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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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三日の約束

 三日後の23時18分。俺はこの六畳間で、テレビの前に立っていなければならない。――世界樹から、そう指示を受けた。

 電源の落ちた黒い画面は、ただ暗いだけじゃない。奥行きのないはずの黒が、妙に重く見える。目を逸らしても、視界の端で引っかかって、結局そこへ戻ってしまう。あの時刻になれば、リヴは本当に戻ってくるのか。


 ――ガチャ。


 玄関の鍵が回る音で、俺は反射みたいに顔を上げた。立ち上がるほどじゃない。冷蔵庫が小さくうなって、窓の外を遠い車が流れていく。空気も匂いも普段通りだ。

 それでも、部屋の中心にいるテレビだけが落ち着かない。黒い画面が、ここに「いる」みたいに重い。


 さっき一度、この玄関は開いた。美咲さんを送り出して、ちゃんと閉めた。分かってる。もう安全だと自分に言い聞かせても、鍵の音が鳴るたび胸の奥が硬く鳴る。

 もし知らない足音だったら。もし、あの黒い枝の気配が混ざっていたら。考えがそこへ滑った瞬間、喉の奥が乾いて唾が飲みにくくなった。


 扉が開いて、美咲さんが入ってきた。両手にコンビニ袋、もう片方に紙袋。袋の中でペットボトルが当たって、乾いた音が小さく跳ねる。

 息は少し上がっているのに、足取りは乱れていない。急がないように、一段ずつ数えて階段を上がってきたのが分かった。


「……戻ったよ」


 美咲さんはまず俺の顔を見て、次の瞬間だけ視線が揺れた。テレビのほうへ体が寄りかけて、途中でぴたりと止まる。足先を揃えて一呼吸置き、袋を床にそっと下ろした。

 触れない、と自分に言い聞かせる動きだった。


「息、切れてますよ。走ってないですか」


「走ってない。途中で一回深呼吸しただけ。……荷物、重かっただろ」


 美咲さんは小さく首を振って笑おうとしたが、うまくいかなかった。代わりに、袋の持ち手を握り直す。指の節が白くなって、ようやく手がほどける。

 俺はその手元から目を離せず、冷蔵庫のうなりを一つ数えるみたいに、息をひとつだけ深く吐いた。


「直輝くん。まず、置くね」


 美咲さんは紙袋の口を開け、机の上へ手早く物を並べていった。水。すぐ食べられるやつ。ゼリー飲料。カロリーバー。小さなパン。缶のスープ。予備の充電ケーブルまで出てきて、俺は思わず瞬きをする。

 必要なものが視界に並ぶだけで、胸の中の散らかったものが少しだけ静まった。


「水と、食べられるもの。あと充電。三日って聞いた時点で、これだけは揃えとく」


「……助かります。本当に」


 声が裏返りそうになるのを、喉の奥で押さえた。美咲さんは頷くだけで、今度は俺の目を真っ直ぐ見た。赤い目は赤いままなのに、泣きそうな目じゃない。崩れないように支える目だ。


