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ワールド・ティーチャー -異世界式教育エージェント- 作者:ネコ光一

十章 新たなる旅立ち

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「綺麗だねぇ……」
「そうね、まるで夢の中みたい……」

 エミリアとリースは俺の両隣に座り、青の世界に見惚れていた。
 そしてレウスは俺の背中にもたれかかって寝息を立てていた。何とも勿体無い気もするが、魔力が満ち溢れ、静かなこの空間の心地良さ故にわからなくもない。

「もう、レウスったら風情がわかっていないのですね。それにシリウス様の背中まで……ずるいです」
「まあそういうな。お前達も寄りかかっていいぞ?」
「よろしいのですか?」
「何度も人の寝床に入ってこようとするくせに何をいまさら。ほら、リースもかまわないぞ」
「は、はい。失礼します」

 二人は俺の両肩にもたれかかり、嬉しそうに頬を染めた。エミリアは更に腕を抱きしめてきたが、これもまたご愛嬌だろう。

「ああ……こんな光景をシリウス様と一緒に眺められるなんて……最高です」
「うん……凄くわかる気がする」
「まあ、たまにはな」

 もうしばらくこのままでいさせてやろうと、俺は警戒の為に周囲を見回すと……視界の端に白い物を捉えたのである。
 例の白い魔物と思って警戒したが、それから殺気は一切感じられず、俺は自然と警戒を解いていた。敵か味方か定かではない相手を前に警戒を解くなんてありえないが、それほどにそれは幻想的な風景の一部と化していたのだ。

「……シリウス様、どうかなされましたか?」

 俺の変化を敏感に感じ取ったエミリアは、顔だけこちらに向けて聞いてきた。遅れてレウスが目を覚まして立ち上がり、リースは不思議そうな顔で首を傾げている。

「はふぅ……どうしたんだよ兄貴? 今ちょっとだけ身構えなかったか?」
「いや、ちょっと不思議なものを見つけてしまってな。あそこを見てみるといい」

 俺が指差した先を見た弟子達は、言葉を発する事無く目を見開いていた。

 それは……輝く程に真白き体毛を持つ狼だった。

 大きさが二メートルあろう狼が、泉のど真ん中にある大きな岩の上で寝ており、完全に景色の一部と化していたのである。景色に目を奪われ、殺気が感じられなかったとはいえ、こんな存在に気付けないとは情けないにもほどがある。いや、それだけこの狼の気配遮断が上手く、自然に溶け込んでいたんだろうな。
 互いに多少の距離があるが、俺も気づいたように、野生の獣である向こうも俺達に気づいている筈だ。なのに警戒すらせず、狼は目を閉じて眠り続けていた。

「凄く綺麗で神々しいですね。もしかしてあれが情報にあった白い魔物でしょうか?」
「だろうな。向こうは全く警戒していないようだし、下手に手を出そうとするんじゃないぞ」

 これだけ接近されても反応すらしないってことは、俺達すら眼中に無いくらいに強い狼なのかもしれない。
 真っ先に飛び掛りそうなレウスに対して言った台詞だが、珍しい事にレウスは剣を抜かず、驚愕した表情で視線を狼に向けたまま固まっていた。俺の腕に抱きついたままのエミリアも同じで、反対の手で頭をポンポンと叩いてやると正気を取り戻した。

「はっ!? も、申し訳ありません。まさか会えるとは思わずぼんやりとしていました」
「ということは、あれが何か知っているのかい?」
「はい。あれは私達の間では『百狼』と呼ばれ、銀狼族を含め、多種多様に存在する狼族の祖先と言われています。狼族では神の御使いとして崇められているんです」
「昔、父ちゃんが言っていたんだよ兄貴。百狼様に出会ったら、決して逆らおうとせず、感謝の心を持って崇め称えろってさ。実際に会ってわかるよ、あれは逆らっちゃ駄目だって」

