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ノエル家のご挨拶

 ノワールの紹介を終え、ノエルは続いて横に並んでいる二人を前へ押し出して紹介を始めた。


「シリウス様、こちらにいる二人が私の妹であるノキアちゃんと、弟のアラドです。二人とも私達の食堂で働いているんですよ」

「あれ、手紙だともっといたと思うが?」

「他の子達は他の場所で働いていますよ。いつまでもここに居ては甘ったれるって、自主的に出て行っちゃいました」

「お前より下の子の方がしっかりしていないか? まあとにかく……初めまして、シリウスと言います」

「お姉ちゃんの妹であるノキアです。私の事は好きに呼んでくださって結構ですよ。それと、お姉ちゃんの恩人で主なんですよね? 私達の事も同じように接してくださってかまいません」

「あ、あの。俺はアラドと言います。ディーさんの師匠とは知らず、先程は失礼な事を言ってしまいました」


 明らかに俺の方が年下なのに、ディーとノエルの態度から二人も同じ対応をする事にしたようだ。アラドの方は尊敬されているから良いとして、ノキアの方はもっと自然で良いと思うんだがな。


「そうかい? それじゃあ普通に話させてもらうよ。平民でこんな年だけど一応ノエルとディーの主をしている。それで横に並んでいるこいつらが……」


 俺に続いて弟子達を順番に紹介していく。最初に給仕を手伝った御蔭もあり、ノキアとアラドの評価も悪くないようだ。

 そして外で待機しているホクトを連れてきて紹介すると、予想通りノエル一家の口は開いたまま塞がらなかった。その中でノエルとノワールだけは目を輝かせていて、ホクトの体にぶつかるように抱きついて毛の感触を楽しんでいた。


「わんちゃん! お母さん、わんちゃんだよ!」

「駄目よノワールちゃん。ホクトさんって名前があるんだから、ちゃんと名前で呼んであげないとね。ああ、それにしても凄い気持ち良い毛触りです。シリウス様が連れるに相応しい従魔ですねー」

「うん。ホクトちゃん、気持ちいいね!」


 ノワールは間違いなくノエルの娘であると確信できる光景だった。何とも怖いもの知らずの親子だが、ディーの遺伝子はどこに入っているのだろうか。ノエルの遺伝子が強すぎたのか?

 そんなこんなで互いに紹介が終わったところで、全員が俺の作った賄いの鍋に手を伸ばした。俺のレシピを教えてきただけあって、食材が大量かつ豊富に取り揃えてあったので、ちょっと贅沢な鍋料理になった。

 弟子達は旅に出てから久々に食べる鍋料理に舌鼓を打っており、大所帯で食べるせいかいつも以上に箸が伸びているようだ。

 一方、ノエル一家の反応だが。


「うーん……やっぱり美味しい。それに懐かしいなぁ」

「……俺もまだまだだな」

「美味い。ほとんど同じ材料を使っているのに、この深い味わいは一体何だろう?」

「うう……癪だけど、お姉ちゃんの言う通りだった。手が止まらないよう」


 反応は上々でなによりだ。しかし、全員が次々と鍋に手を伸ばす中で一人だけ反応が薄い子がいた。


「どうしたのノワールちゃん? お鍋好きでしょ?」

「……好きだよ」

「お父さんが取ってあげよう。ほら、野菜と肉もよく煮えていて美味しいだろ?」

「……うん」


 ノエルとディーが甲斐甲斐しく世話をしているが、どうもノワールの食の進みが遅いのだ。

 この味は彼女の口に合わなかったのか? しかし見たところ不味そうに食べているわけじゃないし……もしかして猫舌だったのか?