「直輝くん、説明して。いまのままだと私、勝手に悪い方へ想像しちゃう」


 俺は頷いた。ここで格好をつけたら、余計にこじれる。言えることだけを、順番に短く。


「リヴは、生きてます」


 美咲さんの肩が、目に見えて落ちた。深い息が一つ入って、机の上の指先が少し柔らかくなる。


「……よかった」


「でも、今ここにはいないです」


 美咲さんは口を開けて、閉じた。言葉が出ない代わりに、袋の口を整え始める。手だけ動く。止まると崩れるから動かしている、そんな動きだった。

 その間に、美咲さんの視線がテレビへ寄る。近づきたいわけじゃない。勝手に吸い寄せられるみたいに。


「……あのとき、黒い枝みたいなのがリヴちゃんを狙ったよね」


「はい。あのあと俺たちは……このテレビを通って、“向こう”に行きました」


「リヴちゃんの世界」


「そうです。リヴの世界、異世界です」


 美咲さんは小さく頷いた。ここまでは、彼女も目の前で見たことだ。リヴが異世界のハーフエルフだってことも、受け入れている。


「私、見送ったもんね。リヴちゃんが……『直輝くんを守るために戻る』って決めたところ」


 その言い方が胸に刺さる。あのときのリヴの顔も、美咲さんの顔も、まだ鮮明だ。俺は一度だけ視線を落として、テーブルの木目を見てから戻す。


「……結局、俺も付いて行った。原因を放っとけなかった」


「原因って、あの黒い枝の元?」


「そうです。伸びてくる枝の根っこが、どこかにいる」


 喉の奥が乾く。付いて行った、の一言で済ませるには、向こうで見たものは重すぎた。美咲さんは唇を噛む。怒りそうにも泣きそうにも見えるのに、声は荒らげない。

 荒げたら、黒に届きそうな気がしているのかもしれない。


「向こうも、もう普通じゃなかったです。向こうの人たちの力も借りて、原因に近づいて……最後は“世界の裏側”――境界の奥みたいな場所に、飛び込みました」


「理解が追いつかないけど……で、直輝くんだけ戻ってきた?」


「はい。俺だけ戻ってきました」


「リヴちゃんは?」


「向こうに残ってます」


 美咲さんが、机の上の水の向きを揃え直した。何度揃えても、また触ってしまう。指先が忙しい。

 絞り出すみたいに、声が落ちた。


「……なんで」


「……俺にもまだ全部は掴めてない。ここで推測で埋めるのは、いちばん危ない。」


 美咲さんは数秒黙った。目を閉じて一度だけ息を吐き、また開く。立て直す動作だ。


「向こうで、何があったの」


 俺は息を吸って、短く区切った。説明じゃなく、要点として置く。


「黒い枝の“元”になってるものです。魔素喰い、崩壊核……それと、世界樹」


 美咲さんの眉がわずかに動いた。黒い枝が伸びたときの感触を思い出した顔に見えた。


「向こうで原因を止めるところまではいきました。崩壊核を封印した直後に……リヴも一緒に消えて、俺だけここに戻されました」


 美咲さんは机の上を見つめたまま、ゆっくり息を吸う。吸ったぶんだけ、吐くのが遅い。


「封印……成功したのに、リヴちゃんが消えたのね」


「成功って言い切るのは怖いです。でも、崩壊核は止まった。少なくとも、あの瞬間は」


「直輝くんだけ戻されたのは、偶然?」


「偶然じゃない感じがします。誰かの都合で、この部屋に落とされた」


 美咲さんの視線がまたテレビへ寄る。今度は距離を測るような目だ。俺の背中が冷える。


「美咲さん、テレビには近づかないでください」


「……分かってる。触らない」


 受けるだけで終わらせないように、美咲さんは言い足した。


「触らないし、誰にも触らせない。……でも、見ちゃうね。勝手に」


「俺もです」


 短く返すと、部屋の静けさが一段濃くなった気がした。黒が、息をしているみたいに。


「今ここで一番大事なのは、これです」


 俺はスマホを取り上げて時計を見せた。日付と時刻。秒が普通に進む。普段なら当たり前の動きが、今は支えになる。


「俺が戻ってきたこの部屋が、“戻り口”になる。だから――三日後の同じ時刻に、この部屋で、境界になってるテレビの前に立てって“言われた”」


「言われた?」


「声じゃないです。頭に来た。短い指示だけ」


「誰に?」


 迷って、でも嘘はつかない。美咲さんに伝わる形に削る。


「向こう側にいた、リヴのそばの“何か”です。……たぶん、俺たちが世界樹って呼んでたものの、意思」


 美咲さんはゆっくり頷いた。言葉を飲み込むみたいに。


「三日後に、ここに立つ。それが条件ってこと?」


「たぶん。そういう言い方でした」


「……ずっとテレビの前から動くな、ってわけじゃないのね」


「“ずっと”は言われてないです。ただ……長く離れるのは、嫌な感じがします。短時間ならトイレも台所も行ける。けど、なるべく近くにいたい」


 美咲さんの肩の力が、ほんの少し抜けた。


「よかった……。じゃあ、やることは単純。三日後の同時刻に、ここでテレビの前に立つ。それだけ守る。あとは体調崩さない」


 声が、仕事のときの落ち着きに変わる。今はそれが助かる。美咲さんは袋から弁当を出してテーブルに置いた。サンドイッチも。お茶のペットボトル。ヨーグルト。水も数本。


「水は多め。夜中に買いに出なくて済むように」


「ありがとうございます」


「礼は後。いま食べる」


「……今ですか」


「今。食べないと頭が回らない」


 俺は箸を取って弁当を開けた。普通の匂い。普通の米。口に入れると普通にうまい。こういう“普通”が、今は必要だ。

 美咲さんは俺が飲み込むのを見届けてから、スマホを出した。


「三日後の同時刻。アラーム入れる。直輝くんのも」


「俺が入れます。画面、見てください」


 俺がスマホを操作して、美咲さんが読み上げる。日付を確認。曜日も確認。三日後の同じ時間。念のため三十分前、十分前、当日は一時間前も。

 数字が並ぶほど、胸の中の「よく分からない」が少しずつ形になる。


「これで寝落ちしても起きられる」


「助かります」


 美咲さんは息を吐いて、もう一つ聞いた。


「その時間、私はいる? いたほうがいい?」


 いてほしい。そう言うだけで自分が崩れそうで、言葉を選んだ。


「いてほしいです。……ただ、何が起きるか分からない」


 美咲さんは迷わなかった。


「分かった。私も早めに来る」


 一拍置いて、口の端をほんの少しだけ上げる。無理に作った笑顔じゃない。“決めた人”の表情だ。


「直輝くんとリヴちゃんを迎えられるように――言わないとね。『おかえり』って」


「……そうですね。リヴをちゃんと迎えないと」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった冷たさが、少しだけ形を変えた。不安じゃない。約束の形になる。

