閑話 集落でのシリウス達
姉弟の爺さんであるガーヴの家に泊まった次の日、俺は物音で目が覚めた。
「む……起こしてしまったか」
この家はそんなに広くないので、居間とガーヴの寝室である二部屋くらいしかない。なので寝室はエミリアとリースが使い、男である俺とレウスはガーヴと一緒に居間で雑魚寝していた。
そんな場所で誰かが起きればすぐにわかるので、俺は欠伸をしながら先に起きていたガーヴに挨拶をした。
「おはよう。いつも大体この時間には起きているから気にしないでくれ」
「ああ。私はちょっと出てくるから、お前は寝ているがいい」
「どこに行くんだ?」
「朝の鍛錬だ。私は毎日欠かさず行っている」
「へぇ……俺も付き合っていいかい?」
「勝手にしろ」
というわけで俺もガーヴの早朝鍛錬に付き合う事にした。レウスも起こして参加させるべきかと思ったが、昨日は大いに騒いだせいか熟睡していた。起きてこないエミリアも同じだろう。
せっかく同族と再会して楽しんだんだ、偶にはゆっくりさせてやろうと思い、俺とガーヴだけで出る事にした。
「百狼様、本日も我々が健やかに過ごせるように見守りください」
「百狼様。今年も豊作でありますように」
「クゥーン……」
外に出るとガーヴ家の横で寝ていたホクトが挨拶してきたが、彼の前にはすでに拝んでいる数人の銀狼族がいた。
おそらく農作業しに行く人達だと思うが、一心不乱に拝まれていてホクトは下手に動けないようだ。俺は応援するように軽く手を振り、ガーヴと一緒に森へ向かった。
朝の鍛錬は森を走ることから始まるようだ。何だか俺達と同じようで、妙な親近感が湧いてくる。
おそらく毎日走っている道なのだろう。踏み固められて小さな道になっている森をしばらく無言で走り続けていると、前を走るガーヴが振り返って口元を緩ませていた。
「……やるな。私に平然と付いてくる足に体力……勝ったのはまぐれではないか」
「そういう事かよ」
途中で妙に速度が速いとは思っていたが、どうやら俺は試されていたらしい。
「私についてきたのは、息子を除いてお前だけかもしれん。更に言うならばお前は人族、世界は広いものだな」
「ああ、世界は広いし色んな奴がいるぞ。俺が知っている範囲だと、剣一本でー……」
それから俺はライオルのような強者の話をしながら、ガーヴとしばらく走り続けた。後になって聞いたが、集落に住む男達なら数回は確実に倒れるペースだったそうだ。
走り込みを終え、次に向かったのは集落の広場だった。
そこにはガーヴの弟子と思われる男達が十人程並んでいて、俺とガーヴがやってきたのを確認すると、一列になって背筋を整えていた。中々良い統率が取れているようだ。
男達の中には、エアリーさんの旦那であるジリアも含まれていて、俺の姿に気付いて声を出していた。
「あれ……シリウスじゃないか? もしかして見学か?」
「まあそんなところかな? どんな訓練か気になってさ」
「ああ、俺達がガーヴさんとー……」
「無駄口を叩かず並ぶのだジリア。今日は厳しく行くぞ!」
鍛錬はガーヴと一対一で組手をする事だった。
ただ戦うわけじゃなく、ガーヴが悪い点を指摘しながらじっくりと行っている。
一人辺りの時間はそれほどでもないが常に動きっ放しなので、組手を終えた男達は全員汗を流して崩れ落ちていたが、ガーヴは全員を終えた後でも軽く汗を拭う程度だった。
こうして毎日組手を行って弟子達を鍛え、ガーヴ自身も鍛えているわけだ。一番低い者で十歳も満たない子供もいたが、ガーヴは熱心に指導して大人と同等に扱っていた。
全員が一回ずつ終えて朝の鍛錬は終了だそうだ。ガーヴと一緒に家へ帰る途中、俺は組手をしている最中に気になった点を突っ込んでみた。
「なあガーヴ。ジリアさんと戦っていた時なんだけど、重心が妙にずれていた気がするんだ。もう少し腕をー……」
「そうか。後で詳しく教えてくれ」
負けた相手からのアドバイスでも、強くなる為に積極的に取り込もうとしている。これだけ強いのも納得だな。
家の前まで帰ってくるとホクトの前に拝む人はいなくなっていた。ただ、お供え物として野菜やら干し肉が籠と一緒に置かれていた。
