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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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世界樹のポータル

 世界樹のウロを抜けた瞬間、足裏に安っぽいカーペットの毛が沈んだ。六畳間――俺の部屋だ。乾いた埃の匂いと、コンクリートの底冷えが、皮膚の内側にまで届く。窓の外を走る車の音も、異世界の静けさを容赦なく引きちぎって「いつもの」に引き戻してくる。


 部屋の隅では三十二型のテレビが、黒い画面のままこちらを向いていた。あれは、まだ繋がっているのか。考えるより先に、身体が「帰ってきた」と判断して肩の力を抜きかける。けれど、その瞬間に靴底の感触が、森の湿った土から繊維へ変わったことをはっきり告げて、喉の奥がきゅっと縮んだ。


 地球で初めて黒い枝に襲われ、六畳から逃げるみたいに異世界へ渡った夜が、まとめて喉元までせり上がってくる。


「……匂い、全然違うね」


 リヴが胸元に指を当てたまま、ゆっくり室内を見回した。視線が壁、棚、床と落ち着かずに揺れる。世界樹の根元の土も、ヴェルンの街の湯気も、ここにはない。代わりに乾いた空気と、洗剤の残り香みたいなものが薄く漂っていた。


「ナオキの部屋に、帰ってきたね」


「そうだな……」俺は一拍置いて、息を整える。「狭い六畳間だ。逃げ場も少ない」


「ううん」


 リヴは首を小さく振って、言い直すみたいに唇を結び直した。胸元の指が少しだけ緩む。


「オナキと一緒に過ごした、私の居場所」


 その笑い方だけで胸の奥がぬるくなる。けれど、その温度に寄りかかるには早い。三十二型のテレビは、ただの家電の顔をしていない。前にここから崩壊核の気配が漏れてきた「窓」だと思うと、背中側の空気が一段冷えた。


「……まずは状況確認だな」


 自分に言い聞かせるように呟いて、テーブルの上のスマホを拾い上げる。電源は落ちていない。画面を点けた瞬間、通知の数字が目に刺さって指が止まった。ほんの一瞬なのに、心臓の鼓動だけが先に鳴る。


 メッセージ。ニュースアプリ。緊急速報のログ。指を滑らせるほど、胸のあたりがざわついていく。


「各地で原因不明の停電」「沿岸部で不可解な霧」「上空の光の筋」――見出しだけで十分だった。異世界だけが戦場じゃない。こっちも、ちゃんと崩れかけてる。


 ニュースを一つ開く。空の色が変わった、音が急に遠のいた、黒い“何か”を見た見ていない。俺たちが向こうで感じた「薄さ」に似た言葉が、地球の言葉で並んでいる。喉が乾いて、唾を飲み込む音だけが妙に大きかった。


「ナオキ」


 リヴが隣から小さく呼んだ。視線は画面じゃなく、俺の手元に落ちている。胸元を押さえる指の位置が、いつもより少しだけ高い。


「ゆっくり読む時間、なさそうだね」


「……ああ」俺は短く頷き、指先に力を入れ直す。「決めて動くほうが先だ。全部追ってたら、動けなくなる」


 ここで全部を知ろうとしたら、きりがない。「何が起きてるか」を追う前に、「何をするか」を選ぶ段階だ。通知を閉じかけたとき、見慣れた名前が目に入った。


 ――美咲。


 胸がきゅっと縮む。指が勝手にそこを押して、画面が切り替わった瞬間、息が喉の奥で引っかかった。


『あれからしばらく経つけど大丈夫かな?』

『ニュースでなんか変なことばっかり起きてる』

『サロンもアパートもたまに見に行ってるよ』

『既読つかないから、ちょっと心配してる』

『帰って来る日が待ち遠しいです』


 俺がいなかった時間が、短い文の束になって積もっていた。行間の温度が生々しくて、胸の奥が痛む。なのに今ここで、それに沈む余裕がないことも分かってしまう。


 心の中だけで「ごめん」と呟いて、テキスト欄を開いた。長い説明はできない。説明したところで、美咲を巻き込むだけだ。伝えるのは一番やってほしいことだけ――そう割り切って、一行に絞る。


『今、一時的に戻りました。たぶん、異世界も地球もかなり危険な状態です。アパートには近づかないで下さい。リヴと一緒に帰ってきたら、すぐに連絡をします』


 送信を押す。小さな送信マークが流れていった。既読を待つ余裕はない。スマホをテーブルの端に伏せて置いた瞬間、胃のあたりがぎゅうっと痛んだ。空腹なのか不安なのか、区別がつかないまま、身体だけが「急げ」と言ってくる。


