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一人じゃないから

 俺たちがアービトレイの城へ寝泊まりするようになって数日が経過していた。


「おはようございます、シリウス様」


 エミリアの声でいつも通りの時間に目覚めた俺は体をゆっくりと解す事から始め、エミリアが淹れてくれたコーヒーを飲む。

 その間に服を用意してくれるので、着替えを済ませれば準備完了である。


「場所のせいか、今の俺って貴族や王族みたいだな」


 現在、俺に宛がわれている部屋は一人で使うには少し広い個室である。

 ちなみにレウスも同じく個室で、女性陣は三人一緒の部屋が宛がわれている。

 俺はレウスと同じ部屋でもよかったし、それこそ他の兵士が使うような適当な部屋でも構わないと伝えたのだが、獣王は恩人だからと良い部屋を用意してくれたのだ。


「でもシリウス様は貴族や王族の生活に興味がありませんよね?」

「ああ、贅沢が出来ても堅苦しい生活は嫌だからな。俺は普通に食っていける金と弟子たちと一緒ならそれで十分だし」

「はい。私もこうしてシリウス様のお世話が出来るだけで幸せです」


 まあ、その御蔭もあって今朝のエミリアは非常にスッキリした様子を見せているので良しとしよう。

 そしてエミリアの頭を撫でた後、俺は部屋を出て城の試合場へと向かった。



「うわあああぁぁぁっ!?」

「だあああぁぁぁっ!?」


 エミリアと共に瓦礫の片付けが済んだ試合場へ足を運べば、レウスとキースの頭部が地面に突き刺さっている光景が広がっていた。

 うむ……早朝から響き渡る二人の断末魔もいい加減慣れてきたな。一部の兵士が目覚まし代わりにもなった事があるそうな。

 あれはレウスとキースがイザベラに模擬戦を挑み、今まで変則的だったバックドロップを己の直感で進化させ、完璧なジャーマンスープレックスに仕立て上げたイザベラの手による結果だ。

 そして満足気に頷いているイザベラは、俺たちの姿を確認するとゆっくりと頭を下げてきた。


「……おはよう」

「おはようございます。今日はどうでしたか?」

「まだ甘い……かな? でも、今日はまだ一回目だから」


 ふむ……まだ技を食らったのは一回目だったか。昨日まで俺が来るまでに二回は地面に叩きつけられていたからな。

 俺の思惑通り、レウスはイザベラに何度も挑んで着々と経験を重ねているようだ。

 次はレウスとキースが俺と戦う番なので、二人が復活するのを準備運動しながら待っていると、イザベラがこちらをじっと眺めているのに気づいた。


「……どうしました?」

「もっと……技を教えてほしい」

「もしかして、プロレス技の事でしょうか?」


 無表情であるが、イザベラは大きく頷いていた。

 どうやら王妃様はプロレス技が大層気に入ったようである。元はレウスが放ったのが切っ掛けだが、まさか自分がそれを何度も食らう羽目になるとはレウスも思わなかっただろうな。

 どうするか悩んでいると、一足先に地面から抜け出したキースが俺に懇願してきた。


「た、頼む先生! これ以上、母上に厄介な技を教えるのは勘弁してくれ!」


 もはや形振り構わない必死さである。

 まあ、自分が食らうであろう技の種類が増えれば誰でも嫌か。ちなみにキースは数日前に俺との模擬戦で負けてから、俺を先生と呼ぶようになっていた。相手が明確な敵でない限り、獣人はこういう傾向が多い。

