カレンの生態
十九章……開始です。
これを投稿した前日に番外編を投稿していますので、見ていない方はどうぞ。
カレンに無属性魔法を見せた次の日。
日が落ち始める前に馬車を停めた俺たちは、手分けして野営の準備を行っていた。
馬車に残って焚き木や食事の準備をする組と、森で食材調達組に別れて作業をしていたが、俺とカレンだけは馬車から少し離れた場所で魔法の訓練を行っていた。
すでに寝床の支度が終わったエミリアとリースに見守られながらカレンの訓練は続き、魔力の扱い方が一段落したところで遂に魔法を発動させる時が来たのである。
「ん……」
「いいぞ。その集中した状態のまま、魔力をゆっくりと動かして掌に集めるんだ。昨日のような辛い状況になったらすぐに止める事を忘れずにな」
「……こう?」
「よし。後は手を相手に向けてから、魔法名を唱えると同時に魔力を放つんだ」
「……『インパクト』」
そしてカレンの掌から放たれた不可視の魔力弾は近くの岩に直撃し、岩の表層を少し砕いていた。
俺の『インパクト』なら中心に大きな穴を開けるだろうが、今のカレンではここが限界のようだな。
理由はまだ魔力の集束が甘いせいだが、これでも十分に凄い事だ。
親から魔力の扱いを教わっていたとはいえ、俺の魔法理論を教えてからたった一日で魔法を発動出来るようになっているのだから。
魔法が得意と言われる種族なのもあるかもしれないが、やはり本人の努力ゆえだろう。
町で買ってあげた本を一心不乱に読んでいたように、カレンの集中力は非常に高い。
集中すると他に目が向かない短所でもあるが、その集中力をもって教えた事を驚異的な速度で吸収していくのだ。姉弟も相当だが、カレンはそれ以上だと思う。
そのせいで何度も魔力枯渇を起こして辛そうにしていたが、己の限界を知る為に、そして強くなる為に必要な経験だと思っているので俺は積極的には止めなかった。さすがに本気で倒れそうになれば止めたが。
こうして魔法に成功したカレンは、口元を綻ばせながら俺へ顔を向けてきた。
「……出来た!」
「ああ、よく頑張ったな。これなら魔物相手でも十分効果はあるだろう」
少なくとも世間一般で使われる『インパクト』より数倍は上だし、大きい魔物でも弱点を的確に狙えば怯ませるくらいは出来るだろう。
膨大な魔力を消耗する割に威力は皆無……それが『インパクト』の常識であり、誰も使いたがらない理由だ。
しかしカレンはその常識に囚われず、俺の言葉を信じて僅か一日でここまで来たのだ。つまりそれだけカレンが純粋という事である。
「体内の魔力操作が上手くなれば、もっと強いのが放てるようになる。焦る事はないから、何度も繰り返して覚えていくんだぞ」
「……頑張る!」
嬉しそうに翼をパタパタと動かしているカレンだが、魔力枯渇が近いのか少しだけ顔色が悪い。
食料調達に向かわせた組もそろそろ帰って来るだろうし、夕食の支度もあるから今日はこの辺りで止めるとしよう。
「だけど今日はここまでだ。朝から何度も集中していたから疲れただろう?」
「そうだけど……もう一回やりたい。早くおにいさんみたいにカレンも使えるようになりたいの」
すでに魔力枯渇の辛さを知っている筈なのに、それでも努力を惜しまない姿勢は実に素晴らしい。
本当はもう休ませるべきだろうが……。
「……仕方がない、もう一回だけだぞ。ところで何か聞きたい事はあるか?」
「ある。カレンとおにいさんの魔法は何が違うの?」
「それならもう一回魔法を見せてあげよう。自分で気付くのも大切だからな」
「うん」
昨日は普通に魔法を放ったが、今度はゆっくりと発動させてカレンが観察しやすいように放つとしよう。
現在では呼吸するように『インパクト』を発動させているが、じっくり発動させるとなると魔力の集中する時間が増えて逆に面倒だったりする。
だが驚異的な集中力を持つカレンなら、観察して何かに気付いてくれる可能性が高いのでやる価値はあるだろう。
「どうだ、徐々に魔力が右手に集まっているのがわかるか? それと魔力を集めるのが難しいならー……」
「…………」
俺の説明を聞きながらも、カレンは俺の一挙一動見逃さないように観察している。
色々とマイペースな部分が目立つカレンだが、純粋で、努力家で、なによりも知識に関して非常に貪欲なので、実に教え甲斐のある女の子だと思う。
そんなカレンの助けになればと、俺はいつもより集中しながら『インパクト』を放ちー……。
「ただいま。色々採ってきたわよ」
「見てくれよ兄貴! 美味そうなのが採れてー……ん? どうしたんだカレン?」
「……蜂蜜」
……前言撤回するべきだろうか?