 不思議に思っていると、我が食いしん坊の二人は堂々と、そしてノキアが恥ずかしそうに皿を出してきた。


「兄貴お代わり!」

「シリウスさん、もう材料は無いのでしょうか?」

「わ、私もです」

「……明日は少し多めに購入してきた方が良さそうですね」

「すまん。金と人手はこちらから出すから、十人分以上は買ってきてほしい」


 弟子達の健啖家ぶりに申し訳ない気分になりながら、俺は再び野菜と肉を鍋に投入するのだった。ちなみに最後はご飯を入れて雑炊にしたのだが、瞬く間に食べ尽くされたのは言うまでも無い。

 今日はデザートの用意が出来なかったので、代わりにディーが厨房から軽いつまみと飲み物を用意してくれた。それらを口にしながら、俺達は会わなかった間を埋めるように雑談を交わし続けた。

 雑談の中心は主に俺達の学校生活だったが、そこで起こった事件を弟子達が熱演しているので、ノエル一家は夢中で耳を傾けていた。


「そこでさ、俺達がもう駄目だって思った時……兄貴が壁をぶち抜いて助けに来てくれたんだ。あの時の兄貴の格好良さといったらもう……最高だったな!」

「そうね。あの時に見たシリウス様の背中は本当に輝いていたわ。今でも思い出す度に惚れ直してしまいます」

「くぅ……流石はシリウス様。最高に美味しい場面での登場ですね! エミちゃんはもう落ちているから、そこでリースちゃんも落ちちゃったのね」

「いえ、私はその時ではなくて……」

「ほほう? 是非ともその話を聞きたいわね」

「宴もたけなわだが、そろそろ解散した方が良くないか? 明日も仕事だろう?」


 外を見ればすでに夜も遅く、一部を除き町全体が眠りに就く頃だ。ノエルとディーは家だからいいが、ノキアとアラドは近くの実家から通っているので一度解散するべきだろう。


「むう、仕方ありません。後で聞くから一緒の部屋で寝ましょう」

「俺達はそこの椅子とかで十分だぞ。最悪、宿に行けばいいと思っているし」

「それは絶対に駄目です! 客間にシリウス様で、レウ君はあなたと一緒の部屋で、ちょっと狭いけど私の部屋で女の子全員で寝ましょう。この日に備えて毛布を何枚も買ってきてありますのでご安心ください」


 俺一人で客間を使うのかよ。それはちょっと優遇され過ぎという事で、レウスとエミリアも客間に誘ったが、なにやら従者同士で話したい事があるらしいのでそれで決まった。

 続きはまた明日ということにして、レウスを護衛にノキアとアラドを帰らせ、体の手入れを済ませて寝ることにした。


 余談であるが、ノワールを寝かしつけてからノキア達と別れる前に、俺は例の件を問い詰めていた。


「で……ノエルよ。あの悪ふざけは一体何だ?」

「え? イッタイナンノコトデスカ?」


 汗を流しながら看板娘の件を無かった事にしようとしているが、俺としてはそうはいかん。そのまま睨みながら数回ほど尋問を繰り返して、ようやく認めて経緯を吐いた。


「あのですね、最初は悪ふざけするお客さんを魔法で追い払っただけなんです。料理が不味いとか言うんで、私も頭にきちゃって。そしたらお客さん全体に受けが良くて……じゃあちょっと面白おかしくしようかなと思ったら……」


 それであの小道具に威風堂々の入場かよ。ちょっとした余興みたいなものなんだろうが、この世界ではあまりよろしくないな。


「ディーは止めなかった……いや、止めたんだろうな」

「はい。ですが店が繁盛するならと頑なで。あいつの気持ちを考えると強く止められず……」

「危ないから私は何度も止めろって言ったんですよ」

「料理だと私はあまり役に立てないから、これくらいはしなきゃと思いまして。あ、でも文句を言ってくる客なんて滅多にいませんから、まだ二回くらいですよ」

「回数の問題じゃないわい!」


 俺はノエルの顔面を掴み、久々のアイアンクローを決めた。昔と違って、背丈を追い越した今の俺ならノエルの小顔なぞたやすく掴める。握力を込めれば、ノエルは昔と同じように悶え苦しんでいた。


「あいたたたっ! こ、これ凄く懐かしいですぅ! 何だか前より強くなってるーっ!」

「役立ちたいのはわかるが、相手がお前より強かったらどうするつもりだ!」

「で、でもぉ……私だってこの店の為にー……」

「それでお前が怪我をしたらどうする!」

「いま現在で怪我しそうですよぉーっ! ごめんなさいーっ!」


 反省したところで解放してやり、椅子に座ってぐったりしているノエルの頭に手を乗せてから諭すように言ってやる。


「いいか、お前が怪我したらディーとノワールを悲しませるんだぞ。俺だって嫌なんだから、町の自警団と話し合うなりして対策を練りなさい」

「うう……シリウス様が困った顔をされてます。主を心配させるわけにもいきませんし、今日から止めますよう」


 しっかりと順序よく説得すればちゃんと聞いてくれるんだよな。ディーやノキアが言って聞かないのは、店を盛り上げようとする使命感が優先しているからであろう。それに何だかんだで二人はノエルに甘く、結局彼女の行動を許してしまうのだろうな。

