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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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潮の匂い 

 車に乗り込むと、リヴは後部座席の窓にぺたりと頬をくっつけた。さっきまで水槽の青に張り付いてた目が、今度は本物の空の青を追いかけてる。


「ミサキ。うみ、どっち?」


「こっち。二十分くらいで着くよ。……はい、シートベルト」


「……はい」


 返事がやけに素直で、俺は胸の奥の力が少しだけ抜けた。こういうとこ、偉い。……いや、偉いって言うと違うな。たまに俺よりちゃんとしてるのが、地味に悔しい。


 美咲さんがウインカーを出して、ゆっくり車を流した。運転がとにかく穏やかで、急がないし煽らない。必要なところだけ、すっと曲がる。水族館でずっと立ちっぱなしだった体が、ようやく「座っていいんだ」って思い出す。


「ナオキ」


 後ろから呼ばれて、俺は振り向いた。


「ん?」


「本物の海、におい、する?」


「まだだな。近くまで行けば分かる」


「……そっか」


 リヴは短く頷いて、また窓の外へ目を戻した。その横顔が妙に真剣で、俺の口元が勝手に緩む。


「いま笑った」


 即バレる。喉の奥が少しだけ熱くなって、俺は視線を前に戻した。


「……ちょっとだけ」


「うん。正直。えらい」


「そこ褒めるんだな」


 リヴは満足そうに鼻を鳴らした。勝ち負けじゃなくて、“認めさせた”のが大事らしい。面倒くさいのに可愛いの、ほんと腹立つ。


 美咲さんがバックミラー越しに俺を見て、口元だけ上げる。


「直輝くん、顔が硬い。今日はオフ。眉間のシワ、車に置いてきて」


「置けるなら置いてます」


「置ける。はい、深呼吸」


 言われて、俺は一拍置いてから息を吐いた。


「……病院みたいですね」


「病院じゃないけど、直輝くんは放っとくと息止めるから。ほら、吸って吐いて」


 妙に核心を突かれて、俺はもう一回ちゃんと呼吸する。肺が広がる感じが、自分でも分かるくらいだった。


「……そんなに分かります?」


「分かるよ。長い付き合いだもん」


 さらっと言うな、その言い方。返し損ねた俺の横で、後部座席のリヴがこくこく頷いてる。


「ミサキ、すごい。ナオキ、息、へた」


「そこで頷くな」


「事実」


「……分かった分かった」


 白旗を上げると、リヴが小さく笑って、また窓に額を当て直した。笑いの余韻が残って、俺もつられて息が軽くなる。


「うみ、どんな?」


「広い。でかい。あと、しお」


「しお」


 リヴがその単語を口の中で転がして、真顔になる。


「……しお、食べる?」


「それは食べないやつだな。たぶん飲んでもダメなやつ」


「飲まない。見るだけ」


「よし」


 この子の「見るだけ」は、今日は特に信用できる。視線の真剣さが違う。


 海へ向かう道に入ったころ、外の景色がじわっと変わった。建物が減って、空がやたら広い。窓の隙間から、ほんの少し湿った風が混じった気がする。


 リヴが背筋をぴん、と伸ばした。


「……いま、ちょっと、ちがう」


「なにが?」


 聞き返すと、リヴは鼻をくん、と鳴らしてから、言葉を探すみたいに口を開いた。


「かぜ。ひんやり。……しお、っぽい」


 “ひんやり”が出た。語彙が増えていくのが嬉しくて、俺は口元を指で隠す。負けだな、これ。


「それ、多分、海の匂いだな」


「うみの……におい。……ほんとに、ある」


 小さく言って、また窓の外を見る。緊張っていうより、ワクワクを胸の中に収めておく顔だった。


 美咲さんが前から、今日の注意書きをさらっと読み上げる。


「海は広いけど、今日は見るだけ。走らない、飛び込まない、波に挨拶はしない。約束ね」


「波、あいさつ?」


 リヴが首を傾げる。


「テンション上がると“わーっ”って行きたくなるでしょ」


「……ちょっと、行きたい」


 一拍置いてからの告白が、やけに正直だ。


「正直でよろしい。でも今日は見て楽しむ日」


「うん。見る。……波、さわらない」


「よし、合格。優等生」


 褒められて、リヴがほんの少し胸を張った。分かりやすい。俺は笑いそうになって、鼻で息をついた。


「着いたよ」


 美咲さんが駐車場に車を入れて、エンジンを切る。外に出た瞬間、風がぶわっと来た。冷たいけど刺すタイプじゃない。湿ってて、遠くの音まで運んでくる感じ。


 リヴのフードがふわっと揺れた。


「……音、する」


「波だな」


「なみ……」


 リヴが俺の袖を掴む。いつもの“確認”じゃない。手を借りたい時の掴み方で、指先に力がこもってる。こういうの、ずるい。


「行くか」


「……うん」


 少し歩くと、視界がいきなり開けた。コンクリの階段を下りた先に砂。その向こうに――


 海があった。


 水槽の青とは別物だ。ガラス越しじゃない。空と同じサイズで、地面の端まで続いてる。波が寄せては返して、白い泡が砂を撫でていく。遠くの水平線は薄く霞んで、空と海の境目が溶けていた。