放たれた『インパクト』が目標にした岩を粉々に砕く中、俺はそう思っていた。
なにせ先程まで真剣な面持ちで観察していたカレンが、気づいたら狩りから戻ってきたレウスの前に立っていたのだから。
一連の光景を眺めていたエミリアとリースはどう対応するべきか迷っているので、採って来た物を降ろしていたフィアが首を傾げていた。
「様子が変だけど、何かあったの?」
「いえ、何と言いますか……」
「凄く複雑な気分……なのかな?」
魔法なら後でまた見せれば済む話なのだが、この何とも言えない感情をどうしてくれよう?
そして二人から事情を聞いているフィアの横では、レウスが目の前にやってきたカレンと首を傾げながら語り合っていた。
「ったく、急に現れたからビックリしたぜ。それでどうしたんだ?」
「蜂蜜の匂いがしたから」
「お、よくわかったな。実は途中で巣を見つけてさ、全部は無理だったから一部分だけ採って来たんだよ」
「食べたい」
「うーん……けどもう少しで夕食だし、食べたいなら兄貴の許可を得てからだな」
カレンと出会ってまだ数日だが、俺たちに心を開き始めてから新しい面が次々と見つかっていく。
その内の一つがこれで、カレンは予想以上に蜂蜜がお気に入りのようなのだ。
蜂蜜自体に匂いなんてほとんどない筈なのに、見事に嗅ぎ分けて反応しているのが証拠だな。
そんなやりとりに思わず肩を竦めていると、二人の視線がこちらに向けられたので俺は溜息を吐きつつ頷いていた。
「……少しだけだぞ」
「おう! ちょっと待っていろよカレン」
「うん!」
そして必要な道具を取りに馬車へ戻るレウスの後を、カレンはまるで子犬のようについて歩いて行った。
もはやカレンの思考は完全に蜂蜜で埋め尽くされているらしく、魔法の事は完全に忘れているようだな。
まあ……元から今日はここまでだと決めていたし、カレンが楽しそうにしているのだから何も言うまい。
それから蜂蜜を選り分ける光景をじっと眺めるカレンに苦笑しながら、俺はフィアとレウスが採ってきた食材で夕食の支度を始めるのだった。
さて……気を取り直して夕食の準備を始めようとしたところで、俺はいきなり迷っていた。
メインはシチューと決めているのだが、馬車の冷蔵庫モドキにそろそろ傷み始める鳥肉が残っているからだ。
カレンと出会う前に防腐処置を施して仕舞っていた鳥肉なのだが、翼を持つ有翼人は鳥肉を食べないという可能性もあり、町での食事も含め今まで無意識に避けてきたのである。
シチューへ入れず、焼き鳥にして俺たちだけで食べるのもいいが、カレンの目の前で食べるのもな。
希少な魔物の肉なので捨てるのはさすがに勿体ないし、とりあえず一緒に準備を手伝ってくれているエミリアとリースに相談してみた。
「……というわけなんだが、どう思う?」
「そうですね。私は銀狼族ですが、狼の姿をした魔物の肉を食べる事に抵抗はありませんけど……」
「でも種族によって色々違うもんね。今のカレンなら詳しく答えてくれるんじゃないかな?」
「そうだな、リースの言う通りだ」
以前は俺を怖がっていたから聞けなかったが、今なら答えてくれるだろう。
一旦夕食の準備を中断し、蜂蜜を選り分けているレウスとフィアの下へ向かえば、そこではちょっとした流れ作業になっていた。
魔花蜂の巣は大きいので、ある程度の大きさに分割して採って来たようだが……。
「こっちは終わったぜ、フィア姉」
「ええ、それじゃあ最後はカレンね」
「ん……」
まずレウスが巣から蜂の子を取り、続いてフィアが蜂蜜を容器に移し、最後にカレンが渡された巣に残った蜂蜜を指で掬って舐めているのである。
そして嬉しそうにしているカレンを見て甘くなっているのだろう、二人の選り分け作業が少し大雑把というか……要するに蜂蜜を綺麗に採取せずにカレンへ渡しているのだ。カレンの足元に視線を向けてみれば、蜂蜜が綺麗に拭いとられた巣がすでに何個も転がっていたりする。
その光景を微妙な表情で眺めている俺に気づいた二人は、作業を中断して顔を上げた。