 だがイザベラは楽しみにしているようだし、それに……。


「だけどお前が技を食らうのも悪いんだぞ? そもそもあの技は、相手の隙がないと放つ事が出来ないんだからな」


 プロレスは魅せ技に近いのも多いので、相手も食らうと想定して放つ技でもあるからな。

 絶対やられないという覚悟に、決して隙を晒してはならないといった適度な緊張感を得ていると思うから、鍛える側としてはむしろ教えてやりたいところである。


「ぐ……ぷはぁ! 兄貴の言う通りだぜキース。元は食らう俺たちが悪いんだから」

「よくわかっているじゃないか。ところでレウス、パワーボムとジャイアントスイング……どっちが良いと思う?」

「バランスが鍛えられそうだから、ジャイアントの方がマシ……かな?」

「…………」

「な、何だその物騒な名前は! 母上も目を輝かせるな!」

「そんなに嫌なら、模擬戦で俺に一撃与えられたら止めようじゃないか」

「ほ、本当か! よ、よし……次こそは……」


 その後……イザベラの技にジャイアントスイングが追加された。

 レウスのように達観するまで、キースの苦悩は続くであろう。




 その後、少し遅れて起きてきたリースとフィアと合流し、朝の訓練を済ませたら朝食である。

 基本的にバラバラな時間に起きるが、俺たちと獣王一家の食事は基本的に食堂へ集まって食べるのが日課になりつつある。


「お兄ちゃん、今日もお願いします」

「わかった。それじゃあ、この指をよく見るんだぞ」


 テーブルに着いて朝食が並べられるのを待っていると、隣に座っているメアが袖を引っ張ってきたので、俺はゆっくりと指を揺らしながらメアの目を覗き込んでいた。


「……これは食べても大丈夫。今から手を叩いたら、もうメアはご飯を平気で食べられるぞ」


 そして宣言通り手を叩いた頃には食事の用意が終わっていたので、俺たちは朝食を食べ始めた。

 メアは一年前に毒を盛られたせいで、食事を口にすると無意識に体が反応して戻してしまうので、先にグレーテが口を付けてからじゃないと料理を食べる事が出来なかった。

 だが……。


「メアリー様、大丈夫?」

「平気だよ!」


 心配するグレーテを余所に、メアは自分から料理に手を伸ばして口に運んでいる。

 戸惑いもなくスープを飲み干し、小さな口で大きなパンに齧りつきながら笑うメアに、グレーテは安心したかのように息を吐いていた。


「……良かった」

「うん、お兄さんの掛けてくれるおまじないの御蔭だね」


 おまじない……つまり暗示だ。

 そもそもメアの症状は精神的疾患トラウマみたいなものなので、暗示による治療を行ってみたのである。


「そろそろおまじないがなくても食べられそうだな?」

「う、うん。食べられるかな?」

「大丈夫だ。こうして食べているじゃないか」


 本人には秘密だが、実はもう暗示は掛けていなかったりする。

 本格的な暗示を掛けたのは最初の数回だけで、暗示を解いた後は適当な言葉を呟いているだけなのだ。所謂プラシーボ効果みたいなものだな。

 これをもう数回繰り返し、実は掛けていなかったと伝えれば……ある程度の改善は見られると思う。


 毒見が無いと食べられないのは、立場上治さなくても良いような気もするが、俺は初めて出会った時に見せたシチューを我慢していた姿がどうしても気に食わなかった。

 この子はまだ子供なのだから、もっと気兼ねなく食事を楽しんでもらいたい。

 それに現在では、メアの口に入る料理は過去の失敗を糧に多くの料理人が厳重に管理しているので、毒を盛られる可能性は低い。

 過剰に警戒し過ぎても疲れるだけだし、結局はほどほどが一番なのだ。


「先生を信頼していないわけじゃないんだが、それは本当に安全なのか?」

「目の前の食事は大丈夫だという限定的な思い込ませだからな。危険は少ないさ」


 俺が暗示を使った治療を提案した時、獣王とキースは難色を示したがイザベラは反対しなかった。

 そして何より、メアに伝えてみれば本人がやりたいと言ってきたのである。色んな人に気を使ってしまうので、前々から何とかしたいと思っていたのだろう。

 溺愛している娘にそう言われてしまえば、父親と兄は認めざるを得なかった。

 もちろん、これを知っているのは俺たちと獣王一家だけだし、俺しか出来ない暗示だと言い含めてある。


「グレーテだけでなく妻や息子までも操る酷い手段だと思っていたが、こういう使い方もあるのだな」

「武器と同じですよ。どんなものであろうと、全ては使う人次第です」

「ふむ……正にその通りであるな。キースもよく覚えておくのだぞ」

「ああ。だけど俺はもう、あんな方法は使う気も使わせる気もないな。にしてもよ、あのベルフォードって奴は結局何者だったんだ?」


 メアを攫おうとしたり、暗示を使って国を混乱に陥れたベルフォードの正体であるが、キースの言葉通り謎なままだ。