 人族の俺達にはわからない何かを感じているのだろう。姉弟は絶対たる王に出会ったかのように大人しくなり、百狼から目を離そうとしなかった。
 相変わらず百狼はこちらに関せずであるが、見れば見るほどに美しい姿だと思う。白く輝く体毛が月光を反射しており、まるで百狼自身が光っているように見えなくもない。前世ではどう足掻いても見つかりようも無い希少さと神秘性を感じていた。神の御使いと呼ばれるのもわかる気がする。

「それで百狼の行動とかわかるのか? 相変わらず我関せずと寝ているようだが」
「わ、わかりません。銀狼族に伝わる話では、数百年に一度見れるかどうかと呼ばれる存在ですので」

 あれだけ大きな狼の縄張りだ、この山全域に渡ってもおかしくないというのに、百狼は警戒すらせず眠ったままだ。まさか俺たちが立っている場所が、ちょうど境目だとか言うわけじゃないだろうな? 
 いや、前世の常識を当て嵌めては駄目だ。ここは異世界で、相手は詳細不明の存在だし、縄張りを持たない生き物かもしれない。
 相手の強さは不明だし放っておくのが一番だろうが、何故か百狼から目が離せない俺は、エミリアを腕にくっ付けたまま無意識に歩を進めていた。

「シリウス様!? どうして近づいて……」
「いや、向こうは全く警戒していないようだし、もう少し近づいてみようと思ってさ。何かあったら危ないから、離れていろ」
「お断りします!」

 まさかの拒否である。むしろ離すものかと言わんばかりに力強く抱きしめてきたかと思えば、反対側にリースが並び、背後にレウスが立って拳を握っていた。

「私はシリウス様の従者です。どこまでもお付き合いします」
「そして俺は兄貴の剣だ! 相手が父ちゃんの言った百狼様でも、兄貴に手を出すなら俺は……」
「私達は全員一緒なんです!」

 離れようとしない弟子達に苦笑しつつも、俺は更に百狼へと近づき、泉の一歩手前までやってきた。流石に数歩前まで近づけば顔を上げてこちらを見てきたが、相変わらず殺意どころか警戒も皆無であり、ぼんやりと金色の瞳でこちらを見ているだけだった。

「いくらなんでも無警戒過ぎるな。人を敵だと認識していないのか?」
「近くで見ると更に凄いですね。この場所も凄く綺麗ですけど、狼さんに比べたら霞んじゃいそう」
「は、初めまして百狼様! 私はシリウス様の従者をしているエミリアと申します!」
「同じくレウスと言います!」

 突然自己紹介を始めた二人に驚いたが、それ以上に驚いたのが、百狼も返事をするように小さく吼えた事だ。

「は、はい! こちらこそお願いします!」
「わかるのか!? というか、狼もこちらの言葉を理解しているのか」
「何となくですが、よろしくと言っていました」
「言葉は理解している。それに名前は無いから好きに呼んでくれ……って、言ったんだよ兄貴」
「エミリアよりレウスの方がはっきり理解しているようですね」

 その違いは何だろうか? 二人の違いを考えてみれば、性別と……後は変身できることか? レウスの方がより狼に近いからかもしれないな。
 理由はとにかく、対話ができるならいきなり戦闘という事はなさそうだ。温厚でエミリア達にしっかり返事をする紳士か淑女のようだし、色々と聞いてみようか。

「まず質問したいのだが、ここは貴方の縄張りだろうか? もし勝手に入ってしまっていたのなら謝罪したい」

 状況的に俺達は客みたいなものだ。まずは礼儀からそう聞いてみたのだが、狼は何か唸りつつ首を振っていた。

「通訳を頼む」
「えーと、百狼様はあちこち旅をしていて、ここに住んでいるんじゃないんだって。だから気にするなってさ」

 どうやら百狼の方も御客さんだったらしい。そうか、縄張りじゃないなら怒る理由もないよな。にしては警戒しないのは何故だろうと思っていると、百狼が何か吼えているので姉弟が対応してくれた。

