの周辺情報。潮待ちの予測。食料の残数、水のストック、ライトの電池。この半年で増えた「やること/やらないこと」のリスト。


 いちばん上、太字で書いたやつ。


 ――テレビには近づかない。触らない。覗き込まない。

 ――異変はすべて書き残す。

 ――一人で判断しない。


 読み返して、俺は鼻で笑った。書いたのは俺なのに、俺がいちばん守れない予感がしてる。


 キッチンではリヴが小さなおにぎりを握っていた。形は不格好。でも、確かに温かい。


「ナオキ」


「……分かってる」


「え。まだ何も言ってない」


「顔がもう“言ってる”んだよ」


 リヴはむっとした。むっとしたまま、それでも真剣な目でこっちを見る。


「きょう、メンテ、おわる」


「やっぱりな」


「ナオキ、“やっぱり”って言うとき、声がこわい」


 喉の奥が固まった。自分でも分かるくらい息が浅い。


「……俺の声、変か?」


「変。固い。石みたい。肩も、すごく固い」


「お前、そういうの見抜くの早くなったな。整体師の弟子にでもなるか?」


「見る。ちゃんと。ナオキが倒れたら、リヴ、こまる」


 断定が胸に落ちて、喉の奥が一瞬だけ熱くなる。言い返す言葉が、すぐには出なかった。


「根拠は?」


「空気、入れかわる。あっちの冷たいのが……くる。あと、あっち、動く」


「動くって、どのへんが」


「音の場所。遠いのに、耳のすぐ横。……ざわざわ、する」


 指を止めると、余計に聞こえる気がした。俺はわざと紙束の端を整える。


「意味分からん……けど、分かっちまうのが嫌だな」


「……ナオキも、わかってる顔」


 リヴはパーカーのフードを深くかぶった。家の中なのに。


「耳、かくすのか」


「また、って言いたい?」


「いや、いい判断だ」


「今日は、いっぱい入ってくる。声、風、匂い。耳、痛い」


 その「痛い」が、軽くない音で落ちた。俺は奥歯を噛んでから、声をなるべく平らにする。


「痛いなら無理すんな。防音のヘッドホンでも持ってくるか?」


「無理しない。距離、とる。それが一番の防音」


「よし。距離な。絶対にだぞ」


 俺はやることだけをやる。歯を磨いて、顔を洗って、着替える。


 スマホ。バッテリーは100。空き容量もある。録画アプリはホームの一番下。日付表示もオン。


 リヴが、おにぎりを差し出してくる。


「食べて。お腹すくと、負ける」


「負けるって何にだよ」


「引っぱられる。こわいの、心の中に増える。お腹いっぱいなら、重くなる。動かない」


 言い方が妙に具体的で、笑いかけた口が途中で止まる。


「……的確すぎてぐうの音も出ないな」


「いつも、リヴ、正しい」


「そうだな。俺、空腹だと判断が雑になる」


「雑、だめ。死ぬ」


「分かったよ。食うよ」


 受け取って口に入れる。塩が強い。喉が渇く。けど今の俺には、この刺激がありがたい。現実の味が、頭の奥を引っ張ってくれる。


「塩、ちょっと多くないか?」


「きょう、汗、いっぱい出る。たぶん」


「出ない方がいいんだけどな……」


「でも出る。ナオキ、緊張すると、いつも汗でる」


「……それは否定できないな」


 水を飲む。コンロのつまみ、よし。玄関の鍵、二重、よし。いつも通りの確認。


 これでいい、と言い聞かせながら靴を履く。ドアノブに手をかけたところで――リヴの動きが止まった。


 息が止まるほど、ぴたりと。


「……いま」


 俺の喉が先に鳴る。


「来たか」


「くる。テレビ、起きた」


 心臓が肋骨を叩く。でも、ここで動きが雑になったら全部崩れる。手を離すな、と自分に言い聞かせる。


「リヴ、下がれ。廊下だ」


「わかる。ここにいる。ナオキ、前、いかない?」


 返事の前に、視線が勝手にリビングへ向きかけた。俺はそれを噛み潰す。


「……言っとく。俺、見に行きたくなる自信がある」


「知ってる」


「だから、止めてくれ」


「止める。怒る。思いっきり、叩く」


「叩くのはやめてくれ」


「やめない。痛い方が、正気、もどる」


 冗談みたいなやり取りなのに、背中が少しだけ軽くなる。乾いた喉で息をひとつ吸って、吐く。