「……いいの?」


 リヴがそっと聞いた。胸元を押さえる指先に、少しだけ力が戻る。俺の目をまっすぐ見て、逃げない。


「よくはない」俺は息を吐いて、言葉を固める。「でも今できるのはここまでだ。近づくなって、それだけは先に言えた」


 返事が来ても「大丈夫」は言えない。「全部話す」も言えない。だからこそ、近づいてほしくない場所だけ先に塞いで、いったんスマホから目を逸らした。視線を外すだけで心臓の音が少し落ち着いた気がして、それが悔しかった。


「……腹、減ってる?」


 リヴが小さく首を傾ける。言葉は軽いのに、呼吸が浅い。


「減ってないって言ったら嘘だな」俺は口の端だけ動かす。「けど、落ち着いて食う時間じゃない」


「ご飯、作る?」


 いつもの「ご飯」の言い方だった。ここが六畳間だからこそ自然に出た言葉にも聞こえるし、だからこそ危うさもある。日常に寄りかかったら、手が止まる。


「いや、今は後回しにしよう」俺は棚に視線を移して、手を動かす。「のんびり食ってる余裕は、たぶんない」


「そうだね」


 リヴは唇を結んでから、少しだけ声を上げた。


「帰りの楽しみに取っておこう。戻ったら、温かいの作る」


 “帰り”。その単語が、ぎりぎりのところで心を支えた。俺は小さく頷いて、棚の奥に押し込んであった賞味期限ぎりぎりのカロリーバーを二本引っ張り出す。


 一本をリヴに、もう一本を自分に渡した。包装を破る音が、やけに乾いて響く。


「……これも懐かしい」


 リヴが小さく笑い、指先で包み紙を丸める。その笑いに一瞬だけ喉が詰まりかけた。


「俺たちの原点の味だな」俺は噛みながら、言葉を探す。「逃げる前に、よくこれで誤魔化してた」


 二人でもそもそと噛む。甘さが口の中に広がって、最低限の「動く準備」だけが整っていく。胃の奥の痛みが少しだけ形を変えて、冷えた塊みたいに落ち着いた。


 視線が自然と部屋の隅の三十二型テレビへ戻る。黒い画面。コンセントは差さったままだ。世界樹のウロと繋がっている窓。崩壊核の気配が漏れた場所だと思うと、喉の裏に薄い膜が貼りつく。


「……どうする?」


 リヴが画面を見たまま聞く。声は平らに整っているのに、息の出入りがわずかに速い。


「崩壊核、直接探しに行く?」


「たぶん、俺たちだけじゃ辿り着けない」


 首を振る。ウロを経由してここに来れた時点で、このテレビは「ただのテレビじゃない」。崩壊核への道も、多分――あっちの都合で繋いでる。こっちが地図を広げて探す類の話じゃない。


「じゃあ……どうやって、お願いする?」


 リヴが言葉を選ぶみたいに、ほんの少しだけ間を置いた。胸元の指に、また力が入る。


「そこなんだよな」俺は鼻で息を抜いて、笑いかけてから飲み込む。「……自覚はあるけど、おかしなことするぞ。笑うなよ」


 冗談めかしたつもりなのに、喉が急に乾いて、舌が上あごに張り付いた。


「笑わないよ」


 リヴは真面目に頷き、目を逸らさない。


「届くなら、ここが一番だと思う」


「テレビに話しかけてみる」


 言い切ると、リヴは頷き方が少し硬くなった。戦場で合図を確認するみたいに、確かめるような動きだ。


「この場所が“世界樹さんの窓”なら、きっとここが近い」


 リモコンを手に取って電源ボタンを押す。画面が一瞬黒く沈み、すぐに明るくなった。ニュース番組の途中で、キャスターの口が忙しく動いている。画面の端には各地の異常を示す小さな映像が並んでいた。


 空に走る光の筋。水面だけが不自然にざわつく湖。街灯の下で影だけが一瞬遅れて動く歩道。どれも、向こうで見た「薄さ」に似ている。見慣れたはずの地球の映像が、よそよそしい。