「はい……大丈夫です、ここへ来たのは偶然ですので」
「うん……うん……へー……そうなんだ」
「完全に私達は置いてきぼりですね。それにしても、こんな綺麗で立派な狼さんが馬を襲ったのですね。自然の掟とはいえ少し悲しいです」
「いや、多分違うと思う。馬を襲ったにしては血の跡が見当たらないし、馬は一度に何十頭も襲われたと聞いている。おそらく犯人は集団で、この狼はどうみても一匹だ。可能性としては低いだろうな」

 少し安心した笑みを浮かべるリースと一緒に姉弟のやり取りを眺めていたが、途中で何度か百狼がこちらに視線を向けてくるのが気になった。
 ようやく話が終わったらしく、姉弟は結果を報告してくれる。

「まず、百狼様は男性ですね」
「ああ、うん。確かに気にはなったけど、それは一番に報告することなのか?」
「はい、大切な事かと。そして百狼様は私達の素性を聞いてきましたけど、旅人で偶然ここへ来たと伝えておきました」
「それは何となくわかったが、俺達を警戒しないのは何故だ? いくらなんでも無防備すぎるだろう」
「遠い昔に、人に命を助けられた事があるから嫌いになれないんだって。それに欲深い人はすぐにわかるし、俺達は自分を狙う相手じゃないと理解したから、警戒するまでもないんだって」

 逃げようと思えば、すぐに逃げれるとも補足してくれた。まあこれだけ大きな狼だ、その体を支える健脚を使えば一息で逃げ出せるだろう。

「旅をしている百狼様はここを数日前に見つけて、居心地がいいから休んでいたそうです」
「魔力が満ち溢れてるし、懐かしい空気がするから気持ちいいんだってさ」
「数日前か。一つ質問がしたいのですが、近くの村で馬が襲われたのです、何か知りませんか?」

 対話が出来るからって、狼に情報を求めるってのも不思議な話だな。馬が襲われたと聞いた百狼は首を傾げていたが、すぐに小さく吼えて答えてくれた。

「……変な人間に狙われるから、あまり人里には近寄らないんだって。ただ数日前に初めてここへ来た時に……」

 レウスがそこまで説明した時、百狼は突然立ち上がって岩から跳躍したのである。音も無く月光花の上へと着地し、耳と鼻を動かして唸り始めたのだ。
 エミリアとレウスは百狼の行動に驚きつつも耳と鼻を動かして周囲を探り、何かに気付いて顔を上げた。ちなみに俺は『サーチ』で調べているので、こちらに接近している存在には気付いている。団体さんのご到着だな。

「兄貴、俺達囲まれているよ!」
「わかっている、敵の数は三十だ。各自、防衛陣形!」
「「「はい!」」」

 防衛陣形とは、遠距離主体のリースを守るように円陣を組み、囲まれた場合に全方位を対処する陣形だ。武器を抜いて身構えていると、樹の上から何かが飛び出してきて俺に襲い掛かってきたが、間に入った影がそれを吹き飛ばした。
 俺を助けた影は先程まで唸っていた百狼で、俺達を一瞥して空に向かって遠吠えしたのだ。

「す、凄い圧力です! 一体これは?」
「ここを血で汚したくないから、引けって言っているんだ。ほら、さっきふっ飛ばした奴だって、血を流さずに倒しているだろ?」

 百狼の一撃によって吹っ飛ばされた相手は、樹を揺らすほどの勢いで樹に激突し、首の骨が折れて死んでいた。
 ここにきてようやく襲撃者の姿を確認したが、それは成人男性の大きさはあろう、全身が赤い猿であった。
 頭に生えた特徴的な三本の長い毛、右腕だけ異常に発達した姿からして、名前は確かハングリデヴィアと呼ばれる猿の魔物だ。常に食べ物を求めて移動し、集団で獲物を襲って骨すら残さず食べてしまう肉食の魔物だ。個々の強さは大したものではないが、集団で襲うのが厄介と言われる面倒な相手だ。