 というわけで、俺がはっきりと駄目だと叱り、その後に困った顔をして罪悪感を刺激させてやった。天然でお調子者だが、ノエルは優しい子だから折れてくれると思ったよ。


「嘘だろっ!? 姉貴が言う事を聞いたぞ!」

「お、お姉ちゃんが素直に言う事を聞くなんて……ディーさんが尊敬する御方なわけです」


 アラドに続き、ノキアからも尊敬の眼差しを向けられるようになってしまった。ノエルよ、お前は家族からどんな目で見られているんだ?




 次の日の早朝、狭いが寝るには十分な客間で俺は目を覚ました。日の高さを見ればいつもより少しだけ早い時間で、どうやら厨房から聞こえる物音で目が覚めてしまったらしい。

 部屋を出て厨房へ向かうと、ディーとアラドがすでに仕込みを始めていた。やはり飲食店の朝ってのは早いものである。

 昨日聞いた話では、エリナ食堂の朝はサンドイッチや持ち運び出来る軽食を売るだけで、本格的に食堂を開くのは昼からだそうだ。二人は厨房を動き回りながらサンドイッチや軽食を作っていたが、俺が覗いているのに気付いた二人は手を止めて挨拶してきた。


「おはようございますシリウス様」

「おはようございます! もしかして起こしてしまいましたか?」

「いつもこれくらいに起きているから気にしないでくれ。それより俺も手伝おうか?」

「いいえ、俺達もいつもの事ですから大丈夫です。朝食はどうなさいますか?」

「朝の運動が終わってから頼む」


 二人に朝食について伝え、外に出た俺は井戸水を汲んで顔を洗った。近くに置いたタオルを取ろうと手を伸ばすと、俺と一緒に起きてきたエミリアがすかさず手渡してくれた。後ろにはレウスとリースも立っていて、ホクトも尻尾を振りながら待機している。

 メンバーも揃ったことだし、本日も行くとしますか。


「よし、今日は町中だから忍び足の練習でもするぞ」


 ダイア荘に住んでいた時は山の中を走っていたので遠慮なく走れたが、ここは町中かつ早朝だから全力で走ったら騒ぎになりかねない。というわけで、足音を極力殺しつつ俺達はいつもよりゆっくりと走り始めた。

 俺達にとっては訓練でもホクトにとっては主人との散歩なので、尻尾を振ってご機嫌な様子で俺の横を走っていた。

 そのまま町を数周して準備運動を終え、エリナ食堂の裏手にある広場へやってきていた。俺達が走り回っても十分な広さの土地だが、現在は雑草だけが生い茂る寂しい土地である。

 ここは町の貴族が管理している土地だそうだが、その貴族はディーの料理のファンなので勝手に入ったところで咎められない。そもそも町の中心部から大して外れていない好条件のここに食堂を建てられたのは、その貴族に料理を食べさせて気に入られたからだ。

 現時点で遊ばせている土地であるが、遠慮なく訓練できる場所があるのはありがたい。毎日の日課を済ませ、今日はエミリアのナイフ術を見ようと思ったところで、ホクトが尻尾を振りながら待機しているのを見て思い出した。


「そういえば……ホクトとまだフリスビーしてなかったな」


 現在と名前は違うが、ホクトとは前世で何度も遊んだものである。特にフリスビーがお気に入りで、世界を狙えるんじゃないかと思える程の技術を持っていたと思う。

 母さんの墓の前でやれなかったし、せっかく新しいフリスビーも作ったんだから丁度良い機会かもしれない。現在の実力ならどこまでやれるだろうと考えていると、隣にいたホクトの姿がいつの間にか消えていた。ついでにエミリアとレウスの姿も無く、残っていたリースが苦笑しながらこちらを見ていた。


