アドロード大陸
十二章開始です。
――― フェアリース ―――
母様……お久しぶりです。
そちらはお元気にー……って、これは違いますよね。とにかく私の方は元気です。
こうして母様の前に立つのは、村を出たあの日以来かな? あの日からもう五年以上も経っているんだね。
この村を出てから本当に色んな事がありました。
簡単にだけど、報告したいと思います。
まずは父様と会えました。
最初は何だか冷たかったですけど、母様が言ってた通りの御方だったよ。ちょっと暑苦しい時があるけど、国を立派に支えている自慢の父様です。
父様は母様を置いていったことを恨まれていると思っていたのですが、ちゃんと私が誤解を解いておきました。母様の本音を知った時の父様、安心すると同時にとても悔やんでいました。それだけ母様を愛していたんですね。
その父様から伝言も貰っているの。
頼ってくれてありがとう。今でも愛しているよ……だって。ちょっと妬けちゃうかも。
エリュシオンへ行ってから、私に姉様が出来たの。
次期エリュシオンの女王になられる立派な御方だけど、私を一人の妹として扱ってくださり、優しく見守ってくれる素晴らしい姉様です。母様ときっと気の合う御方ですので、一緒にお茶会とかしてみたかったです。
他にも姉様の周りにいるセニアやメルトさんと色んな人に助けられました。
それから学校に行くようになって、友達も出来たの。
銀狼族の女の子で、名前はエミリアと言うのよ。銀色の髪が凄く綺麗で、強くて優しくて……何だか凄く気の合う子なんです。とある人の従者で、ちょっと主人への想いが強すぎるのが玉に瑕だけど……今では私の大切なお友達です。
そのエミリアにはレウスと言うやんちゃな弟がいるんだけど、気付いたら懐かれて本当の弟みたいなの。家族が増えたみたいで……すごく嬉しい。
それでね……好きな人も出来ちゃいました。
エミリアとレウスの主人でシリウスさんって人なんだけど……とても凄い人なの。
強くて何でも知ってて、料理が上手で、私達をいつも気にかけてくれる優しい人。エミリアが心から慕うのがよくわかる人なんだ。そして私も……。
母様が父様の事を運命の相手だと言った様に、私にとってシリウスさんは運命の人だと思う。
私を攫ってくれたあの夜を未だに忘れられないし、思い出す度にドキドキして暖かい気持ちになるの。
とにかく自分でも不思議なくらいにシリウスさんに夢中で、自然と目が追いかけちゃう。母様も……こんな気持ちだったのかな?
今は母様と同じ冒険者になって、シリウスさん達と一緒に旅をしているの。
目的地はアドロード大陸なのに母様のお墓参りをしようって、この村へ寄ってくれたんです。
そんな優しい人達と一緒ですので安心してください。私も強くなったし、皆はもっと強いから。
「……挨拶は終わったかいリース?」
「はい。それではお願いします」
「では、まずは私からですね。初めましてローラさん、私の名前はエミリアと申します。リースは私にとって最高の友達でしてー……」
まずはエミリアから紹介が始まったのですが、最高の友達だとか……凄く照れます。それは私の方だよ。
聞いている私の方が恥ずかしくなるエミリアの紹介が終わり、続いてレウスが前に出てきました。
「次は俺だな。えーと、初めまして、姉ちゃんの弟のレウスって言います。リース姉にはいつも助けられています」
レウスもまたエミリアと同じように私が恥ずかしくなる事ばかり言っています。エミリアと違う点は、大食いだとか本当に恥ずかしい事を漏らしている事ね。
日常を語るのはわからなくもないけど、ちょっと後でお仕置きしてあげないと。エミリアも頷いていますし、遠慮なくやれそう。
「オン!」
いけない、ホクトの事を忘れてました。見た目は怖いかもしれないけど、凄く強くて可愛くて頼りになる狼なんです。触った時の感触が凄く気持ちよくて、母様も是非味わってほしかったなぁ。
そして最後は私の……。
「初めましてローラさん。私の名前はシリウスと言いまして、貴方の娘さんを預かっている者です」
……あれ? 言葉は普通なんですけど、シリウスさんの雰囲気が少し違います。覚悟を決めているといいますか、真剣な顔で母様のお墓を見つめています。
「これから俺達はリースと共に世界を巡る予定です。ですが心配する必要はありません。貴方の娘であるフェアリースは俺が必ず守りますので安心してください」
その言葉を聞いた瞬間、私の顔が真っ赤に染まったのがわかりました。どうしよう……顔が凄く熱い。それよりどういう事なのかな? まるで本の物語に載ってた、ぷ……プロポー……。
「リース姉大丈夫か? 顔真っ赤だぞ」
「シリウス様にああ言われたら当然よ。男らしいです、シリウス様」
「はうう……」
母様……これが私の仲間です。
大好きな人と最高の親友に囲まれて、凄く楽しくて充実した毎日を送っています。
だから心配しないで、私達を見守っていてください。
いつか結婚して、母様の孫を見せにー……なんて、ちょっと気が早いかな?