「どうやら、ゴート村の馬を襲ったのはこいつらみたいだな」
「ですがシリウス様、この魔物は食べ物に関しては貪欲と聞きますし、一度襲っただけで満足するとは思えないのですが」
「百狼がここへ来たのは数日前と言っていた。おそらくこいつらが馬を襲った次の日に百狼がやってきて、本能的に逃げ出したのだろうな」
「だったら兄貴、こいつらなんで襲い掛かってくるんだよ?」
「馬の味が忘れられなかったのか、それとも腹が減ってなりふり構わなくなっているか……」

 今度は二体同時に襲い掛かってくるが、百狼が一体を前足でふっ飛ばし、残り一体も後ろ足の蹴りでふっ飛ばされて俺達の足元に転がってきた。
 すでに絶命しているが、簡単に調べると妙に痩せていて、口から僅かに見える嘔吐物には葉っぱのみで肉が含まれていない。つまり……だ。

「どうやら後者のようだ。空腹の獣ってのは厄介だぞ、確実に仕留めろ」
「わかりました。それと、なるべく血を流さないようにですね」
「その通りだ。だが、無理だと思ったら遠慮なくやるんだぞ」

 百狼がこの月光花の景色を血で汚さないように頑張っているのだ。俺達も気をつけないと駄目だろうと思い、ゴム弾をイメージした『マグナム』を敵に向けると、百狼が立ち塞がって俺に向かって吼えたのである。

「……手を出すなって事か?」
「こいつらが狂ったのは自分の責任だろうから、後始末は任せとけって言ってるよ」

 何とまあ、人間味に溢れた男らしい狼だな。この狼ならこんな奴等が束になったところで全く敵わないと思うが、下手に時間をかけてこの景色が崩れるのは嫌だな。協力してさっさと終わらせようじゃないか。
 まとめて飛び掛ってきた相手を全て『マグナム』の速射で撃ち落し、俺は百狼に笑いかけてやった。

「この場所を荒らされるのは嫌ですから、俺達も手伝いますよ」
「俺達も一緒に戦うよ百狼様。大丈夫、こんな奴等ならあっという間さ!」

 ギルドの依頼は調査までだったが、村も困っているようだし全滅させても問題あるまい。レウスは以前に調査といいながらうっかり全滅させたそうだが、これからは俺も弟子の事を強く言えないな。
 百狼は一瞬固まったものの、一吼えしてから襲ってくる魔物をタックルで吹っ飛ばし、前へ飛び出して暴れ始めた。

「よろしく頼むと言っていましたよシリウス様」
「本当に狼なのかあれ?」

 狼だと言うのに、妙に頼もしげな背中を眺めながら俺達は戦闘を開始した。

 一斉に飛び掛ってくる相手をゴム弾の『ショットガン』で迎撃し、エミリアとリースは『風玉エアショット』と『水弾アクアバレット』を放ち撃ち落していく。レウスに至っては剣の腹で相手を打ち、豪快に魔物をホームランしていた。
 だが、一際目立つ戦いをしているのは百狼だった。
 狼と言えば四足歩行で、武器は牙や爪だろうが、この百狼はそれらを使わず戦っているのだ。
 たとえば右前足で敵を薙ぎ払っているが、血を撒き散らさない為に爪を立てず殴り飛ばしているし、真上から襲い掛かってくる魔物には、体全体を使ったサマーソルトを決めているのだ。
 更に狼の尻尾ってのは柔らかい筈なのに、おもいっきり振るえばレウスのホームランと同等の一撃になっているのだ。その瞬間だけ魔力を感じるので、おそらく尻尾に魔力を流して硬化させているらしく、この百狼は魔力も自由に扱えるという事がわかる。
 ハングリデヴィアは次々と数を減らし、最後の一匹が百狼の前足による叩きつけで倒された。魔物の体が地面に半分も埋まっているのに、血が少しだけしか流れていないのは凄まじいものである。