「あれ、あいつ等は?」

「シリウスさん、先程フリスビーって呟きましたよね? それを聞いた瞬間ー……」


 リースが言い終わる前に土煙を巻き上げながら二人と一匹が走ってきて、俺の前で立ち止まって整列した。そしてエミリアの手にはホクト用に大きく作ったフリスビーが握られており、目を輝かせながら俺に手渡してきた。


「お願いしますシリウス様!」

「兄貴、早く早く!」

「オン!」


 二人と一匹……いや、もう三匹でいいか。三匹の尻尾の動きがシンクロしていたが、もはや何も言うまい。仲が良いならそれで良しとしよう。


「私は相手になりそうにないので止めておきますね」

「その方がよさそうだな」


 ホクトと姉弟の実力を考えると、軽く投げたら不満を言いそうな気がした。なので『ブースト』を発動させてから手首がぶれる勢いで投擲すれば、三匹はロケットスタートの如く駆け出す。

 遥か上空を飛ぶフリスビー目掛け、エミリアは魔法で追い風を起こしながら駆け抜け、レウスは『ブースト』で地を走り、ホクトは自慢の足で飛ぶように駆けていく。

 僅か数秒の戦いを制したのは……やはりホクトであった。

 ホクトの速度は姉弟を置き去りにし、緩やかに落下してきたフリスビーを難なく口でキャッチしたのである。四足歩行と二足歩行、狼と人と言う決定的な身体能力の差があるのだから仕方がないかもしれない。

 悔しげにしている二人を尻目にホクトが戻ってきたので、フリスビーを受け取ってから頭を撫でてやると、喉を鳴らしながら尻尾をぶんぶんと振り回して喜んでいた。


「よしよし、よくやったぞホクト。だけど少ーし大人気ないんじゃないか?」

「オン!」


 いくら何でも実力差がありすぎだろ。だからもう少し手加減してやれと言ったのだが、ホクトは出来ませんとばかりに首を横に振っていた。


「ホクトさんの言う通りだよ兄貴! これはもう戦いなんだ!」

「情けは無用です。私達は実力でホクトさんに勝って、シリウス様に撫でてもらうのです!」

「オン!」


 受けて立つ、とホクトが言っているのは理解できた。

 三匹にとって、フリスビーとはもはや遊びではなく戦いになっていた。

 能力差によってこのままではホクトの一匹勝ちが確定しているので、手加減はしない代わりにハンデを自ら課すことにしたようだ。姉弟のみ妨害工作有りや、スタート位置を後方にするなどして戦いは続いたが、ホクトは全てをぶっちぎって勝利を掴み……もとい、咥え続ける。

 妙な状況だが、これも姉弟の訓練になっているので止める気も起きず、ホクトを通算十回目になる頭撫でをしていると、姉弟は身を寄せ合って作戦会議をしていた。


「ふぅ……流石はホクトさん、手強いわね。妨害しようにも全て避けられるし、やはり先に取るしかないわ」

「だったら姉ちゃん、あれをやろう」

「でもそれだと貴方が取れないわ」

「大丈夫だ、今はホクトさんに勝ちたい!」


 作戦会議が終わり、覚悟を決めた姉弟は俺の投擲を緊張した面持ちで待っていた。

 そして俺が投げたフリスビーをエミリアとレウスが追いかけるが、すぐ後ろからホクトが迫ってきた。距離のハンデを貰う事によって姉弟が遅れることは無くなったが、ホクトの高い跳躍力によって敗れるパターンが多い。

 それをどう補うかと眺めていると、エミリアが少し速度を落としたかと思えば、レウスが突如振り返って両手を重ねた状態で前へ差し出したのである。その重ねた手にエミリアは足を乗せてから互いの息を合わせ……。


「姉ちゃん、行けぇ!」


 レウスがエミリアを放り投げると同時に、エミリアは魔法の風を使って高く跳躍したのである。

 姉弟の息が合ったジャンプはホクトより遥かに高く飛びあがり、エミリアは落下し始める前のフリスビーをキャッチしたのであった。


「やりました!」

「凄いわエミリア! だけど、着地はどうするのよ!」


 リースが心配しているが、エミリアには風の魔法によって上手く着地できるだろう。だが、見上げる程の高さでようやくキャッチ出来たとはしゃいでいる様子から、着地を忘れているんじゃないかと思えてきた。

