王族として
リースを抱えたまま湖の上空を飛び続け、俺達は何事も無く岸に辿り着いた。
すでに肉眼でリーフェル姫が居ると思われる療養所が見えており、その少し手前に広場があったのでそこに降り立つ。
城から大分離れ、『サーチ』で調べたところ追っ手も来ていないようなので安心なのだが、肝心である彼女の様子がおかしい。俺が先ほどまで付けていた偽装用仮面を取ってから、こちらの顔を眺めたまま視線を外そうとしないのだ。
「着いたぞリース」
「…………」
声を掛けてみるが反応が無い。俺から取った仮面を大事そうに抱え、頬を真っ赤に染めて熱を持ち潤んだ瞳を向けたままである。
もしかして疲れが出たのか? 『スキャン』で調べてみるが、心拍が速くちょっとだけ体温が高いくらいだが、他に目立つ異常は見当たらない。
「どうしたリース。俺の顔に何か付いているのか?」
「ふえっ!? な、なななんでもないです!」
「急に空を飛んだから怖がらせてしまったようだな。もう地上だから安心だぞ」
「怖いだなんてそんな! 凄く幸せで、このままずっと続けば良いなんて思ってないでしゅ!」
正気を取り戻したかと思えば、慌てて噛んでしまう程に彼女は混乱していた。あたふたと視線が動き回るが、結局は俺の顔で止まって先ほどと同じ目を向けたまま固まる。
この熱を持った視線、どこかで見たな。確か昔、エミリアと仲良くなる切っ掛けとなった次の日に、エミリアが俺にタオルを差し出しながら向けてきた視線と一緒だ。
「そろそろ降ろそうと思うんだが、降ろして大丈夫か?」
「も、もう少しだけこのままで! 昨日あまり寝てなくて疲れてて……その……」
いつもの彼女なら俺に遠慮してすぐ降りそうだが、言い訳も乏しいのに抱かれたまま降りようとしない。エミリアとそっくりの反応だ。
という事は……だ。
「リース、もしかして君はー……」
「リース!」
「リース様!」
問い質そうとしたその時、療養所の方からリースを呼ぶ声が響いた。視線を向ければ、療養所から出てきたリーフェル姫とセニアが走ってくるので、俺は一旦思考を保留して彼女を強引に降ろした。
少し残念そうな表情をしたが、降ろされたリースは向かってくるリーフェル姫に向かって走り、姉妹による感動の再会に……。
「この……バカ妹っ!」
――ならなかった。
直前でリーフェル姫のチョップがリースの脳天に決まり、感動の空気が一瞬にして霧散した。呆然と見つめるリースの頬に両手をそえ、顔を覗き込みながら捲くし立てた。
「何で嫌だとはっきり言わないの! 何で私に相談しないの! 誰が私の身代わりになりなさいと言ったの! 前々からバカだと思ってたけど、今回は見過ごせない程のおバカっぷりを見せたわね!」
「姉様……でも私は!」
「私の為だとか言って逃げちゃ駄目よ! 今回は貴方がはっきりしないのが悪いんだから」
「ごめん……なさい」
「まったくもう。でも……無事で良かったわ」
そこでようやくリーフェル姫は妹を抱きしめた。その瞬間リースの表情が崩れ、姉の胸に顔を埋めて体を震わしていた。しばらくその状態が続いたが、リーフェル姫は確認すべき事を思い出したのか、リースを胸元から引き剥がした。
「ちゃんと口付けは守ったかしら? 貴方はまだ綺麗なままよね?」
「それは……はい。シリウスさんの御蔭で私は何もされていません」
そう言ったリースと視線が合うと、途端に彼女は顔を真っ赤にするが俺から視線を外そうとしなかった。そんな妹の様子を見たリーフェル姫は口元をにんまりと歪ませて笑い、俺を手招きしてきたのである。
「ちょっといい? シリウス君はこの子を攫う以外に何かしたのかしら?」
「彼女を運んだ以外何もしていませんよ」
「女の子をこんなに夢中にさせておいて何もしてないと言えるわけないでしょう。ちゃんと責任取ってもらわないとね」
俺は平民で彼女は一応王族なんだが、どうして俺とリースを結ばせたがるのだろうか? 面白いからか、妹の恋を応援する為か、俺を取り入れる為の布石かもしれないし、全部含めてかもしれない。
