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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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おかえり

 電源の落ちたテレビの黒い画面。そこに残った指紋の跡と、枠の角の小さな欠け。普段なら見落とすものが、いまは勝手に目に入ってくる。時計は23:11――あと七分。


 俺は喉を鳴らして、その数字を頭の中で何度もなぞった。


 この三日間、やってきたのは確認作業の繰り返しだ。時計を見る。日付を見る。アラームを入れる。そして最後に、この黒い画面を見る。


 枠へ手を伸ばすと、冷たさで指先が反射的に引っ込む。刺すような冷えじゃないのに、金属に触れた温度だけが指に残って、離れない。


 数歩離れると落ち着かなくなって足が止まる。離れたいのに、気づくと体がテレビの前に戻っている。元の場所に戻った瞬間だけ、呼吸が少し楽になるのが腹立たしい。


 息を吸っても胸の奥まで入っていかない。吐くと喉が乾く。水を飲んでも乾きが引かない。テレビを見たまま膝を押さえると、指先の震えがはっきり分かった。


 ――ガチャ。


 玄関の鍵が回る音に、俺は顔を上げた。


 扉が開いて、美咲さんが入ってくる。手にはコンビニの袋。バッグの肩紐が少しずれていて、急いだのが分かる。


「お邪魔します」


「……うん。入って」


 美咲さんは俺の顔を見て、それから背後のテレビへ視線が行きかけて止めた。すぐに俺へ戻す。


「はい、これ。水とゼリー。あと甘いもの。喉、きついでしょう」


 袋から中身を出して、テーブルの端に並べていく。動きは丁寧なのに、指先だけ力が入っている。


「助かった。ありがとう」


「まず飲んで。喉が落ち着いてから、次のことをやろう」


 美咲さんはソファじゃなく床に座った。俺と同じ高さで、離れすぎない距離。


 その距離だけで、胸の奥の固いものが少し緩む。ひとりで抱えていた緊張に、やっと相手が触れた感じがした。


「いま、何分前?」


「あと七分」


「……そう。じゃあ、いまは時間を数えるだけでいい」


 美咲さんは小さく頷いて息を吐く。吐き方が整っているのが、逆に怖い。俺は乱れているのに、この人は崩れていない。


「直輝くん」


 呼ばれて、意識が戻る。喉が鳴る。視線だけ美咲さんに向けた。


「……ごめん。考えが止まってた。いま聞いてる」


「怖い?」


 まっすぐ聞かれて、笑えなかった。乾いた唇を一度舐める。


「……怖い。たぶん、今が一番きつい。心臓の音がうるさい」


「うん。怖いままでいい。動けるうちに、いま出来ることをやろう」


 否定しない。励ましもしない。次にすることだけを置いてくる。


 それが、いまの俺には助かった。


「いまだけでいい。いっぺん、深く吸って。吐いてみて」


「……分かった。やる」


「一回でいいよ。吸って」


 言われた通りに息を吸う。肺が痛い。吐き出すと、肩の重さが少しだけ落ちた。


 時計を見る。23:14。あと四分。


 美咲さんがスマホを裏返して置いた。画面を伏せるだけで、部屋の音が減った気がする。


「直輝くん。立てる?」


「……立てる。俺が触る。いまのうちにやる」


「私は後ろにいるね。直輝くんの呼吸が止まりそうなら声かける。もし手が動かなくなったら、合図して。止めるから」


「……頼む」


 俺は立ち上がって、テレビの前に行った。


 枠にそっと指を置く。冷たい。冷たさが指先から広がっていくのに、指は離れなかった。


 23:16。


 部屋の音が遠い。冷蔵庫の唸りも、外の車の音も、聞こえているはずなのに頭に入ってこない。唾を飲み込む音だけがやけに大きい。


 23:17。


 心臓が一回、大きく鳴った。耳の奥で血の音がする。黒い画面だけが、輪郭までくっきり見える。


 23:18。


 部屋の空気が変わった。


 黒い画面のいちばん下。枠と画面の境目に、白い線が一本走った。細いのに消えない。白い線はゆっくり左右に広がっていく。破れた感じじゃない。少しずつ、開いていく。


 光が見える。でも目を閉じたくなる光じゃない。


 そこから風が入ってきた。冷たくない。草と土と水の匂いが混じって、胸が少し楽になる。


 頭の奥に短い言葉が落ちてくる。


『戻す』


 命令というより、落ち着かせる声だった。


 白い隙間が大きくなる。向こう側は見えないのに、通れる幅ができた。人が一人、通れる。


 息が止まった、その直後。


「ナオキ!」


 光の中から声がした。切れている。息が乱れている。


 次の瞬間、リヴが転がるように飛び出してきた。足がもつれて、俺の胸にぶつかる。腕の中に体温が入ってくる。軽いけど、ちゃんと重さがある。呼吸がある。鼓動がある。


「……リヴ」


 喉が詰まって、最初はそれしか出なかった。


 リヴは俺の服を掴んだ。指先に力が入っている。肩が小さく上下している。


「ただいま……っ」


 声が震えて、最後が小さくなった。


 俺は息を吐いて、やっと言葉を繋いだ。


「……バカ。笑うな。どれだけ心配したと思ってんだ」


「……ごめん。待たせた」


 リヴは言い切る前に、もう一度強く抱きしめてきた。息が落ち着かないまま、離れない。


「……三日だ。逃げ場なしで、ずっと最悪だった」


「……うん。ごめん。ほんとに、ごめん」


 強がる余裕がないのが分かる。言葉の途中で息が引っかかる。帰ってきた。それは確かだ。でも、平気じゃない。