「凄いものだな。あの狼、手加減が完璧だぞ」
「手加減出来るのがそんなに凄いのですか?」
「リース姉は近接戦闘が少ないからわからないと思うけど、手加減出来るのってのは自分の体をしっかり理解している証拠なんだよ」
「手加減は技術の一つです。レウスは剣で岩をも斬れる力があるのに、学校の生徒相手には決してその力を振るわなかったでしょう? 己の力を完全に制御出来なければ、幾ら鍛えようと意味が無い……でしたよね?」
「その通りだ。そう考えると、あの狼は一体どこからそんな技術を学んだのやら」

 あの狼の力で叩きつけられたら、魔物はやわらかい果物みたいに潰れていた筈だ。
 いくら希少な生き物だからって、あの妙に人間臭い戦い方と技術は異常だ。自然に学んだと思えないし、まるで人に教わっていたように感じた。
 魔物を倒した百狼は、俺の前へゆっくりとやってきて吼えた。通訳しなくても、今のはお礼を言っているんだとわかった。

「いや、こちらこそ助かったよ。それより、貴方はどこからそんな技術を?」
「えーと……世話になった人に教わったり、見て覚えたって言っているよ兄貴。すっげえな、百狼様に技術を教えられるなんてどんな人だろう?」
「まあその辺は後で詳しく聞いてみるとして、まずはこっちを済まそうか」

 なるべく流血は避けたとはいえ、死体を放置していると他の魔物が集まって、この場所が荒らされてしまう可能性がある。なので集めて地面に埋めてしまおうと思い、俺は弟子達に魔物を集めるように指示を飛ばした。討伐証明である頭の毛を剥ぎ取るのも忘れずに言っておく。資料によるとこいつの頭の毛は柔らかく強靭なので、裁縫等に使われるそうだ。
 その間に俺は地面に魔法陣を描き、魔物を放り込む穴を開けていたが、百狼は俺の近くに座ったままじっとこちらを見つめているのだ。見られる心当たりはないので、気にせず穴を開けて振り返った時……魔物を引き摺っていたリースの近くに、まだ微かに生きている魔物がいるのに気付いた。

「おかわりだ! レウス!」

 位置的にレウスの方が近い。レウスから見て左を注視させる号令を掛けると、気付いたレウスが背負っていた魔物を投げてぶつけた。元から弱っていたので、その一撃で完全に死んだようだ。
 倒された魔物を見て、リースは申し訳無さそうに頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。あの魔物を倒したのはたぶん私だと思う」
「リース姉が無事なら問題ないよ」
「そうですよ、特にリースは威力の調整が難しいから仕方がありません」

 リースの放った『水弾アクアバレット』は、大きな水の玉をぶつけて衝撃を与える魔法だが、彼女の場合は精霊の力もあって、本気でやれば魔物の体を貫通する威力を出せる筈だ。そうすると血が流れるから威力を抑えていたようだが、ほんの少しだけ抑え過ぎていたようだ。まあ急ぐことではないし、いずれ完璧に調整出来るようになるだろう。
 姉弟に慰められているリースを眺めていると、突如俺の手に柔らかい感触が触れてきた。驚きつつも視線を向けてみると、百狼が自分の左前足を伸ばして、俺の手に乗せるように触れさせていたのだ。

「……どうしたんだ?」
「クゥン……」

 その巨体に見合わぬ可愛らしい鳴き声を出しながら、百狼は一心に俺を見続けていた。その目に警戒や敵意は一切無く、ただ優しげに俺を見るだけだ。
 普通に考えれば、馬より大きい狼に見つめられて心穏やかにいられると思わない。だが俺の心は穏やかそのもので、むしろ百狼の瞳に懐かしさを感じ始めていた。弟子達も突然の出来事に驚き、作業の手を止めてこちらに注目している。