だが彼女の様子がおかしいのは、間違いなく俺のせいだと思う。
嫌だった儀式から颯爽と現れて攫い、お姫様抱っこで夜の空を疾走してきた状況はまるで物語に出てくる王子様みたいに見えただろう。
師匠として好かれるならとにかく、エミリアに続きリースもまた俺を一人の男として好きになってしまったのだろうか? 告白はされてないが、姉に煽られていつか本当にしてきそうだ。
とはいえ、エミリアが告白してきた時は動揺してしまったが、今はもう答えは出ているので俺の返事は決まっていた。
「彼女が本気で望むのであれば、責任を取るつもりはあります」
「あら?」
「ふぇ!?」
まさかそう返すと思わなかったのだろう。リーフェル姫は口を開けて固まり、リースは奇妙な呻き声をあげて呆然としていた。
「ですがそれは将来の話ですから一先ず置いておきませんか? 今はまだ城での騒ぎが治まっていないですし」
「……そうね、確かにシリウス君の言う通りね。まだ現状が解決していない以上、その話は置いておきましょう」
流石に状況が状況なのでリーフェル姫も真面目な顔になってくれた。固まったままのリースをセニアに渡し、彼女は周囲を見渡している。
「ところでシリウス君一人なのね。流石に従者を連れてくる余裕は無かったのかしら?」
「二人は走ってこちらに向かっておりますので、もう少しすればやってきますよ。それで依頼はこれで完了でしょうか?」
「ええ、完璧よ。こんな無茶な依頼を受けてくれて、そしてリースを攫ってきてくれて本当に感謝しているわ」
「断らないと計算した上で依頼したのでは?」
「過ぎた事を気にしちゃ駄目よ。とにかく私が依頼した以上、城からの処罰から絶対貴方達を守ってみせるわ」
彼女は手を握って高らかに宣言した。なるほど、この根拠も無いのに信じさせる気迫は女王候補としてのカリスマを感じさせた。
「言われた通りリースを連れて来ましたが、ここは安全と言っていいのでしょうか?」
「ここに居るのは私達と数人の従者だけ。少ないけど私が選んだ人達だから信頼出来るし、今の城に居るよりかは安全ね」
別に命を狙われるわけじゃないが、政治の道具として見られる城に比べたら遥かにましだろう。
「食料を含めた様々な物資を大量に備蓄してあるし、追っ手が来たとしても守りやすい土地なのよ。だから多少の篭城も可能だし、いざという時の抜け道だってあるわ」
「それに私達は主を守る為に鍛えておりますので、城の兵士が数人来たところで問題なく対処できます」
「近衛の私だって居る。私がいる限り姫様には指一本触れさせん」
控えていたセニアと、いつの間にやら現れていたメルトがリーフェル姫の言葉を後押しした。
「少なくとも今日、明日は安全だと思うわ。城に部下を送っているから、明日の朝には何が起こったか報告しにくる予定よ」
「わかりました。それでは弟子と合流後に、私達は学校の寮に帰ー……」
「待って!」
学校の寮に帰ると言い終わる前にリースが大声を出していた。だが、自分でも何故そんな行動を取ったのかわからないようで、相変わらず恥ずかしそうに俯いていた。その光景に目を細めてほくそ笑む姉はリースの肩に手を置いた。
「そんなに大声を出してどうしたのかしら? もっとはっきり言いなさいな」
「あの、今日はシリウスさん……じゃなくて、皆が傍に居てほしいなぁ……って」
「つまり帰ってほしくないのか?」
控えめだが彼女は確かに頷いた。続いてリーフェル姫の顔を見るが、彼女は全て悟った表情で片目を瞑った。
「客間が空いているから三人くらいは大丈夫よ。私も貴方達を労いたいから泊まっていってくれないかしら?」
「……わかりました。お言葉に甘えます」
姉弟に相談せず決めたが、聞くまでもなく賛成するだろう。
学校の寮には就寝前の点呼等は存在しないので、ルームメイトに口裏さえ合わせてもらえば幾らでも偽装出来るのだ。