 本体は魔石だったし、本人も全く吐く気がなかったからな。尋問しようにも肉体は別なので意味がないし、完全に止めを刺した事に後悔はない。

 ただ、奴の研究室らしき場所を調べる事により、ある程度の事は判明していた。







 事件があった次の日、俺たちは獣王夫妻とキースと共に、一階にあるマクダットの部屋で見つけた隠し通路の前にやってきていた。

 城の兵士が見つけた通路は、マクダットに聞いたところ身に覚えは無いそうなので、肉体を支配していた時にベルフォードが作ったのだろう。

 罠がありそうなので迂闊に入らないように伝えていたが、先の見えない通路から不気味な雰囲気がするので、伝えなくても入らなかったかもしれない。


「オン!」

「シリウス様、この奥から嫌な予感がします」

「僅かだけど血の匂いがするぜ」


 獣王でも何とか通れそうな通路の前に立つと、ホクトと姉弟が警戒を露わにしている。

 そしてレウスが口にした血の匂いからして、楽しそうな場所ではなさそうだ。


「ふむ……不気味ではあるが、怖気づいても話にならん。私が先頭で行くとしよう」

「待って下さい。危険ですし、せめてどこまで伸びているか確認してからにしましょう」


 狭い通路の途中で罠があってもおかしくはない。

 それに『サーチ』で地中を調べてみたところ、どうやらこの通路は地下に向かって伸びているのではなく、少し降りたら真っ直ぐ伸びているようだからな。


「つまり地上で通路を辿るのね?」

「ああ、あの大きな竜を作った以上、どこかに大きな入口がある筈だ」


 首を傾げている獣王一家だが、実際に見せながら説明する方が早いだろう。

 俺たちは城の外に出て、隠し通路の伸びている方角へ向かうのだった。


 隠し通路が伸びている先は、城の裏手に広がる広大な森だ。

 しばらく歩き、時々『サーチ』で隠し通路の位置を確認するのを繰り返しながら俺たちは森を進み続ける。

 かなり面倒ではあるが、その甲斐はあったようだ。


「……これは」

「どうしたの? ここで行き止まりかしら?」

「いや……通路はまだ続いているが、ここに魔力の反応を感じるな」


 風の魔法陣を描いて通路を換気する目的かもしれないが、それにしては魔力の反応が強過ぎる。爆発系か、地形を操作する魔法陣の可能性が高いな。

 おそらく地下の通路を進んでいたらこの魔法陣が作動し、俺たちは生き埋めになるか、あまり好ましくない状況に陥っていたであろう。


「用心深さはシリウスさんの方が上だったみたいだね」

「そうなると、ここが中間地点だろうな。進むのも、戻るのも難しい位置だろうし」


 時折襲ってくる森の魔物は仲間たちが相手をしてくれているので、俺は探索に専念している。

 レウスとキースもだが、それ以上に獣王とイザベラが夫婦揃って大暴れしているので、俺たちの出番は全く必要がない。

 あまりに暇なのか、ホクトが後ろ足で首の辺りを掻いているくらいだしな。ちなみに痒くはないそうだが、前世の癖で偶にやってしまうらしい。



 そして更に森を進み続けると、谷底で大きな川が流れている崖へと出た。

 中々深い谷だが角度を変えて覗き込んでみれば、崖の壁面に洞窟があるのがわかる。

 城から見える山を半周している上に、洞窟の入口も盛り上がっている岩で微妙に隠れているので、意識して探さない限りは見つからない場所だろう。

 ここへは森や地形のせいで一時間以上はかかっているが、隠し通路を真っ直ぐ突っ切れば数十分もあれば着くだろう。


「うーむ、このような所に洞窟があったとはな」

「私も……初めて知った」

「見ろよ親父。あの入口の大きさなら昨日見た化物竜も通れそうだぞ」

「どうやって入るんだ兄貴? フィア姉に頼むか?」

「面倒だし……直接繋ぐか。獣王様、俺たちへの報酬なんですが魔石を幾つかいただけないでしょうか?」

「うむ、了解した。遠慮なく使うがいい」


 比較的浅い位置にある隠し通路を『サーチ』で確認し、魔石に刻んだ『土工クリエイト』で地上から穴を掘って隠し通路へ繋ぎ、そこから洞窟内へ入る事にした。

 そして罠を警戒しながら進み続けた俺たちはようやく目的地へ辿り着いたわけだが……そこは酷い有様であった。


「何だこの場所!? よくここまでやれるものだな」

「うう……鼻が曲がりそうだ」

「人の姿がないのがせめてもの救いか……」


 そこは一言で表すなら……狂気であった。

 洞窟内にある大きな広間には魔物のと思われる血があちこちに飛び散っていて、血が濡れて固まったのを何度も繰り返しているのか、岩肌は完全に変色して赤黒く染まっている。

 広間の隅には切断された魔物の部位が纏められ、そこには一際大きい竜の頭部や手足もあった。見覚えがある色と大きさなので、おそらくあれはドラグロスに使われなかった部位であろう。