「……お手」
「オン!」

 俺が命令しながら手を出せば、百狼は右前足を手の上に乗せてくる。その前足は俺の手以上に大きいが、乗せられた前足は体重を一切乗せていないように力加減されていた。

「おかわり」
「オン!」

 更に命令すれば逆の前足を差し出し、伏せと命令すれば体を伏せ、回れと言えばその場でくるりと一回転する。そして俺があいつに教えた独自の命令を下す。

「ターゲット! ホールドアタック!」

 相手の足を払ってから利き腕を狙えという命令だが、目標である樹を指すと同時に百狼は駆け出した。一瞬にして距離を詰めた百狼は樹の根元に体当たりをした後に、人の右手に当たる位置にある枝に噛み付いた。
 この命令は目標の動きを封じるのが目的なのだが、その巨体と力によって樹の根元はへし折れ、噛み付いた枝も牙によってへし折れているのが以前と違う点だと思う。人相手に使ったら、間違いなく殺ってしまいそうだ。
 今の動きで……俺の中にある記憶が疼いた。

「レウス! 今から百狼が話す内容を一字一句教えてくれ!」
「は、はい!」

 もはや俺の中で答えは出かけているが、まだ確実な証拠が無い。レウスに通訳を頼み、俺は百狼に問いかけた。

「俺が隠した宝物はどこに埋めた?」
「庭にある樹の根元……だって」
「枝を投げて遊んでいたら、俺達が見つけたのは何だ?」
「くま? の巣を見つけて親に追われたってさ。クマって何だ兄貴?」
「後で教えてやる。じゃあ次だが……」

 そのまま幾つか質問を繰り返すが、答えは俺の記憶と変わらぬものばかりだった。
 記憶と変わらぬ動きに、俺達しか知らない思い出の数々。
 もはや名前は思い出せないが……間違いない。

「お前……なのか?」
「オン!」

 前世で師匠に鍛えられていた頃、俺は雨の中で瀕死だった子犬を拾った。
 何とか回復したその犬は俺の最初の家族になり、調教して鍛える内に相棒になった。そしてエージェントになってからしばらくして老衰で亡くなったのだ。
 何故こんな所にとか、その姿はどうしたのかと様々な疑問が浮かんでくるが、あの頃に聞きたかった事を俺は聞いてみた。

「なあ……お前は幸せだったか?」
「クゥーン……」
「幸せでした。そして、また出会えた事を何よりも嬉しく思います……って、どういう事だよ兄貴!」

 喜ぶと、俺の胸に顔を摺り寄せてくる癖も変わらない。名前を呼んでやれないもどかしさがあるが、俺は以前より遥かに大きくなった相棒の顔を包むように抱きしめた。

「ああ、俺もまた会えて嬉しいよ」




 それから騒ぐ弟子達を宥めたが、こいつとの関係を執拗に聞いてきた。特にエミリアが酷く、まるで浮気を問い詰めているような勢いである。
 どう答えようか悩んでいると、百狼が一歩前に出て数回ほど吼えれば姉弟は大人しくなり、リースが疑問符を浮かべていた。

「ねえ、この狼さんは何て言ったの?」
「百狼様も私達と一緒だったのですよ。私達がシリウス様に拾われる以前に、瀕死だったところを助けられたそうです」
「そっか、百狼様は俺達の先輩だったのか! だったらあの技術もわかるぜ!」

 どうやら納得してくれたらしい。ちらりと百狼に視線を向ければ、これでよろしいでしょうかと言わんばかりに俺を見ていた。感謝を込めて頭を撫でてやると、嬉しそうに目を閉じて尻尾を振り回していた。

「そうなんだ。私もシリウスさんに助けられましたから一緒ですね。えーと、触ってもいいのかな?」

 俺が関係していると安心したのか、リースが前に出て百狼に手を伸ばすと、頭を撫でやすいように首を下げてくれた。彼女は驚きながらも百狼の頭を撫でて、笑みを浮かべていた。

「わあ……凄く柔らかい手触り。何か癖になりそう……」
「だろう? お前達も触ってみたらどうだ」
「い、いいえ! 百狼様に恐れ多いです!」
「お、俺も!」

 姉弟は萎縮して距離を取っていた。その様子に、俺とリースは苦笑しつつ百狼を撫で続けていると、姉弟が悔しそうに唸り始めたのである。俺達だけ楽しんでいるのは可哀想だし、そろそろ止めとくか。