エミリアのルームメイトは目の前だし、レウスのルームメイト(舎弟)は絶対服従。そして俺はダイア荘で一人暮らしだから偽装工作は万全だ。ここに泊まっても問題は無いだろう。
俺の言葉にリースは目を輝かせ、セニアに抱きつきながら喜びを表していた。これがエミリアなら、凄い勢いで尻尾を振り回しているだろうな。
「姫様、そろそろ中に入りませんか? 体力が回復したとはいえ、まだ病み上がりですので」
「それもそうね。皆、中に入って休みましょう」
「すいません、私は外で二人を待とうかと思っています」
『サーチ』で姉弟の位置を確認したが、かなりハイペースでこちらに向かっているようだ。三十分もしない内にここへ到着するだろう。
「二人は俺の指示で走っているのです。中で寛いでいるより、師匠として外で出迎えてやりたいのですよ」
「わ、私も二人を出迎えたいです。エミリアとレウスが走っているのは私のせいですから」
「そう、なら私も付き合いましょうか。メルト、ここに机と椅子を持ってきてくれるかしら? セニアはお茶の用意ね。皆で月見でもしながら待ちましょう」
「仕方ありません。用意しますが、何か一枚羽織ってください」
「わかりました。ついでにこちらで食事もいかがでしょうか? 料理人の話ではそろそろ準備が整うそうです」
「悪くないわね。ここでちょっとした食事会でもしましょうか」
ただ待つだけの予定だったが、気づけば外で食事する事になってしまった。まあ、リースにとって嫌な儀式から逃げた直後だ。楽しい食事会でも開いて気分を盛り上げるのも悪くないだろう。
それから机と人数分の椅子が用意される間にリースがウエディングドレスから私服に着替え、俺達はお茶を飲みつつ姉弟の到着を待った。
セニアとメルトはリースを挟んで無事で良かったと喜びつつ談笑し、リーフェル姫が俺に男の責任について語っているのを受け流していると、二人が近くまで来たのを気配で捉えた。
続いてセニアとメルトが反応し、視線が二人のいる方角へ向けられた。セニアの耳がぴくぴくと反応しているのが実に兎らしい。
「聞こえる音からして……二人? 追っ手にしては少人数ですね」
「それはエミリアとレウスですから大丈夫ですよ」
「だが妙に速くないか? とても森の中を進んでいる速度には思えないのだが」
「二人にとって森は障害物ではありませんから。ほら、もう来ましたよ」
俺が手を向けると、森から一際強い風と共にエミリアが飛び出してきた。流れるような銀髪が月光を反射して輝いており、我が弟子だというのにちょっと見惚れたのは秘密だ。
そのまま風を受けながら華麗に着地すると、彼女は俺に向かって微笑んだ。
「お待たせしましたシリウス様」
「ああ、ご苦労様」
頭を撫でてやると嬉しそうに目を閉じて尻尾を振り回している。少し汗を掻いているようだが、見たところ目立つ汚れも傷も無いようなので安心した。
そのエミリアから遅れて数秒後、今度はレウスが森の中から飛び出してきたが、俺達の姿を見るなり悔しそうな表情をしていた。
「畜生! 姉ちゃんやっぱり速い!」
「ふふふ……スピードではレウスに負けないわ。シリウス様に撫でられる権利は私のものよ」
お前ら、妙に速いと思ったら競争してたのかよ。それで勝った方が俺に撫でてもらうようだが、俺はそんな勝負知ったこっちゃない。レウスを手招きすれば尻尾を振りつつ寄ってくるので、頭を乱暴に撫でてやった。
「うひょーっ! やったぜ!」
「私が勝ったのに……」
「お前には後で尻尾を梳いてやるから」
「はい!」
姉弟を労ったところで、俺は姉弟をリーフェル姫とリースの前へ連れて行った。二人は冒険者の格好でお世辞にも綺麗とは言えないが、リースはエミリアとレウスを抱え込むように抱きしめた。
「ありがとう。本当にありがとう、二人とも」
「ちょっとリース。嬉しいけど服が汚れちゃうわ」
「リース姉、ちょっと苦しいぞ」
「いいの。二人に感謝を伝えるのが一番なんだから」
中々二人を解放しようとしないリースに、エミリアとレウスは苦笑しつつもされるがままにされていた。その背後から更にリーフェル姫が抱きつき、四人の男女がもみくちゃとなる混沌と化していた。
