噂の婚約者
パラード。
ディーネ湖からの恵みを糧に発展したこの町は多くの人々が暮らし、アドロード大陸では中規模程度の町である。
多くの冒険者が訪れ拠点にしている町もあって多種多様の種族が住まうが、中でも一番多いのはアルベルトたちと同じ狐尾族だ。
町を見渡せば必ず狐尾族が見られる中、俺は露店で買った飲み物を手に広場にあるベンチに座っていた。
「……治安はそこまで悪くないな。中々良い町だ」
「そうですね。どうぞシリウス様」
同じく露店で買った、ディーネ湖で取れるウナギのような魚の丸焼きをエミリアが差し出してきたので食べる。名前はニロンと言うらしいが、見た目はほとんどウナギである。
味付けは塩と辛みが強い特殊な香辛料だけなので、後で馬車にある調味料で専用のたれを作るとしよう。
「味はジャオラスネークと似てますけど、こちらの方が私は好きですね」
「兄貴の作った蒲焼のたれに合いそうだな!」
「へぇ……これに合うたれがあるのね」
「…………」
リースは食べ物が口に入った状態で喋る事はしないので、俺たちに同意するように頷いていた。
そしてニロンを口にしたフィアは、突然妖艶な笑みを俺に向けてきた。
「さっき店の人から聞いたんだけど、これを食べたら夜が燃えると言われているそうよ。だからシリウスは沢山食べておかなきゃ駄目よ」
「どうぞシリウス様!」
ウナギは確かに滋養強壮に良いと言うが、この世界でも同じ効果があるのだろうか?
俺が咽ないように絶妙な間隔でニロンを食べさせてもらいながら、これからの予定を考えていた。
「もぐ……適当に観光してから……むぐ……宿に戻ってアルベルトが帰ってくるのを……んぐ……待つか」
「さ、流石だぜ兄貴。姉ちゃんの猛攻を受けても何ともないぜ!」
「どうですか、夜は燃えそうですか?」
「もう少し優しくしてくれたら考える」
「わかりました!」
速攻で止めてくれた。
時折強引になるが、俺が嫌がる素振りを見せると止めてくれるのだ。それにエミリアは恋人でもあるので、こういう茶目っ気も可愛いものである。
ニロンを食べ終わった俺たちは再び町を歩き回っていたが、唐突にレウスが町の中心部へ視線を向けながら呟いていた。
「アルは家に招待するって言っていたけどさ、一緒に向かうのは無理だったのかな?」
「一ヶ月近く家に帰ってなかったから、家族同士だけで積もる話もあるんだろうさ。それに招待しようにも、俺たちの素性をしっかり話しておかないと駄目だろうしな」
「あの豪勢な宿ならしばらく待たされても問題ないわね。ベッドも柔らかいし、久しぶりにじっくり休めそう」
今日の昼前……俺たちがパラードの町へ到着した時、まずは家に帰ると言ってアルベルトは宿を紹介すると同時に手紙を渡してきたのである。
その宿へ向かい店員に手紙を見せれば、店員は驚きつつも一番良い部屋を無料で泊まらせてくれるようになった。
ちなみにホクトも入れる許可も貰えたので俺は非常に満足だ。
『手紙にはアルベルト様が大変お世話になったので、皆さんを出来る限り好待遇で扱ってほしいと書かれていますね。それと宿代は全てアルベルト様が負担すると』
というわけで、パラードで最高級の宿に泊まれるようになった俺たちは、宿に馬車を預けてから町を散策しているわけだ。
俺たちはエルフだけじゃなくホクトも引き連れているので非常に目立っているが、毎度のことなのでもう慣れたものである。
「まさか紹介するだけじゃなく宿代を持ってくれるなんてね。この町では本当に偉いようね」
「おそらくこれもお礼の一つなんだろう。遠慮なく甘えるとするか」
他にも合流場所として、何かあって離れていた時に伝言をしやすい利点もあるのだろう。
アルベルトが来るのは早くても夜になると言っていたから、日が落ちるまでのんびりと町の散策を続けるとしよう。
「シリウスさん。あの屋台で焼いている魚は初めて見ます!」