 万が一に備えて俺はいつでも飛び出せるように身構えていると、ホクトが跳躍してエミリアの襟を咥えて救出してくれた。うむ、相変わらず良い仕事をしてくれる。

 エミリアを救出したホクトは音も無く着地すると、彼女を咥えたまま俺の前まで歩いてきて降ろしたのである。ホクトなりに姉弟の健闘を称えているようだ。


「ホクトさん、ありがとうございます。そしてシリウス様、ついに私はやりました!」

「ああ、よくやったな」


 まるで世界の金メダルを取ったと言わんばかりにフリスビーを掲げているので、俺はいつもより多めに撫でてやった。先程まで一度も勝利できずようやく撫でてもらえたせいか、いつも以上に尻尾を振り回して恍惚の表情を浮かべて幸せに浸っていた。


「ああ……これが勝利の撫で撫でです。なんと甘美な……」

「いいなぁ……」

「何を羨ましがっている、レウスも来なさい」


 今回の勝者はフリスビーを掴んだエミリアじゃなくて、レウスも含めてだろう。個人の勝利が欲しくても、強大な敵と出会ったら協力して勝利を掴みとる姿勢は褒めるに値する事だからだ。

 なのでレウスを手招いて撫でてやれば、苦労した分だけ感動も倍らしく満足気に笑っていた。


「へへ……やっと撫でてもらえたよ」


 そこで今日のフリスビーは終わりにした。

 そろそろ朝食の時間だろうし、その後はこれからの予定とノエルの母親に挨拶しに行く予定だからだ。

 お調子者だがノエルには赤ん坊の頃から世話になったし、その母親にもしっかりとお礼を言っておきたいのである。ノエル曰く母親の方も俺に会いたいと言っていたらしいので、早く顔を出しておかないとな。

 フリスビーの終わりに残念そうにする三匹を引き連れ、俺達はエリナ食堂へと戻ったのだった。




 エリナ食堂の居住区である居間に集まり、俺達は朝食を食べていた。

 本日の朝食はディーが作ってくれたフレンチトースト。他にもサラダやスープもテーブルに並べられていて、中々豪勢な朝食が用意されていた。早速フレンチトーストを食べてみると、以前より明らかに美味しくなっているのがわかる。


「うん、美味い。焼き加減が絶妙だなディー」

「恐縮です」

「懐かしい味です。このスープもあの時食べた味と変わらないなぁ……」

「美味い! ディー兄、また腕を上げたんだな!」

「当然よレウ君! 私の夫は努力家なんですからね。リースちゃんはどうかしら?」

「はい、凄く美味しいです。ところで……」


 何故か本人より胸を張っているノエルを他所に、リースは満面の笑みで次々と料理を口に運んでいたが、すぐに食べ終わって皿が空になる。彼女が物足りなさそうに顔を上げれば、すかさずディーがお代わりを乗せてくれた。


「あ……えっと……」

「遠慮するな。好きなだけ食べるといい」

「そうよリースちゃん。そんなに美味しそうに食べてくれたらこっちの方が嬉しいもの。もっと食べたかったら遠慮なく言ってね」

「ありがとうございます。でしたら……もう二枚欲しいです」

「俺もお代わり!」

「ああ、すぐに作るから待っていろ」


 ディーは忙しなく厨房と居間を行き来してトーストを用意してくれる。俺も手伝おうとしたが、ディーは昔を思い出して楽しいと言って助力を断った。何だかんだでディーは根っからの世話好きだからな。屋敷に居た頃もこんな感じだったし。

 次々と焼かれるトーストを家の食いしん坊二人が次々と喰らい尽くす中、俺と一番離れた席に座っていたノワールがこちらを見ていることに気付いた。俺と視線が合うと、彼女はすぐさま視線を逸らしてトーストを食べ始めたが、どこか機嫌が悪そうに見えるのは気のせいだろうか?


