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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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三日後、境界の前で

 ――床が、冷たい。

 目を開けた瞬間、その冷たさだけが先に現実だった。硬いコンクリートが背中に当たり、六畳間の天井が見える。けれど視線は勝手に、部屋の隅のテレビへ吸い寄せられた。黒い画面が、ただそこにあるだけで重い。


「リヴが……生きてるか、答えろ」


 声は妙に小さく、部屋の空気に吸われて消えた。返事はない。そりゃそうだ。ここには俺しかいない。カーテンの隙間から街灯の光が一本だけ差し、壁の角に影を落としている。テーブルの上の紙も、散らかったままのコンビニ袋も、皺の具合までいつも通りだった。


 息を吸って、吐く。吐いた息がちゃんと散る。埃と洗剤が混じった、慣れた匂いが鼻の奥に残る。――戻った。そう理解したはずなのに、胸の奥だけが遅れていて、鼓動が速い。耳の奥で血の音がうるさい。体の一部だけ、まだ裏側の速さのまま置いてきたみたいだった。


(……俺だけ、か)


 分かった瞬間、頭が勝手に最悪へ滑りかける。リヴがいない。白い線――縫い目みたいに残った一本。その先を想像しただけで、喉が詰まった。


「……やめろ」


 声に出して止める。今ここで決めつけるな。決めつけたら、動けなくなる。床の冷たさを背中で確かめるみたいに、もう一度息を吐いた。


 まず、連絡だ。指先が痺れているのをごまかすように、スマホを掴んで画面を点ける。指が震える。怖いせいじゃない。手だけが勝手に速く動こうとして、感覚が追いつかない。裏側の残り香みたいなものが、まだ皮膚に張りついている。


 履歴に、さっき送った警告が残っていた。崩壊核に向かう前――「危険だから近づかないで」という、あの短い文面。あれだけだと、美咲さんは慌てる。慌てて走る。転ぶ。転んだら、俺はこの場から動く。動いたら――点がずれる。


 耳を澄ます。車の遠い走行音。冷蔵庫の唸り。水道管のかすかな鳴り。夜の、いつもの音ばかりだ。妙な圧も、今はない。だからこそ、言うべきことだけ送る。


 美咲さんへ。


『今、六畳間に戻った。アパート周辺は今のところ異常なし。

 崩壊核はリヴと世界樹が隔離・処理中で、こっちは一旦落ち着いてる。

 ただリヴはまだ戻れてない。俺はしばらくテレビの近くを離れない。

 来るなら走らずに。着いたら一回メッセージしてから入って。

 鍵は開けておく。テレビには触らないで。』


 送信。画面の上に「送信しました」と出て、ほんの少しだけ肺に空気が戻る。俺は立ち上がり、玄関へ行って鍵を外した。足音を小さく。すぐ戻って、テレビの前。離れたくなかった。理由を言葉にした瞬間、何かが折れそうで、言えないまま戻った。


 既読が付くまでの数秒が、長い。俺は息を吐いて、テレビを見た。


 黒い画面。電源は入っていない。反射で自分の顔が薄く映る――はずなのに、輪郭がぼやける。黒が平らに見えない。奥へ沈んでいくみたいだ。見ていると、焦点を合わせたつもりなのに勝手に合ってしまい、視線が離れなくなる。


 そして、冷たい。家電の冷え方じゃない。指先が薄い氷に触れたみたいな冷たさが、距離だけで伝わってくる。


 俺は床に座り、テレビの枠に指先を置いた。冷たさがじわっと染みる。触れた瞬間、黒がはっきりする。――ただの画面じゃない、と体が先に分かった。


 そのときだ。耳で聞いたんじゃない。頭の奥に、短い言葉が落ちてきた。


『そこにいろ』


 一拍おいて、続き。


『受け渡しに三日。三日後、境界の前に立て』


 三日。喉が勝手に鳴った。短いはずがない数字だ。三日後。境界の前。――この黒の前、ここで。


『切るな』

『忘れるな』


 それで終わり。説明はない。けれど、あの硬い言い方、命令の重さには覚えがある。背中がぞわりと冷える。俺の中では名前が付いている。世界樹。口に出しても、今は誰にも説明できない種類の“あれ”だ。


 三日後――この時間。スマホの時計を見る。23:18。なら、三日後の同じ時刻。ここに立つ。それだけは、はっきりした。俺は指を離しかけて、やめた。指先の冷たさが消えない。いまはこれが頼りだ。触れていると体が落ち着く。落ち着くのが腹立たしいくらい、必要だった。


 スマホが震える。


『すぐ行く!!』


 美咲さんだ。来るなと言っても来る。なら、転ばせない。


『落ち着いて。今は危険な気配はない。

 階段はゆっくり。転ぶな。

 着いたら「着いた」って送って。』


 送信。指の震えが、少しだけ収まる。三日ここにいるなら、最低限の準備がいる。俺は立ち上がった。背中がぞわっとする。寒さじゃない。黒のほうへ引かれるみたいな感覚が、薄く走る。


 テーブルの近くのコンセントに充電器を差して、スマホを繋ぐ。ケーブルが届く位置に置く。動きは小さく。すぐ戻れる範囲だけ。気づくと視線がテレビへ戻ってしまう。自分で追いかけてるんじゃない。ただ、戻る。


 冷蔵庫は二歩。たった二歩なのに、遠い。扉に手を掛けた瞬間、背中が粟立った。引っ張られる。見えないのに、体だけが黒へ傾く。部屋の床がほんの一瞬、薄くなる錯覚が走って、足裏の感覚が半拍遅れた。


