背中
9/30に、3章 22話『無垢なる愛』の後の話に、1巻記念話を投稿しました。
よろしければどうぞ。
――― レウス ―――
「フィア……それは本当か?」
「風が教えてくれたわ。かなりの魔物が迫っているようね」
フィア姉の故郷が襲われている?
それは……駄目だ!
絶対に駄目だ!
故郷が魔物に襲われ、家族が皆食われてしまう。
あんな酷いこと……フィア姉に味わってほしくない。
「でも大丈夫だと思うわ。森で戦うエルフはとても強いし、襲われてもそこまで犠牲は……」
「ですが、フィアさんの家族がいるんですよね?」
「……そうね。正直に言えば心配だわ」
すぐに行こう……と言いたいけど、俺はそれを言う事ができなかった。
だって今はアルもピンチなんだ。
だけどアルを助けたいとも言えなくて、俺は頭を抱えていた。
「ここからフィアの故郷までどれくらいだ?」
「全力で空を飛んだとして……一日かしら? 着いたとしても、お互いの体力と魔力が相当消耗しているわね」
くそ……どうすればいいんだよ!
でも兄貴ならきっと良い案が……。
「仕方がない。かなり強引だが、馬車に乗ったまま中央突破するか。通り過ぎる間に魔法で魔物を減らせば、パラードへの義理は十分だ。そしてそのままフィアの故郷に向かおう」
「ま、待ってくれ兄貴! アルは……アルはどうするんだよ!?」
「問題ない。アルベルトには生き延びるコツをしっかり叩き込んである。魔物に囲まれても、逃げ切れるくらいの実力は身に付けているさ」
「そ、そうだよな! 兄貴とホクトさんがあれだけ鍛えたアルベルトが負けるわけねえ」
「え!?」
そうだ……兄貴が信じているなら、俺も信じよう。
アルやマリーナには悪いけど、俺は兄貴の従者で弟子だ。どこまでも付いて行くと、あの時の夜に誓っているんだから。
「わかった兄貴、俺もフィア姉のー……」
でも…………もし何かあってアルが死んだら?
魔物だってどれだけいるかわからないし、アルは兄貴みたいに強くない。
絶対に無事だなんて……ありえない。
「……レウス。待って……兄上を……」
俺に縋るような目を向けてくる……マリーナ。
あの時、パメラさんと抱き合っていた俺の友達……アル。
幸せそうに抱き合うあの光景を見た時、俺は自分の事じゃないのに凄く嬉しかった。
それが……二度となくなる。
俺は……俺は……。
「どうしたレウス? 早く馬車に戻るぞ」
「俺は…………行かない」
「……もう一度言ってみろ」
「俺は行かない。アルを助けに行く!」
気付けば叫んでいた俺に、リース姉は迷いながらも声を掛けてきた。
「レウス……本当にいいの? フィアさんの故郷が心配じゃないの?」
「フィア姉は兄貴がいるから大丈夫だよ! だけどアルは違う。今のあいつは一人なんだ!」
「俺たちはいつ戻ってくるかわからないし、何かあって戻って来れないかもしれない。例え俺を追いかけるにしても、アルベルトを助けた頃には遠い彼方だぞ?」
馬車を引っ張っていても、ホクトさんなら一日中走れるし俺より早い。
そして兄貴たちと離れれば匂いで追うのは難しい上に、フィア姉の故郷は森の奥だ。案内がないと辿り着けないと言っていたし、追いかけるのは不可能に近いと思うけど……。
「何とかする! 兄貴に追いついてみせる!」
フィア姉の問題が解決するまで、ここで待っていれば良いだけの話だろうけど……それは嫌だ!
俺は追いかける側で、待つ側じゃない!