「どうしたの? 夕食に使うなら、そっちに分けているのを持って行っていいわよ」
「いや……少しカレンが食べ過ぎじゃないかと思ってな」
「そうかな? 巣に残っている蜂蜜はそこまで多くはないし、まだそんなには……」
「足元に転がっている巣の数を見てから言ってほしいものだが」
「「あ……」」
どうやら夢中で気づいていなかったらしい。カレンには失礼な言い方とは思うが、ペットに餌を与え過ぎるようなものだろう。
まあ気持ちはわからなくもないし、やってしまった以上は仕方があるまい。
持っているので最後だと告げれば残念そうにしていたが、十分に堪能したのかカレンは素直に頷いていた。
「……美味しかったか?」
「美味しかった!」
やれやれ、そんなにも満足気にされては何も言えないじゃないか。
内心で溜息を吐いていると、最後の巣から蜂蜜を舐め取っているカレンを眺めていたリースが何かに気づいたようだ。
「カレンちゃんは蜂の子も食べられるんだね」
「うん。これも美味しい」
「そうだね。ちょっと不思議な食感だけど、甘くて結構美味しいよね」
「リースお姉ちゃんも食べる?」
「くれるの? ありがとう」
蜂の子には栄養があるので食べる分には構わないのだが、カレンは小食なので夕食があまり食べられない気がしてきたな。これが姉弟とリースならその心配は皆無なのだが。
夕食の準備に一手間が増えたところで、俺は本題である質問をカレンにしてみた。
「一つ聞きたい事があるんだが、カレンは鳥肉を食べた事はあるのか?」
「……あんまり食べた事がないかも」
「つまり食べるのが禁止されているわけじゃない……と。今日の夕食に鳥肉を使おうと思うんだが大丈夫か?」
「大丈夫」
特に嫌いといった反応も見られないし、問題はなさそうなので俺たちは夕食の準備に戻るのだった。
それから夕食を食べ終えた俺たちは、見張りの順番を決めてから眠りについていた。
平等にという事で見張りの順番は毎回変えているのだが、今回の俺は最初から二番目である。
一番最初のフィアと見張りを交代した俺は焚き火の近くに座り、擦り寄って来るホクトのブラッシングをしたり、小さい『ライト』で明かりを確保しながら本を読んだりして時間を潰していた。
そして交代の時間が迫った頃、近くで毛布をかぶって寝ていたエミリアが目を覚まして体を起こしていた。
「ふぁ……お疲れ様ですシリウス様。すぐに準備を終えますので、少々お待ち下さい」
「ああ、ゆっくりで構わないよ」
野営とはいえ寝起きの状態で俺の前にいるわけにはいかないと、エミリアは素早く身嗜みを整えていく。
といっても寝ている時は上着を一枚脱いでいるだけなので、顔を洗って髪を櫛で軽く整えるくらいだ。だが女性にとっては大切な事なので、急かすつもりはない。
同時に眠りを妨げない紅茶を用意したエミリアが俺の横に座ったので、いつものように頭を撫でてやれば尻尾が嬉しそうに振られていた。
「相変わらず時間に正確だな」
「うふふ……シリウス様程ではありません」
交代の時間を計れる砂時計のような物を作ってあるのだが、エミリアはその数分前には必ず目覚めるのである。
自分が決めた時間にきっちり目覚める事が出来るのは、己の体を上手くコントロール出来ている証拠だ。
人にとって睡眠とは必要不可欠な存在でもあり、最も無防備になる状況なので、これを体に覚えさせる事が出来れば様々な場面で役に立つ。
しかし睡眠になると無意識な部分が多く、習得するのは至難の技であろうが、エミリアは俺を支える為にと長い年月をかけて身に付けたのだ。その一途さに応えられる男でいないとな。
「はぁ……堪能しました。やはりシリウス様に撫でていただくと目が覚めます」
「俺が言うのもなんだが、撫でられると気持ちが良いんだよな? それだと逆に眠くなると思うんだが」
「シリウス様に撫でられると心が落ち着きますが、それ以上に嬉しくて興奮もしますので」
「……わけがわからん」
「とにかく撫でていただければ元気になるのです。私にとっては魔法の手ですね」
別に魔力を流しているわけではないので、気持ち的なものだろうな。