「ノワールちゃんどうしたの? いつもならもっと食べるのに、今日はゆっくり食べるのね」

「どうした、口に合わなかったか?」

「そんな事ないよ! お父さんが作ってくれたトースト、凄く美味しいよ」

「ふふ、お父さんの作った料理だから当然でしょ。でもね、このフレンチトーストを最初に作ったのはそこにいらっしゃるシリウス様なのよ。他にも色んな料理を作ってお父さんに教えてくれたんだから」

「……そうなんだ」

「そうよ。だからノワールちゃんも大きくなったら、シリウス様の従者になってー……」

「ごちそうさま」


 止せと言った筈なのに、娘を俺の従者にさせようとするノエルだが、肝心のノワールは言葉の途中で席を立って外へと逃げ出したのである。

 ノエルとディーが呆然と見送っている様子から、今の行動は非常に珍しい行動なのだろう。


「ご、ごめんなさいシリウス様。ノワールちゃんが失礼な事を」

「普段は優しくて良い子なのですが、あんな風に逃げるなんて……」

「ふむ、とにかく二人はノワールを追いかけてやってくれ。俺は気にしていないから、あまり怒るんじゃないぞ」

「はい、では失礼します」


 二人がノワールを追いかけ居間からいなくなると、入れ替わりで厨房で仕込みをしていたアラドと実家から出勤してきたノキアが現れた。二人は家主がいない光景に首を傾げていたが。状況を説明すると更に首を傾げていた。


「ノワールが逃げるなんて珍しいわね」

「だよな。食べ終わった皿をちゃんと運ぶ良い子なのに、何でまた?」

「おそらく俺達がいるからじゃないか? それよりアラドはとにかくノキアは早いんだな。仕事は昼からだろう?」

「そうなんですけど、実はシリウスさんに用がありまして。突然ですが、お時間よろしいですか?」


 申し訳無さそうにノキアは頭を下げるが、現時点の予定はお前達の母親に会うくらいだ。時間は問題ないと言うと、ノキアは安堵の息を吐いて店内の方へ視線を向けつつ言った。


「実は……私達のお母さんが店の方に来ているんです。そしてシリウスさんだけと話がしたいと言っているんです」

「俺だけ?」

「はい。後で他の人達にも挨拶はするそうですが、まずはシリウスさんと大切な話がしたいと」

「ふむ……こちらも挨拶したいと思っていたから問題ない。それどころか、わざわざ来てもらって申し訳ないな」

「いえいえ、お母さんが勝手に動いた結果ですから」


 流石にノエルの家族という事で、弟子達は特に心配もせず俺を見送ってくれた。

 そして店内へと入ると、テーブルに備えられた椅子に短い茶髪の女性が座っていた。一般女性よりがたいのいい人で、腕の太さから相当な筋肉を持っている人だとわかる。

 そんな女性が俺の姿を見つけると、ノエルと同じネコ耳を動かしながら屈託無い笑みを向けてくれた。肝っ玉母さんとか、姉御って言葉が似合いそうな女性だな。


「貴方がシリウス君?」

「はい、私がシリウスです。そういう貴方はノエルの母親ですよね?」

「ああそうだよ。とにかくこちらに座りなさいな。それと敬語も禁止ね。いつも通りに話しなさい」


 言動が荒いが、すっきりした物言いなので不快感を感じさせない人だな。ノエルが俺をどう説明していたか気になるが、まずは椅子に座って自己紹介を済ませるべきだろう。

 俺が席に着くと、ノエルの母親はテーブルに置いてある水差しの水をコップに注いで俺の前へ置いた。大切な話だと言うのに、洒落た茶ではなくただの水で済ましている。これは適当過ぎると言うべきか、それとも豪快と言うべきか?

 何にしろ、堅苦しい作法なんかよりこっちの方が楽なんだし気にすまい。


「とにかく初めましてだね。あたしはノエルの母親をやっているステラさ。適当に呼んでおくれ」

「ではステラさんと。すでに知っているでしょうが、俺の名前はシリウスです」

「ああ、ノエルから何度も聞いているよ。家のアホな娘が凄くお世話になったそうだね」


 ステラさんは自分の娘をアホと言っているが、優しげな笑みを浮かべながら窓に視線を向けていた。

 口は悪いが、この人が子を心配する母親であるのは間違いなかった。こういう人には下手な小細工なんていらず、堂々と話した方がいいだろうな。


「アホは否定できませんし、俺は確かに世話もしました。ですがそれ以上にノエルから沢山の事を教わりました」

「ははは、あんなアホな娘だけど役に立ったなら嬉しいよ」

「あまりアホと言ってやらないでください。何だかんだで立派な母親をやっているじゃないですか」

「いんや、アホだよあの子は。今が幸せな分、なおさらさ」


 そしてほとんど愚痴に近い昔話を語り始めた。

 ステラさんはオーラムの土木関係で働く女性で、力仕事をメインとするガテン系である。そんなステラさんの子供は七人居て、その中で一番上がノエルだった。

 夫に先立たれ、一人で子供達を育てていた彼女だが、仕事が上手くいかなくて生活が厳しい時期があったそうだ。それが数年続き、満足に食べられない日々が続いたある日、ノエルは食い扶持を少しでも減らす為に突然家を出たらしい。