例え追いついた時には全て終わっていたとしても、俺は兄貴を追う。
だけど、俺が一番気になるのは……。
「レウス。貴方は銀月の誓いを忘れたのかしら?」
姉ちゃんが俺の前に立ち、冷酷な目を向けてきた。
『生涯、命尽きるまでシリウス様を主とし、付き従うことを月に誓います』
そう……姉ちゃんと決めた、あの誓いだ
俺は兄貴に救われ、兄貴の為に生きると決めた。それは俺の守るべき誓いで誇りでもある。
「シリウス様がそうしろと口にしたなら別だけど、貴方がそう言ってアルベルトの下へ向かえば、誓いを破っているようなものよ?」
主として仕えるべき人……兄貴の命令を聞けない時点で俺は従者失格だ。
俺が言っているのはその誓いを破る事で、兄貴と姉ちゃんを裏切るような行為だ。
けどさ……駄目なんだよ。
「わかってるよ! 誓いも大事だけど、アルを放っておけないんだ! そうしないと俺自身が許せないんだ!」
「そう……貴方の決めた事なら私は何も言わないわ。後はシリウス様に委ねましょう」
「……本当に行くんだな?」
兄貴は少し困った表情で俺を見ていた。
いつもの兄貴ならアルを助けに行けと命令してくれるのに、今回は言ってくれない。
きっと何か理由があって命令できないのかもしれない。
それでも俺は……。
「兄貴……姉ちゃん……ごめんなさい! 俺、誓いを破ります!」
その場に座り込んで深々と頭を下げ、俺は自分の意志で兄貴に逆らった。
「リース姉もフィア姉もごめん! でも兄貴がいれば、俺がいなくても……何とかなるから!」
胸の奥が凄く痛い。
アルベルトの所へ運んでくれ……なんて頼めるわけがない。
俺は兄貴の顔が見ていられなくて、返事も聞かずに湖へ向かって走り出していた。
「皆さん……ごめんなさい」
「彼が自分で決めた道だ。君も早く行きなさい」
背後からマリーナの謝罪する声が聞こえたけど、俺は全てを振り切るように走った。
「船を出すのは無理だ。今は大型船の準備で港が一杯だからな」
「そこを頼むよ!」
「だから駄目だって。それに船が慌てて出たら、周囲に不安を与えるだろうが」
涙を堪え、俺は船着き場にいた船員を捕まえて交渉したけど、湖を渡る肝心の船が出せないようだった。
くそ……こうしている間にもアルが危ない目に遭っているかもしれないのに、こんな所で足止めしていられねえよ!
「はぁ……はぁ……待ちなさいよ」
動きそうな船を探していると、息を乱したマリーナが追いついてきた。
そうだ、マリーナが乗ってきた船を使えばいいんだ。
「マリーナ! お前が乗ってきた船はどこだ!」
「わ、わかったから落ち着いて! ほらあそこにー……あっ!?」
マリーナが指した先に小さな船があったけど、大型の船が塞いでいて湖に出られなくなっていた。
「嘘っ! な、何か代わりの船はー……」
「……あれだ!」
見つけたのは魚を捕まえたりするのに使う小船で、あの大きさなら俺でも持ち上げられそうだった。
木の棒による手漕ぎで俺とマリーナしか乗れない船だけど、この際文句は言ってられない。
「あの船を運ぶ! 他の船の邪魔にならない場所へ案内してくれ」
「そうね。あっちよ!」
マリーナも迷っていられないと判断したのか、俺に同意して駆け出した。
そして船に近づこうとしたところで……一陣の風と共に、俺たちの前に白くて大きな存在が立ち塞がった。
「……ホクトさん。どうしてここに?」
兄貴たちと一緒に馬車で町を出ている筈じゃあ……。
俺が困惑していると、ホクトさんは湖の方角を向いたまま小さく吠えた。
『ご主人様がロマニオへ忘れ物をしたのでな、それを取ってきてほしいと私に命令したのだ』
「忘れ物って……何を?」
『お前が知る必要はあるまい。他にも出発の準備に時間がかかるので、ついでにお前たちを送ってやれとも……な』
何だよ、フィア姉の故郷へ急ぐって言ったのに……俺に構ってていいのかよ。
凄くありがたいんだけど、俺は兄貴を裏切って……。
『どうした、何を迷う必要がある? 許せぬ事をしたのだろうが、それ程に大切なことなのだろう? 形振り構って全てを無駄にするつもりか?』
「っ!?」
ああ……俺は本当に未熟なんだな。ホクトさんの言う通り、今の俺に迷っている暇はない。
俺が静かに頷くと、ホクトさんは背中に乗りやすいようその場に座ってくれた。
「ホクトさんはどうしたの?」