「私からも礼も言うわ。エミリア、レウス、ありがとう。貴方達の御蔭でリースは無事にここへ来れたわ」
「そんな事は。私達はシリウス様の言う事を聞いただけですよ」
「うん。だけど依頼しなくても俺達はリース姉の為に動いてたし」
照れくさそうに笑う姉弟の背後では着々と食事の準備が進められており、美味そうな匂いにレウスのお腹が鳴った。そういえば、夕御飯を食べる間もなくここまできているから腹が減っても仕方あるまい。エミリアもリースも釣られるように鳴り、お腹を押さえて顔を真っ赤にしていた。
「とりあえず食事にしましょうか。見たところ、皆お腹が空いているようだしね」
「私達までよろしいのでしょうか?」
「当たり前じゃない。リースと貴方達に用意した食事だから遠慮なく食べなさい。あ、城じゃないからマナーなんて気にしなくていいからね」
「やっほーいっ! 兄貴、食べてもいいか?」
「ああ、食べようか。俺もお腹空いたしな」
俺からの確認を取った姉弟は椅子に座って合掌し、色取り取りの料理に手を伸ばした。俺も続いて手を伸ばし、王族が食べる料理に舌鼓を打つ。やはり良い素材に良い腕で作られた料理は美味い。
「美味い! 美味いけど、兄貴の御飯の方が好きだな」
「そうね、やっぱり私達はシリウス様の料理が一番ね」
そういう事は思っても口にするものじゃありません。ほら、作った料理人が苦笑しているじゃないか。
「申し訳ありません。二人は私の料理をよく食べているので、おそらく慣れ親しんだ味が一番なのでしょう」
「私もシリウスさんの料理が一番ですよ」
「一応、これを作ったのはエリュシオンでも有名な料理人なんだけどねぇ。貴方達って本当に面白いわ」
等と恥ずかしい場面はあったが、ささやかな食事パーティーは和やかに終わった。
「兄貴、やっぱり王族ってのは凄いんだな!」
「そうだなぁ」
食事が終了し、客間に案内された後に俺達は風呂に入っていた。療養所だけあって温泉が湧いていて、おまけにこの世界には贅沢な部類に入る男女別に作られていたのである。
ダイア荘では俺の趣味で作った一人用の大きさだから、十人は軽く入れる広さにレウスは軽く興奮しているようだ。
「姉ちゃん達の方も一緒なのかな?」
「一緒だと思うぞ。お前にそんな気持ちは無いと思うが、覗きに行くとか考えるんじゃないぞ」
そもそも上が吹き抜けではなく完全に壁で別けられているから覗くなんて不可能だけどな。俺の言葉にレウスは全力で首を横に振っていた。
「やるわけないって兄貴。もしやったら姉ちゃんに殺されるよ!」
「確かに殺されそうだな。俺も桶ぐらいは投げられそうだ」
「兄貴ならむしろ一緒に入ろうって誘われそうだぞ。リース姉も……たぶん」
「たぶんって何だ?」
「だってここに来てからリース姉が変わった気がするんだ。前からちょっと出てたけど、姉ちゃんとノエル姉が出していたピンク色の感覚がリース姉から凄く感じるんだよなぁ」
相変わらず天然な癖に鋭い奴だ。
リースを受け入れると聞いたら、エミリアはどうするつもりなのだろうか? 一緒に旅がしたいと言ったし、リースと一緒に居る事に関して賛成しているようだから仲が悪くならないと思うんだが。
しかし女の嫉妬は怖い。前世で女癖の悪い同僚が、痴情の縺れで包丁で腹を刺されていた。ちなみに同僚は腹に雑誌を仕込んでいたので無事だったが、あまりにも同僚が悪かったので本気で刺されろと当時は思った。
今頃女湯ではエミリアとリースが話をしているだろうが、修羅場になってたら嫌だな。風呂から出たら一度話し合った方がいいだろう。
「まあ、これからも変わらなきゃいいんだがな」
「だよな。姉ちゃんもリース姉も俺も兄貴が好きなんだから問題無いよな! よーし、体洗おうぜ兄貴。俺が背中流すよ」
「おう、頼んだ」