そのまましばらく頭を撫でていたが、ある気配を感じたところで止めた。
「もういいか?」
「はい。後はお任せ下さい」
そして俺はエミリアから離れ、毛布に包まって焚き火に背を向けるように寝転がる。
同時にホクトが俺の近くで寝転がり風避けになってくれる中、俺は目を閉じるだけで意識だけは保ったままにしていた。
しばらくすると焚き火の薪が爆ぜる音に紛れ、馬車からゆっくりとエミリアに近づく気配を捉えた。
「……どうしたのですか?」
「えっと……」
背を向けているので姿は見えないが、声と気配でカレンだというのはすぐに判明した。
エミリアの頭を撫でていた時に起きたようで、どうも俺が寝るのを待っていたらしい。
そして目覚めた理由だが……。
「お腹……空いたんですよね?」
「……うん」
予想通りである。
夕食はシチューだけでなく、パンや肉と野菜を炒めたものを用意したのだが、カレンはシチューを一杯食べただけで満腹になっていたのだ。
少し辛そうな表情もしていたが、出されたシチューはきっちり食べる点から母親の躾はしっかりしているようである。
説明するまでもないだろうが、原因は蜂蜜と蜂の子の食べ過ぎである。準備をしておいて正解だったな。
「シチューが残っていますけど、食べますか?」
「残っているの?」
カレンが首を傾げるのも当然だろう。
ハラペコ姉弟により、シチューが入っていた鍋が空になるのを見ていたからだ。
「こうなると思ってシリウス様が別に用意していたのです。すぐに温めますから待っていてくださいね」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ。フィアさんとレウスが調子に乗ってしまったのも原因ですし、それにお腹一杯でも残さないように頑張っていましたよね?」
「食べちゃったのは私だし、ご飯を残すのは駄目だから」
「カレンちゃんは本当に賢いですね。でも大丈夫ですよ。きちんと反省する気持ちがあれば、シリウス様も私たちも怒ったりしませんから」
エミリアの言う通り、自分が間食をし過ぎたと理解し反省出来ているなら十分だ。
それにカレンはまだ子供だし、夕食前の小腹が空いた時間に好物が目の前に出されては仕方がないだろうしな。
そこで二人の会話は途切れ、しばらくシチューを温め直す音だけが聞こえていたが、カレンがシチューを口にしたところで会話が再開された。
「美味しい」
「ふふ、朝になったらシリウス様にも伝えてあげて下さいね。きっと喜んでくださいますから」
「……うん」
「やっぱり言い辛いですよね。でもその気持ち……凄くわかります。だって昔の私もそうでしたから」
「お姉ちゃんも?」
「そうですよ。私がカレンちゃんと同じくらいの頃、夜中にお腹が空いてシリウス様やディーさんという私のお兄さんのような人に食事を用意してもらっていましたから」
俺が生まれた屋敷にいた頃、育ち盛りなのかエミリアが夜中に腹を空かせて起きる事が何度もあったので、俺やディーが夜食を作ったものである。ちなみにレウスはその倍だ。
「そんな人たちに恩を返したくても、子供の私には無理な話でした。ですが私が成長すれば皆さんが喜んでくださるので、必死に学んできたー……いえ、今も学び続けています」
「……どういう事?」
「ちょっと難しかったようですね。つまりカレンちゃんが色んな事を学んで強くなれば、それだけ私たちは嬉しいのです。今日だってカレンちゃんが魔法を使えた時、シリウス様はとても喜んでいましたよね?」
「褒めてくれた!」
「そういう事です。今回の失敗を教訓にー……よく覚えて、次は同じ失敗をしないようにしてくださいね」
弟のレウスを見てきただけあって、子供への対応が上手いものだな。
そしてカレンは返事をしなかったが、僅かな間と背中越しの雰囲気から頷いたのはわかった。
何はともあれ、これで間食も程々にしないと駄目だと理解出来ただろう。
しかしこの子の場合、蜂蜜が目の前に出てきたらまた同じ事を繰り返しそうな気がするのは何故だろうか?