「向こうまで乗せて行ってくれるってさ。ホクトさんならすぐだぞ!」
「えっ!? 本当にー……って、ちょっと!?」
何か渋っているけど、俺はマリーナの手を引っ張ってホクトさんの背中に乗せた。
初めてホクトさんの背中に乗せてもらったけど、凄く良い乗り心地だ。
『振り落とされないようにハーネスを掴んでいろ。お前の剣もそこに付けるといい』
馬車を引っ張る器具であるハーネスには物を固定できるベルトが付けられているので、俺の剣もそこに固定できた。兄貴は本当に準備がいい。
これで俺の背中が空いたので……。
「マリーナ。振り落とされないように、俺の腰にしがみついていろよ」
「へっ!? でもそれってー……」
「アルを助けに行くんだろ!」
「そ、そうね!」
マリーナが俺の背中にくっ付いたのを確認したホクトさんは、ゆっくりと立ち上がってから吠えた。
『少し荒っぽいぞ。しっかり掴まっていろ』
こうして俺とマリーナを乗せたホクトさんは、地を蹴ってロマニオへと向かうー……。
「って、ホクトさん!? そっちは湖ー……」
ホクトさんの足なら多少の山道は平気なので、てっきり湖に沿って陸を走ると思っていたんだけど、ホクトさんは湖へ向かって飛び出していたのだ。
そして大きく前へ飛んだホクトさんの前足が水に落ちー……なかった。
何故ならホクトさんは、湖を地面のように蹴って高く飛び上がっていたからだ。
「ホクトさん、これは一体!?」
「ど、どうなっているのよ!?」
俺たちが驚いている間にも、ホクトさんは水を蹴ってロマニオへと真っ直ぐ進んでいく。
何だろう、これって兄貴の『エアステップ』みたいだ。
『魔力を広範囲に叩きつけるように踏めば、水だろうと十分な足場になるのだ』
水という抵抗があるから出来るのだと、ホクトさんは移動しながら教えてくれた。
何もない空中に足場を作る『エアステップ』より消耗は少ないので、これなら俺も練習すれば出来るかもしれない。
「凄い……もう湖の半分まで来たわ」
「湖を真っ直ぐ走れば速くて当然ー……って、待てよ? なあマリーナ、確か湖の中心って」
「え? あ……魔物!?」
確か湖の中心には巨大な魔物が住んでいて、その縄張りに近づけば船でも襲うって聞いていた。
俺たちがそれを思い出したと同時に、前方の水面から巨大な何かが飛び出してきた。
「本当に出たっ!?」
「でけぇ!?」
全身が黒く、頭に何本も角が生えた巨大な魚はグルジオフよりも大きな魔物だった。
そして水を蹴って大きな音を立てているホクトさんに気付いた魔物は、俺たちごと飲みこもうと口を開けて待ち構えている。
けどホクトさんは避けようとせず、魔物に向かって真っ直ぐ進み続けていた。
「こうなったら、食われる前に斬ってやる!」
俺がハーネスに取りつけた相棒を握り締めたところで、ホクトさんから膨大な魔力が溢れだしていた。
『命令を遂行中だ。邪魔をするな!』
口から魔力を込めた衝撃波が放たれ、その直撃を受けた魔物は大きく吹っ飛ばされて宙を舞っていた。
そして遥か前方まで吹っ飛ばされた魔物は、派手に水を飛び散らせながら湖に落下し、力なく浮かんだまま動かなくなっていた。
『うむ、一つ足場ができた。使わせてもらうとしよう』
呆然とする俺たちを余所に、冷静なホクトさんは吹っ飛ばした魔物を足場にして高く飛んでいる。
「……あの魔物はね、過去に町の船を何隻も沈めたことから、ディーネ湖の悪魔と呼ばれているらしいわ」
「悪魔……ねぇ」
思わず後ろに目を向けてみれば、生きていたその悪魔とやらは逃げるように水の中へ潜っていた。
「ホクトさんにかかれば悪魔も一撃か。さすがは兄貴の相棒ー……だな」
「レウス……」
相棒……か。
俺は兄貴の背中を守れるように、相棒になりたいと思って強くなってきたけど、もう無理かもしれないな。
困った表情を浮かべた兄貴と姉ちゃんの冷酷な目を思い出して落ち込んでいると、マリーナが俺を抱き締める力を強くしながら呟いてきた。
「あの……ね、ごめんなさい。私のせいで……シリウスさんたちと……」
「マリーナのせいじゃねえよ。俺が自分で決めた事だ」
何も知らされず、アルが酷い目に遭ったと後で知る方が嫌だ。
兄貴とは返事も聞かず別れちゃったけど、それでも俺は兄貴の背中を追いかけたい。何時になるかわからないけど、再会できたらまた一緒にいさせてほしいと謝ろう。
だけど今は、アルを助ける事に全力を尽くす!