 俺はリビングへ二歩だけ入る。床の養生テープが見える。半年前の反省が生んだ境界ライン。


「線、見てるか?」


 廊下からリヴの声が飛ぶ。


「見てる。踏まない」


「踏まない。約束、だよ」


「……ああ。今は“決めたこと”を守る」


「決めたこと。踏まない。ナオキ、いま、線から、あと、十センチ」


「細けえな。分かってるよ」


 32型のテレビは、いつもの台の上で沈黙している。電源は切ってある。コンセントは刺さっているが、リモコンには触れてもいない。


 それなのに、右下のランプが白い。


 赤じゃない。点滅もしない。透き通るような白で固定されている。


「来てるな……」


「白、きらい。冷たい」


「俺もだ。待機の赤のほうが、まだ機械っぽくてマシだった」


「赤は“寝てる”。白は“起きてる”。……こっち、見てる」


 背中がぞわっとした。言い方が、変に当たる。


「……言い方が怖すぎるんだよ」


「怖いけど、ほんとのこと」


 俺はスマホを掲げた。録画開始。ズームはしない。画面というフィルター越しに世界を見る。


「ナオキ、スマホ越しに見てる?」


「ああ」


「目、吸われない?」


「吸われそうになったら、一回画面から目を逸らして床を見る」


「床、木目、数える?」


「そう。木目を数える」


「リヴは?」


「リヴ、耳で見てる。目は、あわせない。あわせると、呼ばれる」


「器用だな」


「生きる、ため。みんな、そうしてた」


 次だ。美咲さんへの連絡。迷ってる間に何かが起きる。


『メンテ終了の兆候。ランプ白固定。録画しながら距離維持。美咲さん、今からです』


 送信。


「送った?」


「送った。……既読はまだ付かない」


「朝、だもんね」


 俺はスマホの画面から目を離し、テレビに戻す。白いランプが視界に刺さって、奥歯が噛み合う。


「ああ。でも、あの人ならすぐ気づくはずだ」


「来る?」


「来る。……足音がしたら、俺がまず止める」


「うん。来て。三人で、いないと、こわい」


 廊下のリヴの声が鋭くなる。


「ナオキ! 前、いかない!」


「分かってる! この線からは一歩も出ない!」


「“出ない”じゃなくて、“出られない”って思って!」


 俺は息を吐いて、足裏に力を入れる。


「……そうだな。出られない」


「うん。行けない。こっちが大事」


 その瞬間、テレビが勝手に起動した。


 家電特有の電子音じゃない。地響きに近い、低い「……ン」。


「うわ……点いた」


「音、いや。お腹に、響く」


 胃の底が持ち上がる。俺は踏みしめるように、境界線の手前で止まったまま声を出す。


「俺もだ。これ、スピーカーの音じゃないな」


「起きる音。向こうの世界が、目をさます音」


 画面に、無機質な文字が浮かび上がる。


【WORLD TREE / MAINTENANCE】

 STATUS:COMPLETE

 PORTAL:REBOOTING


「……ただの安物なんだぞ、これ。ネットも繋いでないのに」


「英語」


「ああ。うちのテレビ、英語設定になんてしてない」


「じゃ、テレビがしゃべってるんじゃない」


「……だろうな」


 入力切替のフォントとも違う。“画面の上に載ってる文字”じゃない。窓の向こう側に、文字が存在してるように見える。


 廊下でリヴが息を呑んだ。


「『おわり』って、書いてあるの?」


「ああ。メンテ終了。……で、再起動中、だと」


「再起動って、なに。もう一回、はじめるの?」


「一回眠らせて、また起こす作業だ」


「じゃあ、いま、起きる途中なんだね」


「ああ。……途中か」


「途中、いちばん、ぐちゃぐちゃ。危ない」


 リヴの声が、ほんの少し震える。俺は自分の親指の腹を強く押して、現実を掴む。


「……リヴ、それ経験談か?」


「うん。村のポータル、壊れたとき。途中が、一番こわかった」


 表示が切り替わる。


 PORTAL CHECK 1/4……OK

 AUDIO……OK

 AIRFLOW……OK

 ANCHOR……OK


「アンカー……錨か」


「いかり?」


「船が流されないように止めるやつだ」


「止める、いるね。こっちに、ぎゅって、つかまるやつ」