「……音、切るよ」


 俺はボタンに指を置いたまま、リヴの横顔を確かめる。瞬きがいつもより少ない。


「うん」


 リヴは息を一度吐いてから、言い足した。


「集中しよう。今は聞かない」


 音量を絞るボタンを押すと、喋っているはずの口だけが動いて、音だけがすとんと消えた。しん、とした六畳間。動いているのは画面の中だけで、逆に部屋の静けさが重くなる。


 俺はテレビの正面に立ち、深く息を吸った。埃の匂いが喉の奥でざらつく。これから言うことが正気じゃないのは分かってる。それでも、正気のままじゃ届かない相手だ。


「世界樹で、いいんだよな。あんたのこと」


 黒い縁を見ながら、言葉をゆっくり選ぶ。口に出した瞬間、笑いたくなるのをこらえて呼吸を整えた。


「導いてるのか、俺たちを駒にしてるのかは分からない。でも、俺とリヴは、あんたが開けた道を通ってここまで来た」


 隣でリヴが黙って聞いている。肩が少し上がって、すぐ落ちた。怖さを呼吸で押さえ込んでいる。


「このまま崩壊核に向かえっていうなら――」


 一歩、距離を詰めた。画面の反射に自分の目が映るのが嫌で、視線を外さないように歯を食いしばる。


「崩壊核のところに、ポータルを繋いでくれ」


 願いというより条件提示みたいな言い方になった。こっちも動く。その代わり道を開け、と。言い切ったあと、掌に汗がにじんでいるのに気づいた。


 横を見ると、リヴが静かに一歩前に出ていた。俺の言葉を踏み台にするみたいに、呼吸をひとつ深くして、声の温度を変える。


「世界樹さん」


 さっきより丁寧な声。胸元を押さえる指が、ほんの少しだけ緩む。


「ナオキに会わせてくれて、ありがとう」


 それから、と小さく息を置いて、リヴは頭を下げた。その動作が、部屋の空気を一瞬だけ柔らかくする。


「私たちの“ただいま”を守るために、行ってくる」


 その瞬間、ぱち、と画面が短く明滅した。


「……来た」


 リヴが胸元を押さえたまま、震える声で言う。二度、三度と明滅が続き、部屋の空気が画面のほうへじわじわ引かれていく感覚がした。耳の奥が詰まるような軽い圧迫感。吸い込むほど、空気が薄くなる。


 ニューススタジオが溶け始める。キャスターもセットもテロップも、黒い水に落ちたインクみたいに画面の奥へ沈んでいった。沈むのに消えない。消えないまま、別の層へ移動していく。


 代わりに広がったのは、真っ黒な空間だった。上も下も分からない。ただの闇じゃない。暗いキャンバスの上に、細い白い線が無数に走っている。蜘蛛の巣みたいに、布の裏側の縫い目みたいに、世界の骨組みだけを抜き出したような網だ。


 白い線が交差するところどころに、暗い塊が縫い付けられていた。島影のような、不気味な“面”。その中の一つだけが、ひときわ濃く、重い黒をしている。見ていると、視線が吸い込まれそうになる。


 そこから、細い黒い枝みたいなものが、内側と外側へじわじわ伸びていた。伸び方が生き物の指みたいで、背中がぞわっとした。


「あれ……」


 喉がまた乾く。黒い枝。黒い獣の元になった核。世界の裏側に無理やり縫い付けられた、腐ったボタンみたいな黒。画面の向こうで、縫い目そのものが痛がっているようにも見えた。


 崩壊核。


「行け、って言ってる」


 リヴが画面の奥を見たまま呟く。声は震えているのに、目だけは前を向いている。怖いと言う暇を、決意で塞いでいる顔だ。


「行こう」俺は唇を噛んで、言葉を短く結ぶ。「ここで迷うと遅れる」


「うん」


 リヴは一度だけ大きく息を吸い、声を上げた。


「“ただいま”を続けるために」


 二人で三十二型テレビの前に並んで立つ。黒いガラス一枚の向こうに、世界の裏側と崩壊核が待っている。ガラスの表面に俺たちの輪郭が薄く映って、次の瞬間には溶ける気がした。


「せーの、で触るぞ」


 俺はリヴの手の位置を確かめるように視線を落としてから、言い足す。


「吸い込まれても離すな」


「分かった」


 リヴの返事は小さいが、指先がぎゅっと強くなった。


「手、離さない。合図したら一緒に踏み込む」


 息を合わせる。呼吸の音が部屋の静けさに押し返されて大きく聞こえた。


「せーの」


 同時に手を伸ばした。ひんやりしたガラスに触れるはずだった指先が、すっと沈む。冷たい水でもぬるい泥でもない、質感のない「向こう側」に皮膚の感覚だけが吸い込まれていく。抵抗がないのに、引き返せない感じだけがある。


 足元がふわりと浮いた。重力の向きがほどけ、上下左右が一瞬ごちゃごちゃになって胃が置いていかれる。リヴの掌の温度だけが現実の錨みたいで、俺は反射で握り直した。


 次の瞬間、さっきまでテレビの中だった縫い目の世界が視界いっぱいに広がった。遠くで雷みたいな音がしたのに、それさえ布越しにくぐもって聞こえる。音の輪郭が丸く削れて、どこから鳴ったのか分からない。


「行ってくるよ、世界樹」


 返事はない。ただ、縫い目の先で黒い塊がこちらを待っている気配だけが濃くなる。俺たちはその裏側へ飛び込んだ――戻る道が同じように用意されているか、確かめる暇もないまま。

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