俺が気合いを入れたところで、ロマニオはもう目の前に迫っていた。
――― アルベルト ―――
その日、平和だったロマニオに突然魔物の大群が迫ってきていた。
私にとってこの町は幼い頃から何度も通った故郷でもあったので、自ら望んで魔物の迎撃を名乗り出た。
それにパメラとの結婚もある。この困難を乗り越え、私はあの子と結ばれるんだ。
偵察した者の話によると魔物の数は八百を越えるそうだが、幸いな事にこちらも対抗できる人員を集める事ができた。
『アルベルトは左翼の二番隊だってよ。俺は右翼の一番隊だな』
『見事に別れましたね』
私とウェインさんはグルジオフを倒せる実力だと知れ渡っていたので、お互い離れた場所へ配置されたようだ。
そして魔物を迎撃する場所に到着し、自分の持ち場に向かおうとしたところでウェインさんは私の肩を叩いてきた。
『いいか、絶対生き残れよアルベルト。もしお前が死んだら……俺は妹に抱き殺されちまう』
『パメラに抱き殺されるなら本望では?』
『はぁ……ったく、本当にお前はパメラとお似合いだよ。だからあの無粋な魔物たちをさっさとぶっ飛ばして、きっちりお前たちの結婚式を挙げるぞ!』
『はい! ウェインさんもご無事で!』
それから所定の位置に着いてしばらくすると、町に向かって一心不乱に走ってくる魔物の姿を捉えた。
様々な魔物が混ざり合ったその異様な光景に一部の者が怖気づいているようだが、私たちの背後にはロマニオがあるのだ。絶対に引くわけにはいかない。
「魔法隊、用意……放て!」
指揮官の合図と同時に魔法が一斉に放たれ、続いて仕掛けた罠が作動した後には魔物の数は目に見えて減っていた。
そして魔物が一定の距離まで近づいたところで、私たち近接戦闘組が突撃する。
こうして魔物との本格的な戦いは始まった。
私が配置された場所は、主にロマニオの貴族が抱えている兵士や町の警備隊による、およそ百人程の規模で組まれている隊だ。
しかし当主の娘であるパメラとの結婚が決まっていても、今の私は一人の兵士に過ぎないので、この隊はロマニオの貴族が雇う男の指揮によって動くことになっていた。
「はぁっ!」
「見事な剣ですな! アルベルト殿がいると心強いですよ」
「こちらもです。皆が戦ってくれるから、私は安心して前で戦えます」
集団戦はほとんど経験していないが、師匠とホクトさんが放ってきた、まるで複数の敵と戦っているような攻撃を経験していた御蔭もあり、私は冷静に対処できていた。
それに周囲には、町を守りたいと共に戦う仲間たちがいる。
私は背中を気にすることなく目の前の魔物を斬り捨てていたが……何か様子がおかしい事に気付いた。
「前進だ! 一気に畳み掛けろ!」
……まただ。
確かに戦況は私たちが押しているが、何故先程から前進指示ばかり出るのだろうか?