えへへ……うん、今のは忘れてね。
でも……いつかは。
それからしばらく顔の火照りは治まらなかったけど、幸せな気持ちで一杯でした。
――― シリウス ―――
リースの母親であるローラさんの墓参りが終わった俺達は、その村で一泊してからすぐに旅を再開した。
リースの故郷なので数日は滞在しても良かったのだが、これ以上自分のせいで旅が遅れるのは申し訳ないとリースが言って来たからである。急ぐ旅でもないが色々と思うところがあるので、リースの言葉に甘える事にした。
それから数日の移動を終え、俺達はアドロード大陸への定期便がある港町に辿り着いた。
やはり港町だけあって活気が溢れており、宿のチェックインを済ませ馬車を預けた俺達は、ホクトで注目を集めながら町を歩いていた。ちなみにあちこちで平伏している狼の獣人がいるのも見慣れたものである。
店を冷やかしつつ、数々の船が並ぶ港まで見学しに来たところで、レウスが困った表情をしてこちらに顔を向けてきた。
「なあ兄貴、馬車はどうするんだ? 小さな船じゃ乗らないだろ」
「そうですね。もう私達の家みたいですし、置いていくのは忍びないです」
「当然考えているさ。ほら、これを見てみな」
「あ、それは姉様の……」
俺が取り出したのは一枚の紹介状だ。これにはエリュシオンの国章を象った印が押されていて、見せれば優先的に船に乗せてくれる代物……らしい。事前に相談したら、リーフェル姫とカーディアスがポンと用意してくれた物だ。
「こいつを見せれば、馬車すら乗せられる大型船に乗れるそうだ。王族からのご好意だし、遠慮なく使わせてもらうとしよう」
「流石リーフェ姉だな。考えてみたら、船に乗るの初めてだよな俺達?」
「そうね、少し楽しみだわ」
フィアやライオルと出会った時の移動は、空を駆けて渡っていたからな。あれは裏技みたいなものだし、今度こそ本格的にアドロード大陸へ足を踏み入れるわけだ。
そのまましばらく港を散策し、エリュシオンの国章が象られた大きな船を見つけた俺は紹介状片手に交渉を始めた。
結果……あっさりと許可が下りた。むしろ俺達が来るのを待っていたらしい。
「聞いていた特徴と一致しますし、シリウス様で間違いありませんね。お待ちしておりました。エリュシオン王から直々の依頼が来てますので、我々が責任を持ってアドロードへと運んで差し上げますよ」
「何か……すいません」
リースが小さい声で船長に謝っていた。身内が強引に捻じ込んだみたいで、申し訳ないと思っているに違いない。
出発は明日の朝で、馬車もその時に持ってくればすぐに乗せられるそうだ。
「船に乗せるのは貴方達と従魔が一体、それに馬車が一台……と。馬車の大きさと重さはわかりますかね?」
「鉄製ですが、通常の馬車とほとんど変わりません。最悪、浮き輪という道具を装着すれば水に浮きますので、船で牽引すれば大丈夫かと」
「……どんな馬車ですかそれ? ま、まあとにかく問題なさそうなので、明日の朝にまた来てください」
「わかりました。あと、俺達の特徴ってどう聞いているんですか?」
「そのマントが何よりの証拠ですが、先に届いたこれに書いてありますよ」
船長から見せてもらった手紙には、確かに俺達の特徴が書いてあったが……纏めるとこんな感じである。
大きな狼を連れ、銀狼族二名を従者にしている黒髪の男性。
そして海よりも青く輝く髪に、聖女に相応しい慈愛と包容力を兼ね備えた女性……と書いてある。
聖女と呼ばれているのは間違っていないが、これはちょっとどうなんだと思いたくなる。リースをべた褒めしている箇所の文字が他と違うので、おそらくリーフェル姫かカーディアスが独自に書いたと思われる。
どちらにしろリースが頭を抱える事に変わりはなく、宿に戻ってから近況報告と抗議が含まれた手紙を彼女が書いたのは言うまでもない。
次の朝。
ガルガン商会の支店にエリュシオンへの手紙を届けるように依頼してから、俺達と馬車を乗せた船は海上へと乗り出していた。