 美咲さんはすぐ現実に戻る。戻るのが上手い。たぶん、それで何人も支えてきた人だ。


 美咲さんはメモアプリを開いて、短く打つ。


 ・三日後同時刻アラーム

 ・食事(抜かない)

 ・睡眠(削らない)

 ・連絡は最小限(体調不良)


「これでいいかな。目印があったほうが、動けるでしょ」


「……はい」


 美咲さんは一度、俺の顔を見た。


「リヴちゃんの声、聞いたって言ってたよね」


「聞きました。短く。“大丈夫”って」


「……それならいい」


 美咲さんは、その言葉だけを今夜の支えにするみたいに言った。


「今夜はそれだけ信じて寝よ」


 紙袋からインスタント味噌汁が出てくる。


「お湯、沸かすよ」


 台所でポットが鳴る。湯気の匂いがしてくる。部屋がちゃんと“生活”に戻る。カップが二つ。俺に一つ渡される。


「熱いから気をつけて」


「ありがとうございます」


 飲む。ちゃんと熱い。口の中が落ち着く。

 美咲さんは床に座った。ソファじゃない。俺と同じ高さ。距離を詰めすぎない。詰めなさすぎない。


「直輝くん。三日間の予定、決めよう」


「予定……?」


「大げさにしない。普通の予定。いつ寝て、いつ起きて、いつ食べるか。三日後の時間に眠くならないように」


「今日、いま何時に寝られそう?」


「……一時には」


「遅い。できれば零時半まで。明日からも同じにする。起きるのは?」


「七時くらいです」


「よし。朝ごはんは食べる。昼も。夜も。抜かない。量は少なくていい。受け付けないならゼリーでもいい」


「……分かりました」


 美咲さんは続ける。淡々としているのに、ちゃんと俺の呼吸を見ている。


「私が来る時間。明日は昼過ぎに来る。夕方も来る。明後日も同じ。三日後は二十時には来る。……怖くなる前に、先に来る」


「……お願いします」


「うん。あと、連絡の取り方」


 美咲さんが俺のスマホを指さした。


「電源は切らない。マナーモードでもいいけど、着信は分かるように。私からの連絡は絶対気づけるように」


「はい。音量、上げときます」


「それと、外から来た人。管理会社とか、近所とか。誰か来たらどうする?」


「……出ないほうがいいですか」


「あなたは出ない。私がいるときは私が出る。いないときは基本出ない。貼り紙で済ませる。『体調不良のため対応できません』で十分」


「……分かりました。貼り紙、用意しときます」


 美咲さんは少しだけ間を置いて言った。


「普段通りでいい。身構え過ぎると、体がもたない」


「……はい」


「風呂は?」


「入れます」


「なら入る。明日も入る。眠りの質が変わる。三日後に顔が死んでたらリヴちゃんが困るよ」


「……分かりました」


 美咲さんは立ち上がって、部屋を軽く見回した。テレビのほうは見ない。台所と洗面所の位置、トイレへの動線、ゴミ袋の位置だけ確認してる。必要なことだけやる。余計なことは増やさない。


「ゴミはここでいい? 匂い出たら嫌だから、まとめる」


「大丈夫です」


「換気は?」


「少しなら」


「了解。じゃあカーテン閉めたまま、少しだけ窓開ける。寒くなったら閉める」


 玄関へ向かいながら、美咲さんが振り返った。


「直輝くん、最後にもう一回。勝手に背負い込まない。変なことがあったら言う。怖いときも言う。分かった?」


「……分かりました。無理しそうになったら言います」


「よし」


「美咲さん」


「なに」


「……来てくれて、助かりました」


 美咲さんは一瞬だけ顔をしかめて、でもすぐにいつもの顔に戻った。


「助かるなら、ちゃんと寝る。ちゃんと食べる」


「はい」


「じゃあ私は帰る。明日また来る。夜でも連絡していい。遠慮しない」


「……はい」


 扉が閉まった。


 部屋が静かになる。冷蔵庫の音。遠い車の音。湯気の残り。弁当の匂い。いつもの夜だ。

 俺は食べ終わった容器をまとめて、ゴミ袋に入れた。手を洗って、トイレに行って戻る。違和感はない。普通に動ける。普通に戻れる。そこだけは確かだ。


 スマホを見る。充電中。アラームも入ってる。

 念のため、紙にも書いた。メモ帳に太字で。


『三日後 23:18 テレビ前』


 時刻はスマホのアラームと同じに揃える。紙をテーブルの端に置く。目に入る場所に。

 テレビを見る。電源は入っていない。いつもの黒い画面のまま。けれど、その黒が「ただの黒」だと、体が認めない。


 三日後の同じ時間に、ここに立つ。

 それだけ守ればいい。


 布団に入る前に、もう一度だけ時刻と日付を見る。アラームの一覧も確認する。三日後の予定が、ちゃんと残っている。

 息を整えて、目を閉じた。


「……リヴ」


 小さく呼んで、返事を待たない。待つと余計なことを考える。

 今は寝る。三日後に立つために――そして、あの黒の向こうから、ちゃんと「おかえり」を言えるように。

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