「ああ、いただくとしよう」
リースが新たな屋台を見つけて目を輝かせていたので、俺も気になって購入する事にした。
見た目は鮎みたいな魚で、前世より倍近くあって食い出がありそうだ。
屋台の人に聞けばディーネ湖でとれる美味しい魚だそうだが、あまり数が取れないそうだ。
そのせいで値段が高かったが、食べてみれば脂が乗って中々美味い。惜しいのは火の魔法陣による高火力で一気に炙っている点か。こいつは低火力でじっくり炙るのが一番だと思う。
「ディーネ湖の魚介類は種類が豊富ですね。如何でしょうかシリウス様?」
「ああ、お前たちの望み通り料理の幅が広がりそうだ。しばらく退屈しないで済みそうだな」
淡水に生息するタコのような魚介も売っていたので、時間があれば金物を作る店を探してたこ焼きプレートを作ってもらうのもいいかもな。
俺の言葉に目を輝かせている弟子たち(特にリース)と共に町を巡り、一度ディーネ湖を見ようと船が並んでいる港まで足を伸ばしてみた。
港には大小様々な船が並んでいるが、その中で一番大きい船が湖の向こう側にある町ロマニオへの定期船らしい。
ここから湖を眺めていると若干だが町らしきものが見える。次の目的地を考えるとロマニオへ向かう必要はないが、見聞を広める為にも是非足を伸ばしておきたいものだな。
それから俺たちは町を巡り、露店を冷やかしたり、珍しい食べ物を売る屋台があれば一つだけ買って皆で分けて食べた。
俺たちは夕食もあるので抑え気味だが、レウスとリースは関係なく全てのメニューを制覇を目指す勢いで食べている。今更夕食が食べられないだろうと注意する必要はあるまい。
まだ見ていないものは多いが暗くなってきたので宿へ戻ってみれば、店員と話しているアルベルトの姿があった。
「あれ、アルじゃないか!」
「皆さん! 良かった、今から探しに行こうと思ったところでした」
「ふむ、ということは?」
「はい。兄上……当主の承諾を得れたので、皆さんを私の家に招待したいと思います」
「町一番の権力者ですから、この服装ではいけませんね。シリウス様、馬車から正装を取ってまいります。勿論着替えもお手伝いー……」
「特別じゃない限り当主は寛容です。それに私の友人としての招待ですからそのままで大丈夫です」
「そうですか……」
武器は持っているが、今の俺たちは町を観光するために軽装だ。それにエミリアたちがしっかり洗濯してくれた服は綺麗なので、形式を気にせず招待される分には問題ないと思う。
俺の世話が出来なくて少し残念そうにするエミリアの頭を撫でてから、俺たちは買った荷物を部屋や馬車に置いてからアルベルトの家へと向かった。
向かう途中、先頭でレウスと雑談しているアルベルトに言い忘れた事があったので俺は声を掛けた。
「そうだアルベルト。あんな良い宿を紹介してくれただけじゃなく、料金まで負担してくれるそうじゃないか。礼を言わせてくれ」
「いえ、それ以上のものを私は貰ってますから、まだ恩返しは済んでいませんよ。本当なら私の家に泊まってもらおうと思ったのですが、立場上難しく……」
「気にするなよ。俺たちはあの宿で十分過ぎるさ」
「レウスの言う通りね。それよりマリーナはどうしたのかしら?」
「あの子は家で皆さんを迎える準備をしていますよ。ところで皆さん夕食はどうされますか? よろしければ是非家で食べて行って下さい」
「ああ、世話になるよ」
時間的にそう言うと思っていたので、俺は遠慮なく頷いてご馳走になる事にした。アルベルトの場合は遠慮する方が困るだろうしな。
「町の特産品や名物を含めた夕食を用意してますので、遠慮なくどうぞ」
「お、遠慮なく食べていいんだな?」
「楽しみね」
「……皆さんに行き届く範囲でお願いします」
流石に半月も一緒にいると二人の事を良く理解したようだ。
もし肯定してしまえば、屋敷の食料がほぼ食い尽されていたであろう。