天気は快晴で心地よい日差しが降り注ぐ中、俺は船の手すりに掴まって潮風を感じながらのんびりと海を眺めていた。
「うひょーっ! 最高だな!」
船の中央に聳え立つ大きなマストの天辺で、レウスは大声を出しながら大いにはしゃいでいた。安全ロープも付けずに不安定な箇所で仁王立ちしているが、レウスのバランス感覚なら問題あるまい。
ホクトは甲板の一角を陣取って日向ぼっこである。船は定期便でもあるので、他の乗客や船乗りが興味深そうにホクトへ視線を向けているが、やはり怖いのか誰も近寄ろうとしない。風で毛が乱れているし、後でブラッシングをしてあげないとな。
リースは俺の隣に立ち、目を瞑って気持ち良さそうに風を感じていた。リースの青い髪が風で靡く姿は綺麗で、ちょっとだけ見惚れてしまった。この光景を写真に撮って、父親と姉に送りつけたら悶え死にするんじゃないかな。
そんなくだらない事を考えている俺と視線が合ったリースは、何かを思い出したように手を叩いて疑問をぶつけてきた。
「そういえば父様から聞いたのですけど、初めて船に乗る人は船酔いという病気にかかると聞きました。私達は大丈夫なのでしょうか?」
「現時点で気持ち悪いって感覚はないだろう? そもそも船酔いとはー……」
簡単に説明すると、船酔いとは船の揺れにより平衡感覚が狂ったりして起こる症状だ。俺の弟子達はその平衡感覚さえも鍛えているので、船酔いになる可能性は極端に少ない筈だ。俺の説明にリースは感嘆の声を上げながら何度も頷いていた。
それにしても、病気や治療に関しては本当に貪欲な子だ。治療魔法の達人だし、このまま学び続ければ世界中に名を馳せる医者になれるかもしれない。彼女がそれを目指しているかどうかわからないが、目標を見つけたら全力で応援してやらなければ。
「……なるほど、勉強になります。ならエミリアは違うみたいですね」
「エミリアか。確かに様子がおかしいな」
「そうなんです。船に乗ってから調子が悪そうで、何だかぼんやりとしていると言いますか……ほら、今もあそこで」
俺達とは反対側の手すりの側にエミリアは立っていた。いつもなら俺のすぐ近くで待機しているのに、今日は俺から離れてぼんやりと海を眺め続けている。
その背中に哀愁を漂わせていたので、俺はリースから離れてエミリアの隣に立った。背後ではリースが頑張ってとガッツポーズを取っている。
「あ……シリウス様」
「どうしたエミリア、元気がないじゃないか」
「そんな事はー……いえ、その通りですね。実は自分が情けないと思いまして」
「理由を聞かせてもらってもいいか?」
エミリアは静かに頷くと、水平線を眺めながらポツポツと語り始めた。
「これから私達が目指す先は、私達の住んでいた銀狼族の集落ですよね?」
「そうだな。お前達の両親の墓を作る為だが、何よりも報告したい。リースとはちょっと違うが、お前達の主人になったシリウスです……ってな」
「私達の為にそこまでしてくださる、シリウス様のお気持ちが本当に嬉しいです。けれど……自分の故郷なのに、大好きだった家族と一緒に住んでいた場所なのに……私はどこにあるのかわからないんです。それが情けなくて……」
「それは仕方がない。エミリアは集落から碌に出た事もないんだろう?」
「はい。私が考え過ぎて、勝手に思い込んでいるのは理解しているんです。だけど、本来なら私達が案内しなければならないと思うと……何だか情けなくて。申し訳ありません」
らしくない程に落ち込んで思い悩んでいるのは、滅ぼされた故郷に帰るという状況が彼女の感情を不安定にさせているのだろう。大した事ではなくても、必要以上に悩んでしまうのかもしれない。
彼女にとって故郷の悲劇と両親は精神的外傷である。両親が目の前で魔物に食べられれば仕方がないかもしれないが、これは俺がどうこう言って乗り越えられるものではない。
エミリアが自分で乗り越えなければならないのだ。