そんな疑問を浮かべつつも、今度こそ俺は眠るのだった。
そして朝になり、全員が目覚めてから朝食の準備をしていると、カレンが俺の下へやってきたのである。
「シチュー……ありがとう。美味しかった」
「ああ、お粗末さま。だけど一つだけ言わせてほしい。蜂蜜が美味しいのはわかるけど、食べられる量をちゃんと考えてからご飯を食べるんだぞ」
「うん。次は蜂蜜も食べて、ご飯も食べられるように頑張る!」
「……そうか」
「その意気だよ、カレンちゃん!」
「今日はちょっと大盛りに挑戦だな!」
「頑張る」
蜂蜜を控えるという選択肢はないらしい。
まあ……それもまた一つの選択だし、なによりカレンは小食だから少し食べ過ぎなくらいがちょうどいいだろう。
思わず溜息が漏れてしまう俺に、フィアが慰めるように肩に手を置いてきた。
「親代わりも大変ね」
「そうだな、やはり子育ては難しいものだな。けど、教育と一緒で凄くやり甲斐があるよ」
「ふふ……私たちの子供もカレンみたいに素直な子に育てたいわね。だから頑張ってね、お、と、う、さ、ん」
「……少し気が早いんじゃないか?」
「シリウス様。将来私たちの間に出来る子ですが、ライオルお爺ちゃんとなるべく関わらせない方がよろしいでしょうか?」
「だから気が早いって。でも、それは俺も同感だ」
自分の子供があの爺さんの真似をし出したら、心配で俺の精神が持ちそうにない。
とまあ……こんな風にカレンの教育に悩みながらも、俺たちの旅は続くのだった。
それから二日後……予定より少し遅れたが、俺たちは竜の巣の入口と思われる森の前に到着した。
ちなみに竜の巣とは、広大な森に囲まれた山の事を指していて、その山の至る所で様々な竜が飛び交っている事から名付けられたそうだ。
しかしここからでは高い木々が邪魔で山がよく見えないので、フィアと一緒に空へ飛び上がって調べたところ、樹海と呼べそうな森の遥か先に高い山が聳えているのが確認出来た。
おそらくあそこに有翼人の住処があるのだろう。
「私たちの森も広いけど、ここも中々のようね」
「どう行こうと骨が折れそうな森だな」
視力を強化してみれば、山を中心に様々な竜が空を飛んでいる姿が見えるので、下手に近づけば襲われるだろうな。
あれが噂の上位竜なら会話が出来て戦闘を避けられるかもしれないが、違っていた場合は襲われて、更に周囲の竜も気付いて囲まれる状況に陥るだろう。俺とフィアは空を飛べても、竜の機動力には敵わないだろうし。
あまり長い間飛んでいると見つかって攻めてくるかもしれないので、方角だけを確認してから地上へ降りた。
「空からはどうだった?」
「予想以上に竜が飛んでいたな。正面から行くのは危険だから、やはり予定通りのルートで行こう」
「兄貴とホクトさんと俺でさ、竜たちを全部倒してみるってのはどうだ?」
「さすがにそれはな。竜の実力と戦力が未知数だし、なにより森の生態系を乱す行為は不味い」
狙われたのなら仕方がないが、積極的に戦って魔物と竜の数を減らしてしまえばアシットのようなアホが潜入し易くなってしまう。
有翼人が外と友好を望んでいるなら別かもしれないが、まだ何も判明していない以上、下手に生態系のバランスを崩すのはよろしくないだろう。
「とにかく準備を済ませて出発だな。そっちの方はどうだ?」
「はい。あちらにちょうどいい場所がありましたので、しっかりと隠しておきました、あそこなら簡単には見つからないと思います」
「荷物も小分けにしたし、大掛かりな物はホクトに乗せておいたよ」
「オン!」
「お疲れさん。後はー……」
全員の視線が向けられた先には、木に寄り掛かって穏やかな寝息を立てているカレンの姿があった。
別に疲れているとかではなく、諸々の準備をしている間のカレンは何もする事がなかったからだ。本は持って行けないし、今から森を歩くので疲れる魔法の練習を止めていたのもある。
それにしても寝る子は育つというが、本当によく寝る子である。まあ、寝ていたからこそ俺とフィアは空を飛んでいたわけだ。
「……カレンが起きたら出発だな」
「別に起こさなくてもいいんじゃないか兄貴? 俺が背負ってもいいしさ」