「君たちが弟を鍛えてくれたのか。当主として、そして兄として礼を言わせてもらうよ」
それからアルベルトの実家である大きな屋敷に到着した俺たちは、まずは当主の執務室である部屋に案内された。
秘書らしき女性と机で書類作業をしていたが、俺たちを確認するなり柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「このような状態ですまない。少し急ぎの仕事が入ってしまったのでな」
「構いません。本来ならアルベルト様を鍛えた以上、挨拶するべきなのはこちらだと思いますので」
「ははは、畏まらずに楽にしてもらっても構わないさ。君たちはアルベルトの親友だからな」
ある程度説明してくれたのもあるだろうが、アルベルトの兄であるパラードの現当主は、ただの冒険者に過ぎない俺たちに対して気さくな男だった。
立場もあって上からの物言いだが、俺たちだけじゃなく部下に対しても優しく声を掛けている。
なるほど……パラードの当主として、家族からだけでなく周囲から認められた男なのだと納得させられる佇まいだ。
「もうしばらくかかるから、君たちはアルベルトと一緒に食事でもしているといい。後でまた顔を見せる」
「わかりました。ではその時に改めて」
「皆さんこちらへ。マリーナも向こうで待っていますよ」
そして再び書類作業に戻った当主と別れた俺たちは、屋敷内の食堂へと案内された。
屋敷が大きい分だけ広い食堂に、使用人と思われるメイドと執事が数人待機している光景にレウスが唸っていた。
「うーん……こういうのを見ると、アルは本当に偉い立場なんだな」
「偉いのは兄上であって私じゃない。今の私はレウスと同じ師匠の弟子に過ぎないよ」
「へへ、わかってるじゃないか」
ホクトの姿に使用人たちが驚いていたが、邪魔にならないように食堂の隅で座って大人しくしている姿を見て落ち着いていた。
しかし俺たちに何かあればホクトはすぐさま飛び出してくるだろう。まるで大統領を守るSPのような貫禄を感じる。
そして俺たちが席に着いたところで空席があるのに気づいたが、そういえばまだ彼女の姿を見ていないな。
「あら、マリーナはどうしたのかしら?」
「ここで待っていた筈ですが。一体どこへ行ったのやら……」
「つまみ食いでもしてるのか?」
「そんなわけないでしょ!」
そこでレウスの言葉に反応するように、マリーナが慌てた様子で食堂に現れた。
現在のマリーナはいつもの服装ではなく赤を基調としたドレス姿であり、少し頬を染めながらもスカートを軽く摘みながら会釈してきた。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。今宵はゆっくりと食事をお楽しみください」
「ははは。珍しくドレスを着こんでいるかと思えばそういう事か。いつもと違って、自然体で見事な挨拶だったぞ」
「兄上、そういう事は言わなくても良いです。ああ……何だか兄上があんたに似てきた気がするわ」
「アルはアルのままだろ? ほら、早く座って食事にしようぜ!」
「はぁ……もういいわ。食べましょう」
どうやら世話になった俺たちにきちんとした挨拶と姿を見せたかったらしいが、レウスの反応は相変わらずだった。
そんなレウスをマリーナは睨んでいたが、すぐ諦めたように溜息を吐いて席に座った。睨んでいるのだが、以前と違いどこか優し気な雰囲気を感じるのは気のせいではあるまい。
「では皆さんが揃ったところで食事にしましょうか。お願いします」
「「「かしこまりました」」」
アルベルトの声に執事たちが応え、次々と料理が運ばれてテーブルへと並べられた。
こういう食事会では前菜から始まるコース方式だと思うが、俺たちに合わせて一度に運んできてくれた。
様々な料理でテーブルが埋め尽くされる中、一際異彩を放つ料理もあった。
「おお!? こんなでけぇ魚初めて見るぜ」