 

「本当にアホな子だったよ。一人減ったところで楽になんかなる筈もないのに、しょうもない事を心配して家を出ちまったのさ。そして貴族の従者になったと手紙が来たかと思えば結婚相手を連れて帰ってきたんだ。親を散々心配させて、今は幸せ三昧なんてアホとしか言いようがないよ」

「確かにそう言いたくなりますね。ですが、今は彼女に助けられているんでしょう?」

「悔しいがその通りだね。他の娘や息子に安定した仕事を与えてくれるし、美味しいご飯を作れる夫まで連れてきたんだ。あの子が帰ってきてくれた御蔭で、あたし達は本当に楽になったよ」


 そこで一度水を飲み干し、再び注いでから俺に視線を向けてくれた。

 顔も性格も母さんとは全く違うけど、彼女から感じる暖かさは母さんと全く同じだった。


「一時は奴隷にまでなったと聞いた時、あたしは思わず殴りたくなったよ。ほらみたか……てさ。だけどそんなアホな子を拾ってくれた上に育ててくれた恩人達がいるとも聞いたのさ」

「俺の母さん……ですね」

「そうさ。その人にお礼を言いたかったのに、すでに亡くなっているそうじゃないか。あたしは一体誰にお礼を言えばいいんだって思ったけど……ようやく伝えるべき相手が現れたよ」


 俺一人だけを呼んだのは、誰にも邪魔されず真摯に伝えたいと思ったからかもしれない。その真剣さに、お礼を受け取るべきは俺じゃないとは言い出せなかった。


「……わかりました。俺が代表して受け取ります」

「その人の息子なんだ、遠慮なく受け取っておくれ。我が子を救っていただき……本当にありがとうございました」


 潔く放ったお礼の言葉と共に、ステラさんは椅子から降りて床に平伏していた。顔を上げたステラさんは恥ずかしそうだがすっきりした顔をしており、椅子に座りなおして再び水を一気飲みした。