「いや、移動中に見える景色で何か思い出してくれるかもしれないし、なるべくなら起きていた方がいい」
カレンは一度寝てしまうと、声どころか揺すっても中々目覚めないのはすでに承知済みだ。
というわけで俺は懐に入れた袋から小さい黄色の塊を取り出し、それをカレンの鼻先に近づけてやれば……。
「むぅ……」
「よーし、こっちだぞ」
カレンが口を開けて食べようとするので、俺は一歩下がってわざと空振らせる。
そして口に何も入っていない事に疑問を覚えたのか、カレンは薄目を開けて立ち上がった。
この状態でもまだ無意識なのだが、俺が持っているものを目指してゆっくりと歩き始めてから三、四歩進んだところでようやく目覚めたようだ。
「……あれ?」
「おはよう。そろそろ出発だぞ」
「うん……」
「そんな目をしなくてもわかっているさ。ほら」
俺が持っていたのは蜂蜜を固めて作った飴玉だ。それをカレンの口に放り込んでやれば、寂しそうな目から一転して実に満足気な表情で口を動かし始めていた。
なんとも情けない方法だとは思うが、今はこれが一番手っ取り早いのだ。
ちなみに後方から何か言いたげな目が幾つも向けられているので、そちらも忘れずに口へ放り込んでやる。
「うふふ。シリウス様から食べさせていただけると何倍も美味しいです」
「兄貴、今度はもう少し大きいのを作ろうぜ?」
「蜂蜜だけじゃなく、他の果物も混ぜているから美味しいね」
「個人的に口移しでも良かったけど、カレンがいるから諦めましょうか」
「よし、もういいな? そろそろー……」
「もう一個欲しい」
「出発!」
何とも締まらないが、とにかく俺たちは森へと突入するのだった。
森に入った俺たちは、まず事前に聞いていた川を見つけ、そこから川に沿って上流へと向かうルートを進んでいた。
この川はアシットがカレンを見つけたという川なので、このまま進み続ければいずれカレンが覚えている場所へ着くだろう。
「カレンちゃん。どうかな?」
「……少しだけ覚えのある匂いがする」
故郷に近づいている証拠だろう、奥へ進んで行く程にカレンは忙しなく周囲を見渡していた。
現在カレンはホクトの背中に乗っているのだが、大きな狼であるホクトはまだ本能的に怖く一人では近づけないので、今はリースと相乗りしている状態だ。
更に荷物も背負っているので相当な負担になっているのだが、ホクトの足取りが乱れる様子は微塵も見られない。相変わらず頼もしい相棒である。
当然ながら森は多くの魔物が生息しているので、かなりの頻度で魔物と遭遇するのだが、大半はホクトを恐れて逃げていく。
逃げない魔物は近づく前に俺やフィアの魔法で狙撃されるか、レウスの剣で吹っ飛ばされてあっさりと終わっている。ちなみに真っ二つにさせないのは、血の匂いで周囲の魔物を刺激させない為だ。
そして川から現れた二足歩行をする蜥蜴の魔物……リザードマンを撃退したところで、俺たちは少し休憩を取っていた。
「竜の巣だけあって、魔物は竜みたいなものが多いな」
「なあ兄貴。このリザードマンも竜なのか?」
「正確には竜じゃないが、竜の眷族だとか言われている種族だ。集団戦を得意としているらしいから、一人で戦う時は気を付けるんだぞ」
他にも地を走る二足歩行の地竜や、空を飛ぶ翼竜も襲いかかって来るが、どれも下竜種の域を出ない竜ばかりなのでさしたる問題もなく撃退に成功していた。
そんな風に数々の魔物を撃退し、足場の悪い地形を幾つも越えながら進み続けていると、湖が広がる木々が拓けた場所に出たのである。
魔物との戦闘は最小限にし、移動を優先した御蔭でかなり奥まで来れたようだ。
「透き通っていて綺麗な湖だね。珍しい魚とかいるかな?」
「見ろよリース姉。あそこにでかい滝もあるぜ」
「シリウス様。ここからどうされますか?」
「そうだな……今日の移動はこの辺にしておこう」
そろそろ日が暮れ始めるので、野営の準備をしようとホクトへ視線を向けてみれば、カレンの様子がおかしいのに気づいた。
一緒に乗っていたフィアが呼びかけているが、カレンの視線は湖に固定されたままなのである。
現在カレンは水に落ちて流されたショックと、その後の出来事によって母親と別れた時の記憶が曖昧なのだが、ここに来て何か思い出したのだろうか?