その時が来ればエミリアはどうなるかわからないが……ちょっと悩むのが早過ぎると思うぞ。まだ故郷どころか、大陸にすら着いていないんだからな。
とにかく落ち着かせてやるとしよう。いつものようにエミリアの頭を撫でてやると、少し控えめに尻尾を振り出した。振りが甘いので、まだまだ本調子じゃないな。
「情けなかろうが何だろうが、自分をもっと大切にしなさい。今からそんなに落ち込んでいたら、故郷に帰る前にお前が倒れるぞ。そうなったら俺が困る」
「困る……ですか? ふふ、ご主人様を心配させるなんて従者失格です。エリナさんに怒られちゃいます」
「だろう。ほら、もっと楽しい事を考えて気分を盛り上げなさい。何かしてほしい事はあるか?」
「本当ですか? なら……もっと撫でてください」
「いいだろう。しかし、いい加減これに飽きないのか。ほぼ毎日撫でてるだろ?」
「飽きません。シリウス様の優しさを感じられるこれを飽きるなんて決してありません」
尻尾の振りがいつもと同じになってきたので、ようやくいつもの調子を取り戻してきたようだ。後ろを振り返ってみれば、リースが笑みを浮かべて頷いているので、あちらさんも満足してくれたようである。
それからしばらく、甘えてくる彼女の要望に応えてやるのだった。
「シリウス様、肩をお借りしてもよろしいですか?」
「遠慮はいらんぞ」
「シリウス様、後でブラッシングをお願いしてもよろしいですか?」
「元々やるつもりだ」
「シリウス様、肩を噛んでもよろしいですか?」
「……止めてくれ。今のお前が噛んだら血が出そうだ」
「そうですね。諦めます」
……危なかった。
一瞬許可しようと考えたが、断って良かった。
諦めて肩に寄りかかってきたエミリアの頭を撫でていると、レウスの大きな声が響き渡った。
「兄貴ーっ! 向こうにでかい魚が泳いでいるぞ! 凄いなぁ!」
雰囲気が壊れ、エミリアは少し機嫌が悪そうにしていたが、すぐに笑みを浮かべて俺の腕に抱きついてきたのだった。
故郷の惨状を見て取り乱す可能性は十分にありそうだが、いつか向き合わないといけない試練なので。何とか乗り越えてほしいものである。
じゃないと俺は……。
メリフェスト大陸と違い、アドロード大陸はあちこちに広大な森が存在する大陸だ。
人口比率は獣人が多く、メリフェストより多種多様な種族が暮らしている。大雑把に説明するなら、メリフェストが人族寄りなら、アドロードは獣人寄りであろう。
他にも、エリュシオンみたいな大型都市がメリフェスト大陸より少なく、小さな村や集落が多いのがアドロード大陸の特徴かもしれない。
そんなアドロード大陸の玄関口の一つである、メジルナに俺達が到着したのは夕方過ぎだった。
銀狼族の情報を集めようにも遅いので、その日は船長に宿を紹介してもらってからゆっくりと休む事にした。慣れない船ではしゃいだせいか、弟子達はベッドに入ったらすぐに眠っていた。
いや……エミリアだけは夜這いをしてきたが撫でて強引に寝かしつけ、俺は一仕事を済ませてから眠るのだった。
そして次の日、宿に馬車を預けた俺達は情報収集しながら町を散策していた。
冒険者ギルドに顔を出したり、珍しい食材と魔道具が並べられている露店を覗いたりしている内に昼になったので、近くの食堂に入って食事と情報整理を行う事にした。
「これはこれで美味しいですけど、スパイスでかなり誤魔化している気がする」
「食材自体の味じゃなくて、スパイスの味付けがメインみたい。シリウス様の料理と違い、繊細さが欠けていますね」
「大陸や文化の違いなんだろう。使われているスパイスや味付けがかなり違うな。これがあればおそらく……後で調べてみるか」
「おおっ! 兄貴、また新しい料理が浮かんだのか?」
「もしかしたらの可能性だ。しばらく待っていろ」
「「「はーい」」」
子供みたいに返事をする弟子達に呆れつつ食事を終え、注文した果実水を飲みながら情報の整理をする事にした。
半日の間に冒険者ギルドで聞いたり、町中で情報を集めた結果……。