違和感を覚え、周囲を注意深く見渡してみれば……。
「……不味い! すぐに後退しないと!」
気付けば私たちの隊はかなり前に出ていたらしく、他の隊から分断されて孤立しかけていた。
何故このような状況になるまで前進させていたのか……いや、考えるのは後だ。
その旨をすぐに伝えようと振り返れば、私たちの隊を指揮する男とその直属の部下である兵士たちが一固まりになって後退し始めていた。
まだ戦っている私たちを残して……だ。
「見ろ! あいつ等どこへ行く気だ!」
「俺たちも……くそ! 駄目だ! 完全に囲まれたぞ!」
「どっちが町の方角だ!?」
さすがに他の仲間も気付き始めて追いかけようとするが、すでに私たちは魔物に囲まれてしまっていた。
隊を指揮する人も消え、一部の仲間が混乱して強引に突破しようと突撃を図っていたが……。
「戻れ! 数が多すぎるー……くっ!」
百を越える魔物の層は厚く、仲間は成す術もなく魔物の餌食になっていた。
残った私たちは互いの背中を守りながら戦い続けていたが、状況は深刻さを増すばかりだ。
更に極度の緊張と先の見えない戦いに仲間の疲れが見え始め、次第に仲間は一人、また一人と倒れていく。
「大丈夫ですか!」
「す、すまないアルベルト殿! しかしこのままでは……」
私は仲間を助けながら戦い続けていたが、このままでは確実に全滅する。
それに指揮を執る人がいなければ、一丸となって戦う事も逃げる事さえもできない。
ほんの少しでいい。少しでも私たちに体勢を整える時間があれば……。
この窮地を脱する方法を考えながら魔物を斬り捨てていると、近くの仲間が大鬼にやられそうになっていた。
大鬼とは、私の身長の二倍はある人型魔物で、巨体に秘められた力は岩をも容易く砕く。その手に持つ巨大な棍棒の一撃をくらえば確実にやられるだろう。
「させるか!」
私はそこに割り込み、大鬼が振り下ろそうとしている棍棒に剣を当てて受け流し、返す剣で腕を斬り飛ばす。
しかし戦い続けた疲労もあり、油断していた私は大鬼が反対の手で振るってきた拳への対処に遅れてしまった。
「しまっー……うぐっ!」
ぎりぎりで受け流したものの、衝撃を殺しきれなかった私は無様に地面を転がっていた。
すぐに立ち上がろうとしたが、別の大鬼が私の体を掴んで持ち上げたのである。このまま私を握り潰そうとしているようだ。
「アルベルト殿!? すぐに助けー……ええい、邪魔をするな!」
大鬼の力にかかれば、私の体は簡単に握り潰されるであろう。
だがその前に腰に仕込んでいたナイフを大鬼の腕に突き立てれば、その痛みによって拘束していた手が緩んだ。
「はああっ!」
その隙に脱出するだけでなく、腕を足場にして飛び上がった私は大鬼の首を斬り捨てた。
「ふぅ……次だ」
何とか倒せたが、新たな二体の大鬼が私の前に立ち塞がる。
それに魔物は大鬼だけではない。周囲にはまだ多種多様の魔物がひしめき、私たちを襲い続けている。
助けが来る筈もなく、もはや絶体絶命と言える状況だが……私はもっと深い絶望を知っている。
師匠やホクトさんと対峙した絶望に比べれば、この程度なんて大したことはない。
だから、まだ戦える。
それに私には結婚する大切な人が……帰りを待っている人がいるのだ。
そして、ここまで育ててくれた師匠と私の友に結婚式で祝福されたい。
絶対に……諦めてたまるものか。
『本当に生き残りたいなら、意地汚くてもいいから戦い続けろ。そして諦めるなら、死んでから諦めろ』
師匠が教えてくれた言葉を胸に、私は迫りくる大鬼に剣を向けながら大きく吠えた。
「はああああぁぁぁぁ―――っ!」
「ウオオオオオオオ―――――ッ!」
その時……地を響かせるような雄たけびと共に、空から何かが降ってきた。
それが私の前に立っていた大鬼へと巨大な鉄塊を振り下ろせば、大鬼は縦に真っ二つとなっていた。
「どらっしゃああぁぁ――っ!」
そして着地すると同時に体を捻り、地を砕く踏み込みで薙ぎ払われた鉄塊は残っていた大鬼の上半身と下半身を綺麗に分断していた。
「な……んだ?」
見慣れた大剣を振るい、私が目指した剣技を見せるこの人は……誰だ?