(……まずい)


 迷って、決めた。行って、取って、戻る。それだけ。扉を開けた瞬間、冷気が頬を撫でるのに、その冷たさより“引き”のほうが強い。水を二本。棚の菓子パンを一つ。掴んで扉を閉め、すぐ戻る。


 座った瞬間、その引っ張りが弱まった。枠の冷たさが指に戻って、ようやく息が入る。離れすぎるとだめだ。理屈じゃなく、皮膚が先に答えを出していた。


 廊下のほうで小さな音がして、続いてスマホが震える。


『着いた』


 俺はすぐ返した。


『鍵、開いてる。そのまま入って。ゆっくりでいい』


 返して、立ち上がろうとして――足が止まる。そこにいろ。さっきの言葉が胸の奥で硬く鳴る。ドアへ行く、その一歩が怖い。ズレたら終わりそうで。


 だから俺は立たない。代わりに声を張った。


「美咲さん! 鍵、開いてる! そのまま入って!」


 返事がないまま、扉が勢いよく開く。


「……っ、直輝くん!!」


 美咲さんが飛び込んできた。息が上がっている。目が赤い。髪が少し乱れて、靴の踵も揃っていない。……走った。


「走るなって言ったでしょ」


 怒ってるみたいに聞こえるのに、声が震えていた。怒りじゃない。怖さだ。


「無理だよ。あんなの見せられて、ゆっくりなんて!」


 言い返す勢いはあるのに、視線が落ち着かない。部屋の中を探って、最後にテレビで止まる。黒い画面を見たまま、美咲さんが息を呑んだ。


「……で。リヴちゃんは?」


 心臓が一回だけ重く鳴る。嘘は言わない。言えることだけ。


「……ここにはいない。でも、生きてる。声は聞いた」


 美咲さんの眉がわずかに動く。「生きてる」で、呼吸が少し戻るのが分かった。


「どこに……?」


 俺はテレビを見る。いつもの黒。なのに違う黒。


「……あのテレビの向こう。リヴが行った」


「テレビの……中?」


「分からない。俺も、説明できるほど分かってない」


 正直に言うしかない。分かったふりをしたら、余計に怖くなる。美咲さんは一歩だけ近づきかけて止まり、冷えの届く位置で肩を固くした。


「……直輝くん、これ、冷たくない?」


「冷たいです。だから、触らないでください」


 声が硬い。止めたいのに止まらない。美咲さんは唇を噛み、俺の指先――テレビの枠に置いた手を見た。


「……何が起きてるの」


 俺は言葉を削った。美咲さんに伝わる形まで。


「さっき、言われた。三日後のこの時間に、ここに立てって」


 美咲さんが固まる。


「……誰に?」


 一拍置いて、短く答える。


「……世界樹」


 美咲さんの目がテレビと俺を往復する。追いつかないまま、声だけが尖る。


「三日って何? 何が三日? リヴちゃんを返すのに三日ってこと?」


「……分からない」


 喉が痛む。それでも折れない。俺は続けた。


「でも、“この時間に、ここ”って言い切られた。たぶん準備が要る。リヴを戻すための」


 美咲さんが息を吸って、吐ききれないまま拳を握った。


「……ふざけないで。直輝くんがここで三日って、どういうこと」


「離れたくない」


 短く言う。言い訳にしないために。


「……離れると引かれる。冷蔵庫に行っただけで、持っていかれそうになった」


 美咲さんの顔がさらに白くなる。それでも目が逸れない。


「じゃあ……私がやる」


「何を」


「水と食べ物。……三日分」


 喉が詰まって、うまく頷けなかった。けれど必要なのは否定じゃない。任せることだ。美咲さんは鞄の中を探って財布を出し、すぐに言った。


「コンビニ行ってくる。水と、すぐ食べられるやつ。ほかに要る?」


「水、多めに。すぐ食べられるやつ。できれば簡単なやつ」


「分かった」


 美咲さんはテレビを見て、半歩下がった。


「触らない。誰にも触らせない」


「……頼みます」


 ドアへ向かいながら、美咲さんが振り返る。


「直輝くん。リヴちゃん、戻るよね」


 即答したら嘘になる気がして、言葉が一瞬遅れた。代わりに、指先の冷たさを確かめる。


「……戻す」


 美咲さんが頷き、扉が閉まる。


 部屋が静かになる。冷蔵庫の唸り。遠い車の音。街灯の光の線。俺の呼吸。俺は枠に触れたまま、画面の黒に目を据えた。返事はない。けれど空っぽには見えない。そこに“向こう”があると、体が言い続ける。


 ……カチ、と小さな音。テレビのどこか――いや、黒の縁だ。画面のいちばん下、枠と黒の境目に、白い筋が走った。針でひっかいたみたいな細さで、ぴっ、と。


 一瞬で消えたのに、指先だけが引っかかったままだ。そこに段差が残っているみたいに。


(……残ってる)


 白い筋は光じゃない。派手な合図でもない。ただ、繋がりが“まだある”と示すだけの痕。俺は唇だけ動かした。


「……聞こえてるか」


 返事はない。けれど冷たさが、ほんの少しだけ変わる。痛い冷たさじゃなく、触れていられる冷たさに近づく。黒が、奥で息をしたみたいに揺れた気がした。


 三日。長い。けど、時間が決まっているなら耐えられる。俺は呼吸を整え、指先を離さないまま、黒に向けて言う。


「帰ってこい」


 白い筋が、もう一度だけ瞬いて――黒に溶けた。三日後の23:18、俺は境界の前に立つ。その瞬間まで、点を保って、切らずに、忘れずに。

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