「銀狼族についての情報がほぼ無い……か」
「東か西の森に集落がある……とか曖昧な情報ばかりですね」
決して個体数が少ないわけじゃないが、森の奥で暮らしているせいか、ほとんど情報が無いのが現状だった。
他にも町を歩いているとホクトに注目が集まるが、エミリアとレウスに視線を向けてくる者も少なくなかった。中には奴隷商人らしき者がいて、俺に商談を持ちかけてきた奴もいた。
「そこのお兄さん、銀狼族を連れているって事は上手くやったんだね? お兄さんの言い値で俺に売ってくれないかい?」
「珍しい首輪を付けているな。それに毛並みも良いし……女なら三十、男なら二十でどうだ?」
「おいあんた。どこの貴族様か知らないが、そこの銀狼族を置いてー……へぶっ!?」
エミリアとレウスが着けているチョーカーが首輪の一種に見えるらしく、姉弟は俺の奴隷と思われているようだ。
丁寧な奴にははっきりと断り、絡んでくる奴は遠慮なく殴り飛ばして追い払った。弟子と従者なのに奴隷だと思われ、姉弟はさぞ不満かと思いきや……。
「え? 私はシリウス様の奴隷みたいなものですから、奴隷でも気にしません」
「兄貴の近くにいれるなら、何だっていいよ」
いつもの調子である。途中から鬱陶しい連中はホクトにあしらわせつつ情報を集めるが、銀狼族についての有力な情報は得られなかった。
「それでも全体的に西の森で見られる話が多かったな。このままもう少し情報を集めて何も無ければ、明日はそっちへ向かってみよう」
「私達の出番ですね?」
「そういうわけだ。お前達の勘と匂いで探してみよう。同族だから向こうから現れる可能性もありそうだしな」
「任せといてくれ兄貴」
昼からの予定を決めて食堂から出た俺達が向かったのは、町のスラムだった。アホな連中に絡まれる可能性が格段に増えるが、こういう場所で思わぬ情報が得られたり、情報で食っている情報屋が潜んでいるものだ。
弟子達も年齢を重ねて大陸を渡ったという事で、新たにそういう方面も勉強させようと思って連れてきたのだ。こういう場所では独自のルールがあったりするので、わからなければ近づかず、もし行くとしても絶対に一人では行くなと言い聞かせておく。
「もう少し先に行けば、面倒な連中が増えるだろう。必要がない限りはあまり近づかないようにな」
「わかりました。それにしても、シリウスさんはこういう経験はどこから?」
「……色々とあったからな。それはいずれ話すとして、俺からあまり離れないようにー……どうしたエミリア?」
「シリウス様、あちらから匂いが……」
「姉ちゃんもか。じゃあ間違いないな」
いざスラムへと足を踏み入れようとしたその時、エミリアとレウスはとある方向を見つめたまま動かないのだ。
スラムは衛生面が整っていないので、あまりよろしくない匂いが漂うが、姉弟の真剣な表情からしてそれではなさそうだ。まるで導かれるように姉弟は歩き出したので、俺とリースは周囲を警戒しながら二人の後を追った。
しばらく歩き続け、スラムから少し外れた建物へとやってきた。と言っても俺達がいる場所は、建物と建物の間に出来ている通路である。人が十分にすれ違える通路の前で、姉弟は一点を見つめて立ち止まっている。
「……ここに何かあるのか?」
「はい。勝手に申し訳ありません。ですが、どうしても気になったので」
「兄貴、あそこだよ」
人が滅多に通らないその通路はゴミが散乱しており、レウスが指した先にはゴミの塊があった。いや、ゴミの中に人の足らしきものが見えたのである。僅かながら動いているので、生きてはいるようだ。
「あの人から私達と似た匂いがするんです。おそらく……私達と同じ銀狼族だと思います」
「兄貴、あの人なんだけど……」
「ああ、お前達の思うようにやりなさい」
「ありがとうございます」
