第12話 追跡
第○話 追跡
取調室。
藤井は深く息を吸った。
「……友達が殺されました。」
大迫は表情を変えない。
「どなたですか。」
「山崎です。」
「遺体は確認しましたか。」
「していません。」
「では、なぜ亡くなったと判断したのですか。」
藤井は震える手でスマートフォンを差し出した。
画面には一枚の写真。
血だまりの中に倒れる山崎。
その下には、一行だけ。
『次はお前だ。』
大迫は静かに画面を見つめる。
「送り主は。」
「分かりません。」
「ですが。」
藤井は唇を噛んだ。
「双葉会です。」
「なぜ、そう思うのですか。」
「全部……話します。」
藤井は目を閉じた。
「最初から。」
*
数時間後。
取調室には、キーボードを叩く音だけが響いていた。
カタ、カタカタ……。
大迫は藤井の供述を、一言も漏らさぬよう入力していく。
途中、何度も確認を挟む。
「間違いありませんか。」
「……はい。」
画面の文字は増え続けた。
誘拐。
監禁。
競馬。
換金。
双葉会。
大河原。
そして。
木村。
最後のページを入力し終えると、大迫は手を止めた。
「最後に確認します。」
「天皇賞の八百長、不正献金を裏付ける証拠はありますか。」
藤井は静かに首を横へ振る。
「私は持っていません。」
「見ただけです。」
「誰が保管していますか。」
長い沈黙。
「……木村です。」
「場所は。」
「分かりません。」
「ですが。」
藤井は顔を上げた。
「アイツは、全部持っています。」
大迫は数秒、藤井を見つめる。
やがて画面を保存した。
静かな電子音が鳴る。
ノートパソコンを閉じる。
「ご協力ありがとうございました。」
立ち上がり、取調室を後にした。
*
廊下へ出ると、若い刑事が駆け寄ってきた。
「大迫さん。」
「駆君の供述と照合が終わりました。」
「どうだった。」
「一致しています。」
「監禁場所。」
「犯人三人の役割。」
「番号で呼び合っていたこと。」
「身代金ではなく情報を要求したこと。」
「すべて一致です。」
大迫は小さく頷く。
藤井は嘘をついていない。
少なくとも。
誘拐事件については。
その時だった。
「大迫。」
課長が会議室から顔を出した。
「少しいいか。」
*
会議室。
供述書が机へ置かれる。
課長は腕を組んだ。
「信用できるか。」
「はい。」
「駆君の供述とも一致しています。」
「ですが。」
「供述だけでは、大河原は動かせません。」
課長も頷く。
「物証がいる。」
「木村です。」
大迫は答えた。
「山崎が集めた資料を保管しています。」
「確保できれば。」
「事件は動きます。」
「所在は。」
「……まだ分かりません。」
その時。
会議室のドアが開いた。
「失礼します!」
若い刑事だった。
「木村の出国記録がありました!」
全員が振り返る。
「本日。」
「午後七時四十分発。」
「羽田空港です!」
大迫は腕時計を見る。
午後六時五十八分。
残り、四十分余り。
「課長。」
「行きます。」
「応援を待て。」
「間に合いません。」
「大迫。」
「私が一番近い。」
一瞬の沈黙。
課長は静かに頷いた。
「行け。」
「ただし。」
「任意だ。」
「無理はするな。」
「了解。」
大迫は供述書を抱え、会議室を飛び出した。
*
サイレンを鳴らさない捜査車両が、都内を走る。
信号。
渋滞。
時計だけが進んでいく。
大迫は助手席で供述書を開いた。
木村。
職業、小説家。
住所。
年齢。
家族なし。
前科なし。
そして最後の一文。
『この国では、もう書けない。』
藤井の供述だった。
大迫は窓の外を見た。
「待っていろ。」
誰に向けた言葉なのか。
自分でも分からなかった。
車は、そのまま羽田空港へ向かって走り続けた。
かった。
*
羽田空港。
出発ロビーは、多くの旅行客で賑わっていた。
スーツケースを引く家族連れ。
搭乗口を確認するビジネスマン。
海外旅行を楽しむ若者たち。
館内放送が静かに流れる。
『○○便をご利用のお客様へ――』
大迫は人の流れを見渡した。
一人ひとりの顔を追う。
黒いコート。
古びたショルダーバッグ。
本を片手に歩く男。
その姿を見つけた瞬間、大迫の足が止まる。
「……いた。」
木村だった。
大迫はゆっくりと歩き出した。
二人の距離が、少しずつ縮まっていく。
「木村!」
大迫の声がロビーに響く。
だが、木村は振り返らない。
一定の歩幅のまま歩き続ける。
二人の距離が少しずつ縮まっていく。
「木村!」
ようやく木村が足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
二人の視線が交わる。
「警察だ。」
「少し話を聞かせてもらいたい。」
木村は大迫を静かに見つめた。
「……誰が話しましたか。」
「藤井だ。」
その一言だけで十分だった。
木村は小さく頷く。
「逮捕状は、まだないのでは?」
「……まだない。」
「今は。」
短い沈黙が流れる。
「それでは、お断りします。」
木村は再び前を向き、保安検査場へ歩き始めた。
「木村!」
大迫は呼び止める。
しかし、木村はもう振り返らなかった。
令状はない。
大迫には、その背中を見送ることしかできなかった。
木村は保安検査場へ向かう。
大迫は警察手帳を掲げ、係員へ駆け寄った。
「警視庁です!」
「その男性を止めてください!」
係員は木村と大迫を交互に見た。
「逮捕ですか。」
「……いえ。」
「逮捕状はありません。」
「任意で事情を聞きたいだけです。」
係員は申し訳なさそうに首を横へ振る。
「申し訳ありません。」
「法律上、任意の事情聴取を理由にお客様をお止めすることはできません。」
「ですが、このまま出国すれば!」
「お気持ちは分かります。」
「しかし、私どもにはその権限がありません。」
木村は静かに搭乗券を差し出した。
係員は確認を終え、道を開ける。
「どうぞ。」
木村は軽く一礼した。
「失礼します。」
そのまま保安検査場の奥へ消えていく。
大迫は動けなかった。
令状がない。
その一枚の違いが、目の前の男との距離を永遠にした。
大迫は展望窓の前に立っていた。
滑走路の先。
木村を乗せた旅客機が、ゆっくりと誘導路を進んでいく。
やがて滑走路へ入る。
エンジン音が低く唸り始めた。
静止していた機体が、ゆっくりと動き出す。
次第に速度を上げる。
その姿は一直線に滑走路を駆け抜けた。
大迫は黙って見つめる。
「……間に合わなかったか。」
旅客機の機首がゆっくりと浮き上がる。
主翼が空を掴むように傾く。
そして。
大きな機体は、夕暮れの空へ吸い込まれるように飛び立っていった。
雲の向こうへ消えていく機影を、大迫は最後まで見送った。
静かに携帯電話を取り出す。
「大迫です。」
『どうだった。』
「木村は出国しました。」
『……そうか。』
「申し訳ありません。」
『気にするな。』
『令状がない以上、止めることはできない。』
『すぐ戻れ。』
『本件は合同捜査本部を立ち上げる。』
「了解しました。」
通話が切れる。
大迫はもう一度、空を見上げた。
「木村。」
「次に会う時は。」
「必ず、証拠と一緒に会おう。」
大迫は踵を返し、空港を後にした。