必要ないと言ったそうだが、拝んでいた人達があまりにもお願いしてくるので断りきれなかったらしい。
ホクトは食事を摂る必要は無いが、お前が貰った物だから食べたらどうだと提案したら、ホクトは籠を咥えて俺の手に乗せてきたのだ。
「オン!」
「……くれるのか? だがこれはお前が貰った物だろう?」
「百狼様が良いと言っておられるのだ。その好意を無駄にするのも失礼であろう」
お供え物を渡されて気が引けたが、ホクトが是非にと言うなら受け取るとしようか。後でブラッシングしてやると伝えると、尻尾を振りながら嬉しそうに吼えてくれた。
家に入ると、すでに起きていたエミリアとリースが調理場に立って朝食の支度をしていた。居間でストレッチをしていたレウスは俺達に気づき、笑みを見せながら俺達に挨拶をしてきた。
「おはよう兄貴、爺ちゃん」
「あ……おはようございます、シリウス様。お爺ちゃん」
「おはようございます。もう少しでご飯ができますよ」
「おはよう」
「おはー……ごほん……おはよう」
孫達に朝の挨拶をされてガーヴは表情を緩ませていたが、すぐに切り替えていつもの無表情に戻っていた。だが後ろから見れば、尻尾がプルプルと震えて喜びを必死に隠しているのがわかる。
俺も手伝おうと思ったが、座っていてくれと二人に追い出されてしまった。仕方ないのでホクトから貰った食材を預け、俺は居間でのんびりと待った。
「エアリーさんから教わった料理を作ってみたの」
「独特の料理でしたが、私達の味付けにちょっと変えてみました。お爺ちゃんのお口に合うかどうか……」
「気にするな。用意してくれただけでも十分だ」
豆と香草を煮た料理に、様々な肉と野菜を淹れたスープに肉の丸焼きだ。量も多く朝から重たく見えるが、この世界では朝から沢山食うのは珍しくはない。特に銀狼族はその傾向が強いらしく、姉弟がよく食べるのも納得である。
そして並べられた料理を食べたガーヴは……固まった。
「どう? お爺ちゃん」
「兄貴程じゃないけど、姉ちゃんの料理は美味いだろ?」
「……うむ。ちょっと濃い味だが……美味いぞ」
「ここの料理は全体的に薄味ですからそう感じますよね。シリウスさんはどうですか?」
「うん、いい味が出ているな。二人とも上手になったもんだ」
俺達の上々な反応に、エミリアとリースは小さくハイタッチしながら喜び合っていた。
銀狼族から聞いたところ、息子であるフェリオスが出て行ってからガーヴはほとんど一人で食事をしてきたそうだ。
そんな爺さんの所に孫を含め四人も増えたのだから相当戸惑っているだろうが、喜んでいるのは確かだ。少しだけ目を潤ませているガーヴには誰も触れず、俺達は朝食を食べ始めるのだった。
朝食を終えた後、ガーヴは他の若者と狩りに出かけるそうなのでレウスも一緒についていった。
俺とエミリアとリースは、のんびりと散歩しながら集落を見学している。
若者は狩りに出かけたので集落には畑作業をする者、必要な雑貨を作る者、そして家屋を修繕している者達がのんびりと作業に勤しんでいた。
「のどかですね……」
リースが呟いたように、この集落はのどかで平和そうだった。飢えているわけでもなく、病気も蔓延しているわけでもない。森に囲まれて魔物が多いくらいだが、銀狼族は全体的に強いので問題は無いそうだ。
途中で農耕している者もいたので、前世の知識を参考に幾つかアドバイスもしてみた。食料難の国に何度も行った事があるから、農作業について多少の知識を持っているからだ。
アドバイスを終える頃には昼前になっていたので、昼食の準備をしようと家に戻ると、再びホクトが作物の入った籠を差し出してきた。また拝まれて作物をお供えされたらしい。ありがたく貰っておいた。
昼食を終え、いつもの訓練を終えた俺達はどうするか悩んでいた。ずっと訓練するのも良いが、何か気分転換できるものがあればいいのだが。
「シリウス様、フリスビーをしましょう!」
「頼むぜ兄貴!」
そう思っていると、エミリアがいつも使っているフリスビーを取り出したのである。お前は常にそれを持ち歩いているのか?