「だな。こっちの世界に固定するための何かだ」


 アンカーの文字が出た瞬間、棚の奥の箱に入れた“あの石”が重くなった気がした。


 触らない。確認もしない。今は、この場を動かないのが仕事だ。


 廊下から、小声で釘が刺さる。


「ナオキ、いま、箱のこと、考えた?」


「……なんで分かるんだよ」


「空気が、動いた。考えちゃダメ。考えると、手がうごく」


 俺は片手を自分の太ももに押し付けた。動かすな。勝手に伸ばすな。


「出さない。絶対に出さない。だから、もし俺が動きそうになったら言ってくれ」


「言う。怒る。叩く」


「叩くのは一回にしてくれ」


「やだ。正気もどるまで叩く」


 次。


 PORTAL CHECK 2/4……OK

 VISUAL……OK

 STABILITY……50%


「数字、出た。半分だ」


「安定度、ってことだろうな」


「半分は、いいの? 悪いの?」


 答える前に、舌が乾いているのが分かった。


「全開で不安定よりはマシだと思いたいけど……半分はどっちつかずで一番気味が悪い」


「ナオキ、楽観、へた」


「整体師は最悪のケースを考えるもんなんだよ」


 数字が出た直後、部屋の空気が鳴った。


 ――ザ、――ザザッ……。


「波……?」


「波の音だ」


 スピーカーからじゃない。床の下から這い上がってくるような音。潮の匂いが、六畳間の空気を塗り替えていく。


 膝が笑いそうになるのを、テープのラインを睨みつけて堪える。


「近づくな、俺。寄るなよ」


「ナオキ、声、もっと出して。自分の耳に、きかせて」


「何を言えばいい」


「“踏まない”って、三回」


 俺は息を吸って、吐く勢いのまま言う。


「……踏まない。踏まない。絶対に踏まない」


「よし。いまの、いい声。リヴも、言ったから」


 背中に、リヴの声が当たる。俺はそのまま、テープの線だけを見た。


 画面の中央に、光の縦線が走る。左右がゆっくり捲れていく。


 裂け目だ。


「来た」


「ああ、来たな」


「ねえ、線、どんどん広がる。テレビ、こわれそう」


「壊れて済むならいいんだけどな。……くそ、向こうが見える」


「見る、でも前いかない! 絶対!」


「分かってる! 視線だけだ!」


 視界の端で、縦線が広がる。引っ張られる感覚が、目の奥に触れた。


「ナオキ、目が、吸いこまれてる! 木目! 足元の木目見て!」


「ああ……っ、木目、三枚目、節目がある……。よし。大丈夫だ」


 奥に色が見える。深い森の緑。湿った地面。光を反射する葉。


 向こう側の湿った空気が、風として部屋に流れ込む。


「……むこう、誰かいるよ」


「魔物か?」


「わかんない。でも、誰かの視線がある。あっちも、こっちを見てる。見にいっちゃダメ。見にいったら、あっちのものになる」


 俺は一度だけ瞬きをして、スマホの枠を確かめる。


「分かった。見にいかない。ここで待つ」


「約束……ううん、“決めたこと”」


「そう。決めたことだ。一歩も引かないし、一歩も出ない」


 時刻、07:12。


 俺は録画を続けたまま、震える指で異変を書き留める。


 ――――――

【記録】

 07:12 メンテ終了表示。テレビ起動。

 波音、潮の匂い、画面に裂け目。

 距離維持。録画中。美咲さん連絡済み。

 ――――――


「書いたぞ」


「えらい。ナオキ、ちゃんとしてる」


「褒めるな。必死なんだよ」


「褒める。必要。リヴも、自分を褒めてる。立ってる、えらいって」


 俺は鼻から息を抜いて、足裏にもう一度力を入れた。


「……そうだな。俺たち、ちゃんと立ってるな」


 スマホが震えた。美咲さんだ。


『今から行く! 絶対に入るな! 録画だけして距離を保て。火元、鍵、全部もう一度見ろ!』


「了解! ……リヴ、聞いたか」


「聞いた。声、聞こえた気がする」


 俺は短く頷いて、順番を守る。


「よし、現実確認だ。火元」


「ない。見てきた。大丈夫」


「鍵」


「二重。いまも、かかってる」


「よし。……よし」


「ナオキ、現実、さわって」


「……ああ。この壁、冷たいな。よし」


 もう一度、スマホ越しに画面を睨む。