浴槽から上がり、俺はレウスと背中を流し合う。拾った時は今にも折れそうな腕や足だったが、今では鍛え抜かれた筋肉が盛り上がって立派なものである。心はともかく体は本当に成長したものだと、師匠として、そして親代わりとして嬉しく思う。
ほぼ同い年だが、こうやって背中を流してもらうと前世の弟子達を思い出すな。あいつらにもこうやって背中を流してもらったが、その後も立派にやっているかねぇ。
少ししんみりしながらもお互いを洗い終わり、再び浴槽に入ろうとすると、扉が開いて誰かが入ってきたのである。
「失礼する」
エミリアが突撃してきたかと思ったが(実際あった)、入ってきたのはリーフェル姫の近衛であるメルトだった。
仕事上仕方がないだろうが、俺達はメルトに初対面で失礼な事を言われたからな。こうやってリーフェル姫抜きで対面すると、妙な緊張感が俺達の間に流れていた。
「どうした。私に気にせず入るといい」
「そうですね」
とりあえず風呂に浸かると、メルトは多少距離を置いて浸かった。体を洗って入らないかと思ったが、俺の家でもないこちらのルールに突っ込むのもなんなので放置する。
しばらく沈黙が続き、ただ風呂に浸かる時間だけが過ぎていく。隣に居るレウスは警戒をしながらもメルトを観察し続けていたが、彼の好奇心によって沈黙は破られたのである。
「えーと、メルト……さん?」
「……何だ?」
「メルトさんは、獣人が嫌いなの……ですか?」
「そうだな、確かにお前達の前で私は失礼な事ばかり言ってしまったから、そう思われても仕方ないな」
メルトはこちらに顔を向けると、いつもの固い表情を崩して苦笑していた。何だ、ちゃんとそういう表情も出来るんだな。
「私はただ姫様を守る為に存在する男だ。言い訳に過ぎないが、その姫様が妙な病気にかかり、あの頃の私は焦って全てが敵に見えていたのだよ。お前達を初めてみた時は、新たな病原を持ち込もうとした敵にしか見えず、とにかく追い返す事だけを考えていた」
「わかるぜ。俺も兄貴が何かあったら、近寄る奴を追い払いそうだ……です」
「普段の口調で良い。今の私は近衛ではなくただのメルトだからな。今更言い訳だけ言うのも大人としてどうかと思うし、お前達には姫様どころかフェアリース様まで救っていただいた。一人の男としてお前達に伝えておきたい事がある」
そしてメルトは俺達に頭を下げた。自分より年下の俺達に頭を下げたのだ。
「……すまなかった。そして、ありがとう」
裸の付き合い……なのかどうかはわからないが、この日俺達は近衛のメルトと少しだけ仲良くなったのだった。
次の日、俺は奇妙な感覚で目を覚ました。
その感覚に引かれ左右を見回せば、俺の右に銀色が、そして左に青色の塊が見えるのである。
「おはようございます、シリウス様」
「お……おはようございます」
というか、エミリアとリースだった。どう見ても二人はネグリジェのような服装で、今さっきまで寝てましたという感じである。そして足元には……。
「あにゅきぃ……」
レウスが寝ていた。客間なのにキングサイズのベッドで、子供の俺達四人でも寝れる大きさなのはいいんだが、何故こんな状況になっているのだろうか?
「……おはよう。そして説明を頼む」
「シリウス様の隣が一番だからです」
「わ、私は……姉様に行けって言われて……」
「くぴー……」
寝ていただけで何もしていないのは確かなのだが、昨日は風呂から上がってから何をしたっけな?
確か風呂から上がった俺は客間のベッドに寝転がった。隣にもう一つベッドがあるので、そこにエミリアが寝る予定だった筈だ。
そして俺は二人と話をする為に待っていたのだが、風呂から中々上がってこないのでいつの間にか眠ってしまったようだ。前日に碌に寝てなかったせいだと思うが、こいつらを警戒していないとはいえここまで接近されて気づかないとは、ちょっと情け無い話である。
つまり寝入っている俺を見た二人は、先ほどの言葉通り俺の隣で寝たというわけだ。レウスは……仲間外れが嫌だったといったところか?
待てよ? 俺を挟んでも同じベッドに居るって事は二人の仲は良好なのか?