 この現場で残虐な実験が行われていたのは明白であり、とにかく長居はしたくない場所だ。


「リースは見ない方がいいわね。外で待っていなさい」

「う、うん……そうさせてもらうね」

「エミリア、お前もだ。ホクトは護衛を頼む」

「申し訳ありません。匂いが酷くて気分が……」

「オン!」


 というわけで中を調べるメンバーは俺とレウスとフィア、そして獣王とキースの五人だ。

 イザベラは素の状態だとこういう事に弱いらしく、ホクトにしがみ付いて精神の安定を図っている。

 そして地上に残る組と別れた俺たちは、濃厚な血の匂いが充満する広間の捜索を始めた。


「魔物の死骸ばかりね。レウスの方は何かあったかしら?」

「こっちは何もないぜ。ところでフィア姉はよくここが平気だな。俺はもう鼻が限界だよ」

「別に私は平気なわけじゃなくて、少しだけこういうのに強いだけよ。何かあったらすぐシリウスに抱き付くから、ちゃんと身構えていてね」

「本気だったら受け止めてやるけど、冗談だったら耳を引っ張ってお仕置きだぞ?」


 レウスは鼻を塞いでいても涙目になっているので、そろそろ地上へ帰そうと思っていると、キースが広間の陰になっている場所に横道があるのを見つけた。

 そこは岩を削って作られた机が置いてある、小さな部屋だ。

 机にはページが開かれたまま置かれている一冊の本があり、魔力的な反応を感じられないのを確認してから俺は手に取ってみる。


「書かれているのは……魔法陣だな。このページも……ここも……ほとんど魔法陣だ」

「これ程複雑な魔法陣は私も初めて見るな」

「私もよ。でも……どこかで見たような気がするわね」

「だろうな。おそらくこいつは、奴が使役していたドラグロスって竜に描かれていた魔法陣だよ」


 この本は実験の経過を綴ったものらしく、書かれているのは魔法陣が大半で、おまけ程度に魔法陣の効果と失敗した点が少し書かれているだけだ。

 ページを捲って過去の方へ遡ってみれば、効果と実験に使った魔物からパラードの合成魔獣キメラに描かれていたと思われる魔法陣も載っていた。

 こんな代物が都合良く残っているのも変な話だが、正体がばれた時に実験していたのを楽しそうに語っていた。

 あの様子からして、実は自慢したくて仕方がないような性格も垣間見えたので、己の記録を残していても不思議ではないかもしれない。


「書かれているのは魔法陣だけか? ベルフォードの正体に関する手掛かりがあれば良いのだが」

「ありませんね。それにしても何だか報告書みたいなー……ん?」


 あまり年季の入っていない本の半分は空白のままで、まだ全体の半分までしか書かれていない。

 だが手が加えられている最後のページには、少し仕組みが変わった魔法陣と共に長い文が書かれていた。

 そこにはこう書かれている……。




 知能の低い竜種の洗脳にようやく成功したが、やはり知能を持つ上位種はまだ不可能だった。

 しかし実験体は少ないし、奴等が相手になると迂闊に手を出せないので、この実験は一旦保留にしよう。

 ここまで成果を残しているなら焦る必要はないだろう。

 次は人種だ。

 幸運な事に、獣人を惑わせる実験体を確保出来ている。

 特殊な魔力を秘めており、まるで魔物蜂の女王の如く獣人を惹き寄せる……実に面白い実験体である。

 これを上手く使えるようになれば、獣人を意のままに操れるかもしれない。

 下準備は順調。

 そろそろ本格的に獣人たちを誘導する実験に移ろうと思う。

