第9話 決壊
午後四時。
最後の払戻窓口のシャッターが、ゆっくりと降り始めた。
ガラガラガラ――。
場内放送が流れる。
『本日の払戻業務は終了いたしました。ご利用ありがとうございました。』
黒田は、その音を無言で聞いていた。
「……報告。」
無線が鳴る。
『東側、該当者なし。』
『二階払戻所、異常なし。』
『西側も空振りです。』
『こちら北口、全員シロです。』
一人。
また一人。
報告だけが積み重なる。
黒田は静かに目を閉じた。
「……全員、引き上げろ。」
『了解。』
『了解。』
無線が静まる。
車内に重い沈黙が落ちた。
黒田はフロントガラスの向こうを見つめる。
換金を終えた客たちが帰っていく。
笑う者。
肩を落とす者。
レースを振り返る者。
その全員が、黒田には怪しく見えた。
「……場外を流すぞ。」
黒いワゴンがゆっくりと走り出す。
一方、その頃。
山崎のスマートフォンが震えた。
最後の換金完了メールだった。
山崎は画面を見つめ、大きく息を吐く。
「……終わった。」
肩の力が抜ける。
張り詰めていた緊張が、一気にほどけた。
すぐに藤井へ電話を掛ける。
「もしもし!」
『終わったか?』
「ああ! 全部終わった!」
思わず笑みがこぼれる。
「信じられねぇ……全部当たった!」
『ああ。計画通りだ。』
その一言だった。
黒田の耳が止まる。
周囲から聞こえてくる競馬談義とは、明らかに空気が違った。
黒田はゆっくりと視線を巡らせる。
人混みの中。
電話を切ろうとしている山崎を捉えた。
黒田は勢いよくドアを開ける。
車を飛び降りた。
真っ直ぐ山崎へ向かって歩き出す。
山崎はスマートフォンをしまい、ふと顔を上げた。
目が合う。
十数メートル先。
黒田が歩いてくる。
山崎の笑みが消えた。
(……まずい。)
黒田は歩みを止めない。
一定の歩幅で。
真っ直ぐ山崎だけを見据えている。
「た、助けてくれ!」
山崎の叫び声に、一人の青年が足を止めた。
「どうしました?」
駆け寄ろうとした、その時だった。
青年は黒田を見た。
一瞬だけ目が合う。
青年の表情が強張る。
何も言わない。
静かに道を譲り、人混みの中へ消えていった。
「待ってくれ!」
山崎は周囲を見回す。
誰でもいい。
助けてくれ。
目が合う。
だが。
一人。
また一人と視線を逸らしていく。
足早に立ち去る者。
見て見ぬふりをする者。
誰一人として、黒田の前へ立とうとはしなかった。
黒田だけが歩いてくる。
その目を見た瞬間。
山崎は悟った。
怒りではない。
憎しみでもない。
そこにあったのは。
覚悟だった。
(……この人は、俺を逃がさない。)
本能がそう告げる。
逃げなければ。
そう思うのに、足が動かない。
黒田は山崎の胸ぐらを掴んだ。
目を逸らさない。
背後へ小さく顎をしゃくる。
「攫え。」
待機していた組員たちが、一斉に山崎へ飛びかかった。