「たはは……恥ずかしい姿を見せたもんだ。あの子には絶対見せられないね」

「いえ、子を想う母親の行動を恥ずかしがる必要はありません」

「そうかい? ああ、もちろんシリウスの分もあるよ。あの子を鍛えてくれたんだろう? 苦労したんじゃないかい?」

「……多少」

「うんうん、そうだろうねぇ。素直なのは嫌いじゃないよ。それにしても、本当に良い主人に拾われたもんだよあの子は!」


 豪快に笑ったステラさんは、一度店の奥へ視線を向けてから大きな声で叫んでいた。うん、やはり気付いていたか。


「そう思わないかいノエル? ほら、あんた達も隠れていないで出てきな!」

「む……ばれてましたか。というかお母さん、シリウス様が良い主人なのは当然です! たまに痛い事してきますけど」


 俺達のやりとりを覗いていた弟子達とノエル達は、奥から申し訳無さそうに出てきた。堂々としているのはノエルとノワールくらいなもので、色んな意味で格を見せ付けている。


「あんたはちょっと痛い目に遭わないと駄目だろう。ところで、後ろの子達がシリウスの仲間達かい? 紹介しておくれよ」

「いいでしょう。この子達は私の後輩かつ妹分と弟分ですよ。あ、妹だけどリースちゃんは従者じゃないよ」

「私、いつの間にか妹にされてる?」

「あーもう! あんたが紹介してどうすんだい。それに肝心の名前も言ってないじゃないか。ほら、あんたは後ろに下がっていな」


 ノエルの頭を軽く叩き、下がれとばかりに追い払った。流石は母親、ノエルの扱いをよく理解していらっしゃる。

 そして弟子達の紹介が終わり、ステラさんはそれぞれの頭を慈しむように撫でていた。


「エミリアにレウス、そしてリースだね。良い名前だ。家の子と違って利発そうな子達だね」

「そんな事はありませんよ。お姉ちゃんは私達を救ってくれました」

「だな。ノエル姉はいつも俺達と遊んでくれたもんな」

「私は会って間もないですけど、とても元気な方で、周囲を楽しませてくださる立派な御方ですよ」

「へぇ……立派なお世辞も言えるんだねぇ。やっぱり違うわ」

「って、お母さん! ここは感動するところ! 私の娘も立派なんだねと褒めるところでしょ!」


 ノエルは怒りながら食って掛かるが、ステラさんは片手で押さえ込んで笑うだけだった。

 そんな仲睦まじい光景を見せられている間に、ディーは全員分の飲み物を用意してテーブルに並べた。何だかんだで全員揃っているので、このまま俺達の予定を話し合う事にしたのだ。

 そしてステラさんにいい様にあしらわれたノエルが、息を荒げながら話の口火を切った。疲れたのなら休んでいればいいのに、お前は本当に何でも関わってくるな。


「ふぅ……ふぅ……それでシリウス様はいつまでここに滞在されるのですか?」

「予定はないが、そこまで滞在するつもりはないな」

「でしたら一年……いえ、軽く五年くらいはいませんか?」


 それは軽くと言わん。しかも言い直して増えてるってのはどういう事だ。何とかしてほしいとステラさんに顔を向けたが、肝心の彼女は腕を叩きながら笑っていた。


「いいんじゃないかい? なんだったら家くらい建ててあげるよ。娘の恩人なら立派に仕上げてやるさね」

「……いえ、とりあえず半月程を目安にしておきます」


 二人はやはり親子であった。

 正直半月でも長い気がしたが、短いと文句を言いそうだし、かといって長居すると勝手に家を建てて旅に出づらくなりそうな気がしたからだ。


「仕方がありません。それで納得しておきましょう。お母さん、半月で家を建てられるかな?」

「出来ないことはないけど、掘っ立て小屋になりそうだから駄目だね。あたしのプライドが許さないよ」


 やはり考えていたらしい。ステラさんの職人気質に感謝しておこう。

 こうしてオーラムに滞在する間は、エリナ食堂に住まわせてもらう事になった。四人も増えるのは大変だと思うが、料理やウエイトレスとか手伝える事は沢山あるだろうし、ノエル一家は気にしていないようなので遠慮なく世話になるとしよう。

 ただ一人を除いてだが。


「ほらノワールちゃん、これから少しの間家族が増えるわよ。良かったわね」

「……うん」

「うーん……こんなに人見知りする子じゃなかったのになぁ。一体どうしたんだろう?」

「お前にもシリウス様の素晴らしさを知ってもらいたいのだが」


 ノエルとディーが少し離れた場所でノワールの頭を撫でながら悩んでいたが、俺を一瞥すると納得するように頷いていた。


「シリウス様だし、一緒に過ごしていたら慣れるわよ。その内シリウス様の素晴らしさに気付いて、自分からお仕えしたくなるわ」

「そうだな。ほら、ノワール。お父さんは仕事があるから、また後でな」

「うん!」


 俺達……いや、俺に対しては不機嫌そうなのに、ディーに抱きかかえられた時の笑顔は年相応の可愛らしいものだった。


 最初の目的は、ここの生活に慣れるより先にノワールと仲良くなる事だな。

 まずは手っ取り早くケーキで釣ってみようかと、厨房を借りに俺はディーに許可を得るのだった。



おまけ

次回の冒頭で使う予定だった小ネタ。


シリウス「ノエルの子供なら、きっとプリンやマヨネーズに反応するだろう。ほーら、おいでおいで」

ノワール「……ちら」

ノエル「ゲットーっ!」(ヘッドスライディングで登場)


 ……親の方が釣れました。




これで十章の終わりです。

せっかく世界を漫遊し始めたのに、いきなり滞在している作者をお許しください。


次はキャラ紹介を挟むつもりですが、ただ紹介ではなく裏設定も多少入れていこうと思うので、読んで損はしないようにするつもりです。

次の更新は三日……四日の予定ですが、年末近くの魔物(仕事)が猛威を振るうので、更新が安定しない場合もあります。

申し訳ありませんが、ご了承ください。

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