 融合の時期まであまり時間がない。急がなければ。




 進行中の実験を中断し、新たな実験へ切り替える為に書いた文のようだ。

 それにしても、メアはかなり危険な状況だったようだな。

 もしベルフォードを放っていたら、近々この本に載っている魔法陣を描き、メアの能力を増幅させて獣人を操る実験を始めるつもりだったわけか。


「ふむ……改めて娘が無事で良かったと思う」

「無事なのは嬉しいけど何か納得いかねえな。せめて俺の手であの魔石を砕いてやりたかったぜ」

「他に何かあるかしら?」

「……駄目だな。こいつには実験記録だけで他には何も載っていない」


 それから部屋と洞窟内の捜索を続けたが、有力な手掛かりはこの本だけだった。

 しかも実験の記録が載っているだけの本なので、結局ベルフォードの正体はわからないままである。

 最後に残された本だが……。


「獣王様、この本はどうしますか?」

「うむ、処分するしかあるまい。このような危険なものは存在しない方が良い」

「よろしいのですか? 危険ではありますがこれを使いこなせれば、貴方の国は確実に力を得ますよ?」

「ふ……わかっているだろう? この力は危険すぎる。それにこれを使うという事は、ここで行われていた狂気を許容しろという事だ。私は一人の男として微塵も使いたいと思わん」

「確かにあの化物は異常な強さを持っていたけどよ、あんな力に頼ってる時点で終わりだな」

「……だそうよ。シリウスはどう?」

「こんな力なんていらないよ。こうするに決まっているさ」


 これで碌でもない奴なら国の為だとか言って研究させるだろうが、獣王はこれの危険性を理解していて何よりだ。

 そう、こんな狂気は残すべきではない。

 俺は手製のライターを取り出し、本に火を点けてさっさと処分しておく。

 もし獣王がこの力を惜しんだら最悪戦う事も考えていたが、これで丸く収まったな。


 その後、魔石を使って洞窟と隠し通路を完全に埋め、ベルフォードの実験は全て闇へと葬られた。

 残すものは、次への糧となる苦い経験だけで十分だろう。






 そんなわけでベルフォードの正体は謎のままだが、一応の片は付いたわけだ。


「うむ……娘が笑っている姿を見ながらの食事は最高だな」

「全くだぜ。あの笑みだけでパンが幾らでも食えそうだぜ」

「……うん」


 相変わらずな夫妻と兄にこっそり溜息を吐きつつ、俺は今日の授業内容を考えていた。

 俺は現在、イザベラに言われたようにメアの教師役をやっている。

 と言っても、マクダットが立ち直って復帰するまでの臨時教師みたいなものだ。

 ベルフォードの件が片付いても俺がこの城に残っているのは、新たな教え子の為であった。




 さて、朝食後はメアの授業である。

 ベルフォードの実験記録によれば、メアに対する獣人たちの反応はメアから放たれる魔力が原因のようだと判明している。

 なのでまず教えているのは中途半端だった『ブースト』の完全版と、体内の魔力を自らの意志で制御出来るようにする事だ。


「……どうですか?」

「ああ、良い調子だぞ。さっき俺が流した魔力のように、ゆっくりと自分の魔力を身体中に巡らせるんだ」

「はい、先生!」


 普段は俺の事をお兄さんと呼ぶが、授業の時だけは先生と呼ばせるようにしている。

 それにしてもメアの筋は中々なものだ。まだ無駄な部分が多々見られるが、すでに体内全体に魔力を循環させる事に成功し始めているからだ。あの母親と父親の血を継いでいるからだろうか?