 リヴが、ぴたりと止まった。


 言葉が出ない顔。目を丸くして、瞬きも忘れてる。袖を掴む指先が、ゆっくり握り直された。


「……おおきい」


「……でかいな」


「……でかい」


 同じ言葉を繰り返したあと、リヴが急にこっちを見た。


「ナオキ」


「ん?」


「これ……水、ぜんぶ?」


「ぜんぶだよ」


「……水、勝ち」


「……なにと戦ってんだ」


 リヴがふっと笑って、俺の肩の力も落ちる。美咲さんも遅れて笑った。


「リヴちゃん、海に勝たなくていいの。仲良くしよ」


「……仲良く、する」


「よし」


 美咲さんは少し距離を取って立ち止まった。近くにいるけど邪魔しない。そういう距離感が上手い。


 波の音だけが続く。寄せて、崩れて、引いていく。同じなのに、毎回ちょっと違う。


 リヴが一歩、砂の上に出た。足が沈む。柔らかい。その感触に驚いたみたいに動きが止まる。


「……床、ない」


「……砂って床の親戚みたいなもんだろ」


「親戚、信用できない」


「……それは失礼だ」


 リヴがしゃがんで砂をつまむ。手のひらからさらさら落ちて、光に当たってきらっとした。


「……こぼれる」


「こぼすな、って言いたいけど……まあ、こぼれるよな」


「……こぼれる、って言った」


「……はいはい」


 リヴが吹き出した。俺もつられて笑う。笑いながら、胸の奥がふっと軽くなる。こういう笑い方、久しぶりだ。


「ナオキ、みず……近い、いい?」


「ここまで。濡れない距離で」


「了解」


「……急に硬い」


 俺の喉がまた乾く。けど、リヴは目を逸らさず続けた。


「……約束、だから」


 そう言って、波打ち際の少し手前で止まる。白い泡が砂の上を伸びて、ぎりぎり届かずに引いていった。


 リヴが息を吸う。


「……しお」


「だろ」


「しお、くさい」


「……言い方」


「……でも、正直」


「そこは正直じゃなくていい」


「……でも、海は、きれい。くさいけど」


「……フォロー、下手だな」


 雑なのに、顔は嬉しそうで、鼻に皺を寄せたまま笑ってる。綺麗なだけじゃない。匂いも音も湿り気も、まとめて海なんだろうな。


 美咲さんが後ろから声をかけた。


「リヴちゃん、寒くない? 上着、もう一枚あるよ」


「だいじょぶ。……ちょっと、つめたい」


「ほら来た。直輝くん、“ほっとけない顔”してる」


「してないです」


「してるしてる。はい、これ。リヴちゃん、遠慮しない」


 美咲さんが紙袋から薄いストールを出して、リヴの肩にふわっとかける。リヴは一瞬固まって、それから小さく言った。


「……ありがとう」


「どういたしまして。風、強いからね」


 リヴがぽつりと漏らす。


「ミサキ、やさしい」


「でしょ。私、やさしいの」


「自分で言うな」


「いいの。事実だから」


 リヴが小さく笑って、今度は俺の方を見る。視線が、少しだけまっすぐで。


「……ナオキも、やさしい」


「……は?」


「袖、貸した。いま」


「それは掴まれてただけだ」


「でも、逃げてない」


 反論しようとして、言葉が詰まる。指先に余計な力が入って、すぐ抜く。


「……めんどくさい観察すんな」


「観察、得意」


「……変な方向にだけ伸びるな」


 三人の笑い声が、波の音に混ざる。ちゃんと休日の音で、変に安心してしまった。


 美咲さんが自然にスマホを構える。


「はいはい、今の空気いい。写真撮る? 耳が写らない角度で」


「とる!」


 即答。リヴが俺の袖を引っ張る。


「ナオキ、こっち。海、うしろ」


「お前、もう慣れてるな」


「タブレット、見た。ポーズ、勉強した」


「……覚えなくていいやつ覚えてる」


 リヴは真顔で親指を立てる。


「これ。ぐっど」


「……それ、どこで仕入れた」


「動画。見た」


「文明こわいな」