「うう……シリウス様からあんなに撫でられるなんて。いくら百狼様でも羨ましいです。あそこは私の位置なのに……」
「姉ちゃん……俺も悔しいよ」

 別な方向に可哀想だった。百狼は自分はもういいから姉弟を頼むと視線を向けてきたので、俺は姉弟を招いて頭を撫でてやった。
 尻尾を振り回し喜ぶ姉弟の横で、百狼を見ていたリースは手を叩いて俺に聞いてきた。

「シリウスさん、この狼さんに名前はあるのですか?」
「そうだな。名づけてもいいんだが、その前に……お前は俺に付いてきてくれるのか?」

 お前がこの世界に来てどう生きていたかわからんし、何か目的があるのかと思って聞いてみたが、百狼は心外とばかりにちょっと強く吼えた。

「兄貴が嫌でない限りどこまでもだって。す、すげぇ! 百狼様が仲間になるのか!」
「流石は私のご主人様です!」

 驚き喜ぶ姉弟を横目に、俺は百狼を撫でながら名前を考えていた。何度も前世の記憶を思い返しているが、相変わらず名前が一文字すら思い出せない。
 やはり新たに名前を考えるしかないと思い、目を閉じて考えていると、ふと何か気配を感じた俺は顔を上げて、泉とは反対側を向いていた。

「シリウス様? どうかされたのですか?」
「……まさか、な」

 感じたのは俺の魔力だった。そして村の方角の上空に目を向けてみれば、光の筋が上空を昇っている光景が見えたのだ。
 あれは……俺が村長に渡した照明弾の反応だ。あれが上がるという事はつまり……。

「村が危険だって事か? こいつらは全部片付けた筈だが……」

 村からここまでは大体一時間程度だが、直線距離は短いのでぎりぎり『サーチ』が届くはずだ。発動させて村を調べれば、弱いながらも無数の魔物の反応を感じたが、遠いのでこいつらかどうかまではちょっと判断がつかなかった。
 すると百狼が小さく吼えて、それを聞いたレウスが慌てて通訳してくれた。

「兄貴! この魔物の数が最初の頃より明らかに少ないって! もしかして半分は村に行ったんじゃ……」
「……ありえるな。よし、お前達は魔物を処理をしてから下山しろ。俺は一足先に村へ戻る」
「「「わかりました」」」

 森を突っ切れば時間がかかるだろうが、俺は空を蹴って飛べるからすぐに向かえる。『エアステップ』を発動させようと足に力を込めると、百狼が俺の前に立ち塞がって吼えてきた。

「ああ、すまない。お前の名前を決めてなかったな」
「違うよ兄貴。百狼様が自分に乗ってくれって言っているんだ」

 レウスの言葉通り、百狼は俺の前に伏せて、乗れとばかりに吼えた。

「いいのか?」
「足は自信があるから、是非乗ってほしいって」

 これだけ体が大きければ俺が乗っても大丈夫そうだし、遠慮なく背中に乗って『ストリング』を使い手綱代わりにした。

「口元とか窮屈じゃないか?」

 首を振っているので問題は無さそうだ。触り心地の良い毛皮を楽しみながら『ストリング』の張りを確かめていると、エミリアがリースを連れて横に立った。

「シリウス様。お願いがあるのですが、百狼様がよろしければリースも連れて行ってくださいませんか?」
「ちょ、ちょっと。それなら私よりエミリアの方が……」
「私達なら処置が終わればすぐに駆けつけられます。それに……百狼様に乗るのは恐れ多くて」
「怪我をした人がいるかもしれないし、リース姉なら適任だろ?」