 続いて、体内に溢れる魔力を周囲に漏らさない訓練に移ろうと思っているのだが……。


「頑張ってメアリー様」

「……頑張れ」

「うん!」


 何故かメアの横には、当たり前の如くグレーテとイザベラが控えて応援している。

 更に……。


「メアリーよ、頑張るのだぞ。父さんはいつでも見守っているからな!」

「お兄ちゃんも見守っているぞ!」


 扉の隙間からこちらを覗き込んでいる、駄目なスイッチが入っている王と王子がいた。

 気付けば家族一同揃っているので、もはや授業参観である。


「……関係のない方はお引き取り下さい」

「行くぞキース! 今度こそイザベラさんの技を防ぐ方法を考えるんだ!」

「そ、そんな事より重要な事がー……あーっ!」

「そうですぞ獣王様! まだ政務がたんまりと残っているのです!」

「も、もう少し待つのだ! 愛娘の努力をしっかりと目に焼き付けてー……あーっ!」


 訓練に誘いに来たレウスと、全てを振り切るように仕事の鬼と化したマクダットに引っ張られて獣王とキースはいなくなったが、グレーテとイザベラは意地でも動かない姿勢を見せている。イザベラに至ってはメアを膝の上に乗せ、淡々とした表情で娘の頭を撫で始めていた。

 この愛されっぷりもメアの能力のせいかと思うが、俺が独自に調べた感じだとそこまで強力ではないようだ。

 全力で魔力を解放した場合は不明だが、普通に生活している程度だと、せいぜい興味を抱かせるか警戒心を緩ませる程度だ。

 おそらく一人で町を歩いていれば、悪人は自然と避け、良い人に話しかけられ世話を焼かれる感じだろうか? 勿論、獣人限定であるが。

 そこに王の娘と本来の可愛さが重なった結果が、あの妙なカリスマ性だろう。

 獣王たちの場合は、愛娘という補正も加わっているからだな。


「……私、邪魔?」

「ううん、そんな事はないよ」


 イザベラの膝に乗せられたメアは嬉しそうに笑っている。

 数日前まであったわだかまりも完全に消え、心からの笑顔に俺は満足気に頷くのだった。




 実は先日、メアには己の特殊な能力について説明しているのである。

 まだ子供であるメアには酷かもしれないが、たった一人の少女の不注意や一言によって国全体が動く可能性もあるからだ。下手すれば、傾国姫なんて呼ばれる存在になりうる。

 己が持つ能力の重さを知る。

 望んで手に入れた力ではないとはいえ、それは持ってしまった者にとって必要な事だろう。


 この事実を告げる際に一番不安だったのは、己が愛されているのは全て能力のせいだとメアが誤解してしまう点だった。

 案の定、事実を知ったメアは不安気に家族へ視線を向けていたので、獣王とキースは必死にそんな事は無いと口にしていた。だがメアは若干混乱しているのか、不安は完全に拭えないようであった。

 そんな時、メアに一人近づいたイザベラは、娘の頬を両手で挟み込むように軽く叩いたのである。


『能力のせいなら……私はメアリーを叩けないと思う。でも、私は叩いたでしょ?』

『う……うん』

『そして叩いたのは……貴方が間違っているから。私たちの愛が……そんな能力なんかで変わる筈がない』

『お母さん……』


 軽くだが初めて母親から叱られた事でメアも冷静になったようだ。

 そしてイザベラに抱きしめられたメアは、涙を流しながらも笑っていた。

 少し賭けもあり、本当は時間をかけて理解してもらうつもりであったが、あの様子ならもう大丈夫だろう。

 やはり母は強いのだな。




 そんなわけで、仲睦まじい親子の姿に俺は安堵しているわけだ。

 こうして親の愛情を注がれていれば、少なくともメアは捻くれた性格には育つまい。

 我儘放題になる可能性もあるが、そこは獣王たちの頑張り次第だな。

 あの親たちを見ていると不安であるが、そっちは十分な大人なので遠慮なく口を出せるだろう。

 というわけで……。


「そろそろ次の工程に移るので、イザベラさんは離れてくださいね」

「…………」

「いや、無言で頬ずりをしない。娘さんの為ですから何とか我慢してください」


 どっちが甘えているのかわからない。

 遠慮なく口を出せるとはいえ、娘より親を言い聞かせる方が大変である。


 そして何とか説得を終えるとイザベラは訓練しているレウスたちの下へ向かったので、ようやく俺とメアは二人きりになれた。


「全く……今は授業中なんだから、メアも真剣に取り組まないと駄目だぞ」

「ごめんなさい先生。お母さんが撫でてくれるから、つい……」

「まあ、仲が良いようで何よりだ」

「えへへ、先生とお姉ちゃんたちみたいだね。でも時々、私よりお父さんやお母さんの方が子供に見える時があるよ」


 色々とあったが、愛情が少し過剰だという点にはきちんと気付いているようだ。

 メアの言う通りどっちが子供なのかわからないが、大事な点はきちんと伝えておくとしよう。


「気持ちはわからなくもない。でもな、どれだけ子供に見えても皆メアより大人なんだ。だから困った事や問題があった場合、自分だけで考えるんじゃなくてきちんと周りに相談するようにしなさい」