「こわくない。便利」


「はいはい」


 美咲さんが笑いながらシャッターを切った。


「よし。もう一枚。今度はリヴちゃんだけ。海と記念ね」


「え、ひとり?」


 リヴの声が少しだけ上がる。


「大丈夫。私が後ろで見てる」


 リヴは迷って、ちょっと唇を結んでから頷いた。


 砂の上に立つリヴ。背中に海。フードを深くかぶってるのに、目だけはまっすぐ前を向いている。


 シャッター音。


 撮り終わると、リヴが照れた顔で俺を見る。


「ナオキ、あとで、見る」


「見る」


「……うん」


 それだけで、また笑う。今日のリヴは笑う回数が多い。……俺までつられてるのが悔しい。


「さ、甘いもの行こ」


 美咲さんが言った。


「直輝くんも拒否権なし。今日は“普通の休日”チームだから」


「チームってなんですか」


「チーム。はい、決定」


「強い」


 売店でホットココアと温かいカフェラテ。それから、リヴが見つけた“海の塩キャラメル”。


「しお、あまい……?」


 眉をひそめたまま、結局買う。負け顔なのに行動が速い。


 ベンチに座って、海を見ながら飲む。紙カップが手を温めて、ココアの匂いが鼻に入った。


 リヴが一口飲んで、目を丸くする。


「……あつい」


「そりゃ熱い」


「でも、いい。おなか、あったかい」


 塩キャラメルをひとつ口に入れて、ゆっくり噛む。リヴの顔が忙しい。


 甘い。

 しょっぱい。

 もう一回甘い。

 やっぱりしょっぱい。


 最後、悔しそうに俺を見る。


「ナオキ、これ……敵」


「敵じゃなくて菓子だな」


「でも、好き。……くやしい」


「……その戦い、勝てないやつだぞ」


 美咲さんが笑いながら言う。


「リヴちゃん、その戦いは一生続くよ。塩キャラメルってそういうやつ」


「一生……?」


「一生」


 リヴが真剣に頷いて、二つ目を食べた。


「……もう一回」


「……好きなら、まあ」


「好き。くやしい。好き」


「忙しいな」


 海は寄せて返す。風は頬を冷やして、カップは手を温める。その全部が気持ちよくて、俺はつい笑ってしまった。


「ナオキ、なに笑う」


「いや、今日はいい日だなって」


「いい日」


 リヴがその言葉を、口の中で転がすみたいに言う。


「ミサキも、いい日?」


 美咲さんが一瞬だけ驚いた顔をして、それから柔らかく笑った。


「うん。いい日。二人がちゃんと帰るなら、もっといい日」


「圧がすごい」


「大人の圧」


 リヴが満足そうに頷く。


「圧、だいじ」


「それは違うと思う」


 風が少し強くなって、空がほんのり赤くなり始めた。夕方の色だ。海の青が濃くなって、波の白が目立つ。


 美咲さんが立ち上がる。


「そろそろ帰ろう。暗くなると冷える」


「……もう、かえる?」


 名残惜しそうに海を見るリヴ。


「また来れる」


 俺が言うと、リヴはゆっくり頷いた。


「うん。……また、来る。約束」


「約束な」


 帰り道、車の中でリヴはしばらく黙っていた。眠いのかと思ったら違う。窓の外を見ながら、時々小さく笑ってる。


「なに笑ってる」


 聞くと、リヴは一拍置いてから、ぼそっと言った。


「……海、くさい。きれい。……へん」


「へんは禁止だったな」


「じゃあ……おもしろい」


「それなら許す」


 リヴが満足そうに頷いて、目を細める。


「今日、いい日」


「いい日」


「……潮の匂い、のこる?」


「鼻の奥にちょっと残るかもな」


「それ、いい」


「いいのか」


「いい。忘れない」


 リヴはそう言って、窓に頬を寄せた。さっきより力が抜けた顔で。


 今日の休日は、笑って、食べて、見て、風に当たって――それだけで十分だった。

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