俺が頷いたのを見て、姉弟はその人の元へと近づいた。そこにいたのは、銀の髪に狼の耳と尻尾を持つ銀狼族の女性だった。年齢は二十代後半で、乱暴にされた形跡はないが、隷属の首輪が付けられているせいでかなり衰弱していた。おそらく奴隷商人から逃げてきたのだろう。彼女は裸足で足の裏から血が流れていた。
傍らには五歳くらいの男の子がいて、似たような顔と髪型から間違いなく親子だと思われた。
そんな銀狼族の親子は突然やってきた俺達に驚き、母親は子供を守るように抱き寄せて警戒を露にした。
「誰っ!?」
「突然ごめんなさい。ですが私達は危害を加えに来たわけじゃありませんので、安心してください」
「ほら、俺達は武器を持っていないぜ?」
「貴方達は……同じ?」
「はい、私達は銀狼族です。貴方の力になりたいので、状況を説明していただけませんか?」
「ああ……感謝します。どなたか知りませんがお願いがあります。どうかこの子を安全な場所に……」
エミリアとレウスが同じ種族だとわかり母親は安心していたが、彼女はすぐに真剣な顔になり、胸に抱いていた子供をエミリアへと差し出そうとしていたが……。
「嫌だっ! おかーさんと一緒だ!」
「駄目よ! 貴方だけでも逃げなさい!」
子供は母親から離れまいと必死にしがみ付いていた。
状況から推測すると、母親は隷属の首輪を付けた自分は逃げられないと悟り、子供だけでも逃がそうとエミリアに託そうとしているわけだ。
初対面でもエミリアに子供を託せるのは、銀狼族の特徴である同族に対する絆の強さゆえだろう。
お互いに譲らない親子のやりとりを、エミリアは目を細めて眺め続けていた。
「……お母さん」
「姉ちゃん、とにかく今は」
「そうね。あの、私達はその子だけでなく貴方も助けたいのです。なので落ち着いて状況を説明してもらえませんか?」
「落ち着いている状況じゃないの。急がないとあいつ等が……」
母親が声を荒げたその時、人が近づいてくる気配を感じたので『サーチ』を発動させた。予想通り、こちらに接近する反応を五つ感じる。
「レウス……どっちがいい?」
「多い方がいい。むしゃくしゃしてるから」
「じゃあ向こうだ。言っておくが、殺すんじゃないぞ」
「わかった」
俺達がやってきた方角にレウスを向かわせ、俺はその反対側に向かいエミリア達と親子を守るように立ち塞がったそのタイミングで、レウスの方へ三人、俺の方に二人の男達が現れた。
「何だお前は? こんな所で立ってないでさっさと消えろ」
「知らねえ。お前達の方が帰れよ」
「なんだこの餓鬼。いや、こいつ銀狼族だぜ? よく見たら後ろにもいるじゃねえか。しかも女だ」
「こりゃあいい。依頼人の条件にピッタリだ」
男達の手を見れば、小さな刺青が彫ってある。昨日の夜にこっそりと外へ抜け出して調べた情報によると、あの刺青はこの町を拠点にしている裏組織で間違いないだろう。いきなり裏と関わるなんて面倒極まりないが、少し気になる点もあった。
にやにや笑いながら近づいてくる男達は、レウスと俺が剣を抜くと立ち止まったので、すかさず質問をぶつけてみた。
「質問があるんだが、お前達は『ドートレス』のメンバーで合っているか?」
「へぇ、知っているのかよ。そうさ、俺達はこの町一番の組織の一員なんだぜ? わかってんならその銀狼族と親子を渡しな。じゃないと町中が敵になるぜ?」
「まだ質問は終わっていない。この親子、どう見ても攫ってきているよな? これは組織の決定なのか?」
「どうでもいいだろうがそんなの。痛い目を見る前にー……」
「すまんが大事な事でな。無理矢理でも吐いてもらうぞ」
正直、組織を後ろ盾にして偉ぶっているチンピラなんて俺達の敵じゃない。
力の差を理解していない奴の懐へ潜り込み、気絶しない程度に腹を殴った。悶えている男を助けようと残りの一人が迫るが、ホクトが間に割り込んで前足による叩きつけであっさりと沈んだ。
俺が終わる間にはレウスの方も片付いていた。開幕と同時にレウスは相棒である大剣『銀牙』の腹で二人を殴り飛ばし、飛ばされた男二人は建物にめり込んでいた。残された男は剣を抜いたが、レウスは相手の手首を蹴り上げて剣を弾き飛ばし、顔面を殴って終わらせた。