 俺に付いてきたい筈なのに、二人は状況をしっかりと把握して最適な判断を下してくれる。まあ、百狼が恐れ多いってのも本音だろうけど。

「ありがとう二人とも。でも、狼さんが許してくれるかな?」
「流石に二人は無理があるか?」
「兄貴が認めた人なら乗せてもいいし、二人くらいなら問題ないって」

 何とも頼もしい言葉だな。リースの手を引いて俺の後ろに乗せ、落ちないように彼女の体と俺の体を『ストリング』で結んだ。

「俺と結んでおいたが、落ちないようにしっかり腰に手を回してろよ」
「腰ですか!? し、失礼します!」

 密着状態で動揺していたリースだが、俺の腰に手を回して顔を真っ赤にしていた。エミリアが羨ましそうに見ている中、百狼は立ち上がって俺の指示を待っていた。

「さあ行くか。それより、お前の名前がまだだったな」

 背中を優しく撫でてやると、気持ちよさそうに鳴いて俺に顔を向けてきた。その瞳を覗き込んでいる内に名前は決まり、俺は手綱を握りしめて、相棒の新たな名を呼んだ。

「お前の名前は……ホクトだ。行くぞ、ホクト!」

 ホクトは大きく遠吠えをし、足に力を込めて高く跳躍した。
 一瞬にして森の上空まで飛び上がり、樹の天辺を蹴って飛ぶように前へ進んで行く。

「わ、わわわわっ!? す、凄いです!」
「凄いぞホクト!」

 これだけ速く、そして高く飛べば俺達への衝撃が相当なものだと思うが、ほとんど俺とリースに衝撃がこない。おそらくこれもホクトの技術なのだろう。しばらく見ない内に、本当にこいつは成長したものだ。この速度ならすぐに村へと到着するだろう。
 僅かな時間であるが、俺とリースはホクトの背に乗って空の旅を楽しむのだった。







 ――― レウス ―――


 兄貴達を見送った俺と姉ちゃんは、急いで作業の続きに入った。
 兄貴が掘った穴に魔物の死骸を放り込み、俺の火魔法で火葬してから埋める流れだ。穴を埋めるには、兄貴が描いた魔法陣に魔力を流せばいいらしい。相変わらず兄貴の作る物は凄いな。
 それに、あの百狼様を仲間にするなんて本当に凄い。まあ兄貴なら当然だなと思いつつ作業を続けていると、姉ちゃんが空を見上げながら呟いていた。

「百狼様……いえ、ホクト様……泣いていたわね」
「うん、それだけ嬉しかったんだな」
「当然よ。シリウス様に再び会えたんだから」

 ホクト様が最後に吼えていた内容がちょっとわからなかったけど、あれはきっと心の底からの叫びだったんだろうなぁ。

 感謝します。新たなる生を、再びご主人様と共に歩める事を……だってさ。





というわけで、新たなる登場人物ペット、ホクト登場です。
鳴き声を文字にするのは苦手なので、私の作品は必要な部分しか入れないようにしています、ご了承ください。
ちなみに彼は丁寧で有能な執事のような口調です。

というわけでおまけ。

もしホクトが上下関係に厳しい体育関係な性格だったら?

「ワン!(おう、お前! 俺が黒と言ったら黒だからな? だけど、ご主人様が白と言ったら白だぞ? わかったか小僧!)
「ひぃぃ! はい!」


もしホクトが女だったら?

「どうしたエミリア? そろそろ腕から離れてくれ」
「駄目です! ここは私の位置ですから、百狼様でも絶対に譲りませんから!」
 ペットのポジは守るんです!


ちょっとネタバレですが、気にされる方がいそうなので先に潰しておきます。
知りたくなかったと思ったなら、申し訳ありません。

転生者は、主人公とホクト以外に出す予定はありません。

※11月24日 百狼の名前をレオンからホクトに変えました。
 色々と感想がありますが、うっかりレウスと名前を間違えましたし、これからもありそうなので。
Q じゃあ何故こんな名前にしたのか?
A 私がペットを飼ったら、そう名づけようと思っていたという、簡単な理由ですw 
 そして、作者はネコ派で(犬も嫌いじゃないですが)、作者名もネコが付くのに、犬ばかり出るお話を書くという。

+注意+
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