 背後で、美咲さんが息を吸い直す音がした。


「……リヴちゃん」


 リヴが顔を上げる。美咲さんを見て、目が丸くなる。言葉が出るまで、短い間が空いた。


「……ミサキ」


「……おかえり。ほんとに、よかった……」


 美咲さんの声が少しかすれている。泣いているのに、笑おうとしている。


 リヴは俺から半歩も離れないまま、美咲さんにも手を伸ばした。美咲さんが一瞬迷って、それからその手を握る。


 握られた瞬間、俺の目が熱くなった。


 俺はもう一度テレビを見る。


 白い光はもうない。黒い画面はただの黒に戻っている。さっきほど冷たく感じない。


 終わった――そう思った瞬間、膝が抜けそうになった。


 俺はリヴの肩を抱いて支える。


「……ちょい、座る。足が抜けた」


 リヴが俺の顔を覗き込む。まだ呼吸が浅いまま。


「ナオキ、立てる? 頭、ぐらってしてない?」


「いま立ってる。けど、このまま突っ立ってると崩れる。床でいい。ここで座る」


「うん……」


 美咲さんが目元を指で拭って、小さく咳払いをした。


「……リヴちゃん。さっきの言葉、私には分からなかった。日本語で、ゆっくり話せる?」


 リヴは口を結んで、言葉を探す。


「……日本語、はなす。……ミサキ、ひさしぶり。来てくれて、ありがと」


 ぎこちない。でも、伝えようとしている。


 美咲さんはゆっくり頷いた。


「うん。帰ってきてくれて……ほんとによかった」


「わたし、いま……ここ、いる」


 美咲さんがリヴを抱きしめる。リヴの背中に手が回る。


「……あったかい。へん。うれしい」


「うん……うん」


 美咲さんの声が震える。


 抱きしめられているのに、リヴはすぐテレビの方へ視線を向けた。短く、はっきりと。


 美咲さんもそれに気づいて、目を細めた。


「リヴちゃん。立てる? 気持ち悪くない?」


 リヴは返事をしかけて、途中で止めた。


「……ちょっと。あたま、ぐるぐるする。立つと、ふらつく」


「吐き気は?」


「吐きたくない。でも……のど、すごく、かわく」


「飲める? 一口ずつでいい」


「うん。……ゆっくり」


 俺がペットボトルを開けて、リヴの口元に当てる。リヴは一口だけ飲んで、すぐ離した。肩で息をする。


「……あまい。みず、あまい」


「それ、水じゃなくてスポドリ。いまは喉に入るほうが大事だ」


「すぽ……どり」


 リヴが真似して言って、口の端が少しだけ動いた。でもすぐ、呼吸が浅いまま戻る。


 落ち着いた気はする。けど、確信はない。


 テレビの黒は元通りだ。それでも、視界の端で画面の見え方が変になる瞬間がある。疲れのせいかもしれない。けど、体はまだ緊張を解いていない。


 美咲さんが静かに言った。


「……直輝くん。リヴちゃん。座ろう。床でいい。いまは体を落ち着かせたい」


「……うん。ここから動けない。いまは、この位置が一番マシだ」


 俺はリヴを抱えたまま、テレビから一歩も離れない位置で腰を下ろした。床が固い。固さがあるだけで、少し現実に戻れる。


 その直後、リヴがまたテレビを見た。


「……まだ、いる」


「何が」


 リヴはすぐには答えない。息を吸ってから、言葉を選ぶ。


「むこうの……におい。ここに、ちょっとだけ、まざってる」


 背中に汗が出た。美咲さんの声も低くなる。


「じゃあ……まだ完全に終わってない?」


 俺は答えられなかった。


 リヴが俺の袖を引っ張る。指先が強い。


「ナオキ。だいじょうぶ。世界樹に、崩壊核、渡した」


「渡したら、もう安全なのか。こっちに何も残らないのか」


 テレビから目を離せないまま聞く。リヴは一度息を整えて、言い直した。


「わたしが……渡す役になった。だから、世界樹が受け取れた。あとは世界樹が処理する。崩壊核は、いま、わたしの手元にない」


「……渡す役?」


 俺が聞き返すと、リヴは胸の前で両手を握った。


「ほんとは世界樹、さわれない。不具合が起きるから。……でも、いちどだけ、崩壊核を自分の中に閉じた。だから、短い時間だけ運べた」


「……自分の中に入れたのか」


「うん。一回だけ。で、世界樹に渡した」


 美咲さんが声を落とす。


「リヴちゃん……それ、痛くなかった?」


「痛かった。……でも、いまは、体は動く。寝たら、戻る」


 無理に明るくはしない。言い切った直後、息が少し震えた。


 俺の喉が詰まる。


「……今日は休め。体が追いついてない」


「むり、してない。……ナオキが、いるから」


 リヴはまた俺の服を掴んだ。指の力が抜けない。


 テレビは黒いまま。光はない。それでも、画面の端が歪んで見える瞬間がある。


 リヴが小さく言った。


「……もう、こわくない」


「いま言えるのは、体が動くってことだな。もし気分が落ちてきたら、すぐ言え。黙って耐えるな」


「……うん」


 リヴは大きく息を吐いた。


「わたし、ちょっと……つかれた」


「そりゃそうだ。今日はもう何もしない」


 美咲さんがゆっくり頷く。


「じゃあ、今日は休みましょう。テレビには触らない。リヴちゃんは水分を取って、落ち着いたら寝る。直輝くんも、いまは無理に起きてないで」


「……分かった。このまま、ここで休む」


 リヴが俺の胸元に額を寄せた。


「……ナオキ、はなさないで」


「離さない。……帰ってきたんだろ」


「うん。……ただいま」


 小さな声だった。


 それでも、その一言で、俺の胸の奥の固いものが、ほんの少しだけほどけた。

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