男達にイラついていたのか、手加減に失敗して骨が折れたような音が聞こえたが、ちゃんと生きているから問題はないだろう。
転がっている男達を縛るように命令し、俺は未だに悶えている男の髪を掴んで顔を無理矢理あげた。
「痛い思いをしたのはそっちだったな。さあ、もう一度聞こうか」
「げほっ……こんな、事をして……ただじゃ……」
「いいから質問に答えろよ。銀狼族を攫ったのは組織の決定か、それともお前等の独断か? 早く吐かないとお前の人生がここで終わるぞ?」
「ごほっ……ぐぅ……い、依頼なんだ。女の銀狼族が欲しいって……俺達に直接……」
「……わかった。寝てろ」
今度は意識を刈り取る一撃を放ち、男を完全に沈黙させた。安全を確保した俺達が振り返ると親子は小さく悲鳴をあげたが、エミリアがすかさず間に入って落ち着かせていた。
「大丈夫です、あの御方は私達のご主人様で、もう片方は私の弟です。見ての通り男達を倒しましたし、貴方に決して危害を加えませんので、どうか落ち着いて話を聞いてください」
「え、ええ……貴方達は一体? それに貴方の首輪は……」
「これはただのアクセサリーですよ。それに見てください。私の姿、酷い扱いを受けているように見えますか?」
「そう……ね。見えないわ。それに、とても幸せそうに見えるわ」
エミリアの笑みを見て落ち着いてきた母親は、抱いていた子を解放して頭を撫でていた。
「はい、あの御方にお仕えできて私は幸せなのです。そちらも落ち着いたようですし、まずはその首輪を外しましょう」
「エミリア、あったぞ」
「ありがとうございます。さあこれを」
気絶させた男の懐を調べ、首輪の鍵を探し出してエミリアに渡した。
エミリアの手によってすぐに鍵は外され、首輪は鈍い音を立てて地面に落ち、母親は涙を流しながら子供を抱きしめて互いの無事を確認し合っていた。
そんな親子を、エミリアは眩しいものを見るように眺めていた。
「良かったですねシリウスさん。やはり親子は一緒じゃないと駄目ですよね」
「ああ……だが、色々と面倒な事になりそうだ」
溜息を吐きつつ、レウスの手によって縛られた男達を見下ろす。
話を聞くに、銀狼族を攫ったのは直接依頼されてのことみたいだし、組織が関与している可能性はないだろう。むしろ、これを許容していたら相当なアホ組織である。
そこまで大きい町ではないが、この町を牛耳る組織なら銀狼族に手を出す危険性を理解している筈なので、これは男達の独断に近い。
処分が面倒なので、男達はそこら辺に放置する予定だったが、アジトに帰った男達が変な話を吹き込む可能性が高そうだ。
確認の意味も込めて、男達の返却ついでに顔を出しておいた方が良さそうだが、その前に親子からも話を聞いておいた方がいいな。
抱き合っていた親子だが、母親の足が気になるリースはエミリアの隣に並んで治療をお願いしていた。
「あの……人族の私ですけど、差し支えなければ足の治療をしてもよろしいですか?」
「この人は私の友達ですから信頼できます。怪我は私も気になりますので、受けてもらえませんか?」
「そう……ね。貴方の友達なら信頼できそうだし、お願いできるかしら?」
「はい!」
やはり同族の説得もあるのか、母親は素直に治療を受けてくれた。
リースが魔法を発動し水が足を覆う光景を眺めながら、俺は親子を警戒させないようにゆっくりと近づいた。
「治療中に申し訳ないが、貴方達は攫われてきたのですよね? 詳しい状況を聞いてもよろしいですか?」
「あ……はい。私達はー……」
母親の話によると、西の森に親子が住む集落があり、二人は果実等の食材を探しに森を散策していたらしい。
しかしその日は中々見つからず、少し遠出したところでこの男達と遭遇し、子供を狙われ、多勢に無勢もあって捕まってしまったそうだ。