私の友とよく似てー……いや、彼は確かに狼の獣人だったが、全身に毛が生えた狼のような人ではなかった筈。
突然の状況に戸惑っている私に、狼の男は近くの魔物を薙ぎ払いながら叫んだ。
「ここは俺が押さえる! アルはあっちを何とかしろ!」
「レウス……なのか?」
たった一振りで全てを薙ぎ払う力強さ。
そして声と、彼だけが口にする私の呼び方を聞いて、あれはレウスなのだと確信した。
「何してんだ! 兄貴の訓練を受けた奴がぼさっとしてんじゃねえ!」
そうだ、友が助けにきてくれたのだ。呆然としている場合じゃない。
「すまない! 少し待っててくれ!」
「ああ! 全滅させる前に終わらせろよ!」
頼もしい言葉を背に、私は生き残った仲間の状態を確認しようと振り返ったが、そこには異様な光景が広がっていた。
「何だ? 魔物が……」
「ど、どうなっているんだ!?」
魔物の周囲に無数の女性が現れ、魔物は手当たり次第に攻撃を始めているからだ。更にその攻撃は他の魔物に当たり、同志討ちまで始めたのである。
とにかく魔物の攻撃が緩んでいるので、私は仲間に声を掛けて一か所に集めていた。
その時、声に気付いた一匹のゴブリンが私に向かってきたので、剣を向ければ……。
「オン!」
まるで風のように現れた白い存在が、私に迫っていたゴブリンを前足で叩き潰していた。
この純白の毛並みに、絶望を思わせる威圧感。もはや何者であるか説明するまでもない。
そして……。
「兄上!」
「マリーナ……」
ホクトさんの背中に乗っていたのは、やはりマリーナだった。
幻を見た時点で予想していたが、まさかお前まで助けにくるとは。
「助けに来たのは嬉しいが、ここは危険だ。ホクトさん、申し訳ありませんが妹を安全な場所にー……」
「嫌です! 私はいつまでも兄上に守ってもらう妹ではありません! 今度は私が兄上を助けるのです!」
「っ!?」
尻尾を見られるのを恐れ、いつも私の背中に隠れていたマリーナが見せる強い意志に、私は何も言い返せなかった。
「それに今はそんな事を言っている場合ではありません。姉上の下へ皆で帰る為に、私も戦わせて下さい!」
「……ああ、手伝ってくれるか、マリーナ?」
「勿論です!」
そうか……お前はそこまで成長していたんだな。妹の成長に思わず涙ぐむが、まだ戦いは終わっていない。
私は気持ちを切り替え、現状の整理を始めた。
「どりゃあああぁぁぁ――っ!」
レウスが向こうで派手に暴れているので、魔物の目はほとんどそちらに向いている。
更にマリーナが生み出した幻により、魔物は撹乱されて私たちが狙われる可能性が低い状態だ。
「この幻はどれくらい続く?」
「長くは保ちません。そろそろ消え始める幻が出て来るかと」
レウスとホクトさんがいれば、周囲の魔物を全滅させるのも不可能ではないと思うが、怪我人がいる以上は一度離脱するべきだろう。
だがロマニオの方角にはまだ魔物が多く、レウスを前面に突破しようにも側面と殿が心許ない。
どうするべきか迷っていると、マリーナを背中から降ろしたホクトさんが吠えた。
「オン!」
「はい! ありがとうございました」
「マリーナ、ホクトさんはどちらへ?」
「事情は後で説明しますけど、ホクトさんはパラードへ帰らないといけないんです」
マリーナの言葉通り、ホクトさんは背中を向けて立ち去ろうとしていた。
ホクトさんの存在に最初は驚いていた仲間だが、その頼もしい存在感を放つホクトさんが消えると知るなり騒ぎ始めた。
「アルベルト殿! あの狼は戦ってくれるのでは?」
「ホクトさんは無理を押してここまで私たちを連れて来てくれたんです。一緒に戦ってはくれないと思います」
「そ、そんな……」
「それは師匠の命令なのか?」
「はい、私たちを運ぶ命令だけを受けたようです」
それなら引き留めても無駄だろう。
ホクトさんは師匠の命令しか聞かない。私たちと戦わず戻ろうとするのは、すぐに帰ってこいという命令を受けたのだろう。
「しかしあれほどの戦力があれば……」
「気持ちはわかるが、頼るのは無理だ。大丈夫、あそこで戦っているー……」
「オン!」
ひとまず落ち着かせようと仲間に声をかけたところで、ホクトさんは徐にロマニオの方角に体を向け……。
「アオオオォォ――ンッ!」
咆哮と共に口から衝撃波を放っていた。