疑問は浮かぶが、フリスビーをやるのに不満は無かった。早速広場に出て、姉弟の準備運動が終わってから俺は投擲の構えをとった。
「まずは軽くからな。ほれ、取ってこーい」
そして俺がフリスビーを投げた瞬間……集落の空気が変貌した。
興味津々についてきていた子供達が……。
毛皮をなめしている主婦達が……。
肉を捌いている若者達が……。
まるで視線を吸い寄せるブラックホールの如く、一斉にフリスビーを凝視していたのである。
子供達に至っては姉弟に遅れて駆け出していて、尻尾を振りながら楽しそうにはしゃいでいた。
「貰ったぜ姉ちゃん!」
「くっ!? やるわね」
キャッチに成功したのはレウスだったが、そこで周囲の異常な状況に気付いたらしい。
注目を集めながらレウスは俺の元まで戻り、フリスビーを受け取って頭を撫でてやったところで、集落の銀狼族が俺に群がってきた。
「ねえねえ! これ何?」
「面白い飛び道具ね。私にも作れるかい?」
「俺にもやらしてくれよ!」
娯楽が少ないと思っていたが……まさかここまでとは。
とりあえず作り方を教えてから他の人達も交えてやることになったが、投げるのが主に俺とリースだけなので微妙に疲れた。他の大人が投げればいいだろうが、投げた本人が追いかけたくなるらしく投擲者は不人気らしい。
一個のフリスビーを、十人近くの子供が一斉に追いかける光景はシュールに感じた。
こうして、銀狼族にとって当たり前と言われるフリスビーが誕生したのであった。
フリスビーを満喫して家に帰ると、ホクトから三度食材の入った籠を差し出された。もうあれだな、滞在中はホクトがいれば食事に一切困らない気がする。
今日のホクトとはほとんど別行動だったが、あちこちで拝まれたり、親に頼まれて子供に何か祝福らしきものを授けていた。かなりの数を相手にしていたので、今日の夜は念入りにブラッシングをしてやる事に決めた。
そんな風に集落で数日ほど過ごしていたが、徐々にエミリアの様子がおかしい事に気付いた。原因は何となくわかっているが、今は手を出すときではないので静かに見守ることにしている。
そしてそろそろ出発しようかと思った頃、夕食後にガーヴから夜の散歩に誘われた。
一度じっくりと話したいとは思っていたし、姉弟の集落への案内も頼みたかったので了承し、集落から少し離れた小高い丘へと案内された。
集落を見下ろせるこの場所にいるのは俺とガーヴだけだ。持ってきていた酒を二つのコップに注ぎ、片方を俺に差し出してきた。
「飲める年だろう? 少しだけ付き合ってくれんか」
「じゃあ一杯だけ」
軽くコップをぶつけ合い、俺達は酒を飲みながら静かに集落を見下ろしていた。そしてガーヴは二杯目を注いだところで、大きく息を吐きながら口を開いた。
「孫とは……可愛いものだな。救ってくれて本当に感謝する」
「……感謝は受け取っておくよ」
ようやく姉弟への想いを口にしたが、ガーヴの複雑な思いもわかるのでそれ以上は何も言わなかった。それに感謝されようとして姉弟を救ったわけじゃないし、俺がやりたいからやっただけだしな。
「可愛いなら孫にしっかり言ってやれよ。あの二人だから構ってくれるけど、長く続けると離れてしまうぞ」
「わかっているが、私は息子を弔うまでは孫に家族と思われたくないのだ。これは……けじめなのだよ」
注いだ酒を一気に飲み干し、何かを堪えるように月を見上げながらガーヴの独白は続く。
「私はフェリオスとローナの愛を信じてやれなかった。色々と後悔しているが、それが一番重く圧し掛かっている。こんなに後悔するくらいなら、息子と一緒に魔物に襲われて死んだ方がましだと思うくらいに……な」
「だがガーヴは生きている。そして孫に会えただろう?」
「ああ……わかっているさ。どんなに後悔しようと、過去は戻らん。そして初めて孫に会えた時は……息子が生まれた時と同じくらいに心が震えたよ。ここ数年は、魔物を殺しながら息子の集落へ行き、フェリオスを弔うのが全てであったが、久しぶりに感じた暖かさだ。このまま孫の為に生きるのも良いとも思った」
「だけど、そうもいかないんだろう? だからエミリアとレウスにあんな態度なわけだ」
「その通りだ。わかっていても心から納得できないのだ。私は息子を弔うまでは前に進めない。こんな情けない男なぞ、孫に爺ちゃんと呼ばれる資格はないのだよ」
その言葉を最後に、お互い何も言わずコップを傾け続けていた。
この男が何を言いたいのか理解しているので、俺は一杯目を飲み干してからコップを置き、四杯目を飲んでいるガーヴへと振り向いた。
「俺達に付いてくるんだな?」
「……若い者に頼る恥知らずと言われようが、私はお前達に付いて行きたい。どうか……私を連れて行ってほしい」
ガーヴはコップを静かに置き、深々と頭を下げた。だが頭を下げる必要はない。ガーヴが言わなければ俺が誘っていたのだから。
「顔を上げろよ。ガーヴなら実力も十分だし、集落の場所を知っているだろう? それに何より……エミリアとレウスの家族だろ? 堂々と付いて来ればいいのさ。恥だ何だとか言う前に、孫を少しくらい可愛がってやれよ」
「そうだな。考えておくよ……シリウス」
「頑固爺は嫌われるぞ、ガーヴ」
姉弟を本格的に可愛がるまで、まだまだ時間がかかりそうである。
年齢差はあるが、まるで同年代のように俺の名前を呼んだガーヴと一緒に、俺は月夜の酒を楽しんだ。
この話は、前話の最後にある、ガーヴを旅に誘う話と集落の滞在中の日々を細かくした分です。
本来ならもうちょっと簡略化して、前の話に入れれば良かったかもしれませんが、予想以上にボリュームが多くなって断念。
ガーヴと仲良くなったり、フリスビーネタをやりたくて閑話にしてみました。
かなりやっつけ仕事で書き上げたので、色々と変な部分があるかもしれませんが、この閑話は大雑把に読んでくださってほしいと思っています。
※前話の、最後にガーヴを旅に誘っている台詞は修正済みです。
本編の続きは出来上がっているので、次の更新は明日になります。