 STABILITY……60%

 MANUAL ENTRY:LOCKED


「……ロック、か。勝手には入れないようになってるみたいだ」


「入れない。……よかった?」


 俺の息が、やっと胸まで落ちた。


「……正直、めちゃくちゃホッとしてる」


「ナオキ、さっき、ちょっとだけ入ろうとしてた」


「してねえよ」


「してた。膝、まがってた」


 言い返すより先に、自分の膝に意識がいく。確かに、ほんの少し。


「……してたかもしれない。でも、この『LOCKED』って文字が、俺を止めてくれた」


「ロック、えらい。いい子」


「ロックをいい子呼ばわりするのは世界でお前だけだよ」


 裂け目は鼓動みたいに広がったり縮んだりを繰り返している。近い。遠い。近い。目の奥がじりじり疲れる。


「ナオキ、行く?」


 廊下の影から、リヴの声がまっすぐ飛ぶ。言葉の端が少しだけ尖っている。


「今すぐは行かない」


「……どうして? あんなに、準備したのに」


 俺は紙束を見た。合流場所も、合図も、まだ空白が多い。


「帰り道がまだ足りないんだよ。あっちでの合流場所も、連絡手段も、何も確定してない。ただ飛び込むのは、整体師の仕事じゃない」


「三人?」


「ああ。美咲さんもまだだ。三人で決めて、三人でいく」


「筋肉にいい?」


「筋肉にいい」


「筋肉、かんけいない」


「いや、ある。納得してないと、力が出ない」


 リヴが一拍置く。その間に、裂け目の向こうの風が強くなる。


「……ふうん。じゃあ、筋肉のために、待つ」


「そうしてくれ」


 俺は紙束の上に、新しい一行を強く書き足した。


【最終ルール】

 ――扉が開いても、独断で入らない。判断は三人でする。


「書いたぞ」


「うん。リヴも見た。こころに、書いた」


「……お前、たまにカッコいいこと言うな」


「ナオキ、たまに、だめなこと言うから。バランス」


 リヴが少しだけ笑った。つられて笑いかけた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。笑えるうちに、やることをやる。


「ナオキ、ちゃんと、こっちにいる」


「ああ。やらかさないように、お前が叩いてくれるからな」


「うん。準備、できてるよ」


 そのとき、テレビのスピーカーじゃない場所から、低い声のようなものが混じった。


 言葉じゃない。


 けれど、明確に「こちら」を呼ぶ響き。


 俺は反射で唇を噛んだ。視線が一歩だけ前へ出そうになる。


「……来たな」


「聞こえた。あっちが、呼んでる」


「誘いだ。無視しろ」


「うん。無視する。ナオキ、もし“早く行かなきゃ”って思ったら?」


「すぐに言う。お前も言え。隠すのが一番危ない」


「言う。……ナオキ、いま、ちょっと、行かなきゃって思った」


「早いな! よし、俺も今、ちょっとだけ思った。お相子だ」


「おあいこ。……ふふ。おあいこ、なら、大丈夫」


 裂け目の向こうで、森の影がわずかに揺れた。向こう側も、こちらを伺っている誰かがいる。


 リヴの目が翡翠色に鋭く光る。


「……いる。あっちで、待ってる」


「待たせておけ。俺たちは、俺たちの手順でいく」


「うん。待たせる。リヴたち、いま、おにぎり食べたばっかりだし」


「そうだな。腹ごしらえは済んでる」


 俺は境界ラインに、足の裏を強く押し付けた。踏まない。踏まない。踏まない。胸の奥で三回、同じ言葉を繰り返す。


 境界は再起動した。32型のポータルは、大きく口を開けて俺たちを誘っている。


 それでも、俺は息を揃えて言った。声が震えないように、短く。


「美咲さんが来るまで、俺はここを動かない。……いいな、リヴ」


「いいよ。リヴも、動かない。叩く準備、できてる」


「……頼りにしてるよ」


 外の廊下から、階段を激しく駆け上がる足音が響いてきた。


 重くて、力強くて、一切の迷いがない。


 美咲さんの足音だ。


 その騒がしい現実の音が、今の俺たちには、どんな音楽よりも安心できるものだった。

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