「お前達……仲が良いな」
「はい! 私はシリウス様とリースが大好きですから」
「私もエミリアと、し……シリウスさんが大好きですので」
良好どころか更に仲が深まっているようだ。
これはあれか? 一夫多妻が普通にある世界だからこそなのだろうか? そう考えると前世の基準で考える俺がおかしいのかもしれない。
まあ……弟子なのは変わらないし、今は年齢を考えて結婚だとかは速すぎる。それに将来はどうなるかわからないし、今は師匠として隣で見守っていればいいだろう。
そもそも二人も養えない甲斐性無しになるつもりはない。男として一人や二人ー……あれ? よくよく考えたら二人じゃなくて、俺に予約を入れたエルフが居たような……。
「シリウス様? まだ眠たいのですか?」
「……いや、何でもない。そろそろ起きるよ」
考えるのは止めよう。フィアには再会してから決めれば良いと思ってたじゃないか。先送りな気もするが、もしかして俺より良い男を見つけてる可能性もあるだろうし。
「ケーキ!? ……あれ? 兄貴、俺のケーキはどこへ行ったの?」
マイペースなお前が心底羨ましい。
それから全員起きて、食堂で朝食を食べている時だった。
慌しくメイドの一人が入ってきて、リーフェル姫に耳打ちをしている。その光景はリースが城に連れさられた状況と全く同じであった。
リースに関連する事に違いないので今度は遠慮なく盗み聞きしたが、内容に驚きつつも俺は確信を得たのであった。
「そう……従者を含めて二人だけ? とにかく話をしてみましょうか。貴方達は隠れている者がいないか捜索しつつ警戒態勢ね」
メイド達に指示を飛ばしたリーフェル姫は立ち上がり、真剣な表情で俺達に視線を向けつつ言った。
「城の様子を見に行った者が帰ってきたのだけど、何故か父さんも来たそうよ」
「父様が!?」
「そうよ。だけど連れているのは従者一人だけで、護身用の武器以外何も持ってないそうよ。戦いに来たように見えないけど、念の為貴方達はここに居なさい」
「姉様! それなら私も一緒に……」
「気持ちは嬉しいけど、まずは私から話してみるわ。シリウス君、何かあったらリースを連れて逃げなさい」
「わかりました。何も無いと思いますが、リースは必ず」
「お願いね」
笑いながらそう言い、セニアとメルトを引き連れて彼女は食堂を出て行った。残された俺達は食後のお茶を飲みながら待機しているが、やはり心配なのかそわそわと落ち着きが無いリースに、エミリアは近づいて手を握っていた。
「大丈夫よリース。きっと貴方のお姉さんがお父さんを説得してくれるわ」
「うん、姉様は信じているの。だけど父様が直々に来るなんて、一体何があったのか不安で……」
「落ち着きなさいリース」
そう、追跡者ではなく父親がここに直接来ている時点で疑問は確信へと変わったのだ。俺の考えが確かなら、王様はリーフェル姫どころかリースにも危害を加えるつもりは無いだろう。
「考えてみろ。もし本当に君を捕まえるならたった二人で来るはずがない。おそらく会話しに来ただけだと思う」
「父様が会話なんて。私に必要な事しか話さない御方なんですよ?」
「あくまで俺の予想だがな。そろそろ何かしら動きがー……」
「ふざけるんじゃないわよ!」
おそらく二つ隣の応接室で顔を合わせているのだろうが、リーフェル姫の怒声が食堂まで響いた。反射的に『サーチ』をしてみるが、戦闘している様子はない。
「今のリーフェ姉の声……だよね?」
「ただ事ではありませんね。シリウス様、どうされますか?」
「待機でいいよ。争っている状況じゃないしな」
「姉様……一体どうしたの?」
リースと姉弟は屋敷中に響き渡る声に動揺していると、食堂の扉が開きセニアさんがやってきた。表情を見るに焦っている様子は無いが、若干怒気を纏っているようだ。
「セニア! 姉様の声は一体何なの?」
「それについては行けばわかりましょう。リース様、皆様、リーフェル様が応接間にお越しくださいとの事です」
「俺達も?」
「はい。皆様に聞いて頂きたい事がありますので。王様がいらっしゃいますが、今は特別ですので多少の無礼は許すそうですよ」
「行きましょうリース。私達もついているから、父さんにガツンと言ってやりましょう!」
「……うん。ありがとう」