 焦る必要はない。

 メアには見守ってくれる人が沢山いるのだから、少しずつ大人になっていけばいい。


「さて、授業再開だ。次は魔力を外へ漏らさないように、体に蓋をするイメージだな」

「はい!」


 少女は太陽のように眩しい笑みを浮かべながら、元気よく返事をするのだった。







 その夜……俺はマクダットの部屋に足を運んでいた。


「シリウス殿、話とは何でしょう?」

「ええ、メアリー様に関する事で少し話が……」


 いずれ教育係に戻るであろうマクダットさんには、メアが間違った方向へ進まないように導いてもらわないとな。

 今回のように色々と苦い経験があるからこそ、家族とは違った方向から指摘が出来るだろう。

 とりあえず、幾つか最悪の可能性と状況を伝えると、マクダットは苦笑しながらも頷いてくれた。


「確かに……あの御方の可愛さを考えると十分あり得る話だ。私はまだ自分が許せないが、いずれメア様の下へ戻れた時は……改めて君の言葉を思い出そう」


 まあマクダットは十分な大人だし、俺が言うまでもなかったかもしれない。

 本題はこっちで、俺は次にグレーテの部屋にやってきた。


「……どうしたの?」

「グレーテ。君にはまだ、俺の命を狙った罰を与えていなかったよな」

「……うん。私の出来る事なら何でもする。伽の相手でも……いいよ?」

「いや、そっちは間に合っているよ。今から君に暗示をかけるから、その場から動いちゃ駄目だぞ」

「えっ?」


 驚くグレーテを無視し、俺は問答無用でグレーテに手を向けた。

 酷い目には遭ったが彼女にとって大切な物らしく、依然として着けたままの腕輪を確認してから俺は告げる。


「グレーテ・リコエル。今から俺の言う事を心に刻んでおくように」

「あれ? それはもう……」

「もしメアが周囲の反対を聞かず、感情のみで戦争を起こすような大罪を起こそうとした場合……君が命を賭けてでも止めなさい。例え……メアを殺す事になってもだ」

「っ!?」

「……以上だ。まあ暗示がかかっているかどうかは、近々旅立つ俺には判断出来ないからな。後は……グレーテ次第だ」


 リコエルという言葉がグレーテを暗示をかけやすい状態にする起動キーであったが、すでに腕輪はその機能を失っているので暗示なんてかかる筈がない。

 これは警告である。

 今は良くても、将来メアがどう成長するかわからないからな。

 メアと共に生きるのであれば、そういう最悪の想定も考えておけというわけだ。非情ではあるが、国という大きな枠組みにはそういう存在が必要だろう。

 グレーテがやれるかどうかまではわからないが、流石にそこまで面倒は見切れない。

 あくまで可能性の話だし、俺はこの国に仕えているわけじゃないからな。

 ここまで踏み込んでいる時点で今更な気もするが……まあついでだ。


 返事も聞かず背中を向けたが、俺の意図は通じたのだろう。

 背後でグレーテが静かに頭を下げた気配を感じながら、俺はその場から去った。





 さて……部屋に戻る前にもう一つやる事がある。

 あまり遅くなると、エミリアが探しに来そうだから少し急ぐとしよう。


 俺は誰もついてきていないのを確認し、城から少し離れた森へ入って師匠の木製ナイフを地面に突き刺した。

 魔石も地面に埋め、そして紅茶を入れていた容器の中身を大雑把にぶちまけた。


『……乱暴だね。もう少し丁寧に扱いな』

「急いでいるからな。それより師匠、状況は見ていた筈だから聞くが……あのベルフォードに見覚えはないのか?」

『そんな名前に覚えはないね』


 正体が魔石という点が、ナイフという分体を作った師匠の状態と似ているような気がしたのだ。

 そして実験記録の最後に書かれていた『融合の時期』だが、師匠はいずれこのナイフを聖樹に取り込んで知識を共有する……つまり融合すると言っていた。

 更に暗示といい、奴の技術と知識が一つ飛び抜けている点もある。

 だから聞いてみたのだが……やはり考え過ぎだったか?