「これじゃあテーブルが広くないと置けないわね」
「ディーネ湖で取れるディネガーという魚です。本来は細かく切り分けて持ってくる料理ですが、今回は半分に切って姿焼にしてもらいました」
「どこが美味しい部分でしょうか?」
「食べ応えありそう!」
魚の姿は前世で見た世界最大の淡水魚を思い出した。その巨体ゆえに捕まえるのが難しい魚で、少し癖があるが美味しいらしい。
そのまま食べるには大き過ぎるので、メイドが切り分けて小さい器に盛ろうとしたが、エミリアだけは質問しながら自分で器に盛っていた。
「あ、ここですね? ありがとうございます。シリウス様、どうぞ」
「ありがとう。俺の世話もいいけど、お前も食べるんだぞ」
こんな時でもエミリアは俺の従者であった。流石にこういう場では食べさせようとしてこないので安心である。
一方……。
「おお……食べても食べても減らねえ! しかも美味い!」
「ちょ、直接か。ディネガーをそんな風に食べる人は初めて見るな」
「ほら……もっと落ち着きなさいよ! ディネガーだけじゃなくて野菜も食べなさい!」
ディネガーの下半身部分を直接ナイフとフォークで食べているレウスに、兄妹は呆れながらも世話を焼いていた。
そして食事に関して一番暴走するリースだが……。
「ふう……美味しかった」
「見事に完食ね。こっちの貝も美味しいわよ」
「いただきます!」
すでにディネガーの上半身部分は骨だけになっていた。その綺麗な食べっぷりはまるで漫画みたいである。
屋敷の執事とメイドたちを震え上がらせる食事会が続き、普通の胃袋を持つ者たちが満足した頃、俺はアルベルトにこれからの予定を聞いてみた。
「美味しかったよアルベルト。ところで、婚約者の下へはいつ行くんだ?」
「明日には向かう予定です。実は兄上が先程処理していた仕事はその準備でもあったのです」
ロマニオの当主へ向けた手紙やそこへ向かう船の手配等と、急ぐのは当然というわけか。
そこで食堂の扉が開いて当主が現れ、テーブルの上座に座ってから一息吐いた。
「待たせたね。全く、帰ってきていきなり仕事を増やさないでほしいものだ」
「申し訳ない兄上。ですがこれも必要な事でしょう?」
「まあ……な。この調子で行けば、ロマニオとは円満に事が進みそうだ」
そこで改めて挨拶を済ませたところで、ここまで関わったのなら……と、当主は裏の事情を少しだけ話してくれた。
ディーネ湖は場所によって魚介の種類が変わるので、パラードとロマニオで取れる魚介に差があるわけだ。そして互いに少ない魚介を交易で交換しているわけである。
他にもあるが、主にそういう理由で互いの町は仲良くしているわけだが、何でもロマニオで文句を言ってきた貴族はあまりパラードを良く思っていないそうだ。
そんな貴族がロマニオの婚約者と結ばれて牛耳るようになれば、色々と面倒になるのは明らかであろう。
だが、それもアルベルトがロマニオへ婿に行けばほとんど解決するであろう。
好意を尊重したかったのもあるが、アルベルトの暴挙を止めなかったのはそういう政治的な理由もあったらしい。
「グルジオフの角だと言い始めた時は諦めかけていたが、お前は見事に角を取ってきたからな。まだ全て終わっていないが、本当によくやってくれた」
「いいえ兄上。こちらの師匠とレウスたちの御蔭ですよ。なのでお礼の為に何か良い物はありませんか?」
「つまり報酬か。明日にでも何か考えておこう。ところで君たちは冒険者だったな?」
「その通りですが、報酬でしたら気にしなくても結構ですよ。宿の代金とこの食事で十分ですから」
「そうはいかない……と言いたいのだが、君たちに依頼したい事があるのだ。実はー……」
当主が心苦しそうに語る依頼内容を、俺は二つ返事で受けた。
そして騒がしくも楽しい食事会は終わり、アルベルトたちと別れた俺たちは宿に戻って休むのだった。