隷属の首輪を嵌められ、この町に連れて来られたところで不意を突いて逃げ出したものの、首輪のせいで衰弱していた母親はここで力尽きてしまったわけである。
「首輪は一つしかなかったのでこの子は無事だったのですが、私から離れなくて……」
そして子供だけでも逃がそうと、我が子に言い聞かせていたところで俺達が現れたわけだ。
親子を無事に救えたし、不謹慎だが銀狼族の集落への手掛かりも見つけられたのはエミリアとレウスの御蔭だ。今日はしっかりと労ってやらないとな。
被害者からの言質も取ったし、これで遠慮なくアジトへ乗り込めそうである。
「ありがとうございます。明日には私達が集落へ送り届けますので、宿で休んでいてください」
「どうして私達を助けてくれるのですか?」
「詳しい話は彼女、エミリアから聞いてください。エミリア、リース。この人を頼んだぞ」
「わかりました。シリウス様はどちらへ?」
「私達と行かないのですか?」
「後始末が残っているからな。早くこの人を休ませなければいけないし、レウスは二人の護衛をー……」
考えてみれば、俺は裏の社会勉強も兼ねてスラムまでやってきたんだった。
エミリアとリースはあまり関わらせたくないが、レウスにはそういう経験を積ませた方が良いだろうし、護衛は別にしよう。
「いや、レウスは俺と一緒にいろ。ホクトは彼女達を頼む」
「オン!」
「俺が一緒でいいのか兄貴? へへ、わかったぜ」
どうせなら女性だけの方が安心できるだろう。指示を受けたホクトは親子の前に座り、背中に乗れと吼えた。
「こ、こここの御方はもしや!? そんな恐れ多い事は出来ません! わ、私は歩けますので……」
「気持ちはわかりますけど、かなり体力を消耗していますし、無理はなさらない方が良いですよ」
「オン!」
「ひっ!? わ、わかりました、乗せていただきます!」
……逆に安心できてない気がするが、見なかった事にしよう。
向こうはエミリア達に任せるとして、さっさとこっちの用件を済ませてしまうか。
親子が捕まったのは昨日の話らしいし、明日送り届けると考えてギリギリだろう。
奴等がどんな顔をするか見物である。
「それじゃあ、行くぞレウス」
「おう!」
妙に喜んでいるレウスに男達を運ばせ、俺は『ドートレス』の拠点を探して歩き出した。
おまけその一
「リーフェル様、リース様からお手紙が届いていますよ」
「本当! あらあら……プロポーズみたいな言葉を言われたってさ。順調そうで良かったわ。他にもー…………ちょっと席を外すわ」
「姫様、どちらへ?」
「お父さんの所よ。お父さん、これを見なさい!」
「何だリーフェ、ノックもせずに。何だと、リースからだと! どれどれ……ふん! 私ならもっと情熱的な言葉を捧げるぞ!」
「そっちじゃなくて、いやそっちも重要だけど、早く最後を見てよ」
「ふむ……何? やり過ぎだと!? あれでも結構削ったんだが……やはり聖女では嬉しくないのか?」
「聖女が駄目なら……天使ね! あの子は私達の天使なんだから!」
「それだ!」
「リース様……苦労されますね」
「俺じゃあ止められない。すまない、リース様」
犯人は片方ではなく、両方でした。
おまけその二
ある日、ホクトのブラッシングをしているとふと気になった。
ホクトって……泳げるのだろうか?
そしてホクトに実演してもらったのだが……。
ドババババババババッ!
激しい水飛沫を立て、まるでモーターボートのような勢いでホクトは泳いでいた。
流石に機械のような速度は出ていなかったが、水がはじける勢いは負けていない。
しかし……。
「やっぱり、犬かきか」
速度と水飛沫に目を瞑れば、可愛らしい姿なのであった。
というわけで十二章が始まり、ようやくシリウス達は別大陸へと渡りました。
銀狼族という事でエミリアとレウスが色々と関わってきますが、弟子達の成長を見守りながら読み進めてくださると嬉しいです。
銀狼族親子の名前は次回で。
申し訳ありませんが、次の更新は一日、二日遅れるかもしれません。