『ただ……私がまだエルフだった頃、妙に私の後をついてくる奴がいた覚えがあるさね』

「おい、まさかそいつに憎まれていたわけじゃないだろうな?」

『いやぁ……どうだろうねぇ? 尊敬されていた気もするけど、そもそも当時の私は自分の事しか考えていなかったから、そいつとほぼ会話すら交わしていないのさ。だから名前も覚えていないね』


 師匠を尊敬していた……か。

 それなら各地に散った師匠製の魔道具を知っていてもおかしくないし、それらを集めて知識が一つ飛び抜けていると推測も出来る。

 もし師匠と似た存在ならば、ベルフォードとは別に本体がいる可能性も……ある。


『何となくお前さんの考えている事は察しているさね。そしてこういう時の予想は結構当たるもんさ。もしもの話だけど、私が言った奴だったらどうするつもりだい?』

「さあ? 手掛かりもない状態で狙って探すのも不可能そうだし、見つけたら無理のない範囲で潰すだけだな」

『酷いねぇ。師の残したものが悪用されていそうなのに、弟子として阻止しようって思わないのかい?』

「自業自得だろうが。それに、師匠こそ絶対そう思っていないよな?」

『もちろんさ。あんたの人生なんだから好きに生きるといいさね。一人で背負い過ぎても碌な事がないからねぇ……』

「……そうだな」




 実に師匠らしい言葉を聞いた後、俺の部屋に戻ってみれば……。


「あ、シリウス様。おかえりなさいませ」

「おかえりなさい。今日はもう終わりなの?」

「なら少し飲まない? さっき厨房から美味しそうなワインを貰ったのよ」

「兄貴! どうしてもイザベラさんの技が防げねんだ! 何かアドバイスをくれよ!」

「皆から聞いたのだが、ケーキなる美味な菓子があるらしいな? 報酬は出すから、是非私にも作ってくれぬか?」

「ホクト様、背中に乗せてください」

「私も……」

「妹が乗るならば俺もー……ぐはっ!?」

「オン!」


 いつも以上に騒がしい状況に、俺は苦笑しながらも充実感を覚えるのだった。




 おまけ



 短いながらも『ブースト』が使えるようになったメアの実力を見ようと、その日は城の試合場へ出ていた。


「というわけで、軽く組手をしようと思うんだが……」

「はいはい! 俺なら頑丈さには定評があるし、絶対に反撃しないぞ!」

「いや、組手だから反撃しないと困るんだが……」


 異常な熱意に押し負け、組手の相手はキースとなった。

 まあ本人も望んでいるし、まずはメアの力を見る為にサンドバックになってもらうとしようか。

 ちなみに獣王も手を挙げたがマクダットに引きずられて消え、イザベラは加減に自信がないのか辞退していた。


「さあ! お兄ちゃんにメアリーの力を見せておくれ!」

「うん……行くよ!」


 そして両手を広げて待ち構えている兄にゆっくりと近づいたメアが放ったのは……。


「えい!」

「ぐはぁっ!」


 バックドロップであった。

 『ブースト』で強化しているとはいえ、体格差が己の二倍近くはあるキースを持ち上げるとは中々のものである。

 それにしても、実に見事なフォームだ。

 おそらくイザベラの姿を見て真似たに違いあるまい。


「どうお母さん?」

「……立派ね」


 メアはイザベラに高く持ち上げられ、親子揃ってくるくる回りながら喜んでいる。

 ところでキースは受け身を取らず叩き付けられていたが、大丈夫なのだろうか?


「ふ……ふふ……妹の成長だけでなく、まさか抱き付かれるとはな。何て……ご褒美……」


 この駄目兄は将来結婚が出来るのだろうかと……本気で心配になった。









 ようやく十七章の終わりです。



 次回の更新ですが……最優先で片付けなければならない作業がありますので、完全に未定になります。

 それが終わってから次に取りかかるので、閑話を挟むか、次の章に移るのかもすら不明です。

 更新がグダグダになっていますが、申し訳ありません。



 活動報告に、小ネタ話を載せています。

 そんなの書いている暇ないだろと思いつつも、浮かんだので思わず書いてしまいました。


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