「どうしたのカレン? 何か気づいたの?」
「ここ……ここだよ! 私がおかーさんと来たのはここだよ!」
有翼人が来られる場所という事は、どうやら目的地は近いようだな。
カレンは今までで一番の反応を見せているが、同時に頭に手を当てて頭痛を堪えてもいた。
「でも……何だろう? 何か……忘れてるような……」
「まだ思い出せない事があるのかしら?」
「……うん。あの滝の上で……うぅ……」
「あまり無理はしちゃ駄目よ。ほら、深呼吸して落ち着いて」
早く先に進みたいだろうが、さすがに今から移動となると夜になるので危険が伴う。
近くに見える、湖を作った大きな滝を登るにも時間がかかりそうだし、今日はここで一泊するべきだろう。
心を鬼にしてカレンに言い聞かせようとしたその時……ホクトが警戒するように大きく吠えたのである。
同時に大きな影が俺たちの足元に射したので、『サーチ』を発動させながら上空を見上げてみれば……。
「ガルルルルッ!」
「見つかったか!」
「おお!? でけえな!」
「カレン、背中に隠れていなさい!」
「う、うん!」
大きな翼を広げた三体の竜が上空を飛んでいたのである。
ホクトの警戒と『サーチ』による魔力反応からして、あの竜たちは中竜種より上のようだ。
俺の予想では件の上竜種と思われるので、会話が出来るならー……。
『見つけたぞ!』
『また性懲りもなく来たか!』
『今度はやらせんぞ!』
……どうも駄目な感じだ。
言葉は話せるようだが、敵意が剥き出しなので会話が出来る状態とは思えない。
遥か上空から急降下してくる三体の竜を見据えながら、俺たちは戦闘準備に入るのだった。
おまけ カレンの閃き
カレンが間食のし過ぎて夜食を食べた次の日……俺は昼食のデザートとして小さなカップケーキを作っていた。
しかし一人一個の割合で作っていたのだが、少し配分を間違えてしまって小さいのが一個だけ余分に出来てしまったのである。
「というわけで、この余ったケーキを食べたい者はー……」
「「はい!」」
「カレンも!」
ハラペコ姉弟は予想していたが、蜂蜜を使ったケーキという事でカレンも挙手していた。
しかし三等分にすると個々の量が少なくなる上に、切り分けるのも少し面倒だ。
とりあえずケーキを一旦リースに渡し、自分たちで決めろと言って俺は離れた。
「うーん……仕方がないね。ここはジャンケンで決めようか」
「そうだな。絶対に負けねえぞ!」
「じゃんけんって……なに?」
「そっか、カレンちゃんは知らないよね。えーと、ジャンケンはー……」
こういう場合、普通は子供のカレンに譲るべきかもしれないが、あのハラペコ姉弟は食に関して妥協は基本的にしないのである。
いや……二人はカレンに弱肉強食というものを身を持って教えているのだろう。
きっとそうなのだ。
そう……思いたい。
そしてカレンにジャンケンのルールを教えたところで、熱い勝負(一部のみ)が幕を挙げたのだった。
「「「ほいっ!」」」
自分の分をゆっくり食べながら観戦していたが、勝負は引き分けが二度も続いていた。
三人だと相当な確率だと思うが、それだけ必死なのかもしれない。
そして三度目の勝負直前にて、カレンが何か閃いたような表情をしているのに気がついた。
「あれっ!?」
「嘘だろ!?」
「カレンの勝ち!」
リースの手はグー。
レウスの手はチョキ。
そしてカレンは……中指、人差し指、親指を立てた三位一体の手だった。
ちなみに弟子たちにジャンケンは教えても、あの三位一体の技は教えた事がないので、カレンはたった二回の勝負であれを思いついたわけだ。