次の日……俺たちは兄妹と共にロマニオへ向かう船の上にいた。勿論ホクトも一緒で、甲板の隅に寝転がって日向ぼっこしている。
ロマニオまでは大体半日程で、朝から船に乗って昼過ぎには到着予定だ。
時間があるので弟子たちに口頭による教育を行っていたが、それも一段落したところでただの雑談に変わっていた。
そんな弟子たち雑談をぼんやりと聞きながら、俺は昨夜の依頼について思い出していた。
『君が闘武祭で優勝したのは聞いている。その強さを見込んで、もう少しだけアルベルトを見届けてほしいのだ』
『見届ける……何かあった時に備えてアルベルトを守れと?』
『端的に言えばそうなる。向こうが持ってきた角や勝負に何癖つける程度なら良いが、直接的な行動に出てくる可能性もあるからな。それに君たちは妹のマリーナに良い影響を与えてくれた。少しでも長く一緒にいてもらいたいのだ』
アルベルトの事は最後まで見届けたかったので、この依頼はむしろ願ったり叶ったりだ。何にしろこれで堂々と見守る事ができる。
「ところでさ、何で船は陸沿いに進んでいるんだよ。湖を真っ直ぐ突っ切れば半日も掛からないだろ?」
「ああ、実はディーネ湖には縄張りに入ると、この船すら襲う巨大な魔物が生息しているんだ」
ロマニオへ真っ直ぐ進めば魔物の領域に入ってしまうので、陸に沿って進めば安全と言うわけだ。ちなみに船ではなく陸路で向かおうにも、高低差の激しい山々と木々によって大きく迂回を余儀なくされるので、船で向かうのが一番早いのである。
「巨大な魔物か……斬れるかな?」
「挑むのは止めてくれよレウス。いくらお前でも水中は無理だろう」
「全くもう。何を言っているのよあんたは」
兄妹の言う通り、レウスのような大剣を振るう剣士は水中で戦うのは避けた方がいいだろう。水の抵抗でまともに剣がふれないだろうしな。
俺の『マグナム』も威力が激減するだろうし、狙うとしたら水面に上昇した時だろうか? とまあ色々と考えたものの、現時点で特に戦う理由もないので思考を打ち切った。
「巨大な魔物……美味しいのかな?」
「止めておきなさいリース。昨日のディネガーのように、大きいからって美味しいとは限らないわ」
「大き過ぎるのは大味で美味しくない場合が多いって、シリウス様がよく仰っていますよ」
「そうだね。まずはアルベルトの問題が先だよね」
確かに水の精霊が使えるリースなら、水を操って普通にその魔物を水面に浮上させて倒せる気がする。
しかし首尾よく仕留めたとしても、持って帰ったりと大掛かりな準備が必要なので諦めてくれて助かった。
それからしばらくしてロマニオに到着し、船から降りた俺たちはすぐにロマニオを統治する当主の下へ向かった。
途中で町の様子を確認してみたが、建物や空気に若干差があるが、大体パラードと似通った町でもある。
「あの屋台の焼き魚……向こうでは鉄貨二枚だったけど、こっちでは鉄貨一枚なんだね」
「漁獲量の差だろう。こういう細かい点で差があるわけか」
「一つの国や町にしようにも、湖を挟んで離れ過ぎているから難しいみたいね」
「だろうな。だけど今は政治的な問題より、依頼をこなす事に集中するとしよう」
俺たちより先に出た船によって手紙が届けられているそうなので、向こうはすでにアルベルトの状況について知っている筈だ。
目的地に近付くにつれてアルベルトは緊張しているようだが、レウスが笑いながら肩を叩いている御蔭で気が紛れているようである。
当人はレウスとマリーナに任せ、俺は依頼をこなそうと周囲を警戒しながら歩いた。
屋敷に到着するなりホクトを見た使用人たちと一悶着あったが、アルベルトの説明と俺への従順ぶりを見せる事によって納得してもらった。流石に屋敷へ入れるのは難しいので、庭で待機してもらっている。
そして何度も足を運んでいるのだろう、アルベルトは屋敷の使用人たちから笑顔で迎えられ、ほとんど顔パスで当主の下へ案内された。