覚悟を決めたリースを連れ、俺達はセニアに先導されて応接間の扉前にやってきた。セニアがノックをすると中からリーフェル姫の入室許可が出たので入室する。
そして俺達はついに王様……リースの父親であるカーディアスと初対面した。
「……来たか」
応接間にある二つのソファーの片方にその男、カーディアスは座っていた。
燃えるような短く刈り揃えた赤髪に、猛禽類を思わせる鋭い視線。エリュシオンで噂される通り有能そうで、座っているだけで覇気を感じ、何も知らない者でも思わず跪きそうな迫力がある。
王と言う立場に堕落しておらず、俺の第一印象としては抜き身の刃を思わせた。リースが萎縮するのもわかる気がする。
だが……。
「お前達がフェアリースの友達か?」
俺達に顔を向けた時、王様の右頬に残った綺麗なビンタの跡が全てを台無しにしていた。怒声と共に僅かに聞こえた音はそれかよ。
「何を今更格好つけているの? とりあえず貴方達は私の横に座ってちょうだい」
微妙な空気の中、俺達はリーフェル姫の横に並んで座らせられた。エミリアとレウスに至っては、ビンタの跡を見て笑いを堪えるのに必死なようだ。お前ら、一応王様だから声に出して笑うなんて勘弁してくれよ。
「貴方達を呼んだのは、今回の婚前儀式の真相を教える為よ。先に言っておくと、昨日行った儀式は全部……嘘らしいわ」
「……姉様、もう一度お願いします」
「偽の儀式って事よ。正確に言うなら、悪い素行が目立つ貴族を集める罠だったと言えばいいかしら?」
やはりそうだったか。
昨日の儀式で見た連中は、全体的に羽振りが良い者やら、素行が悪そうな貴族ばかりだった。大切な儀式なら学校長のロードヴェルくらい呼びそうなのに、彼の姿が無かったのもポイントだろう。
思えば城で兵士達の対応も異常に早かった。霧から逃げようとする貴族を会場から逃さなかったのも、一人も残さず捕まえる為だったんだな。悪い奴を蜜で誘って集め一斉検挙する。前世でも見た警察の様な手腕である。多用は出来ないが、奥に染み込んだ膿を吐き出すには有効なわけだ。
問題は周囲への補償と、目の前の遺恨だな。
「理解したかしら? この人は私どころかリースにさえ内緒にして囮にしたのよ! 女の子の結婚を何だと思っているの!」
「お前に言ったら絶対止めるだろう?」
「当たり前よ! 可愛い妹を矢面に出すなんて、知ったら絶対止めてやったわ!」
「だから言わなかったのだ! アホ共を纏めて捕まえる為に、どれだけ準備と手間をかけたと思っている!」
リーフェル姫が病気で中止になっても、わざわざ隠しているリースを出して儀式を強行したのも、選別した奴らを捕縛する準備を無駄にしたくなかったわけだ。この王様、大胆不敵な上に計算高い人だと思う。
だがそんな理由じゃリーフェル姫は止まらない。
「そんなの知らないわよ! 私は治ったんだから、私を出せばよかったでしょうが!」
「病み上がりのお前を出せるわけあるか! 私としては苦渋の選択だったのだぞ!」
「だったらもっと女の子を産みなさい! のほほんとした兄に、本の虫の兄に、迫力が無い弟! 男ばっかりで私がどれだけ苦労したと思うのよ! そんな中でようやく現れた妹よ? 可愛くて仕方ないのよ!」
「狙って産まれるわけないだろうが!」
……話が脱線し始めている気がする。
リースから聞いていた王様は、冷徹で必要な事しか喋らない人だった筈だ。だが目の前で言い争っているのは、覇気が無駄に溢れる父親に過ぎなかった。
そのあまりの違いに一番驚いているのは他ならぬリースであろう。目を見開いたまま固まっていた。
「あの……もう少し冷静になりませんか?」
「ん……そうね。少し羽目を外し過ぎたわ」
「私もだ。久方ぶりに熱くなってしまったな」
あれが久しぶりに行うやりとりなのだろうか? セニアとメルト、そして王様の背後に控えている従者も冷静そのもので、どう見ても日常茶飯事にしか見えなかったのだが。
「それで、私達が呼ばれた理由はそれだけですか?」
「もちろん他にもあるわ。私が依頼してリースを攫った件よ」
「そこから私が引き継ごう。お前達はリーフェに依頼されたとはいえ、儀式を妨害したのは間違いない。普通なら何かしらの処罰を下すのだが、今回の儀式は偽装なので無かった事にする」
つまり偽装なので攫った事は無かった事にしてしまえと。いくら王とはいえ無理矢理過ぎないか?