それは地を砕き、魔物を枯れ木のように薙ぎ払い、衝撃波が通り抜けた後には魔物の姿が一切消えていた。
「す……すげぇ……」
「な、何なんだよあの狼は?」
「オン!」
そしてホクトさん自分で作った道を堂々と走り去って行った。
去り際に振り返って吠えていたけど、後は自分たちで何とかしろ……そう言っている気がする。
訓練の時は厳しいけど、いざという時は甘い御方なんだな。
「皆走れ! ホクトさんが作った道を通ってロマニオへ戻るんだ!」
ホクトさんは私たちの為に道を作ってくれたのだ。
おまけに魔物が先程の衝撃波に怯えているのか、ホクトさんが作った道に近づこうとしないのである。
更に見通しが良くなったので……。
「見ろ、他の隊の姿が見えるぞ! 合流を急げ!」
「さあアルベルト殿、行きましょう」
「いえ、皆さんは先に行ってください。私はここに残りますので」
私の言葉に仲間が驚いているが、これはすでに決めていた事だ。
「あそこで戦っているのは私の友なのです。私は彼の背中を守りに行きます」
「でしたら、あの人と一緒に後退を……」
「どちらにしろ魔物を討伐しないといけませんから。それに私と彼が一緒ならば、この程度の魔物に遅れはとりませんよ」
レウスの大剣が振られる度に魔物は斬り捨てられるか、彼方に吹っ飛ばされていく。
だが背後からの攻撃に警戒しているのか、少しだけ動きに固さが見られるのだ。早くレウスと合流し、彼の本気を引き出すのが私の使命だろう。
「わかりました。ご武運を」
「貴方たちこそ、早く戻って治療を」
レウスの力強さを見て納得したのか、仲間たちは怪我人を庇いながらホクトさんの作った道を歩いて行った。
まだ恐怖が残っているのか、魔物は道を歩く仲間に近づくのを諦め、私たちに狙いを定めたようだ。
「兄上、もう幻を消して大丈夫ですね?」
「ああ、魔力を温存していてくれ。それと……レウス!」
「おう!」
そして友の名を呼べば、レウスがすぐさまやってきて私と背中合わせになってくれた。
やはり……レウスがしっくりとくる。
未だに多くの魔物が残っているが、もはや絶望は微塵も感じられない。それどころか私は思わず笑みを浮かべていた。
「で、どうするんだ?」
「いつも通りだ。レウスが全力で薙ぎ払い、私が補助だ」
「私も頑張るからね」
「頼んだぞ。だが、無理はするんじゃないぞ」
「そうだぜ。守ってやるから、俺から絶対に離れるんじゃないぞ」
「う、うん……」
はは、いつもなら反抗するのに、今日は可愛らしく照れているじゃないか。
やはりお前なら……。
そしてその狼の姿も気にはなるが、レウスはレウスだ。
何よりこんな場所にまで助けに来てくれたお前に、私はどう礼を言えばいいのか。
いや……礼は後でいくらでも尽くそう。
今は魔物を全滅させ、ロマニオの危機を脱する事が最優先だ。
「来るぞアル! 背中は頼んだぞ」
「任せておけ」
※シリアスだけど……作者は小ネタを投下します。
おまけ1
マリーナが指した先に小さな船があったけど、大型の船が塞いでいて湖に出られなくなっていた。
「嘘っ! な、何か代わりの船はー……」
「……あれだ!」
俺が見つけたのは、何か鳥の形をしたボートだ。
何かスワン……ボートと書かれている。
「あれで行くぞ!」
「え、ええ!?」
そして俺はそのボートに乗り込んで必死にペダルを漕げば、激しい水しぶきを上げながらボードは湖を進んだ。
「ねえレウス……何か恥ずかしいのは気のせいかしら?」
「気のせいだ!」
「……オン」
そして間に入るタイミングを失ったホクトは、汗を流しながらその光景を眺めるのだった。
おまけ2
NGシーン
「アオオオォォ――ンッ!」
咆哮と共に口から衝撃波を放っていた。
それは地を砕き、魔物を枯れ木のように薙ぎ払い、衝撃波が通り抜けた後には魔物の姿が一切なくなっていた。
「す……すげぇ……」
「な、何なんだよあの狼は?」
「オン!」
そこでホクトさんは威力の調整を間違え、ロマニオを守っていた隊の一部を巻き込んでいた事に気付いた。
「…………」
「…………」
「…………」
「オン♪」 翻訳……テヘペロ♪
「「「誤魔化すな!」」」
今日のホクト
今日はホクトが十分に活躍しましたので、お休みです。
今回の話で疑問が幾つか浮かんだりするでしょうが、いずれ理由は判明します。
それまでは適当にご想像ください。
次回の更新は……六日後です。