「アルベルト!」
「ただいま戻りました、おじさん」
アルベルトと同じ狐尾族で、見た目が四十過ぎの中年である当主は仕事中だったが、アルベルトの姿を確認するなり満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。
仲が良いと言っていたが、抱き締めて本当に喜んでいる姿からして本当の家族みたいである。
「おじさんは兄上の事が気に入っているの。娘も良いけど、息子が欲しかったらしくて」
「あれ、長男がいるって話だろ?」
「確かにいるんだけど、息子って言うより友達って感覚らしいの。それに失踪と言ったけど、実は外の世界が見たいって勝手に飛び出しちゃったらしくて……」
聞けば、長男は相当な変わり者らしい。
父親は当主の器ではないと理解していたので、長男の旅立ちを呆れつつも見送ったそうな。
そんな長男を見てきたので、礼儀正しく娘を大切にしてくれそうなアルベルトは理想の息子に見えるらしく、婿として迎え入れるのを賛成しているわけだ。
「複雑ねぇ……」
「でもおじさんは長男が嫌いじゃないの。何か気心が知れた酒飲み仲間みたい……と、以前呟いていたみたい」
「本当に複雑です」
「長男はともかく、上手く回っているんだからそれでいいんじゃないか?」
そして当主とアルベルトの抱擁が終わり、俺たちを軽く紹介したところで本題に入った。
「手紙を見た時は半信半疑だったが、お前が無事で本当に良かったよ。しかもグルジオフの角を取ってくるとは……見事だ」
「ご心配をおかけしました。ところでパメラは?」
「別室で勉強中だが、すぐに飛んで来るだろう。ほら、噂をすれば……」
そこで僅かな足音と共に扉が開かれ、息を乱した狐尾族の女性が飛び込んできた。
「アルベルト様! ご無事で!」
「パメラ!」
肩まで伸びた金髪に、ドレス姿から唯一見える腕は運動して程よく締まっている非常に健康的な女性だ。淑女という言葉が似合う女性でもあり、見た目は間違いなく美人と言えるだろう。
エミリアやフィアと接していたのに、一切靡かなかったのはすでに美人への耐性があったからか。
二人はしばらく抱き合ってから離れたが、パメラはアルベルトの手を握ったままであった。
「今朝到着した手紙で状況は知りました。本当に角を取ってきてくれたのですね?」
「ああ、お前との約束の為にな。ほら、これだよ」
「何と立派な……これで私たちの結婚を阻むものはありませんね!」
「いや、まだもう一つ残っている。けど、君の為に必ず乗り越えてみせる。待っていてくれ」
「はい! 私はいつまでも待っています」
何だろう……プロポーズした直後のノエルとディーを思い出させる光景だ。
感極まったのか再び抱き合っている二人を、家の女性陣は微笑ましそうに眺めていた。
「あら? アルベルト様の筋肉……凄く締まっていますわ」
「ああ、師匠に鍛えられたからね」
「これならもっと抱き締めても大丈夫そうですね。アルベルト様……」
「ははは……くっ! まだまだ!」
そしてすぐに微妙な表情を浮かべていた。
どうやらパメラは力が強く、愛情によって力加減が変わるらしい。
ようやく愛を確かめ合う抱き潰し……もとい、抱擁が終わったところで、マリーナがパメラの前に立った。
「パメラさん、お久しぶりです」
「マリーナも無事で良かったわ。それよりどうしたの? いつものように姉上って呼んでちょうだい」
「それは……皆さんがいるので」
「おいおい、俺たちに遠慮するなよ。血は繋がってなくても姉ちゃんだって前に言ってただろ?」
「ちょっ!? あんた止めなさいよ!」
「あら……嬉しい事を聞いたわ。それにその男の子……そういうわけね」
全てを悟ったように笑ったパメラは、兄と同じようにマリーナを抱き締めていた。
「な、何を勘違いしているんですか! あいつは兄上の友達なだけで、私とはー……」