「思い切った事をしますね。今頃色んな方面から苦情が来ているのでは?」
「お前の言う通り苦情は山ほど来ているぞ。今は影武者に全て任せているがな」
「いくら膿を吐き出す為だからって、今回はやり過ぎじゃないかしら?」
「お前に魔石を埋め込んだ連中も多少関わっていたのだ。これくらいやらねば清算出来ないし、それに派手にやっておけば次期継承者であるお前も動きやすかろう?」
膿を吐き出すだけでなく娘の復讐も兼ねており、更に派手に行う事により周囲の部下達に前例を作っておきたかったのだろう。一度体験させれば、リーフェル姫が王を継いだ後でも派手な政策を行いやすいわけだ。程度にもよるだろうが、その辺りの調整はしっかり見極められる人だから心配あるまい。
「下手な事をすればこうなるという見せしめでもあるから、今回の儀式の結果は大々的に発表するつもりである。お前達の行動は秘密にしたままでな」
「王権発動ね」
「何とでも言うがいい。娘を助けた者を処罰するくらいなら、王の特権くらい幾らでも使って変えてやる」
何だろう、とてもリースに冷たい目を向ける人に見えないぞ? 俺からすれば、身内に甘いおっさんにしか見えてこないんだが。
「なあ兄貴。俺達、無駄な事をしちゃってたのかな?」
「そんな事は無いさ。少なくともリースを安心させられたし、精神的に成長したと思う」
「シリウスさんの言う通りよ。成長したかはわからないけど、会場に皆が来てくれて本当に嬉しかった」
父親のギャップに呆然としていたリースだが、今は正気を取り戻して俺達に笑顔を向けてくれた。そんなリースが横を向いた瞬間、王様が穏やかに彼女を眺めているのに気づいた。リースに冷たい態度が目立つようだが、彼女を嫌っているわけじゃなさそうだな。
そう思っていると隣に座っていたリーフェル姫は前へ乗り出し、真面目な顔で口を開いた。
「今回の件、父さんの言いたい事はわかるし、私の為だってのもわかった。だけど納得できない部分が一つあるわ。リースの事よ」
リースの話になると王様の顔が曇り、苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見ていた。先ほどまで親しみやすそうな人だったのに、この豹変振りは一体?
「最初はリースを王族から離れさせる為にわざと嫌っていると思ったわ。だけど私からリースの様子をよく聞くのに、儀式の囮として利用する始末。いつもは他の人が多くて聞かなかったけど、今ならはっきり聞けるわ。父さん、リースの事をどう思っているの?」
「…………」
「好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきり言いなさい! 中途半端が一番この子を傷つけているのがわからないの?」
「姉様、父様が困っています。私の事はもういいですから」
「いいえ、ここではっきりさせなくちゃ駄目よ。リースをどう思っているのかはっきり答えなさい!」
身内の話だから俺達は消えようと思ったが、リースは俺の袖を握って震えているのがわかった。退室しろと言われないし、とことん付き合ってやるとしますかね。
ソファーの前にある机を叩きながらリーフェル姫が言い放つと、王様はリースに視線を向けて苦笑していた。
「どう思っている……か。実は私もわからないのだよ」
「父様。私は……ここに来なかった方が良かったのですか?」
「違うのだフェアリース。お前は何一つ悪くないのだ。悪いのはお前の母、ローラに負い目を感じている私なのだよ」
用意された紅茶で口を湿らせ、窓越しに空を眺める姿は哀愁を帯びていた。今から話すのは王様としてではなく、カーディアスという一人の男で話したいのだろう。
「……きっとローラは、私を恨んでいるのだろうな」
カーディアスは悲しそうに呟いた。
今回でこの章を終わらす予定でしたが、まだ続きます。
王族ってのはややこしいので、無駄に字数が増える上に、書きたい事を書いてたりしてるので、中々先に進まないですね(苦笑
次回の更新も三日、四日後になります。
活動報告もあげます。
初期はリーフェル姫は兄が三人の設定でしたが、9月14日に兄二人、弟一人に変更しました。
前回浮かんだ小ネタ
リースが混乱する会場で、ウエディングケーキに魔法をぶつけ破壊したその頃……。
「はっ!? 今、何か大事な物が壊れた気がします!」
「私もです、学校長!」
残業していた学校長と部下は第六感を発動させていた。