その閃きっぷりに驚かされるが……。
「いや……反則だろ」
「……駄目なの?」
「駄目だよ」
俺なら次は駄目だと言い聞かせて、今回だけは勝ちを譲るところだが、残念ながらハラペコ姉弟は納得しなかった。
何だか泥沼の状況になっている気がするので……。
「仕方がない、それなら俺のをやろう。少し食べたけど、これを半分にすれば小さい奴と同じ大きさな筈だ」
「お待ちください! シリウス様の食べかけなら私も欲しいです!」
「お! 姉ちゃんもやるか!」
「負けないからね!」
「カレンも!」
……戦いはまだ続きそうである。
おまけのおまけ NGシーン
シリウスが余ったケーキをリースに渡さず、近くのテーブルに置いていた場合。
「うーん……仕方がないね。ここはジャンケンで決めようか」
「おう! って……あれ? ケーキはどこにー……」
「むぐむぐ……ふぁに?」
「…………カレンちゃん、食べた?」
「ふぁべてふぁい!」
「じゃあ、その口元に付いてる欠片は何だ?」
「……ふぁっき、ふぁべたふん!」
カレンは『つまみ食い』と『すっとぼけ』を覚えていた。
おまけ 直感
「シリウス様。将来私たちの間に出来る子ですが、ライオルお爺ちゃんとなるべく関わらせない方がよろしいでしょうか?」
「だから気が早いって。でも、それは俺も同感だ」
「ぬうっ!?」
「ど、どうしたのですか!? そんな急に大声を出して……」
「エミリアが……わしの名を呼んだ気がしたのじゃ!」
「……ライオルさんの場合、基本的に冗談だと笑い飛ばせないんですよね。ところでそれが本当だとしたら、どうしてそんなに機嫌が悪い顔をしているのですか?」
「わしにとって都合が悪い事を言っているような気がして、何かスッキリせんのじゃ! わしの相手をせい小僧!」
「えっ!?」
ホクトに慣れよう 初級編
どれだけ神々しく見えようとホクトは巨大な狼なので、信仰する獣人以外からすれば、その見た目と威圧感から近寄りがたい存在でもある。
更にカレンは数日前に狼の群れに襲われ、精神的疾患になりそうな体験をしているので、未だに一人でホクトに近づく事が出来なかった。
「襲われないってわかっていても、やっぱり駄目か」
「うん……やっぱり怖い」
「クゥーン……」
犬ってのは子供が好きで、飼い主の子供の面倒をよく見るって聞くからな。
カレンに怖いとはっきり言われ、ホクトは地味に凹んでいるようである。
「ほら、こんな事をしても大丈夫なんだぞ」
「クゥーン……」
とりあえず無防備な光景を見せれば印象が変わるかもしれないので、俺はカレンが見ている前でブラッシングを行ってみた。
しばらくすると、気持ち良さそうに寝転がっているホクトにカレンが近づいてきたのだ。
「……柔らかい」
「オン?」
どうやらカレンはホクトの肉球が気になったらしい。
寝転がっている時に見えるホクトの肉球を、カレンは指先で突き出したのである。
「何にしろ、興味を持ってくれたのは良い傾向かもしれない。くすぐったいかもしれないが、我慢だぞホクト」
「オン!」
十分後……。
「…………ぷにぷに」
「クゥーン……」
「も、もう少し頑張るんだ!」
それから更に十分後……ホクトはようやく解放されるのだった。
短いながらも作者もキャラも暴走した内容の番外編ですが、結構好評のようですね(笑
そして新章に移りましたが、いきなり竜に襲われつつ次回へ続きます。
次回の更新ですが、二週間後……だと思います。