「いいからいいから、私は全部わかっちゃったんだからね。ほら、ぎゅー……」
「だから違います! あいつとは何もありまー……あああっ!? 姉上、もう結構です! 痛いので離してください!」
「ごめんね、嬉しくてつい加減を間違えちゃったわ」
これはまた……何と言えば良いのかわからない女性が現れたものだ。
アルベルトとマリーナが、俺たちの逸脱さに慣れるのが早かった理由もわかった気がする。
「マリーナも良いけど、やっぱりアルベルト様の抱き心地が一番です」
「私もパメラに抱き締められるのが一番だよ」
「アルベルト様……」
「パメラ……くっ、もっと強くても大丈夫だぞ!」
まあ、お互いに幸せそうだから野暮な事は言うまい。
パメラとの騒がしい再会が落ち着いたが、今度は廊下の方が騒がしくなった。
何事かとパメラの父親が立ち上がったところで扉が開かれ、狐尾族の青年が息を乱しながら現れたのである。
「アルベルト……本当に帰ってきたのか」
「そうだ。約束通りグルジオフを倒して……な」
マリーナが小声で教えてくれたが、この青年こそが二人の婚約に口を挟んできた貴族で、グルジオフを倒してこいと言いだした張本人らしい。
見た目は貴族といった出で立ちの青年で、標準的な体つきを持つ男だ。
青年は悔しそうに呻きながら部屋に入ってきたが、アルベルトが取り出したグルジオフの角を見て小さく舌打ちをしていた。
「……本当に倒したんだろうな? あそこにいる冒険者たちに手伝ってもらったわけではあるまいな?」
「私一人で倒したさ。だがそれを証明する手段がない。だからこそ、君が用意した傭兵と戦うんじゃなかったのか?」
「そうだ。ならばすぐに外へ出ろ。当主……申し訳ないが中庭を貸してもらうぞ」
「アルベルト、大丈夫なのか?」
「問題ありませんおじさん。いつでも行けます」
「……いいだろう。ここではっきりさせておかねば、そちらも納得すまい。庭で模擬戦を行ってもらおう」
中庭へ向かう途中、レウスはマリーナに貴族の青年について質問していた。
「なあ、何であいつはあんなに偉そうなんだ?」
「今はパメラさんのー……いえ、姉上の父親がロマニオの当主だけど、本来はあの男の父親が当主の次期後継者だったのよ」
次期当主は血筋的に青年の父親だったそうだが、周囲の推薦もあって分家でもあったパメラの父親になったそうだ。
「人を治める能力は姉上の父親の方が優れていたの。だからあの男は、自分の代で当主の座を取り返そうと躍起になっているみたい」
少し高慢なところもあるが、悪い人物ではないらしい。
実際、パメラを娶りたいのは政治的な理由ではなく純粋に好意を抱いているとか。
ただ……マリーナ個人の見解によれば、最近の行動は妙に過激で様子がおかしいと思っているそうだ。危険であるグルジオフ討伐の件も、以前なら言ってこなかったと不思議で仕方がないらしい。
そして屋敷の中庭に全員が集まったところで、貴族の青年は一人の男を連れていた。
急所を守る鉄製の胸当てや膝当て、そして顔全体を覆う鉄仮面を被った男で、アルベルトより一際大きい剣を背中に背負っていた。
遠目からだが、その男から感じる気配や魔力からして相当な実力者だと思われる。
「グルジオフを討伐し、最近名を売りだし始めたレジスと呼ばれる傭兵だ。グルジオフを倒したお前ならば、良い勝負になる筈だろう?」
「…………」
レジスと呼ばれた傭兵は一言も発さず剣を抜いたので、同じくアルベルトも剣を抜いた。
「審判役が必要だな。ここはやはり当主のー……」
「審判でしたら私がやりましょう」
「何だ貴様は? 何故いるかわからぬが、これは私たちの問題だ!」
「私は先日行われた闘武祭で優勝したシリウスと申します。私ならやり過ぎと判断すれば割り込めますし、あちらの従魔は私の命令なら聞くので、不正があればすぐに取り押さえてみせるでしょう」
「オン!」
「おお!? それは心強い。私からもお願いするよ」
「……仕方ない。少しでも向こうに加担するような行為を見せたら、すぐさま町を出て行ってもらうぞ」
ふむ、闘武祭優勝という肩書は中々優秀だな。更にホクトの存在感もあり、すんなりと審判役になれた。
これで向こうが何をやってきても即座に介入出来るだろう。今のところそういう兆候は見られないが、念には念をだ。
「では改めてルールを。勝敗は負けを認めるか、私が戦えないと判断した時です。殺すような行為を見せたら、私と従魔が強制的に取り押さえますのでご了承ください」
「オン!」
「では……」
二人が剣を構えたところで俺は手を挙げ、二呼吸ほど置いてから手を振り下ろした。
「始め!」
そして勝負は…………一撃で決まった。
裏話
死ぬかもわからないのに、当主がアルベルトをグルジオフの討伐に送りだせたのは、アルベルトは止まらないと理解していた他に、もしアルベルトが死んでしまった場合、それを理由にその貴族だけを攻撃して排除しようとも考えていたからです。
勿論死ぬほど後悔したでしょうが、当主としての責務を果たそうと冷酷な面を持っていたりします。
そして……未だに普通の淑女を出せない作者でした。
おまけ
あったかもしれないお話。
当主が心苦しそうに語る依頼内容を、俺は二つ返事で受けた。
そして騒がしくも楽しい食事会は終わー……。
「ディネガーのお代わりはありませんか?」
「「「もうありません! 勘弁してくだい!」」」
「ではフルーツのお代わりをお願いします。大盛りで」
「「「た、ただいま用意します!」」」
……らなかった。
ホクト、遊ぶ!
まだアルベルトがグルジオフを倒す前の話です。
今日も訓練で二人を叩きのめしたご主人様とホクト君は、お互いに向き合って真剣な表情をしていました。
「……こい!」
「オン!」
そしてホクト君は地を蹴り、ロケットを思わせる加速でご主人様に向かって突撃しました。
牙を立てない純粋なぶちかまし……その威力は岩をも砕く一撃ですが、全く手加減なくホクトはご主人様にぶつかりに行きます。
「ふんっ!」
しかしご主人様は受け流しの達人です。
体をずらして突進中のホクトの首を抱え込み、勢いと衝撃を流しながらホクト君を巴投げの要領で後方へ放りました。
ホクト君は空中で体勢を整え、着地と同時に再びぶちかましをしようとしましたが、すでにご主人様は目の前に迫っていました。
「はああぁぁっ!」
「オン!」
そしてご主人様は怒涛のラッシュを放ってきましたが、ホクト君は細かく首を振ったり肉球で受け止めます。
爪を立てるなんてもっての外。やってしまえば切腹ものです。
「オン!」
「ぐはっ!?」
そこで一瞬の隙を突いたホクト君はご主人様の胸元へ頭から飛び込み、ご主人様を地面へ押し倒しました。
そして……。
「クゥーン……」
「はぁ……やられたか」
ホクト君は覆い被さるように、ご主人様の胸元へ鼻先を擦りつけます。
この戦いはホクト君の勝利となりました。
ちなみに勝敗ですが、ご主人様は定めた時間までホクト君を捌けたら勝ちで、ホクト君はご主人様を押し倒せたら勝ちです。
ご主人様は確かに強いのですが、人である以上は限界があります。
なので純粋な体術になるとホクト君の方が上なので、ご主人様はよくホクト君に相手をしてもらいます。
「ほら、そろそろ止めなさい。次だぞ」
「オン!」
つまり、ご主人様は体術の訓練として、そしてホクト君はご主人様と触れ合えて満足と一石二鳥の訓練なのです。
しかし……。
「痛くないからって攻撃はちゃんと避けなさい! 構わず押し倒すんじゃない!」
「オン!」
どちらに転んでも、勝者はご主人様と遊べるホクト君だけでした。
いよいよ書籍1巻の発売が迫ってきました。
というわけで、活動報告に新たな情報を載せたいと思います。
興味があるならば是非。
次の更新は六日後……の予定です。